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62,惑う夜と明くる朝

 人肌が心地よくて、すり寄るようにして微睡んでいて、現実と夢との境目に漂っているそんな感覚だった。


隣にいたヴィクターが身じろぎをして起きる気配がする。カーテン越しの外の気配はまだ夜は明けていない。だけど、肘をついて上体を起こしたヴィクターはレナの額にキスをして

「そろそろ行かないと」

と、頬に触れた。

「まだ、暗いのに」


「この時期は夜明けが早いから」

夜明け頃になると使用人たちは起き出して、邸の掃除を始める。そうすると、この部屋から出ることが難しい。

ベッドから下りる音、そして次には衣擦れの音、それが止むとヴィクターが再び近くへと戻ってきた。


「レナもこれ、着るだろ?」

手渡されたのはネグリジェで、キモノガウンも一緒にあった。

「これ……同じの贈ってくれたわ」

「母がいたく気に入ったらしくて、それでレナにもと思ったんだ。嫌い?」


「ううん。凄く好き」

背を向けて上着を着るヴィクターを横目にレナは素早くそれを身につけた。


「今日はゆっくり寝て」

「うん」

ベッドのきしむ音がして、ヴィクターの唇が重ねられた。


「お休み、レナ」

髪を撫でてゆっくりと身を離したヴィクターは、扉の方へは向かわなかった。


「え?」

「隠し通路」

微かに軋む音を立てて、壁の一部が開いた。

「外からは入れないから」

「……部屋に、繋がってるの?」

「いや、かなり入り組んだ道で外に出る。知らずに入ると迷うよ」

去ろうとする姿に、ガッカリした気持ちになり、気がつくと魔法みたいにヴィクターは居なくなってしまった。


さっきまで確かに側に居たはずなのに、空虚になってしまった。だけど、被ったシーツからヴィクターの香りがする。その事が少しだけ慰めになるのに、それなのに少しすると、夢のように確かでなくなってしまう。


やっぱり〝もっと〟一緒にいたい。


もうシーズンは終わり、二人ともそれぞれの領地で過ごすというのに……。


ずっと一緒に。


そんな風に誰か一人に強烈に望むのは、とても不安。でも、レナはずっと以前にこういうヴィクターに対する気持ちを我慢した事を思い出す。

年齢が上がるにつれて、スクールに通いだしたヴィクターは次第に疎遠になってしまった。それは、単に忙しいからかも知れなかったし、レナの事を思い出しもしなかったのかもしれない。でも、そういう時期だと言われれば頷かざるを得なかった。


また、今度もレナを忘れてしまうのじゃないかと………。

子供みたいな我が儘な欲求が心を支配しそうになる。思えば、この執着は他のものを諦めてるから。


 幼い頃、すでに記憶はないけれどレナを産んだばかりの母は、父の従兄であるラングトン伯爵と結婚した。今となれば、そんなにすぐにその結婚をした想像はつく。


レナを育てるためだったと。


だけどその先代のラングトン伯爵が亡くなって、母はレナを連れて王都へとやって来た。まだまだ小さな子供を抱えた母の不安は計り知れない。だから、美しい母がどうしたかといえば、誰か貴族男性と不適切な関係にあったと聞かされたとしても、レナには否定するのは難しい。


思えば、レナがヴィクターと出会った頃の母はそんな寄る辺ない人で、レナもそれを敏感に感じていた気がする。だからジョルダンという母が安心出来る相手が出来て本当に嬉しかった。


けれどレナは、分かっていなかった。


レナードが生まれ、ラリサが生まれ、すると兄弟の中で自分だけが血を引かないという事実を思い知る。

だから、レナはあんなにもヴィクターに執着したのかも知れない。


父も母も愛して育ててくれたからこそ、家族の一員として相応しくありたくて『いい子でいなくちゃ』『恥をかかせないように』そんな気持ちが常にあった。


そんな日々の中で、ヴィクターの来訪が途絶え、アークウェイン邸で会うことも次第になくなり、手紙を出すことさえ書いては捨てる日になった。

大きくなるにつれて、様々な事を学んでいけば、どんどん本当の気持ちは押し隠し、いつしか臆病になった。ヴィクターに相応しい令嬢は自分じゃないと、先代のアシュフォード侯爵の態度はそれをまさに突きつけた。レナは孫ではないと示すことで、弟妹とは立場が違うのだと。


 少女を卒業して、デビューしてこの一年近く築き上げたはずの精一杯の自信さえ、こうして振り返れば脆いものに思えた。

ついさっき、こんな執着を知らずにレナの元を去ったヴィクター。


レナを気遣ってだと分かっていても、苦しくて辛い。この夜の事を、知られたって構わなかったのに………。

押さえ込んでいた想いが、また過去と現在を結びつけてしまう。


〝もっと、ずっと〟確かな所へいたい。


拳を握りしめて、くるりと丸まる様にしてレナは呼吸を整えた。


大丈夫、朝になればまた会えるから、と。

大丈夫、大丈夫と、レナは自分の中の小さな少女に語りかけた。


***


「おはようございます」

ミアの起こす声で、レナは眠っていた事に気がついた。

「昨日は呼ばれませんでしたから、少し心配していたのです」

「ああ……昨日はコルセットもないドレスだったから」


「そうでしたから、私ももうお休みかと思いまして、使用人部屋で待たせて頂いてました」

明るく言うミアは機嫌よく見えて、

「ミアたちも楽しかったのね」

「はい!ヴィクター様の従者のハルからたくさん普段のご様子をお聞きしましたから、楽しみになさっていてくださいね」

弾むような声は、明るくてレナの心まで軽くさせる。

「そうなの」

「今朝はもう乗馬をしにお出掛けとか」

「乗馬?」


レナの着替えを手伝うミアを軽く振り返りながら聞くと

「さすが若い男性はお元気ですわね。昨夜は遅かったでしょうに」


「行くのなら、誘ってくれたら良いのに」

「本当に」


朝のドレスは淡いグリーンにクリーム色の縞が入っていて、柔らかな印象だ。襟元のひだ飾りが大人っぽさと愛らしさを演出している。

「髪は軽く結うだけでいいわ」


「なんだか、こうして近頃見ておりますと、時々奥様に似てらっしゃいますね」

「お母様に?」

「ふとした表情などは、本当に」

レナは母にはそれほど似ていないと思う。

ミアは、お世辞を言うタイプではないし、素直にそれは嬉しかった。


「ありがとう、お母様みたいに綺麗になれたら。そう思ってるから嬉しいわ」

ミアはにこっと微笑むと白いレースの手袋を渡した。

「ヴィクター様もまもなく帰って来られるでしょうから、朝食はご一緒になれるかも知れませんわね」

「そのつもり、かしら?」

「当たり前ですわ。そうでないともう先に摂られてますわ。若い男性は食欲旺盛ですから、もちろん、ヴィクター様もとっても気持ちよく召し上がるそうです」


朝はやはり良い。

こうして昨夜の渦巻いた感情が晴れていくような気がするから。


「厩舎に行ってみるわ」

レナは帽子を被り外へと出て、厩舎の方へと向かった。


「おはようございます、レナ様」

「おはよう」

厩務員がにこやかに挨拶をしてくる。


「ヴィクター様ならもうすぐ帰って来られるかと」

「そう、ありがとう」


「ほら、ちょうど」

示された方をみれば、騎乗したヴィクターが帰ってくる所だった。

すらりとした長身をダークグレーの乗馬コートに身を包んで、堂にいったピンと伸びた姿勢で手綱を操る姿は、目を見張るほど格好いい。


「迎えに来てくれたんだ?」

軽い身のこなしで(あぶみ)から足を下ろすと、頼むと厩務員に手綱を預けた。


「来ちゃったわ。今日は同じ邸の中なのに、わたしよりも先に馬の顔を見に出掛けるなんて」

そんな風に言うと

「それは……今朝は辛いんじゃないかと思ってさ」

小さく囁きつつ、腰に腕を回してきた。

親密なその行動に、ドキリと鼓動が跳ね上がる。

「朝は俺の方が早いし、乗馬に行って帰って身支度をしたらちょうどいい時間の気がしたんだ」

「じゃあ、一緒に朝食を摂るつもりでそうしたの?」

「もちろん」


「じゃあ、許すわ」

木陰で、予兆なくされたキスはなんだか自然過ぎて、

「それに、昨日の今日で頭を冷やしておかないと、平静でいられる自信がなくてさ」

「見たかったわ。そういう顔」

まさか照れたり、恥ずかしがったりそういう顔をするのだろうか?


「駄目だ。俺はレナの前でカッコつけたいんだ。これまでダメな所ばっかり見せてきたから」

不敵な笑みの中にも気遣うような優しさが垣間見えて、やっぱりこの人が好きだという気持ちが溢れてくる。


やっぱりヴィクターは、レナの特別な人だ。

こんなにも、話しているだけでも嬉しくなるのだから。

「ものすごく、腹へった」


ボソッと呟くヴィクターにクスクス笑って、自分も空腹を覚える。

「わたしも」


ヴィクターが着替えてテーブルにつく頃には、すでにキース、レオノーラの伯爵夫妻は引き上げた後で、長いテーブルにはヴィクターと二人。


並んだ料理からお皿に摂るヴィクターの食事量は想像よりもすごくて、

「なに?」

「少し驚いちゃって」


「まぁな。いつもレナの前で食べてる量なんて足りるわけない。いつもその後に厨房で食べてるよ」

食べ方はいつも通り、マナー通りの品のあるものだけれど、量を見れば不釣り合いでついつい眺めてしまった。


「レナはそれだけ?」

「そうよ」


「うちの母は、コルセット嫌いだから関係なく食べるけど、あんなのしてれば食べられないか」

「そうね」


「してないっていうのも、問題だし……俺はそんなに細くなくちゃいけないなんて思わないな」

普通にコルセットなんて下着の話をされてレナは頬を赤らめた。


「ヴィクター、その話はやめて」

「え?………あ、そうか。ごめん、悪かった」

決まり悪げに、紅茶を手元に引き寄せそして畳んである新聞に手を伸ばした。


そんな仕草は大人びたはずなのに、どこかまだ板についていなくて。でも、こんな風に何気ない毎日が過ごせる日が待ち遠しくなった。


「まだ、食べてるのか?ヴィクター」

扉から顔を覗かせたキースが、帽子を被り手袋をはめながら言った。

「すぐに行きます」


「いいんだそ?ずる休みしても」

ニヤリとい形容詞がしっくりするような笑みを向けられて、ヴィクターは席を立ち

「ごめん、行くよ」

「はい、行ってらっしゃい」


「やばい。こういうの、悪くないな」

ボソッと言って頬にキスをするとキースの後を追うように出掛けていった。


レナは冷めてしまった紅茶を口にして、なんとか平静であろうと努めた。

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