宿泊 6000ゴールド
幸運にも、悪魔なる者は何のアクションも起こしてこなかった。
俺たちは街に戻り、伝令隊の男を医療施設に預け、現在ルノワールに事のてん末を報告していた。
「つまり、敵の安否は不明ということですか」
「はい。ですが、私たちが逃げ帰る際も手を出してこなかったことを考えると、少なくともかなりのダメージを与えたことになります」
一番戦闘経験の豊富なガーネットが持論を展開していく。
吉報を聞き、ルノワールの表情もいくぶんは柔らかくなっていくのがわかる。
「ですので、しばらくの間は敵が攻めてくることはないと思います。さらに、 少し楽観的ですが、利口な者なら、傷が癒えても天敵のいる街に再び近づこうとはしないかと」
「では、当面の危機は回避されたということですね? そして、その間に他の伝令隊を派遣すれば、事は収集すると」
俺たちは揃って首を縦に振った。
「あなた方に託して良かったと、心から思います。 なんとお礼を言っていいか…… 本当にありがとうございます」
ルノワールは十数秒に渡り、俺たちに頭を下げ続けていた。
「つきましては、あなた方に報酬、いえ、お礼をさせていただたいのですが」
「そんな、当然のことをしたまでですから」
俺は形だけの遠慮を見せた。
こういうやり取りはお約束だろう。
当然、もらえる物はもらっておきたい。
「いえ、そういう訳にはいきません。 お礼はしっかりとさせていただきます。 ですが、準備が整っておらず…… もう遅い時間ですので、明日改めてここをお訪ねになってください」
俺たちはルノワールに見送られ、役場を後にした。街に戻ってから意外と時間が経っていて、空は西に浮かぶ夕日を残し、澄んだ藍色に染まっていた。
昼に行った食堂で夕食を済ませると、俺たちは寝泊まりする場所を探す。既に疲労はピークを迎えていて、一刻も早く休息を取りたかった。
見つかったのは、二階建ての安っぽい宿。
「三部屋で18000ゴールドだよ」
メガネをかけた白髪混じりの女店主が予想外の値段を告げる。
「うそ、そんなに高いの!?」
つい、俺は思ったことを口にしてしまう。
こういったRPG的な世界では、最初の街の宿代なんてたかが知れてるだろう。
それなのに一人6000ゴールドって、どこのビジネスホテルだ、ここは!
「みんな、手持ちはいくらある?」
俺はミカたちの元へ戻り、小声で相談する。
「ちなみに俺は3000ゴールド」
「私はシェリーお姉様からもらった4000ゴールドだけ」
「えへへ、すっからかんです」
「まじかよ……」
つまり、三人合わせて7000ゴールド。全く足りてない。
「あの…… もうちょっと値下げしてもらえませんか……? あんまりお金持ってなくて……」
「そんなこと言ってもねぇ…… うちも商売でやってるから、簡単に値下げしちゃうわけにはねぇ……」
「そこをなんとか! 女の子を野宿させるわけにはいかないんです!」
俺は神仏でも拝むように手を合わせた。
「はぁ…… じゃあ、あれだ。三人で一部屋に泊まりなさい。 そしたら値段は三分の一で済ませてあげるよ」
「ありがとうございま…… え?」
「なぁに、うろたえてんの。 男ならそこはビシッと決めて、バシッやることやるのが普通でしょうが」
宿主は耳打ちすると、悪役のように怪しい笑い声をあげる。
なんだ、最後のバシッとやるって。
「そこの嬢ちゃんたちも、それでいいね」
後ろから「はーい」という元気な声が返ってくる。
「ほら、これが鍵。 部屋はそこの階段昇って、一番奥の部屋ね」
理解が追いつかないまま、俺は受け取った鍵を強く握りしめて、部屋へと向かった。
木でできた簡素なドアを開けると、大きめなベッドが設置された、あまり広くないワンルームの部屋が現れた。
部屋の隅に武器を立てかけると、俺は辺りをキョロキョロと見回す。あるのは、二人くらい寝れそうなベッドと、二人がけの固そうな長椅子。
俺はどちらに行くべきか。
「ふあ〜 さすがに疲れたね〜」
ミカが座ったのは椅子の方。
それなら、俺はベットの方に……
「そうですね、私ももうクタクタです」
何の間違いか、ガーネットはベッドに腰を下ろしてしまう。
彼女の隣には、もう一人分座れるスペースがある。
「ガーネットは昨日の夜から一睡もしてないんでしょ?」
「そうなんですよ。 ずっとヘルドレイクに乗ってましたから」
「改めて考えると、普通じゃないよね、それ……」
「気合いと根性、それから多少の体力でなんとかなるものですよ」
二人は俺の気持ちなど知らずに、楽しそうに会話を始める。
俺は部屋の隅で立ち尽くしていた。
なんなんだこれは。俺はどっちに座ればいいんだ!
「シン? 座らないの?」
キョトンとしたミカの顔がななめに傾く。
「え、ああ、うん……」
「恩人様もお疲れでしょう。 座るだけでも大分楽になりますよ?」
自意識過剰だろうか。俺の目には、ガーネットがさりげなくベットの横を軽く手で叩いたように映った。おいでおいでする風に。
「そ、それはわかってるんだけど……」
なんだこの贅沢な究極の選択は。
俺はどっちに行けばいい。
「シン?」
「恩人様?」
どちらに転んでも、そこは天国。
だが、その時、向こう岸にいる一方はどう思うだろうか。
これは自惚れなどてはなく、誘いを断られれば誰しも良い気分はしないという考えだ。
「お、俺はいいよ! 全然疲れてないし! ここで立ってる!」
俺は精一杯の笑みを作った。
しかし、そう上手く事は運ばなかった。
「だめですよ、今は平気でも、後で体に響きますから」
「ガーネットの言う通りだよ。 ほら、早く」
再び訪れた危機。
しかも、今まであった退路は断たれてしまった。
「わかった……」
俺は仕方なく部屋の中央まで進み出た。次の一歩をどちらに向けるか、それで全てが決まる。
こうなったら、覚悟を決めるしかない。
俺の脚がゆっくりと動く。
「そこに…… 座るんですか……」
「シン……」
二人の声が遥か遠くから聞こえるような気がした。
なんとも清々しい気分だ。俺は本当の楽園を見つけてしまった。
一つ気がかりなことと言えば、二人はどういう思いで、地べたに体育座りする俺を見ているのだろう。
それから一時間ほど。
灯りが消え、静まり返った室内。聞こえてくるのは、狂ったような鼓動の音と、さざ波のように穏やかな寝息だけ。
「……」
両腕からは、それぞれ柔らかな異なる体温が伝わる。時より起こる僅な身じろぎが、肌同士に滑らかな摩擦を生み出し、それが必死に抑える心に妖しい火を灯さんとしていた。
「こんなところで寝れるかっ!」
俺は吐息のように小さな声で叫び、音を立てないよう細心の注意を払い起き上がった。
視線を左右に振ると、窓からの月明かりに照らされた、ミカとガーネットの心地良さそうな寝顔が浮かび上がった。
ひょんなことから、俺は二人に囲まれたベッドで寝ることになってしまったのだ。
「くそ、俺には刺激が強すぎるよ……!」
ここにいれば、おかしくなりそうだったので、俺は少し外に出ることにした。
きしむ床を静かに歩き、階段を降りる。
一階も灯りが消され、宿主の姿もなかった。
少しの間だしいいか、と俺は許可を得ず、正面玄関を開ける。
「はあ……」
涼しい夜風を吸い込んで、出てきたのは重いため息。
「今日は本当に色々あったな……」
夜が更けた大通りには、人の姿は全くない。
とりあえず俺はすぐ近くにあったベンチに腰かけた。
「ん?」
ふいに、宿屋の扉が開く。
「ミカ……? どうしたの?」
「それは私のセリフだよ。起きたら、シンがベッドにいないから心配で」
「ああ、ごめん。 なんか目が覚めちゃってさ……」
「そうなんだ…… えっと、隣、座っていい?」
「え?」と惚ける俺に構わず、ミカは横に座る。
「あー、その、今日は大変だったね」
「うん」
「明日のお礼って何がもらえるんだろうね?」
「どうなんだろう」
揺れる銀髪から覗くミカの瞳は、真っ暗な夜空を見つめていた。
俺の話がつまらなかったのだろうか。
くそ!肝心な時にコミュ力の低さが!
「あのね」
ミカがポツリとつぶやく。
「な、なに?」
「やっぱり私、勇者に向いてないのかなって……」
俺は言葉が出なかった。
後半はトチ狂いました。