5,再会の時
きっとその人を見落とすことなんて、ありえない……。
他の男性たちよりも抜きん出た長身に加えて、眉目秀麗に整った顔は艶やかな黒髪とそして鮮やかな緑の瞳に飾られていて、でもその特徴以上に……彼は目立ち、レナを惹き付ける。
本当に……この目の前のひとが……あのヴィクターなのだろうか。
そんな疑問は、抱いてすぐに打ち消されるほど、そうに違いないと思わせる……彼は両親にとてもよく似ていたから……。何よりも想い出の少年の面影を残している。
「レナだろ?」
声は、―――とても低くて甘い響きがあってレナは肌が粟立つようにゾクッとさせられる。
「はい……そう、です」
緑の瞳がレナを見ていると分かるから、顔を上げることが出来ない。
「どうした?」
様子が明らかにおかしいレナにくすっと笑ったマリウスが、レナをヴィクターの方へと促した。
「ヴィクターだ、知ってるだろ?」
「それは……もちろん……」
でも、それはこの目の前の遥か遠い過ぎ去った過去の姿。今の彼をレナは知らない。
「じゃ、行こうかレナ」
差し出した手に触れれば、レナの緊張は最高潮になってしまってピクンと震えが目に見えて分かってしまう。
「……やっぱり、育ちすぎて怖い?」
そんなレナの反応にヴィクターは苦笑している。
「え?」
「小柄な女性は、俺が大きすぎて怖そうにする」
「私はそこまで小柄な訳じゃ」
それでも、レナの頭はヴィクターの肩を少しだけ越す位だ。
でも、きっと女性たちは怖がっている訳じゃない……。
ヴィクターの前では、彼の存在に震えるほど感じ入ってしまうのだ。
黒い髪に、黒のテールコートに、白のシャツ……レナはそこのタイに止められている銀のピンに視線を固定した。
「昔みたいに抱きついて来ないね」
昔の、それはまだレナが片手で数えられるほどの年の頃。
「子供じゃないもの……」
「そうだな、でもまだ……大人とも言えない」
確かに成人とされる21歳にはまだ届いていない。
けれど、そんな事――異性に抱きつくなんて、もはや出来るはずがない。
「レナ、私は楽しみにしてたよ。この日を」
そんな言葉を甘い声で言われて、レナは思わず歩みを乱した。
かくん、と膝をさせたレナはヴィクターの腕にすがりついてしまった。
「ご、……めんなさいっ」
レナのその様子に少し笑うと、
「それ、手口じゃないよな?」
と小さく聞いてきた。
「てぐち?」
「いや、何でもない」
何度も練習した曲のはずなのにレナは全く上手く踊れた気がしなくて、そんな自分にガッカリとしてしまった。
そんなレナをきっとヴィクターも、ガッカリしているに違いないとそう思った。
だから、ヴィクターが話しかけてきてもレナは項垂れていてその間に、次のダンスの相手が来てしまった。
「レディ レナ?どうかしましたか?」
上の空のままレナは答えていた。
「いいえ、何も……」
「さきほどギルセルド殿下と踊られてましたね」
優しい声はいかにも紳士的でレナは次第に落ち着きを取り戻した。
「ええ」
「あなたもやはり、王子妃の座を?」
「え?」
「王子は若くて、何よりも容姿もそして剣術にも優れていて、男の目から見ても魅力のある方だ。そうでないとむしろおかしいでしょう」
この人は、誰だったかとふと視線をやれば、
「やっと、私を見てくださった。私はエルバート・ウェルズです、侯爵家の次男の」
おかしそうに笑われて、レナは恥ずかしくなった。
「ジェールの婚約者の……」
「そう、弟になります」
ジェール・エディントンはレナの友人で、ヴィクターの従姉妹でもある。縁がある人でレナは少しだけ安心してしまう。
「ああ、そうだ。あなたに一言……ヴィクターは、あの通りモテる。彼を前にすると女性はみんな正気で居られないみたいです。さっきの事を気にすることはないですよ?」
見られていたのかと、消え入りたい気持ちになってしまう。
「きっと、レディらしくない嗜みのない女に見えたでしょうね」
あの通りと、目線で示されて見ればさっき離れたあたりの場所で、既婚独身とわず女性に囲まれて一人ずつに丁寧に会話をしているヴィクターを見ると、レナはむっとしてしまった。
「あなたはすぐに、表情が変わりますね」
そんな風にまるで子供扱いをされてしまって、レナはますます感情が乱される。
「田舎者の証拠だわ」
「いいえ、好ましいと思いますよ?恥ずかしそうにしていたり、頬を染めているのはとても愛らしくていいと思います」
にこっと笑みを向けられてレナは動揺した。
曲が終わり、レナがマリウスの元へと戻るとちょうど話題に出たジェールとエルバートの兄のクリフォードがレナを待ち構えていた。
うねる金髪に緑の瞳と華やかな美貌のジェールは、さらにそこに満面の笑みが加わりくっきりと鮮やかにその場の空気を変えてしまう。
「レナ!ひさしぶりね」
「ジェール、やっぱりとっても美人ね」
何年かぶりに会うジェールはすっかりと大人の女性だ。最後に会った時でさえその片鱗があったから、今の姿は予測済みといえた。
「レナも。今日は一番注目を浴びたのじゃない?ギルセルド殿下と踊ったりして」
「たまたま、目の前にいたから踊って下さっただけよ」
「レナはそんな風に言うけれど、……去年エリアルド殿下が結婚されたから、次はいよいよギルセルド殿下の番だと噂よ」
こそっとジェールが囁く。
「だから、みんな……ほら……。殿下に若い令嬢を連れていってるでしょう?」
ちらりと見るとギルセルドは確かに令嬢を連れた紳士や淑女たちに話しかけられて、笑顔で応えていた。
ちょうどレナがそうであったように。
「まさか、伯父さまたちもわたしを?」
「だと思うわ」
「でも、わたしは違うわ。だって、貴族とは名ばかりだもの」
レナは自分の血筋を分かっているから、身の程はわきまえているつもりだ。
「そう?」
ジェールは紅い唇を弧を描く形にして、レナの腕を組むようにしてヴィクターの方へと向けさせた。
「見てよ。ヴィクターのモテっぷり、ヴィクターもまだかわし方が上手くないから囲まれ過ぎよね」
ヴィクターもレナと同じく、去年スクールを出たばかりで本格的に社交界に出てきたのは今年からとなるのだから、慣れていないはずだった。
さっき見た光景よりも更に女性に囲まれて見えた。
「でも……楽しそうに見えるわ」
「レナったら、相変わらずヴィクターに?」
小さな頃のべったりだったレナを知るジェールはにやりと表現出来る少し意地の悪い笑みを浮かべる。
「そんなのじゃ……ないわ。そう、見えるのだもの」
「まぁ……こう無駄に色気は振りまいてるわよね。我が従兄弟ながら、さすがあの二人の息子というべきかしら」
あの二人の、と言うのはヴィクターの両親の事で、母のレオノーラは近衛騎士としてかなり人気のあった人で、父のキースもやはり甘いマスクと顔で女性にモテていた人だった。
「砂糖に群がる蟻というか、猫にまたたびというか、蜜蜂の花の蜜というかその全部って言うか……ねぇ?」
「そういう、ジェールだって……」
「私はほら、すでに婚約してたから。社交も気楽なものよ?ね?クリフォード」
ジェールの隣で仲良く視線を交わすクリフォードは、現宰相であるベルナルド・ウェルズ侯爵の嫡男で頭脳明晰で彼もまた若者らしく好感の持てる容姿をしている。
「レナは次はまたお誘いが待ってるわね、頑張って」
レナはそうして、次々と若い男性と踊っていたし、ヴィクターは常に女性と話していた。
レナは思っていたよりも、この華やかな世界が楽しくないとそう感じていた。シェリーズ城に帰ってしまいたくなってしまうくらいに。