ONE:ネクロフィリア律音
読んで頂いてありがとうございます
この章は序章なので退屈な描写が延々続きます。流し読みで構いません。なんなら次の話に移って頂いても結構です。
ブクマお願いいたします。
いがらしりつね【五十嵐――律音】
屍姦。
十九歳。
殺すことで愛す、快楽殺人鬼。
主な得物はトゲのある鉄球と柄を鎖で繋いだ、モーニングスターフレイルという打撲武器。
バイセクシュアル。
戸籍名は無く、『五十嵐律音』という名は彼女の師から授かったものである。
*
八角淘汰は、孤独だった。
彼には産みの親は存在したものの、本当の意味での保護者がいなかった。まだ十七歳だというのに、少ない貯め銭を削りながら、ボロアパートで寂しく侘しく慎ましく、生きていた。
某日、親の遺した(といっても気休め程度だが)貯金が底をつき、借金をする相手もおらず、とうとうアパートを大家に追い出された。もともと淘汰への当たり方が強かっただけに、最悪の事態とはいえ、予測できなかったわけではない。
――学校に通ってもいないのに……学生証なしで雇ってくれるアルバイトなんてあるんだろうか……。
東京の湿った夜道をとぼとぼ歩きながら、淘汰は呟いた。
頭上のコンクリート橋で、電車が車輪音を轟かせながら、通過していく。地面に映る、車窓からの光。人間が多すぎるせいで、ほんのわずかしか量は無い。
やがて歩みを進めるうちに、淘汰はどこか知らない土地に辿り着いた。否――それは知らない“世界”と言い換えてもいいのかもしれない。
パチンコ屋や風俗店の肌色の看板を、五月蠅いくらいのネオンが照らす。
そこは都内有数の歓楽街だった。
もちろん、本来であれば高校生であるはずの淘汰がいていい場所ではない。
「女の子いかがですかー。JK、JC、JSと、イイ娘揃ってますよー」
「お時間だけでも少しお貸しください、五分で千円を十万と引き換えできます」
明らかに怪しく、明らかに法に触れるであろう屋外宣伝の声が飛び交う。淘汰にも数名声を掛けたホスト風の若い男がいたが、彼はそれを必死の思いで無視した。
なかには
「毒はいかかですかー、トリカブトからマリファナまで……」
と、危険薬物や薬草を売り歩く少年の姿もあった。
遠くの方で男たちの喧嘩の怒声が聞こえる。淘汰は一瞬身を震わせた。
なかでも淘汰の目を引いたのは、道路のど真ん中で
「奴隷はいかがですかー? 一時間一万円でーす」
と、セーラー服を着、首輪を嵌めた、恐らくは中学生くらいの、自らの肉体を売りに出している美少女だった。
その顔はどこかやつれ、声にも張りが無い。
淘汰はいたたまれない気持ちになりながらも、ただ見なかったことにして、通り過ぎることしかできなかった。
「お嬢ちゃーん、おじさんと一緒にホテル行かなーい?」
酔って千鳥足になった禿げ頭の中年男が、コンビニの前で煙草を吸っていた若い女に声を掛けていた。
若い女は黄緑のパーカーを着、サングラスを掛けていた。
「んー……どうしようかな……」
「頼むよぉ……好きなもの買ってあげるからぁ」
「おじさんそれって援交じゃん、きっも」
「そぉう?きもいぃ?えへへ……」
下品な笑い方をする男だった。
「じゃあ、いいよ。おじさんにあたしの****貸してあげる」
「もう、駄目だよぉ、淫乱になっちゃ」
「えへー」
惚気るようにぴったりと中年男の腕にすがり、甘える女。
そのまま道を寄り添いながら歩くふたりに、淘汰は少し興味が引かれた。
――……ちょっとついて行ってみるか……。
ふたりの後を追ってみると、歓楽街の路を少し外れた場所にある、真っ黒な灯りのない小ビルに着いた。
そのビルには窓がひとつもついておらず、看板も、照明のひとつも外観には見られなかった。淘汰は近づくまでその建物の存在に気付かなかったほどだ。
男と女はその暗い玄関から中へ入り、そのまま見えなくなった。
――どうしようか……。
三十分ほどあたりをうろうろし、とうとう淘汰は覚悟を決めた。
コンクリートが剥き出しになった玄関。見張り役がいるのかと思えばそうではなく、かといってインターフォンがあるわけでもない。防犯カメラもあるにはあったが、壊されているようだった。
恐る恐る中へ忍び込み、壁を右手で触りながら歩く。背後で音がして心臓が止まるかと思ったが、鼠が汚れた地面を横切っただけだった。
暗闇。
わずかにひび割れた壁から差し込む外からの光を頼りに、淘汰は足を進める。やがて階段を見つけ、淘汰はそれを上ることにした。
その螺旋は金属で、足を乗せると狭い部屋に音が響いた。
手摺に摑まろうとするが、掌に違和感を感じる。離して見てみると、埃や黒い灰のようなものが手に薄っすらと付いていた。不快に感じ、淘汰はそれを壁に擦り付けた。
三周ほど螺旋を回り、つまりは三階に着き、人の気配を感じた。
女の喘ぎ声のようなものが聞こえた気がしたのだ。
耳を澄まして廊下をゆっくりと歩くと、やがてその音源らしき部屋を発見した。
真っ黒に錆びた扉には、『五十 』という表札が下がっており、後半の文字は汚れていてよく読めなかった。
淘汰には、その扉がまるで地獄の門のように見えたそうだ。
扉の隙間から漏れる光を見て、ここで間違いないと確信した。――が、どうにも一歩踏み出す勇気がなく、まずはそのドアに耳を密着させ、部屋の中の声を盗聴することにした。
やはり女の甲高い声が連続して響いていた。
――なかで何か卑猥なことでもしているのだろうか……。
普通ならばここで引き返すべきである。
子供が大人の情事に立ち会ってしまったというだけの話だ。
踵を返せばそれだけの話。
――“普通ならば”――。
が、彼は思春期盛りの高校生である。
幸か不幸か――彼はそのドアを開けてしまったのである。
それがどのような運命を導くか――知らないままに。
扉をそっと開け、音がしないよう、丁寧に閉める。
今にも落ちてしまいそうな床を、軋まぬようにそうっと歩く。
真向いのドアの刷りガラスから、光が漏れていた。
喘ぎ声も大きくなる。
ドアに近づく。玄関のものとは違って、木製で、比較的新しめのものだった。それはこの貧しい建物にはかなり不づり合いなものに見えた。
鼓動が大きくなる。
心臓の、鼓動。
興奮。
好奇心。
欲求。
――何かが……“何かが起こりそうな予感がする”‼
そして奇しくもその予想は、現実のものとなる。
ドアノブに手を掛ける。
冷たい。
なかの様子を見るため、少しだけドアに隙間を開けるよう、その塀板を外向きに押す。
最初に目に入ったのは、――脚だった。
脛毛が無法に生え散らかされた、お世辞にも清潔とはいえない太い脚。
それが、
『がんっ、がんっ』
という音に連動して、ベッドの上で飛び跳ねていた。
――まるでコンクリートの地面に釣り上げられた魚みたいだ……。
そして、視線を少し右に向けると……赤。
あかあかあかあかあかあかあかあか。
それは、赤であり、朱であり、紅のようでもあった。
一瞬、それがかつて、生きた人間であったということを、忘れてしまった。
作りものにしか見えなかった。
マネキンや、
人形と同じ。
両の腕はありえない方向に捩じり捻られ、胸からはばきばきになった肋骨が貫通しており、心臓部だけが抉り抜かれたようにぽっかりと穴が開いている。鳩尾には大きな溝が出来ており、臍は切り開かれ、生々しい色の臓物が飛び出され、晒されている。――頭部に至ってはもう説明のしようがない。――
首を斬られ、そのかち割られた頭蓋は、溢れる血とぼろぼろの皮膚と髪の毛とともに、床に転がされていた――。
がんがんがんがん、と、恐怖を煽るような、打擲の音。
そしてその凶行は、――現在進行形で行われている。
「あぁぁ……。――――……ぁぁあああぁ‼」
殴る、撲る、擲る、嬲る。
その女は、妖艶でしなやかな色白の肌を、真っ赤な返り血のドレスで彩る。
賊害の快楽に身を委ね、精神の獣を解き放ち、阿鼻叫喚が如き嬌声を上げた。
手に持っているのは――鎖の付いた刺々しい鉄球。
その犀利な角を、何度も繰り返し死体にぶつけていた。――否、投げつけていたという方が正鵠を射ているだろうか。それくらい乱暴な所作だった。
その女は、まるでこの地獄を愉しんでいるかのようだった。
「――あぁ……」
漏れた、声が。
堪えていたのに。我慢していたのに。
この程度の事では驚かない、自分は強い人間なのだ、と――思っていたのに。
女は、振り向いた。こちらを。しっかりと。見据えて。その真っ赤に充血した狂気の瞳で。
――逃げなきゃ!
そう思った。なのに、ドアノブを握る手に力が入らない。
膝ががくがくと震える。
「おい」
遂に腰が抜け、そのまま座り込んでしまった。
――気付かれた。
――逃げよう。
――どうやって?
――体が動かない。
頭は冷静なのに、心臓だけが独走している。
「何しに来た」
ひどく冷たい声で、突き放すような言葉の体。
ドアは自然に開き、その角で、淘汰は震えながら殺人鬼を見上げていた。
鋭い目つき。短い髪。覗く八重歯。
――殺される。
逆光で表情はよく見えない。
けれど、めらめらと沸き立つ殺意と、右手に持った凶器で、友好的でないのは一目瞭然。
そのとき、何を思ったのか、淘汰の返事は、こうだった。
「僕を――――――――――弟子にしてください」
女の唇の端が、わずかに上がった。
ブクマ有難うございます
次の話も是非お願いします。