夢なのか?
ブラックアウトした視界に少しずつ光が戻っていった。
あれ、ここは……?
灯りに照らされた、延々と続く石畳の地面。周りを囲うように、歴史の教科書に載っていそうな荘厳な石柱が立ち並んでいた。屋根は無く、夕暮れとは違う、不吉な焦げたオレンジの雲が上空を埋め尽くしていた。
神殿という単語が頭に浮かぶ。ついさっきまで、俺は王都にいたはずなのに。
「もうすぐだ…… もうすぐで、全てが終わる」
聞いたことのない男の声がどこからともなく響いた。それが自分の喉から発せられたものだと、俺は気づく。
どうなってるんだ? これは、夢……?
それにしては、やけにリアルな映像だし、足にかかる体重の感覚すらある。
「ああ、神よ…… もし、本当にこの世におわしますのなら、私の愚行をお許しください」
勝手に自分の口が動き、言葉を紡ぎ出していく。なんと異様な感覚だろう。俺の意識は完全にこの男の中にあるのに、身体は俺の言うことを聞かないのだ。
顔が俺の意思に反し、横を向いた。
なんだ、これ……
この神殿は高い丘に建てられたものなのだろう。眼下には様々な建造物だったようなものが広がっている。"ようなもの"、と明言できない理由は、そのほとんどが瓦礫の山となり、空と同じオレンジの波に飲まれていたからだ。
辺りは一面、火の海だった。空が明るく見えたのは、この炎のせいか。
ひどい…… 一体何があったんだ……?
「今や◯◯に溢れんばかりにある○◯は、いずれこの世界を滅ぼします。これも全て、私がまいた種」
俺の口が、一人でに話を進めていく。しかし、ところどころ声が不鮮明になり、しっかりと内容を聞き取れない。
「だから、私はこの手で、◯◯ を終わらせなければならない……」
決意したようにそう言うと、男は力強く拳を握りしめた。
「来たか……」
男の声に応じたように、奥の方、神殿の入り口から何者かの影が現れる。
おそらくは男。何かの魔法だろうか、その身体からは、きらめく光の奔流がほとばしっていた。
「どうして、こんなことを? ◯◯ は自分のやっていることをわかっているのですか?」
相手の声音はひどく静かだった。しかし、微妙に震えるその声からは強い怒りを感じる。
「残念だが、これは今のお前たちにはわからぬこと。まだ経験したことがないだろうからな。 しかし、わかってからでは遅いのだ」
「何を言っているのですか……! あなたは数千の罪のない人々を殺したのですよ!? それを分かっているのですか!?」
「すまない。だが、これは世界のためだ。 悪いな、◯◯」
突如、上空に巨大な魔法陣が現れた。
「恩人様!」
「あれ…… 俺は……」
ミキサーにでもかけられたかのようにかき回された意識が、徐々に元の形に戻っていく。
さっきと変わらぬ光景。俺は王都にいた。
「大丈夫ですか、恩人様?」
俺の顔を心配そうに覗き込むガーネット。
「う、うん。 なんともないよ」
強いて言えば、まだ少し頭がぼうっとするような。だが、今はそんな細かいことはどうでもよかった。
「俺はどうなってたんだ?」
「石に触れた途端、急に上の空になったんだ。数秒だけだったが、声をかけても反応してがなくて……」
サーシャが教えてくれる。
「お前、何をしたんだ?」
「シン様を良い方向へ導くお助けを。 説明不足で申し訳ありません。ですが、ご安心ください。精神支配等の魔法は使っておりませんので」
リンシアは悪びれた様子もない。
「それで、どうでしたか? 何が見えました?」
リンシアが艶やかな笑みを浮かべ、そう言う。その目は、何かを期待しているように見えた。
「よくわかりませんでした。 夢でも見てるみたいで。あれは一体ーー」
「リンシアさん。その石はどこで手に入れたんですか?」
ガーネットの、やけに鋭い口調が割って入ってくる。訝しく思って見てみると、彼女は険しい表情を浮かべていた。
「ええと、ここから数キロ先の、患者が建てたと言われる、スペクルム神殿と聞いております。そこで発見されたものを、王室から寄贈されました」
「そうでしたか……」
「それがどうかいたしましたか?」
「……そんな得体の知れないもは、すぐにでも捨てるべきだと思います」
ガーネットはにべもなかった。
「ちょ、ちょっと、ガーネット?」
ギョッとして、俺はガーネットを呼ぶ。しかし、彼女が耳を傾けることはない。
「どうしてですか?」
リンシアも少し苛立っているように見える。
予期せず訪れた険悪なムード。
「…… 他人の意識を奪って何かを見せるなんて、普通じゃありません。その石、何か呪術にでも侵されていたらどうするんですか」
「心配は無用でございます。これは王室が念入りに調べましたが、何の魔法の干渉も受けていないとわかりました」
「本当にちゃんと調べたんでしょうか?」
なぜ、ガーネットはそこまで食ってかかるのか。
俺はどうしていいかわからず、あたふたする。サーシャの方を見てみたが、彼女も呆気にとられているようだ。
しばらく黙っていたリンシアだが、ふいに、その目を細めた。
「もしかして…… ガーネットさんは、この赤い宝石に隠されているかもしれない何かを知っているのですか?」
「え? いえ、そんなこと……」
ばつが悪そうに、ガーネットはリンシアから視線を逸らした。
「そうですか」
素っ気なくそう言うと、リンシアはガーネットの方へゆっくりと歩み寄る。
「そこまで疑うのなら、ガーネットさんもぜひ、これに触れてみてください。何の害もないとわかりますから。 ついでに私が、あなたを正しい道へと導いてあげます」
この時だけ、リンシアの声から生気が完全に消え失せた気がした。いや、気のせいなどではない。あの温情さを滲ませていた彼女の顔は、表情というものが抜け落ち、無機質で冷たい何かに変わっていたのだ。
名状しがたい、原初的な恐怖に似たものを感じ、俺の中の危険信号が赤々と灯る。
止めなきゃ! これ以上近づかせたらだめだ……!
とっさに、俺は二人の間に入った。
「あ、あの、すみませんでした! 変に因縁をつけるようなことをして。 俺がちゃんと言っておきますので、どうかガーネットを許してあげてください」
頭を下げ、祈るように目を閉じる。
目の前にいるのは血に飢えた獣。俺が助かるかは、獣の気まぐれにかかっている。そんな妄想さえ浮かんだ。
妙に長い沈黙が続いた。冷たい汗が背筋を流れる。
すると、ふいに、ふっと息の出る音が聞こえた。
「謝らなければいけないのは私の方ですよ、シン様。 私も少しムキになっていました。 不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
俺は恐る恐る頭を上げた。
そこにあったのは、人間の、リンシアの顔であった。俺は思わず胸をなでおろす。
「私はそろそろ行きますね。王室の方も待っているでしょうし」
「は、はい」
「それでは」
リンシアは軽く会釈すると、俺たちの横を、そよ風のように音もなく通っていく。
しかし、何の気まぐれか、「あ」と思い出したように声を上げ、リンシアは立ち止まった。
「いつか教会にいらしてください。まだお話ししたいことがたくさんありますので。 その時には、しっかりとおもてなしをさせていただきます」
その曇りのないはずの笑みの裏には、薄暗い何かが隠れている。一度見せたリンシアの異様な印象は、俺を疑心暗鬼にさせていた。




