SIX:ファミリー京子
随分更新が遅れていてすみませんでした。
サボり癖は直したいものです。
さくらふちきょうこ【桜渕――京子】
家族。
*
歓楽街から少し外れた暗がりの田圃道。田には今は水を張っていないようで、ただ土壌に切れ込みが入っているだけだった。
ほとんど地平線に呑み込まれてしまった太陽は、まだかすかに西の方で朱い光を放っていた。一方東では、もう綺麗な満月が出始めており、藍色に染まった夜空に、幾千の星が鏤められていた。
溜息の出るような、田舎の田園風景だ。
「なぁ、弟子」
と、五十嵐律音は両ポケットに手を突っ込みながら、淘汰の顔は見ずに、決して歩みを止めることなく、言った。
「何でしょう、師匠」
淘汰も、当然のようにそれに応じた。
大した感情もなく、聞かれたから応えただけの、ただ単純なコミュニケーションのつもりだった。
「お前――どうしてあのビショージョちゃんを、持ち金もないくせに、借金までして買ったんだ?」
「…………」
淘汰は、黙りこくってしまった。
弟子の閉口を確認しながらも、五十嵐はまるで動じない。――その素性は、その表情は、逆光と背を向けられているせいで判らない。
「見たところ性処理には使ってないみたいだし……――使ってるのかも知らんけど、だからって別に敵の領域に乗り込んでまで取り返したいものなのか?」
理解できない、というわけではなく、ただ純粋な疑問としての問いだった。
それに、淘汰は――。
「…………もったいないからですよ。――結構したんですよ?あの娘」
「じゃあ買うなよ」
五十嵐が尤もな突っ込みを入れる。
「欲しかったんですよ……可愛かったし」
「でも使用ってないんだろ?」
「いや、まぁ……もうちょっと成熟してからの方がいいかな……と、思いまして。あんまり貧乳は好きじゃないんですよ」
「風俗行け」
「未成年は入れないでしょ」
「かといって融通が利かないわけじゃない」
「お金を貢ぐとか?」
「それでも桜渕よりは安く買えただろう」
五十嵐には、淘汰が必死ではぐらかそうとしているのが、目に見えていた。見ていなくても、判っていた。
「でも……やっぱ嫌なんですよ。好みのタイプあんまりいないし。――それに、育てる楽しみってのもあるでしょ」
淘汰が苦し紛れに言う。
「お前あんまり世話してなかったじゃねーか……むしろお前がペットみたいだったぞ」
「心外ですね」
「さぁな、心中ではどう考えてんだか」
「…………」
また沈黙。
「そういう関係を、奴隷とか服従とは言わないんだぜ」
ここではじめて、五十嵐は淘汰を振り向いた。その口元は、にやにやと嘲笑するように歪んでいた。
「何て言うか知ってるか?」
「さ、さぁ……」
淘汰は珍しくたじろぎながら、それらしい答えを脳内から引っ張り出し、言った。
「共犯関係……とかですか?」
「……………………全っ然違う」
半ば呆れ気味に五十嵐は肩を竦めた。
やはりこういうところで淘汰はまだ子供なのだろう。
「答えは何なんですか」
淘汰は、少し不機嫌な声調で訊いた。
「家族だよ」
五十嵐は、どこか遠くを見ながら、懐かしむような表情を見せた。
*
すっかり夜も更け、脚も相当疲労感を増してきたが、無暗に公共機関を使うわけにもいかず(防犯カメラにはなるべく映らないようにしている)、へとへとになりながら田舎道を抜ける。
そのまま林沿いの住宅街を歩き、高低差の激しい坂道を上ったり下ったりする。
道路脇で猫が、淘汰と五十嵐に警戒するような眼差しを送った。
垣根の向こうに軒を連ねる家々も、すでに住人は就寝済みという風に、どの窓にも明かりはついていなかった。
出来ることなら、淘汰も、暖かい布団の中で眠っていたかった。
だが、それが出来ないから、今ここにいるのだ。
――それは……あいつも同じだ。
淘汰は京子のことを思いながら、少し寒そうに両手を擦り合わせながら、頭上の月を見上げた。
――あんたは、変わらないな。いつも……僕はもうこんなに変わっちまったっていうのに……。
淘汰が幼稚園に入ったとき。
物心ついたとき。
初恋をした日。
自分がクラスで嫌われていると知った日。
母親が浮気をして離婚の危機にあることを知った時。
両親が死んだ日。
淘汰が、数々の喜劇的かつ劇的な悲劇を経て、良くも悪くもこの世の中を理解し始めているというのに――
その満月は十年前から何も変わっていなかった。
否定されたようだった。
自分を、ではない。――自分の経験してきた、これまでの真っ暗な人生、をだ。
淘汰は、自分を悲劇の主人公とは思っていなかったが、その人生は悲劇のシナリオだとは信じていた。
いつか救いがあると。
そういう王道のストーリーを――夢見ていた。
――なのに……。
何年経っても見つからない。
いつまで待っても見当たらない――物語の主要人物。
所詮自分は傍役なのか。
主役にはなれないのか。
プロタゴニストじゃなくてもいい。せめてキャストに入りたかった。
とうとう主人公を見つけられたと思ったのに。
その相棒になれると思ったのに…………。
「また無意味に終わるのか」
淘汰は充血した狼の目で、白々しい宵の月を睨んだ。
バイクひとつ通らない、断崖のような坂を上り、とうとうその真っ黒な正門が見えてきた。
冷たい、まるで一昔前のホラー映画の舞台のような、鉄柵扉。その向こうでは、真っ赤な教会風の巨大な建物が。
『純星学院』
大仰な筆記体が、レンガの垣根に彫られていた。
――……な⁉
淘汰は、思わず戦慄した。
鉄の門。その上に生え揃った牙のような黒い鉄の棘。
その上で――ヒールの爪先だけで、その女は直立していた。
上下ブラックスーツだが、胸元を大きく開き、シャツの露出面が大きい。広いズボンの袖からは、色白な肌が覗く。
異様だったのはその両手。
黒い指抜きグローブ。
「お待ちしておりましたよ、『屍姦』の五十嵐律音様」
月をバックに、その女は五十嵐に喋り掛けた――にこりともせずに。
――やっぱり僕は無視か……。
淘汰が不満げにしていると、
「そちらは八角淘汰様ですね」
と、確実に淘汰を見て、言った。
その言葉は、すでに五十嵐側の情報は把握済みだという宣言にも近かったが、淘汰はそうは受け取らなかった。
「…………」
淘汰は、自分の名が呼ばれたことで、明らかに嬉しがっていた。
その感情は、本人は隠そうとしたが、それでも表情に出てしまった。
それを見た五十嵐は、
「油断するんじゃないぞ」
と、淘汰の脇腹を小突いた。
しかし、その心配は無用だった。
こんな溢れ出る嬉しさのなかでも、淘汰は決して気を緩めることは無かった。
その異様な雰囲気。
殺意や衝動、なんてものではない。それはあからさまな狂気だった。
それはその女から発せられるものばかりでなく、背後の純星学院の校舎自体から出ているものも含まれていた。
「よっと」
と、女は三メートルもある塀の上から軽々とジャンプし、着地。両手を地面から剥がし、ぱんぱんと土埃を払うと、そのままこちらに向かってゆっくりと歩いて来た。
「初めまして。純星学院伏兵クラス実技指導員、縣羽百合と申します」
女――縣羽百合は、五十嵐ではなく、淘汰に、その右手を差し出した。
なんと本名とその役職を晒して。
その嘘臭い笑顔に騙されたのか、不覚にも淘汰は、その右手を差し出してしまった。
「おいやめろ!」
五十嵐が叫んだ。その声に驚き、淘汰はすっ、とその手を竦めてしまった。
その瞬間。
ぼうぅわっ、と。縣の差し出した右手の上で、火柱が上がった。
「うわっ」
淘汰は悲鳴を上げ、その場に倒れ込んだ。
「な、何だ!」
腰が抜けたように地面で尻を引き摺りながら、淘汰は叫ぶ。
「くっくっくっ」
そこで初めて、縣は心の底から笑った。
その顔は、悪意に満ちたまさに悪人顔。
五十嵐は、ズボンの中に隠してあるモーニングスターフレイルをすぐ取り出せるよう構えた。
「私は『堕ちた炎光』――炎使い」
自信気で挑戦的な瞳で、縣は自らの肩書を名乗った。
クッキー食べて奥歯に詰まったとき、指で取りたくなるけど外だから出来なーい。ってなって嫌だ。
なんとかしてくれ。