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50,一つの向き

 晩餐の後、カードゲームをしていた男性たちがゲームを終えて、クリストファーとカーラがゲームについて話しだし、レナはジョエルと夜の散歩にグレイ侯爵邸のガーデンに降りて、カーラとの顛末をジョエルに話した。


「それで、今度は妃殿下に拝謁を申し込むというわけか」

ゆったりと歩きながらジョエルは可笑しそうに笑った。


「なぜかな。レナはそうやって、周りの人の事まで変えてしまうんだな」

「わたしは、何も」


「いや、違うな。レナはいつもその人を素直に見ている。私の事も、未来のウィンスレット公爵として見たことなんて無いだろう?ルーファスもそう言っていた。レナは王太子殿下の従兄弟として見た事などないと……コーデリアの事も落ちぶれた公爵令嬢として扱わなかった。それはね、とても貴重な事なんだ」

「ジョエル?」


いつもの彼とはどこか違う気がして、レナはどんな顔をしていいのかわからなくなってしまった。


「どうして君は……これほど早くにヴィクターと婚約してしまったんだろうね。マリウスじゃなく、私がエスコート役をするべきだった。そうすれば、アンスパッハに近づけなかったのに」

「あの夜は……わたしにとっても、悪い意味で忘れられない夜だわ」

このシーズンで最も運命を変えさせた一夜だった。


ゆったりとしていた歩みは、停止へとって代わり、ジョエルは灯りを背にレナを見つめた。

「私が、君を愛してると……そう言えば、他の女性に袖を引かれてるヴィクターと別れを決意して、その手を預けてくれるか?」

その言葉の内容と、ジョエルの真摯な眼差しに息苦しささえ覚えた。理解するのに、しばらく時を進めなくてはいけなかった。


「ジョエルはプリシラ妃殿下と……」

そうだ、プリシラと話を進めようと考えていたはずではなかったか……。


「プリシラとは、話した。けれど言われた。誰かを諦める為の妥協案なら受け入れられないと」

「妥協案だなんて、相手はこの国のプリンセスよ」

「ああ、そうだ。そんな軽々しく相手に出来る女性(ひと)じゃない」


「ジョエル、わたし貴方が好きよ。でも……わたしは」

それは、つい最近の事だ。

想いの違いゆえに、レナは苦しい気持ちを覚えたのではないか。なのに、またそれとは違う、同じくらいの苦しさを覚える。


「ヴィクターを、愛してる?」

ジョエルは艶然とした笑みを唇にのせた。


「愛してる相手と一緒に居ることが、必ず幸せになるとは限らない。レナ……私を選ばないか?あの日、偶然の連続が二人を婚約という形に結びつけたということは分かってる。ヴィクターの事を抜きにして、考えて、私との未来を」

「そんな……どうして、わたしなんかを」

「なんか、じゃない」


ジョエルの腕はレナを捕らえると、『なんか』と言った唇を奪った。そのキスが挨拶とは別物だとそれくらいは分かる。

理解した瞬間、考えるまでもなく短い言葉は発せられていた。


「だ、め」


奪った唇を指で触れて、ジョエルは

「私は、狡い男だから。こんな事をすれば君が私を考えずにいられないと分かってる……」


困ったことに嫌悪感なんて無い。

それは相手がジョエルだから、けれど想いには応えられない。なのに、唇は熱くて、その分真剣な気がしてレナは強くはね除けられない。


「わたしを惑わすの?」

「ああ、そうだ。私のような男は、関係がぐらついている好機を逃したりしないんだ」

「離して、ジョエル。どうすれば良いのか本当に分からないの。こんな事をしては駄目、だけどひっぱたく事も悲鳴を上げる事も、出来ない」


そう言うとジョエルは笑った気配がした。

こんな所を誰かに見られたりするわけにはいかない。それくらいは混乱していても分かってる。


「こういうときは、遠慮なくひっぱたけばいいんだ」

その語尾で腕はするりと離れて、そこで見たのはいつものジョエルだった。

「さぁ、そろそろ邸に戻ろう。長い時間を二人で過ごすわけにはいかない」

それはいかにも気の回る彼らしくて、レナの戸惑いを思いやってくれたのだろう。

そう思うと、このまま曖昧には出来ない気もした。


動こうとしないレナを見てジョエルは苦笑した。


「何も無かった事には出来ないわ。さっきのはただのキスじゃない」

「そうだよ。何も無かった事にしたくない、私はね……出来るなら本当に力ずくで奪い去りたいんだ」


ジョエルのいつもは貴族然とした姿は変わらないのに、静かな覇気が立ち上っている気がした。


「ヴィクター・アークウェインを君が愛してるのでなければ、間違いなくそうする」

「ヴィクターが居なければ……わたしはきっと、今………」


何を言おうとしているのか。

ジョエルの熱量に誘惑されたとしか思えない。


「空に月はいつもある。だが、見えない夜もある。レナ私はいつも、君のそういう存在でありたい」

暗い道を照らす月明り、見えない夜も確かに空には確かにある、そう思って考えてみれば、ジョエルはそんな存在だった。だとすればヴィクターは………陽射しを柔らかくする故郷のグリーン。いつも記憶の中にあるそんな身近で眩しくてそして、優しく守ってくれるような、そんな存在。


「わたしはそんな価値はないわ。それにやっぱり無理、ヴィクターは大切な愛する人」

「―――――この私をすぐさま断るなんて、生意気な小娘だ」

軽く笑みを浮かべながら、肩に垂らした髪を弄られて、レナはまじまじと彼を見た。わざとそんな風にしてくれているのだとそう分かる。


「きっと数年後には泣くほど後悔すると予言しよう」

「ええ、それじゃあそのうち、わたしか嫉妬するほど、愛する相手を見つけて」


「知っているか?父は36歳で母と出会ったんだ。つまり私にはまだまだ時間があると言うことだ。だからそんな相手が見つかるまでは………いままでの様に、近くに居る」


「ありがとう、ジョエル。わたし、困ったけれど本当に……嬉しかったわ『愛してる』の言葉」

愛する婚約者がいながら、なんて事だと理性は告げている。でも、それは紛れもなく本心だ。


「じゃあ、毎日言いに行こうか?」

「それは止めて」


「なるほど、効果がありそうで怖いんだな」

クスクスと笑うジョエルの少しだけ前を歩き出すと、遠くからダニエルとマリーの姿が見えた。


「私は今日のこの夜を忘れない。レナもこんな細い弓月を見る度に思い出すだろう……ジョエル・ウィンスレットの事を」

耳元での囁きにレナは軽く喘いだ。


 侯爵夫妻と合流してからは、ジョエルはいつもと何ら変わり無い素振りだった。

それはレナを送り届けるまで。


けれど、ジョエルが言ったように、何も無かった事には出来ない。

それは確実にあったことで、無くす事など出来ない、想いという重さだった。


残された物は、それが弓月の夜だったという事。

それから交わした言霊。


もしもジョエルがレナがヴィクターに対する想いと同じくらいのものを抱いてくれているのだとすれば……なんて罪な事だ。


想うのも、想われるのも、どちらか一方というのはとても……辛く苦しい。


レナは弓月と、20歳のジョエルの『愛してる』の言葉も、彼の優しさも忘れたりしない。

ずっと……。


いつか、その記憶が色を変える時まで。


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