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お人好しの恋

作者: 天川 七

藍野あいの!」


 授業が終えて賑やかな教室の中にいながら、廊下から呼ぶ彼の声だけは郁の耳に真っ直ぐ届いた。

 頬を赤くして照れ臭そうに笑う彼の浮かれた様子に、心がずしんと沈み込む。意味ありげに見つめてくる二つの視線を纏わりつかせたまま、いくは彼の元に重い気持ちで歩み寄る。


「ありがとな! お前のおかげで上手くいったよ」


「……よかったね。私も協力した甲斐があるよ」


「これから彼女と一緒に帰るんだ。マジ感謝してる。今度お礼させてくれな」


和史かずふみくーん」


 廊下の向こうからショートカットの彼女がぶんぶんと手を振っている。呼ばれた彼はすぐに振り返って呼びかけに手を挙げて答えていた。二人の初々しい空気に泣きそうになりながら、必死に笑みを作り続ける。


「ほら、彼女呼んでるよ? お礼なんていいから、早く行ってあげなよ」


「悪いな。お前にもし好きな奴出来たらさ、今度はオレが協力するから」


 その言葉に胸を抉られた。そんな郁の気持ちを知らないで、和史は彼女の元に走って行った。郁は俯いたまま自分の席に戻ると、手荒く荷物をまとめていく。


「あんた……これで何度目よ?」


「もう見飽きたぞ」


 顔を上げると、からみついていた二つの視線の持ち主、亜美あみ瀧矢たきやが呆れた顔で立っていた。


 黒髪ボブで輪郭が丸っこい郁と違い、亜美は長い茶髪を緩く巻いたのが似合う大人びた顔立ちをしている。この中では唯一の男子、瀧矢は強いくせ毛の黒髪で一重の目が特徴的だ。

 二人とは中学から友達で気心が知れている。だからなのか、親友達の顔を見た途端に、一杯まで満ち満ちた悲しさが心から溢れそうになった。


「そっとしといて。郁さんは傷心中なんです。もういっそ世界中のリア充滅びろって思うレベルで」


「あんたねー、そうやっていじけるくらいなら、どうしてさっさと告白しなかったのよ? 自分の首締めるだけなのに、好きな相手の恋愛相談なんか受けてさ。挙句にくっつけちゃって、馬鹿じゃないの?」


「しかも今回で三度目だろ? いい加減に学習しろよ」


 自分でも馬鹿だと思う。

 いつも「上手くいったよ、ありがとう」と嬉しそうに笑う顔に「よかったね」と返すのだから。そうして二人にこうして窘められる。そこまで一つの流れが出来てしまっていた。


「だって、好きだったんだもん!」


 本音を吐き出すと一杯だった悲しみが溢れて涙になる。それは頬を転がり落ちて、胸元をぽつぽつと濡らしていく。胸の痛みに涙が止まらない。


「ずっと見てたんだから、わかるよ。私のこと友達としか思ってないのも、好きな相手がいることも……っ。自分の恋が叶わないならせめて、応援したいじゃん! 好きな人に幸せになってもらいたいじゃん!! わたし馬鹿だけど、真っ直ぐに馬鹿だもん!」


 二人の仲を邪魔する悪女になれたらよかった。だけど、幸せそうに、好きな相手を語る彼を見たら、そんな気持ち一瞬で砕けてしまった。

 だから、叶わない恋のかわりにせめて協力しようといつも思ってしまうのだ。

 いきなり泣き出した郁に視線が集まってくる。それを瀧矢は睥睨して散らさせると、溜息をついてぽんぽんと頭を叩いてくる。


「こんなとこで泣くなよ」


「ほんと、馬鹿ね。でも、それがあんただもんね? 仕方ないから、今日はあたし達がとことん付き合ってあげるわよ。ねっ、瀧矢」


「仕方ないな。付き会おう。どこに行きたいんだ?」


「……カラオケ」


 郁は優しい二人に甘えて、涙を拭いながら小さな声で答えた。


*****


 駅近くのカラオケ店で二人を道連れに、三時間ぎっちり歌いまくった。単純計算で一人一時間歌っていたことになるが、こちとら現役高校生だ。誰も喉に不調がない。時には丸一日いることもあるので、喉が鍛えられているのだろう。


 駅前に出る頃には少し気分が落ち着いて、すっきりしていた。失恋の傷に二人が大きな絆創膏を貼ってくれたような気がした。胸はやはり痛んでいるが、その痛みは少し軽くなっていた。

 夜の街は昼間と違う色に変わる。どの店も派手な電飾と音で飾り立てて、客の呼び込みに忙しそうだ。

 季節的には春と夏の間のためか、薄着の人と厚着の人が入り混じっているのが面白い。


「瞼は大丈夫か?」


 隣を歩く瀧矢の言葉に、郁は思わず瞼に触れた。指先にじわりと熱が伝わってくる。泣き過ぎて熱を持っているのだ。


「痛くはないんだけど。一目でわかるくらい腫れてる?」


「いや。けど、目尻が赤くなってる。泣いたのは丸わかりだ」


「あれだけ泣けばそうなるわよ。おまけにあんたったら、失恋ソングばっかり選ぶんだもん。それでまた泣くし、こっちがカビそうになったわよ」


「だって失恋した時って、失恋ソングを歌いたくならない?」


「ならないわよ。余計湿っぽくしてどうすんのよ。それこそカビたいの?」


「お前はカビから離れろよ。けど、オレもさすがにメドレーには参ったぞ。まぁ、仕方ないから、今日くらいは多目に見てるよ。今回は郁のお疲れ会だったんだからな」


「ご迷惑をおかけしました。今後も見捨てず仲良くしてください」


 二人の友情に敬意を払って頭を下げる。二人は江戸時代のお代官のように苦しゅうないと言わんばかりの顔をした。


「郁、あんた次に好きな人が出来た時には、誰かに譲るんじゃないわよ。失恋するにしてもちゃんと告白してからにしなさい」


「でも……相手に他に好きな人がいる場合は仕方ないよ」


「恋はね、いつだって戦いなのよ! そんな弱気じゃ駄目よ。好きな人を振り向かせてべたぼれさせてやる! くらいの気概を見せなさい」


「でも、相手にだって選ぶ権利はあるよ。わたしと付き合うよりも他の人と結ばれてその人が幸せになるなら、やっぱりその方がいいんじゃないかなぁ」


 綺麗事かもしれないが、相手の恋が叶わずに辛い思いをするよりはいい。 


「でもでも言わないの。なんでそんな風に思うのよ?」


「考えすぎるからだろ。お人好しにもほどがある。どうしてもっと自分の気持ちを優先しないんだ? オレは時々、そういうお前を見てると苛々してくる」


「うぅ……すみません」


「なんで瀧矢が苛立ってんのよ。いくらなんでも言いすぎ」


「いや、言わせろ。周囲を気遣えるのは郁の美徳だ。だがそれも、度が過ぎればただの馬鹿だぞ。譲って譲って、それじゃあ、お前はいつ幸せになれるんだ?」


「それは……」


 郁には返す言葉がなかった。瀧矢の真剣な顔からつい目を逸らすと、溜息をつかれる。呆れの混じったものに、肩を落とすしかない。

 気付けばもう駅前まで来てしまっていた。ここからは二人はバスに、郁は電車に乗る。


「もう終わったことはいいじゃないの。それよりもこれからの恋よ。あたしが今度彼氏の男友達紹介してあげるわ。大学生だから、高校生が相手より郁には合うと思うわ」


「相手の男はまともな奴か?」


「失礼ね! 変な男を親友に紹介するわけないでしょ。イケイケの奴じゃ郁には合わないから、その辺はちゃんと考えてるわよ。あたしの彼氏の友達だから保証するわ」


「うーん。せっかくだけど、また今度にしてもらってもいいかな? まだちゃんと気持ちの整理が出来てないから」


「そんなに、好きだったのか?」


 瀧矢が顔を曇らせる。興味本位に聞いたのではなく、本当に郁を心配しているのだ。はぐらかすことも出来たが、友達相手にそんなことはしたくなくて、郁は目を伏せて自分の心に問いかける。

 心に浮かぶのは彼の嬉しそうな笑顔。それがやっぱり切ない。相手の不幸を願おうとは思わないが、他人と結ばれた相手を心から祝福するのは難しい。

 それは郁の心にまだ残された想いがあるからだ。


「……そうだね。電気のスイッチみたいに、ボタン一つで簡単に消せる気持ちならよかったんだけど、そうするには想い過ぎちゃったかなぁ」


 郁は茶化すように言ったつもりだった。しかし言葉尻が僅かに乱れた。未練があるわけではなかった。壊れた恋心の破片が胸に突き刺さり、痛みを訴えている。

 二人は複雑な顔をする。亜美は郁の切なさが移ったように悲しい苦笑を滲ませ、瀧矢は重い無言を漂わせる。表情から胸の内は読めないが、何かを深く考え込んでいるようだった。


「そう、わかったわ。いつでも力になるから何かあったら相談してよ」


「オレも話を聞くことくらいなら出来る。きついこと言って悪かったな」


「いいよ。本当のことだもん。今日は二人とも付き合ってくれて、ありがと。電車もう来るし行くね」


 郁は二人に別れを告げると、駅のホームに向かう。

 亜美には悪いが、しばらく恋愛事からは遠ざかりたかった。


****


 翌日、いつもの登校時間。生徒達の出入りが激しい靴箱の前で郁は困っていた。


「どうしよう、これ……」


 靴箱の中に薄緑の封筒が一通入れられていたのだ。しかしその宛名には【愛野郁】と書かれており、名前が違う。つまり、間違って入れられた可能生があった。同じクラスに愛野有実あいのゆみと言う名前の子がいるため、これではどちらに送られたのか判断がつかない。


 相手にこっそり返そうかとも思ったのだが、表にも裏にも一切名前が書かれていなかった。勝手に開けるわけにもいかず、郁は朝から困り切っていたのだ。

 とりあえず、誰かに見られるのもよくない。郁は鞄の中にそっと封筒を隠して教室に向かうことにした。 

 もやもやした気持ちで二階まで上がると、すぐ目の前が教室だ。二年五組のプレートが風に揺れている。教室のドアはもう開かれて、賑やかな声がしていた。

 クラスメイトと気軽な挨拶をして、自分の席に着く。亜美と瀧矢が来ているか確認すると、二人は亜美の方に集まっており、視線があった。亜美が手招きしている。

 郁は荷物を机に置いたまま亜美の元に向かった。


「おはよう、郁」


「少しは浮上したみたいだな」


「うん、おはよう。亜美、瀧矢、ちょっと相談したいことが……」


 言いかけてふと気付く。これは相談していいことなのだろうか。携帯があるような時代に、手紙を送るような相手だ。もしかしたらその男の子は、純日本男児のような古風な考え方の人かもしれない。そんな相手が、手紙を送ったことを他人に知られて傷つかないだろうか?


「相談? どうしたの?」


「あっ、ごめん。やっぱりなんでもないや」


「そうなの? まぁ、郁がいいなら聞かないけど。ところでさ、昨日のドラマ見た?」


「なんのドラマだよ?」


「決まってんでしょ。『君と最後の恋をしよう』って題名のやつよ。切ない青春ラブストーリーが人気で女子高生の中じゃ通称キミサイで通ってるのよ?」


「原作が少女漫画だって言ってたやつか。オレは見てない。苦手なんだよ、恋愛を全面に謳ってるのは。リビングで見るとどうしたって親と一緒だろ? 物凄く気まずくなる」


「あぁ、そうよね。思春期の男子高生にはきついわよね。でも、あんたは他の男子みたいに馬鹿騒ぎしないわよね?」


「そういう性分なんだよ。オレが馬鹿みたいに騒いでたら引くだろ?」


「ちょっと見てみたいかも」


 郁が正直に思ったことを呟くと、二人がぎょっとした顔を向けてくる。なんだろうか、この反応は。そんなに変なことを言ったつもりはなかったのに。


「あんた時々、すごい大胆なこと言うわよね」


「普段は気配りが過ぎるくらいなのにな。なんだ? これは距離の近い仲だからか?」


 面白い話のおかげで少し気は晴れたが、実際のところなんの問題の解決にもなっていない。郁は鞄の中の手紙を気にかけながら、どうしようかと迷っていた。


******


 手紙のことが気になって気になって、授業中ずっとうわの空だった。開いたノートは真っ白だし、授業内容もまったくと言っていいほど覚えていない。それは後で亜美に見せてもらえるように頼むとして、郁は十分の休み時間を利用して廊下を移動していた。


 ブレザーの胸ポケットには例の手紙を忍ばせている。次の授業が終わると昼休みになってしまうのだ。今日の昼休みにどこどこに来てなどと書かれていては、相手が待ちぼうけになる。いろいろ考えてそこに行きつき、気は咎めるが開封することにしたのだ。


「ここならいいかな?」


 一階まで下りた郁は階段の裏に忍び込む。ここが意外と穴場なのだ。備品が少し置かれているだけで十分なスペースがあるし、人目につかない隠れ家のようだ。

 郁は丁寧に薄緑の封筒のテープを外して、手紙を開封していく。

 四つ折りに折りたたまれた手紙をそっと開いた。


【明日の放課後、体育館裏の花壇の前で待つ】


 綺麗な字でそんな言葉が書かれていた。しかし、そこにもやはり相手の名前はない。郁は肩を落として場所を思い浮かべていた。体育館裏の花壇といえば、告白場所のスポットにされていたはずだ。やはりこの相手は告白するつもりでいるのかもしれない。いや、まだ悪戯の可能性もある。だが、奇麗な字を見た限りでは、そんな印象は受けなかった。短い言葉に心をこめたのではないだろうか。


 郁は狭いスペースを意味もなく行ったり来たりしながら頭を抱える。どうしたらいいのだろう。これは自分が行くしかないのだろうか? 


 そもそも郁宛とはやっぱり考えにくいのだ。もう一人の愛野という子はふんわりした女の子で、男子からの人気もある。それを思えばいっそ彼女に渡してあげるべきだろうか? 

 しかし万が一、いや、億が一にでも郁に送られたとしたならば、違う人物が現れては、名前もわからない彼を傷つけてしまうだろうか。

 考えれば考えるほど、まるで迷路に迷い込んだように答えが遠ざかっていく。


「ほんと、なにかいい方法がないかな……」


 うんうん悩んでいる間に予鈴が鳴った。郁は手紙を折りたたんで胸ポケットに戻すと、慌てて階段裏から飛び出した。


******


 一晩悩みに悩んだ郁は、翌朝目の下を黒くして登校した。ベットに入っても頭が冴えてしまい、結局一睡も出来なかったのだ。


 朝から欠伸を連発する郁に、亜美と瀧矢は物言いたげな視線を投げてきたが、苦笑いでかわした。今日の放課後を乗り越えたら二人にはちゃんと説明しようと思っていた。

寝不足で重い目をこすりながら授業を受けて、四十五分の昼休み。郁は二人に誘われて食堂に足を向けていた。


 郁達の通う高校では、昼ご飯は食堂かお弁当か好きな方を食べていいことになっているのだ。食堂は味も美味しくボリュームもあるため生徒にとても人気で、時には売り切れになることもある。

 今日も食堂は混雑した様子だった。300人は座れるテーブルでは、一足早い生徒達が美味しそうに今日の定食を食べている。


「郁は場所を取っててよ。あたしと瀧矢でご飯は持ってくるから」


「AとBどっちだ?」


「じゃあ、A定食で」


 厚意を有り難く受け取り、郁は瀧矢に和食の方を頼んだ。二人は混雑し始めた食堂の奥に進んでいく。郁はその間に空いているテーブルを探す。近くは駄目だ。遠くまで目を向けると、自販機の傍に四人用のテーブルが空いていた。すぐに席について確保する。安心したら眠気が襲ってきた。テーブルに頭を預けていると、二人がトレーを手に戻ってきた。


「お前朝から眠そうだよな。夜中になんかしてたのか?」


「なんにもしてないよ。考え事してたら寝れなくなっちゃっだだけ」


「寝れないほどの考え事って、なにをそんなに考えてたのよ」


「郁さんにもいろいろと悩みがあるんです。でも今日解決する予定だから、明日には言えそう」


「どういう状況よ、それ?」


「明日全部説明するから、もうちょっと待ってて」


 不思議そうな顔をされたが、言えるのはそこまでだ。郁は一晩悩んで決めたのだ。今日ちゃんと手紙の彼と対面して話をしようと。


 そのためにも腹ごしらえをしっかりしなければ。そう思って、郁はさっそく瀧矢が運んでくれた焼き魚に箸をつけた。

 にこにこしながら食事を始める郁に二人は顔を見合せて目で会話をしていたが、黙ってそれぞれ食事を始めたのだった。


******


 いよいよ決戦の放課後がやってきた。郁は二人に今日は一緒に帰れないと伝えて、迷う自分の心を叱咤しながら体育館裏に向かった。


 人気のないその場所は告白スポットの噂に相応しく、さりげない癒し空間となっていた。煉瓦で囲われた四つの円には、それぞれ色が違う小さな花が並んでいる。その中心には大きな円があり、虹を描くように配色されて花が植えられていた。


「綺麗……」


 本当に見とれるほど綺麗だった。これも世話をしている生徒がいるのだろうが、その人はきっと花を大事にしている。枯れた花が一つもないことからも、それがよくわかった。


 そんな時、近くで砂利を踏む足音がした。郁はすぐに音がした方に顔を向けた。夕焼けの逆行が眩しくて、相手の姿がよく見えない。


 今になって緊張してきた。郁はどきどきしながら、徐々に明らかになっていく相手の顔を食い入るように見つめていた。


「────瀧矢?」


 その顔を認識した瞬間、郁は心臓が止まりそうになるほど驚いた。そこに居たのは彼だったのだ。


「え? なんでここに?」


「驚いてるな。あの手紙はオレが書いたんだよ」


 瀧矢は腕を組んで、口端に笑みを浮かべている。郁は相手が親しい人だとわかって、安心した。悪ふざけにすっかり騙されてしまったが、安堵の方が大きく、怒りは湧かなかった。


「そりゃあそうだよ! もう、瀧矢の悪ふざけだったの? 私の苗字間違って書かれてたから、愛野さんと間違えたのかもとか散々悩んだんだよ? せめて名字くらいちゃんと書いてよ」


「お前の名字を間違えるわけないだろ? わざとそうしたんだよ」


「なんでそんなこと?」


「郁の頭からあいつを追い出したかったからだ。間違って名前を書けば、お前のことだから気を回し過ぎて、悩むと思った。そうすればあいつのことで泣く暇もないだろ? けど、寝不足になるほど悩ませたことは謝る」


 真面目な顔でそんなことを言われて、郁は動揺した。瀧矢がいつもの彼とはなんだか違う気がしたのだ。目の力がとても強い。縫い止められたように郁はその場から動けなくなる。瀧矢はゆっくり歩み寄ってくると、郁の目の前に立った。耳元に顔が寄せられる。


「オレが苛々してたのは、お前が他の奴を想って泣くからだって、亜美が男を紹介するって言った時にようやく気付いた。オレも鈍いよな。でも、気付いたからには、友達のままじゃ我慢出来なくなったんだ」


「瀧矢……」


「お前が好きだ、郁。今までお前が惚れた奴等より、オレを好きになれ!」


「でも、わたし達は友達で、親友で」


「そうだな。だから、友達から始めましょうってのはなしな」


「えぇ!?」


「そりゃあそうだろ。友達関係にはもうなってるんだからな。郁はオレと恋人関係になるのは嫌か?」


「嫌、じゃない……」


 だからこそ、困っているのだ。生まれて初めて受けた情熱的な告白に、顔が熱い。まさか親友にこんな告白を受けるとは予想外にもほどがある。

 意地悪な顔で返事を迫る元親友に、郁はあたふたしながら小さな声で答えた。


「その、いきなりは無理だよ。……ゆっくりで、お願いします」


「あぁ、わかった。ゆっくり恋人になろうな」


 嬉しそうな瀧矢の様子に、郁は照れてますます恥ずかしくなった。


******


 帰り道を瀧矢と手をつないで歩く。普段から一緒にいたのに、関係が変わっただけでこんなにもどきどきするものだとは知らなかった。

 郁は今まで片想いばかりしてきたので、恋人同士はなにをしたらいいのかよくわかっていなかった。昨日まで普通にしていた会話も、どうやって話していたか忘れてしまい、内心おろおろするばかりだ。


「そう言えば、どうするかな」


「なにが?」


「オレ達が付き合うこと、亜美にも言わなきゃいけないだろ? あいつの彼氏の男友達紹介される前にな」


「まだ気にしてたの? 紹介だったら断るから大丈夫だよ」


「郁を信用してないんじゃなくて、オレが周りを牽制しときたいんだよ」


 当たり前の顔をしてそんなことを言わないでほしい。瀧矢は恋愛初心者の心臓を止める気だろうか。そんなことをちらりと思うが、彼は真面目な顔で夕焼けに燃える空を見上げていた。


「それに、ちゃんと報告しとかないと、あいつ彼氏使ってオレを締めにかかるぞ」


「そんな大げさな」


「大げなもんか。亜美の彼氏は写真で知ってるだろ? 大学のラグビー部で筋肉の塊みたいな人だぞ。あんな巨漢にタックルなんかされてみろよ、オレなんて空まで飛ぶだろ」


 神妙に言われると、ボーリングをぶつけられたピンのように飛んで行く瀧矢の姿を想像してしまい、笑いが込み上げた。つい噴き出すと、彼も一緒に笑い出す。二人で笑っているといつの間にか郁の緊張も消えてしまった。


「友達から恋人に変わっても、中身はなにも変ってない。変に緊張する必要もないだろ?」


「うん、そうかもね」


 郁の幸せな恋は、今ようやく始まったようだ。

 




初めましての方も、違う小説で会ってるよ! と言う方も、最後までお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました! 少しでも、この小説を通して何かを伝えられていたら幸いです。

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