8,見つめないで
シャンテルたちとお茶をしてから、レナは彼女たちと夜会でも話すことが増えて来ていて、少しずつ社交界いう世界に、与えられた伯爵令嬢という立場を少しずつ溶け込ませていた。
ジョージアナの言葉に甘えて、レナは伯母が厳しくて、と言い訳をしながら彼女たちの誘いを適度に受け時にうまく断るようにしていた。
シャンテルたちが「いいな」とレナに言う訳は、ギルセルド王子と踊った事だけが理由ではないと次第にわかってくる。
レナへダンスの申し込みをしてくるのは独身の貴族男性たちの中でも人気の高い貴公子たちだった。
それはやはり、レナの後見人にアシュフォード侯爵、それにウィンスレット公爵があると言うのがわかるからだ。
マリウスはもちろん彼の兄のジョエルと、それに顔なじみとなったルーファスや、それにエルバート。そしてヴィクターにそして、アンブロース侯爵家のセス。
年頃の近い彼らはいつも仲が良くてそして目立つ一団だった。
――――そして、またやって来た王宮舞踏会。
エスコート役を務めてくれるマリウスはギルセルドの元へとレナを挨拶に行かせてしまう。そうするとやはり、律儀にギルセルドはレナをダンスへと誘うのだ。
自分の立場を思えば、好意をもってもらえるように勉めるべきなのだろうけれど……。それが親族の思いで在るのなら
「こんばんは、レディ レナ。すっかりこの社交界にも馴染まれたようだ」
にこやかに話すギルセルドは、穏やかで。
でも、レナには分かる。
彼は、レナを見ることはないだろうし、令嬢たちの誰も特別にしようとしていないと。その事をなぜ分かるかといえば、ギルセルドは笑顔ではあるものの、決して挨拶以上の会話をしようとしていないし、そこに見えない壁を感じられるから。それは最早意図的なものが見えるほどだ。
「まだまだ……戸惑う事ばかりです」
「そうですか、今年が良いシーズンになりますように」
そんな風に微笑まれて、会話はあっさりと終了だ。
それが現実なのに………。
「殿下とあっさり踊れるなんて、あの子。何様のつもりかしら」
「後見人が凄いだけ。あの子自身は大したことがないのに」
アニスや、その友人たちが聞こえるようにそんな風に言ってくる。
「それに、なに?踊る相手は、みんな憧れの貴公子ばかりじゃない。デビューしたてのほんの子供じみた田舎娘なのに」
ふと、エスコート役が居なくて少し一人になったときにはそんな言葉が投げつけられる。
「気にすることないわ。僻んでるだけよ」
聞き咎めたシャンテルは、必ずレナを慰めてくれる。
それにレナはありがとうと、言って、分かってくれる人もいると、慰める事が出来た。
シャンテルたちが、ダンスへと行ったけれどレナはあんな風に言われるのなら、誰とも踊りたくなくて、一人用意されていたスイーツを食べに会場の端に来ていた。
「どうした?つまらない顔をしている」
その声は……。
目の前のチョコレートのように艶があってそして甘い。レナの心を溶かすよう。
「ヴィクター……」
まともに顔を見てしまって、レナは慌てて視線を手元のお皿にやった。
「それも一人で」
ヴィクターは、レナのすぐそばに立っている。
目線を下にしてしまっているから、その視界に入るその腰の位置の高さが驚くほど高い。
「みんな……ダンスに行っているの。それに……もう、踊るのもしたくなくて」
「俺とも?」
「ヴィクターと踊ると、とても目立つもの」
そういえばいつもの取り巻きはどうしたのだろう。とふと、ヴィクターの背後をみやると、
「………友人たちに頼んで、みんなダンスへ誘ってもらった」
どうりで彼の友人たちも居ないはずだった。
「レナ、少しも話せてないな……。せっかく再会出来たのに」
「そう、ね」
少し話題を探してシェリーズ城の事を話そうと思い付いた時に、ちょうどシャンテルがレナを見つけて近寄ってきた。
「レナ、ここに居たのね。私もご一緒させて」
にこっと微笑むシャンテル。
シャンテルは頬を染めてヴィクターを見上げている。そんな顔を見れば、レナは引き下がる事しか出来なかった。
「こんばんはヴィクター卿、珍しいですわね。相手をしてる女性が一人だけって」
「そうですか?」
声を掛けられて、ヴィクターはシャンテルに応えて、そして笑みを向ける。
そんな顔を……他の人に向けるのがやっぱり、レナは辛くなる。
「ええ、本当に珍しい光景よ」
くすくすとシャンテルが笑うと
「ミス ベイクウェルにそう言われるということは、褒め言葉として受け止めてもいいのでしょうか?」
「シャンテルで、よろしいのですけど?」
女性らしく高めの声と、そして好意の混じった眼差しは、その真意を明らかにしていた。
「……では、ミス シャンテル。次のダンスをぜひ私と」
ヴィクターは、礼儀正しくそれを汲み取った様だった。
「喜んで」
レナと違い、シャンテルは飛びつくようにヴィクターの差し出された手をとる。
レナはその姿が見たくなくて、視線をお皿に固定した。
せっかくの可愛らしいお菓子だけれど、それに手を伸ばすこともなくてレナは結局、シャンパンだけを口にした。
―――どうして、シャンテルみたいに素直になれないのだろう。
見たくないほど……気にしてるくせに。
ヴィクターを前にすると、レナは何もかも裏目に出る行動をとってしまう。その事に、自覚はあると言うのにどうしようも出来ない自分が恨めしかった。
誰も………見つめないで。
そんな事を思うのは身の程知らずだし、我が儘な事だ。
「ああ、ここにいたのか。探したよ」
そう言ってくれたのは、ジョエルだった。
「マリウスが探してた」
曲は終わり、またレナの周囲は賑やかになる。
「じゃあ、次は私の相手をしてくれるかな?」
探しに来てくれたジョエルが、そのままダンスを誘ってきてレナは断りきれずに、次のダンスへと向かう。
その過程で、シャンテルとは違う女性を相手にすぐそばで踊ろうとしているヴィクターを見つけた。
さっき断るような事を言ったのに……。とてもばつが悪くて。
大人になることを夢に見ていたのに、こうして大人の世界に仲間入りするとどうして、こんなにも不器用になってしまうのだろう。
「どうした?気分が悪い?」
ジョエルがレナにそう聞いてくれる。
違う、と言いかけてレナは頷くことにした。
「じゃあ、そっと離れよう」
ゆっくりとダンスの輪から離れて、そしてジョエルは会場の外へと連れ出してくれた。
「帰る?」
「帰りたい……」
レナはジョエルに甘えるように、そんな事を言ってしまった。
「わかった。じゃあ私が送ろう」
「いいの、一人で帰れます」
「大事な姪っ子を一人には出来ない」
「姪じゃないですから」
彼には本物の姪がいるではないかとレナは思う。
「知ってる。でも、そんなものだよ」
「ジョエルは叔父様というよりは、お兄様だわ」
「では、ぜひお兄様と呼んでくれ」
「お兄様……ありがとう」
そうレナが言うと
「なかなかいいなぁ」
とジョエルはにやりと笑う。
「で、レナはどうして気分が悪くなったんだろう?」
「きっと、シャンパンの飲み過ぎだわ」
「なるほど、そういうことはあるだろうね。時として」
少しも信じてはいないような雰囲気で、ジョエルは言いウィンスレットの馬車を呼びつけ、レナをそこへとごく自然にエスコートした。
「女の子は色々と……複雑だな」
ブランケットをレナの膝に掛けながら、ジョエルは呟いた。
王都の街を走る馬車の中から、後ろへと流れていく景色を眺めて
「……ウィンスティアへ……シェリーズ城へ帰りたい。私にはここは合わないの」
アニスたち、敵意も露な令嬢たち。
シャンテルたち、社交的で目の前で易々とうまく振る舞える令嬢たち。
毎日のようにある、華やかな夜会。
たくさんの、貴族たち。大人たちの………思惑。
良く分かりもしないのにその場にいる自分。
その全てがレナには辛かった。
「そうか……」
「ちゃんとしなくちゃ……そう思えば思うほど、うまく振る舞えなくて。みんなをがっかりさせてる」
「そんなことはない」
恵まれた環境だと、みんなが言うし、レナはきっとそうなんだろうと思う。それだけに、人の顔色が気になって仕方がない。
「わたしも、がっかりしてる。こんな自分に」
逃げるように帰宅する、この瞬間も……あまりにも不甲斐なくて
「マリウスじゃ、デビュタントのエスコート役は早かったな」
レナは首を振った。
「そうじゃないわ」
「いや、こういう時は男のせいにしておくんだよ。レナは悪くないと」
ジョエルのその言葉にやっと笑って、レナは愚痴を止めた。
「ありがとう、ジョエル。慰めてくれて」
「君はまだ、16歳で大人になりきれてない。そうだろ?」
「そう……かも」
「さ、今日はゆっくりと休んで。上手く出来ないときは無理をしなくてもいい。今日みたいに女性はよく気分が悪くなるものだ」
アシュフォード邸について、ジョエルはレナを下ろして扉まで送ると、そのまま帰っていった。
なんだか、色々と見透かされている気がするのは気のせいではないのかも知れない。
レナはそんな事を思いつつ、まだ馴染まない自室へと足を進めた。
そう……まだ、環境に慣れていないから……。
きっとだから、こんな風に心が落ち着かない……。