51,ゲストとギフト
アークウェイン邸での準備、それに仮装用の衣装作り、それからアート・エアーの小説の事。パーティーの打ち合わせという名目のお茶会の準備、それから王宮への訪問依頼。それに通常の予定である招待状の返事に、朝の社交、そして夜会。それに伴う衣装替え。
つまりはとっても忙しい。
「貴族のお嬢様ってお忙しいのですね」
「ミアも、でしょう?」
レナ付きのミアだって、忙しいはずだ。
「雇われの身は大変ですけれど、グランヴィル伯爵家はいい職場です」
ミアたち邸の使用人たちは、衣食住を保証されている代わりに自由はほとんど無い。朝は夜明け前から、夜は遅く帰ってくる主人の為に備えている。休みはほとんどなく、結婚する機会もなかなか無いだろう。
つまりはそれだけの責任を負って、雇い入れる。
階段下の使用人たちと、階段上のレナたち主一家。
その隔たりは、昔から今へと受け継がれ依然として存在している。
「そう?なら……良かったわ」
ミアは王都に来てから、生き生きと働いている。時にはそれは妬ましくなるほどだ。けれどそれがレナには嬉しい。
ミアは今、レナに一番近い存在だから。
レナの事を一番知っているのはミアだとそう思える。
それでも……、ジョエルとの事は一言も言うことが出来なかった。
あんな風に押されてそして、あっさりと引かれて、なのに唇をまさしく奪われて一体どれだけの女性が平静でいられるだろう?
「レナお嬢様、アシュフォード侯爵夫人がお越しになられました」
バレリオがそう扉越しに伝えてきて、ミアはレナの髪に当てていたコテを置いて、ざっくりと編んだ。手早くても、手の抜いた様ではなく可憐さと上品さの丁度良い形で、こういうスキルもずいぶんと上手くなっている。
「ジョージアナ伯母様、お待たせしてしまいました」
「いえ、約束もなく来てしまったのはわたくしの方よ」
少しばかり久しぶりになるジョージアナは、相変わらず完璧な貴婦人ぶりだ。
「……少し痩せたのではなくて?」
「どうでしょう、体調は悪くありませんわ」
「そう……貴女はもっと頼ってくれても良いのに……、アシュフォードもウィンスレットも、その力は十分あるというのに」
ため息混じりの声に心配の色が覗く。
「充分、たくさんの事をしてくださっております」
「パーティーの主催をするのですって?」
「はい、そうなのです」
「そう、若くて華やかな時は限られているわ。存分におやりなさい、けれど羽目は外し過ぎない様にね」
意外な事に、ジョージアナは応援してくれるようだ。
「何か困ったことがあったら、いつでも知らせなさい」
「あ……伯母さま。妃殿下の事なのですが」
「フェリシア妃殿下?」
「ええ、近いうちに訪問をさせて頂きたいのです」
「貴女ならいつでも歓迎してくださるでしょうけれど、わたくしの方から手配をしておきます。レナが顔を出せば妃殿下もきっと嬉しく思われるはずだわ」
ジョージアナが尋ねてくれたために、一つの案件は一歩進みそうだ。
「もうご出産も近いでしょうし、しっかりお話相手を務めてくるといいと思うわ」
レナはしっかりと頷いた。
隙のないレディらしい仕草を見つめて居ると、こんな完璧な女性は若い頃はどうだったのか気になって来てしまった。
「伯母様は……何人くらいの方から、求愛されましたか?」
レナが不意にそう聞くと、ジョージアナは珍しく慌てたのか咳き込んだ。
「ご、ごめんなさい!」
「いいの、まさか、そんなことを………思いもよらなくて」
やっとジョージアはやっと咳を押さえ込んで落ち着かせると
「わたくしには、フレデリック・アシュフォード今の夫ただ一人だったわ」
「意外です……。求婚者が列を成していたかと思いました」
「正式に婚約をしていたわけでは無かったけれど、皆がわたくしたちが結婚すると思っていたものだから……」
そして、その通りに結婚したのかと、やや頬を染めているジョージアナを見つめた。
「そんなことを聞くなんて何かあったの?」
いいえ、と頭を振った。
「いえ、でも……そういうのは良いですね、とても。伯母様には伯父様が一番のお相手だったのですね」
ジョエルとの事が今はまだ、鮮明すぎる。
こんな時に、ヴィクターが現れていっそのこと拐っていってくれれば良いのに。
何も考えなくてもいいと、レナの相手は自分だけだとそう傲慢なほどに。
なのに彼は、今はいない。
「そうそう、お菓子を持ってきたのよ。新作なの」
従者が押してきたワゴンから紅茶とお菓子が乗っていて、そこには艶々と綺麗なチョコレートが並んでいた。
「綺麗なお菓子ですね」
手を伸ばし口に入れると、味もとても素晴らしく美味しかった。
「美味しい……」
呟いたレナに、ジョージアナは優しく微笑んだ。
「今はもしかすると、レナにとっては大変な時かも知れないけれど、そんな時はずっとでは無いわ。レナは優しい子だから、助けたいと思ってる人はたくさんいるはず。それを忘れないで」
「はい、伯母様」
礼儀作法には厳しくても、ジョージアナは時折驚くほど優しい。そして、伯父のフレデリックと居るときは時々可愛らしく見える。それはなかなか言えないけれど、指摘したらどんな表情を見せてくれるかしら?とジョージアナの美しく磨かれた爪を見ながらぼんやりと考えた。
「義姉上来ていらしたのですか。もしもよろしければ、晩餐を一緒にいかがですか?」
帰宅したジョルダンは、ジョージアナに声をかけた。
「今夜はアルバートも一緒なのです」
ジョルダンの後ろには、アルバート・ブルーメンタールが続いて入ってきた。
「まぁ、アルバート!久しぶりだわ」
「レディ ジョージアナ……いえ、レディ アシュフォードとお呼びするべきですね」
アルバートは穏やかに微笑んでジョージアナの手の甲にキスをした。
「どちらでも。せっかくなのだけど今日はもう帰る所なの。レナと話せて良かったわ。ジョルダンももっとうちに帰って来なさい。それからアルバートも時にはフレデリックの事も思い出してね」
「年とともにどうしても足が届きづらく」
「まぁ、よくそんなことを。近いうちにルシアンナといらっしゃいね」
「はい。喜んでお伺いさせて頂きます」
それを聞くと、ジョージアナは立ち上がって、
「じゃあレナ。貴女もまた遊びにいらっしゃいね」
「はい、気にかけて下さりありがとうございます」
ジョージアナが優雅に衣擦れの音をさせて立ち去ると、アルバートはレナに向き直った。
「久しぶりだね、レナ」
「ええ、アルバートおじ様」
「すっかり一人前のレディだね、ジョルダンもさぞやきもきするだろう?」
アルバートは弁護士らしく冷たそうにも見える眼差しをほころばせた。
「まさか……すでに婚約者がいるわけだから、やきもきなんてしてはいない」
「ああ、そうだったね。おめでとう……で大丈夫だよな?」
大丈夫かと確認したのは、貴族にとっては政略がつきものだからだろう。
その相手がヴィクターだと知らないはずは無いのに。もしかすると、アルバートの耳にも不仲説が聞こえていたのかも知れない。
「ええ、もちろんよ。おじ様」
くすくすとレナは笑った。
「ところでおじ様がいらしてるということは、出版の件なの?」
「ああ、今日アルバートと訪ねてきちんと話をしてきた」
「ジョルダンには私なんていらないだろうに」
「まさか、敏腕の弁護士は必要だ」
親しげな軽口のやり取りにレナは、互いに気心の知れた仲を、そして信頼関係を感じさせる。
「それにしても君たちが婚約か。もうそういう年頃なんだな」
君たちが、というのは彼の妻がレオノーラの妹だからヴィクターはアルバートからすれば甥にあたるのだ。
つまり、ヴィクターと結婚すれば本当に叔父となるのだ。
そうしてアルバートも交えての晩餐を終えて、レナは自室へと戻る。
自室にはミアも居ず、一人きりの空間だった。
デビューしてから、まったくの一人きりになれることは少ない。晩餐のために着けたアクセサリーを外してドレッサーに無造作に置いた。
それは、ヴィクターから貰った物。
けれど、アクセサリーが側にあったとしてもどれほどの事だろう。なのになんとなく選ぶのはやはり彼から貰ったもの、という付加価値が大きいのだ。
ドレスの皺も気にせずに、レナはベッドにそのまま寝そべると、結い上げた髪が邪魔になる。ため息をついて立ち上りピンを外していると、ミアが入ってきた。
「まあ、お待たせしてしまいましたわ」
手際よく髪をほどき、ドレスを脱がせシュミーズ1枚になると、心地よい手つきで髪をとかした。
「そうそう、今日はヴィクター様とシルヴェストル侯爵さまから贈り物が」
「贈り物?」
「お花はそこのテーブルに、それからペンでしたわ」
「ペン?」
女性への贈り物としては、なかなか珍しい物かもしれない。しかし、そのペンのセットは箱からしてその造りの美しさにハッとさせられ、そして美しいガラスのインク瓶とガラスのペンが2本はいっていた。
「お嬢様は、よくお手紙を書かれますし」
良かったですね、というミアに曖昧に微笑んだ。
箱の装丁は灯りを受けて銀色に輝く。
その光はまるで、弓月の夜を忘れさせないと告げているようだった。ペンは滑らかでしっくりと手に馴染む。
「趣味の良い方ですわね。グランヴィル伯爵閣下みたいですわ」
ジョルダンも確かに選ぶものはハッとするほどセンスが良いと思える。
「ええ、そうかも知れないわ」
「ヴィクター様はもちろん素敵な方ですけれど、侯爵さまも洗練された完璧な貴公子ですわ。お嬢様は早くに婚約をお決めになられて良かったですね」
「なぜ?」
「あら、これほど素敵な方々がいらっしゃると、私だったら一人を選べませんもの」
くすくすとミアは笑った。
レナはなんだか熱いものを飲んでしまったような気分になって、箱の装飾を指先で触れた。
ミアがレナに羽織らせたのは遠い異国の衣装で袖のゆったりとしたシルクで、深みのある朱色に美しい花模様が大胆に入っていて艶やかさに目を奪われる。室内だけで使うには勿体ないくらいだ。
「これは?」
「ヴィクター様からです。キモノというそうですわ。とても美しくてうっとりいたしますわね」
目の前には銀の月みたいな装飾の箱。体には艶やかなガウン。それはまるで、今のレナの環境を視覚化させたように思えた。
「本当に、綺麗」
レナはそう呟く事しか出来なかった。




