63,好敵手[victor]
貴族院の議題は、周辺各国の状況とそれに対する各領地への備えを促すことで、ここのところずっとなされていた内容で、これといった新しいものもなく。
だが、この一年近くですでにこういうことを話すという根回しをただ確認するだけだとわかっていた。
建物から続々と吐き出されていく黒ずくめの集団の中で、ヴィクターは体を伸ばしたい衝動を堪えた。目上の人達が居るなかでそんな動作はするべきではない。
「ヴィクター」
覚えのある声は、ここの所ずっと気にしている男の物だ。
「……ジョエル」
隣に並んで来た彼の背は、こうして比べるとヴィクターの方が高い。
波打つ金褐色の髪も鋭い青い瞳も先代の公爵譲りの男らしく整った顔も……そして何よりも、その家柄に相応しい覇気が感じられる。
例えば同じ空間に居れば思わず命令に従ってしまう。そんな物だ。それも仕方ない、ヴィクターからすればジョエルは上級生で、まだスクールを卒業して間もない自分達はその上下関係がまだまだ根強い。
「少しいいか?」
本音を言えば言いたいことはヴィクターにはあるし、だがそれをおくびにも出さずに何のことかという顔をする事はすでに容易い。けれど目の前の男に通用するか否かはまた別だ。
「もちろん」
フロックコートを翻して颯爽と歩く姿は、男としての自信がみなぎり場をその存在を際立たせている。だがヴィクターも、そんな彼に引けをとらない自信もあった。
持てる武器は最大限に利用するべきであるから。
「昨日、戻ってこなかったな」
その話題か、と分かり、軽く頭を整理した。
そして、その事ならヴィクターが話したかった事とかけ離れてはいない。
「レナが疲れからか倒れそうで、部屋まで送っていった」
こういう場合は、ほんの少しの嘘をつくに限る。
「それで………、まぁいいか。それを聞くのは無粋過ぎるな」
昨日ジョエルから離すようにずっとレナの側にいたのはもちろん彼を警戒して牽制するためだったのだから。早めに切り上げたのは……成り行きだ。
「ジョエル、俺はレナと結婚する」
そう言ったのはこれは事実確認でさらなる牽制だ。
「だろうな。それがいい、多分な」
返ってきたこの言葉には一瞬驚いた。
らしくない……。
ヴィクターがいくら譲らないと思っていても、彼が引き下がる?そんな事があるとは思えない。それがジョエルという男で、いつでもそうだった。
「ジョエル、俺はこんなことで、気まずくなりたくない」
こんなこと、と言うほど些細な事ではないが、ジョエルに対する信頼とそれから過去とこれから未来の関わりを無くしたくはない。
どちらも得たいというのは欲張りすぎなのだが、どんなときでもベストな結末を望みその為なら努力する。
「わかってる。それは私も同じだ、だから安心しろって言いたかった」
穏やかな口調に、素直に安心する。
ああ、そうか……。
ジョエルもまた、秤にかけたのだ。
そうして自分をかってくれた事が、嬉しくもあった。
「良かった……。わざわざ……ありがとう」
「いや、礼をいうほどの事じゃない。言いたかったのはもう一つ。お前が早死にでもしたら、安心して任せておけ」
クスッと笑ってそんなとんでもないことを言うからたちが悪い。
「諦めるんじゃないのか」
「私はレナが好きだし愛してるよ。だからこそ幸せになって欲しいと思ってる。しかしながら、祝福をしたからって、諦める事とは同じ意味じゃない」
「げぇ」
思わずそんな声が出てしまったのは仕方がないのじゃないだろうか?
しかし、笑い事でもなく戦地に赴くとすればジョエルよりもヴィクターだ。近頃ではその可能性への緊張が高まっている。
「だから、せいぜい気をつけろ?」
「肝に命じておく」
「次のシーズンに」
言葉と共に差し出された右手を握り返して
「次のシーズンに」
と同じように返した。
同じ立場なら、こんな風に振る舞えるか……。
あまりにも去り際が格好良すぎて、この上ない好敵手に、そしてレナが自分を選んでくれた幸運に感謝した。
「話はついたようだね」
踵を返した瞬間に目の前にジョルダンがいて、みっともない驚く声をあげるのを全力で堪えた。この人の前でもそんな姿は見せたくない。
「閣下」
「昨日はレナが世話になったね」
昨日は、と言われて背筋がざわついたのは、本来ならしてはならないことをしてしまった自覚があるからだ。
「いえ、感謝しているのはこちらの方です。昨夜はレナのお陰でみんな楽しめました」
立て続けに神経の使う会話をしてるな、とさっきまで欠伸をかみ殺す議会を懐かしく思った。
「みたいだな、なかなか良い評価を頂いてるようだ」
この人の情報はどこまで伝わっているのかと心臓に悪い。つい言葉裏を探りそうになる。
「近日タウンハウスから発つつもりだ」
どうする?と視線で問うてくる。
それは、求婚の許しを得ていながらまだなのを、どうする気なのだ、という事だろう。
「一緒に行ってはいけませんか?」
行くと言っていた約束はもちろん、レナの母に挨拶をするという事もあるし、懐かしいシェリーズ城にいるレナを見たかった。
「先にうちに来るということか」
「はい」
「なら、レナと二人で来るといい。私は先に帰るから君に任せる。レナが王都に着いたときは馬が転倒する事故があってね。そういう事態も含めて、だ」
もちろん二人きりではないが、常に試されている気がしてしまう。女性を連れての旅は体力を考慮するとゆっくりと時間をかけることが望ましい。ジョルダンは一番速い方法を使うのだろう。つまりは、王都へ来たときと同様に。
「はい、この身に代えましても」
それは単なる言葉のやり取りではなく、本気でもある。いざというときには、弟のケアリーがいるのだから。
「信頼してるよ」
幾重にも言外に含むだろう言葉に、ヴィクターは恐れを感じている内心とは裏腹に笑みを返した。




