6,令嬢たちの裏の顔
伯母のジョージアナの身分ゆえにか、デビュー以来レナの元へはたくさんの招待状が届くようになっていた。
レナの家であるグランヴィル伯爵家は歴史ある代々受け継がれてきた家ではなく、父 ジョルダンが賜った家で高名でもなければ、権力を翳せるほど裕福でもない。
だが、ジョルダンの生家であるアシュフォード侯爵家は歴史ある旧い血族であるし、伯母であるジョージアナの生家であるウィンスレット公爵家は、先々代が王弟であった。その為にウィンスレット公爵家のジョエルは王位継承権 第四位でマリウスが第五位を有していた。
レナの母グレイシアの祖父が先々代のグレイ侯爵で、グレイ侯爵は大将軍という地位にあり武門派の筆頭であることから、貴族社会では重要な家でもあるのだった。
つまりはレナ自身というよりはその後見となる物が高貴だと言えた。
社交に関しては、レナは判断がつかないのでジョージアナに全てを任せている。デビューからレナの事を見てきたジョージアナからすれば今の、レナを含む令嬢たちの立ち居振舞いに多いに意見があるらしい。
ドレスのデザインが奇抜だとか、話し言葉がはしたない、異性との距離が近すぎるだとか、もろもろ目について仕方がないらしい。
しかし、それも今の社交界における令嬢たちの顔ぶれを見てみれば致し方ないともレナは思っていた。
かつてジョージアナが社交界にデビューした頃のように、高貴で家は権力、財政共に安泰で、古式ゆかしい淑女教育を受けた令嬢が絶滅に瀕している。
いわゆる不作の年代だ。
ピラミッドの頂点がなくて、中層、下層がわらわらとしている。だから、締めるべき令嬢が……かなり歳上になってしまう、そうなると既婚の女性となってしまい、未婚の令嬢社会はいま混沌としているのだ。
「せめて、コーデリアが社交界に出てこれれば……」
ジョージアナはため息をついた。
コーデリア・デルヴィーニュはデュアー公爵の孫である。
しかし、公爵が高齢のために寝付いている今、財政は逼迫しコーデリアは、社交界から遠ざかって久しくレナはその名しか知らなかった。
そして何よりも……。
デュアー公爵が亡くなれば、男系子孫が絶え家は断絶する事が決まっていた。
確かにジョージアナの言うように公爵家の姫が、社交界に君臨していればこうはなっていないだろう。
「とにかく……レナの事は、わたくしが任されているのですからきちんと、聞いてね。あなたのお父様とお母様にいい報告が出来るようにしないといけないわ」
「はい、伯母さま」
………そんな風に、返事をしたけれど、デビューしてからというもの、夜会に行く度にレナは令嬢たちからいわゆるいじめを受けていた。
一つ一つは些細なもの……。
ドレスの裾を踏まれたりとか、わざとらしくぶつかられたりとか、結った髪を引っかけられたりとか、「田舎くさい」「媚びてて下品」「たいして美人じゃないのね」「デビューするには成長不足」などなど通りすがりにぼそりと言われる。
その事を思い出して、レナははぁ……っとため息をついた。
「……ウィンスティアへ帰りたい……」
一人になって、ようやくレナは願いを口にした。
貴族らしい、どこか緊張させられるアシュフォードの邸も、張りつめてギリギリでの対応を迫られる社交界も、レナはこの先どれだけ時を経ようと慣れる気はしなかった。
***
その夜はウェルズ侯爵家の舞踏会で、ここにはたくさんの貴族たちが集まると予想されていた。
この国の中心的な家であり、その名を轟かせているウェルズ侯爵家の舞踏会に参加することは貴族にとって大切な事。
この日も、レナはマリウスにエスコート役を頼んでいて気心が知れてきた彼がいることにホッとしていた。
それでも、例えばパウダールームに行くとそこは、レナ一人となってしまう。
「あ、ごめんなさい」
パシャっと音がして、レナの淡いグリーンのドレスは水が染み込んでいく。そのかかった部分が生地がわずかにひきつれて、レナは渋い顔をしてしまう。
スカート部分の真ん中あたり……。じっと立っていると、気づかれてしまうだろう。
水をかけた相手は、アニス・ブーリン モルガン伯爵令嬢で20歳。アニスはいつもこんな風にさりげなく、ささやかにいやがらせをしてくるのだ。彼女はレナがこうしてパウダールームに入ると、必ず後から入ってくる。
「あら、安物の生地かと思えば……そうじゃなかったのね。着てる本人と同じで偽物かと思ったわ」
レナの血筋を揶揄する言葉に、アニスの真意が分かろうと言うものだ。
「ここでそんな事をするなんて、レディ アニスはずいぶんと勇気があるのね。ここはウェルズ侯爵家よ。レディ マリアンナが女主人であるこのお屋敷でこんなことをしてると知れたら……あなたは笑顔で社交界にいられるかしら?」
アニスの後ろから、若い令嬢が扇をはためかせて口を開いた。
「シャンテル」
アニスはその姿に、目を細めて口元だけを笑みにした。
彼女はシャンテル・ベイクウェル。
ベイクウェル子爵家の令嬢で、レナの一つ歳上の17歳だ。
「何の事?たまたま水がかかってしまっただけよ。こんなことも何も、していないわ」
「そう?わたくしには充分いじめてるように見えたわ。デビュタントの子を」
「ほんと?あら、そう見えたならごめんなさいね」
アニスは、立ち去り際にレナのドレスの裾を踵で踏んでパウダールームを後にした。
「……大丈夫?」
「いつもの事だもの」
レナはシャンテルに笑みを向けた。
「お話しするのは初めてね、シャンテル・ベイクウェルよ。シャンテルで構わないわ」
「レナ・アシュフォードですわ、シャンテル。ではわたくしもレナとどうぞ呼んでください」
「水で良かったわね、これくらいなら踊っていればあまりわからないはずだわ」
色のついた飲み物や甘い飲み物じゃなかった事が幸いだ。アニスとしても、着替えさせる所まではしたくないのだろう。行状は知られたくないという事だ。
「ええ、そうね。アニスもその辺りはよくわきまえているみたいだわ」
レナがそう言うと、シャンテルはくすくすと笑った。
「黙ってるからおとなしいのかと思ったら意外とたくましいのね」
「アニスの言ってる事は、それほど的はずれじゃないもの」
「的はずれよ。あなたは今、王子妃に最も近いもの」
シャンテルの言葉にレナは驚いた。
「わたしが?」
「ええ。だからアニスはあんなことをしていやがらせをするの」
わからない?とシャンテルはレナを見つめる。
「わたしは……そんな、畏れ多いわ」
「レナはとても、控えめなのね。あなたとは仲良くなれそう、今度ぜひうちでゆっくりお話ししたいわ」
「ええ、ぜひ」
レナはシャンテルに笑みを返した。
そろそろ出ないと、マリウスが心配するだろう。レナはレティキュールを持ってパウダールームを後にした。
「……大丈夫だった?」
レナの表情を伺うようにマリウスは聞いてきた。
「ええ、もちろん」
「もしかして、いじめられてるかな?」
「どうして?」
「……アニス・ブーリン。君より後に入ったのに、出てくるのが早かった」
レナは肩を竦めた。
「ちょっとだけ、水がかかったくらいよ」
マリウスの視線は、レナのドレスを見ている。その目はドレスの微かなひきつれを見逃さなかった。
「これじゃあ……エスコート役の役目が果たせてないな」
やれやれとマリウスはため息をつく。
「さすがにマリウスが横にいたなら、なにもしないと思うわ」
会場に戻ると、レナは次のダンスの相手である、ルーファス・アボットと踊る事になっていた。
「こんばんは、レディ レナ。私が誰か知ってる?」
そんな事を聞くくらい、彼は有名人だった。
ゆくゆくはオルグレン侯爵を継ぐ事になる彼は、それだけでなく見目は麗しく、明晰な頭脳まで令嬢たちを魅了しているから。
「ええ、もちろん。ルーファス・アボット卿」
「正解」
銀の髪に青い瞳が父ジョルダンと同じ色合いで、なのにもっと冴え冴えとしていて夜空の月を思い出す。
「では……お互いもっと親しくなる為には…ぜひ一曲お相手を」
「喜んで」
踊り出して、しばらく経つと
「レディ レナは……私になにも質問をしないんだな」
「質問ですか?」
「みんな聞いてくるのに。ギルセルド殿下の事を」
くすっとルーファスは笑う。
「……従兄弟同士でいらっしゃいましたね」
そういえば、とレナは思い出した。ルーファスの父 エドワードはクリスタ王妃の弟であった。
「それが、芝居じゃないなら君はかなりの世間知らずだね。それとも……全く興味が無いのかな?自分の結婚に」
「デビューしたばかりですから……不調法はお許しください」
確かに……まだ自分の結婚を考えるまで至っていなかった。それよりもすでに早くシーズンが終わらないかとそればかり考えていた。
「自意識過剰だけど、私は女性たちが色めき立つ男だと思うのだが、ここまで何の反応もされないと何故か逆に目を向けたくなるのは不思議なものだ」
微笑んだその顔はとても、麗しくてレナはドキドキとさせられる。
「確かに……。でも、過剰ではないと思います」
彼の言うように、多くの女性がルーファスに声を掛けられれば一瞬でころりと参ってしまうに違いない。
「まぁ……無理はないか。ヴィクターという幼なじみがいるから」
ヴィクターと聞いてレナは思わず反応する。
この夜もヴィクターはたくさんの女性に囲まれたり、いまも踊っている。
「あいつは……とても魅力的な男だから。人が群がるのは仕方ない、ヴィクターの一言を聞くために何時間でも待ってもおかしくない」
ふと、また踊っているヴィクターを見た。相手の女性は……溶けてしまわないのが、不思議なくらいに目を輝かせそしてうっとりとヴィクターを見上げていた。
踊り終えると次に誘われたくて、一瞬でたくさんのドレスに囲まれる。
同じく最後のお辞儀をしたレナは見ていたくなくて目を伏せた。
「レナが、王子の事を聞かない訳が良く分かった」
その言葉にレナは、眉を寄せた。
「ヴィクターは落ち着いて見えても、まだ18の若造だ。あんな風に群がられるのも仕方ないさ。そのうち上手いかわし方を覚える」
「ルーファス卿も……そうでしたの?」
「私はどこか、冷たく見えるから。あんな風には群らがられなかった」
確かに……ルーファスには近寄りがたいそんな雰囲気があった。
その夜は……、ヴィクターと少しも近づくことが無くてレナは、ホッとしたような、それで胸が痛むようなそんな感覚を味わっていた。