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45,理想的な婚約者 [victor]

―――――なにかが、音をたてた気がした。


ヴィクターの隣に居るのは確かに彼の婚約者であり幼なじみでもあるレナ・アシュフォードに違いない。

ついさっき彼女はヴィクターを『愛してる』とそう言った。

とっさに『俺も好きだ、愛してる』と返そうとして、顔を見た瞬間軽々しく口にしてはならないとそう、気づかされたのだ。


レナを従姉妹たちと比べて見れば、美女になるのはどちらかと、言われれば従姉妹たちだと言えるだろう。

だが、レナはこれほど頼りなげでありながらも確固たる輝きを持っていただろうか?


いつの間に?


自分達の時が、留まらずに流れていた事はもちろん分かってる。レナはもちろん小さな女の子でなくなり、今は正に社交界の注目を浴びる女性だ。


そうだ……間違っていたのは、ヴィクター自身だ。


ヴィクターは手袋を嵌めた手をきつく握りしめた。その手は強ばり、襟足を汗が滑り落ちるのを感じた。


悪態をつきたくなる。

さっきの返答にレナががっかりと失望したのがわかった。だが、さっきはレナに………彼女の眼差しに圧倒されたのだ。

勝負事なら誰にも負けるとは思ったことはないのに。たとえ、ジョエルを相手にしても。死力を尽くせば勝つ可能性は大いにある。


なのに、駄目だ。はじめから勝負になどならない。


ジェイラスの言う通りだ。ヴィクターは思い込みで目を曇らせていたに違いない。


彼女はまだ若い。だが、すべらかな白い肌も、輝く青い瞳も。品のある話し方も、細やかな仕草も、どれもが洗練された淑女で。

それに、子供の頃と変わらない素直な目線と気性。

貴族の女性としての心構え、レナがギルセルドの妃の第一候補となったのは、なにも家や血筋ゆえにだけではない。


相応しき品格と素養があると判断されたからなのだ。


 なぜ、男たちは膝をついて求婚するのか。


愛する女性にはそうするべき相手だからだ。


そして、ヴィクターが心から膝をついて愛を請うのは………それはレナ・アシュフォードただ一人しかあり得ない。


なぜ、あんな形で婚約が整ってしまったのか……


もっとなんとか出来たはずだ。


ヴィクターは後悔する気持ちがふつふつと湧いてきてしまう。急がされた婚約だったとしても、すぐにきちんと出来たはずだ。


レナは今、ヴィクターへやや壁を感じさせる位に、顔を舞台へと向けている。先程のやり取りが、近づきそうだった距離をまた離してしまった。

時折、レナの付添人(シャペロン)が鋭い気配をヴィクターに向けてくる。地味で置物のような女性だが、ジョルダンの手配した付添人だ。見た目通りの、あまり熱心そうでない付添人という訳じゃないのだろう。


このまま、リディアーヌに関わっていて良いのか?


良いはずがない。


この国の大事になるかどうか分からない夫人から、あるか分からない機密事項を探り出すよりもヴィクターにとっては、レナの事はもっと大切にしなくてはならない事だ。


気がつけば、オペラは佳境に差し掛かりクライマックスへ向けていよいよ華やかになっている。それに目を見開いて感嘆の息を漏らすレナはちらりとヴィクターを見た。

そして、目が合うと慌てて視線を舞台に戻す。


その事がもどかしく、ヴィクターは隣合ったレナの右の手をそっと握った。ヴィクターよりも華奢で小さな手は、躊躇いを感じさせた後も振り払う事はせずに軽く力を入れて握り返してきた。

たったそれだけの事が、まだ間に合う。

そうヴィクターに思わせた。


手袋ごしの熱は、心地よく伝わってくる。

観劇の間、そうしているとどこのシーンにレナが反応しているか、よく分かる。


やがて舞台はアンコールを終えて、人々が帰る支度をしている喧騒が伝わってくる。


「楽しめた?」

「ええ、とても。今夜はありがとうヴィクター」

ヴィクターはその当たり障りない答えに笑みを返した。

「なら、良かった」


オペラは良かったが、ヴィクターはレナにとって最高の婚約者ではなかったはずだ。そして、それはまだ解消されていない。


「レナ」

ヴィクターは、先に席を立ち手を貸してレナが立ち上がるのを待った。

「さっきの俺は……レナに同じだけの答えを伝える事が出来なかった。だから、近い内に必ず問題を解決させて応える。もう少しだけ時間を与えて欲しい」

レナはそれに、軽く頬を染めて微かに頷いた。


「……少しだけなら……待てるわ」

ヴィクターは「ありがとう」と共に額に軽くキスをした。


何を話したかは、付添人には喧騒が邪魔をして聞こえなかっただろう。



フルーレイス大使の狙い。

そんなものは見つからない。

無能扱いされるのは、我慢ならないが、今回ばかりはその選択をするべきなのか。


グランヴィル伯爵邸にレナを送り、ヴィクターはアークウェイン邸へと帰り、父が帰宅しているか尋ねた。

「伯爵さまは今夜はまだお帰りではありません」

「帰ったら話がしたい」

「承りました」


何か言いたげな執事のロビンスにヴィクターはつい

「何が言いたい?」

「オペラは楽しめなかったのですか?」

どうやら顔つきを見て、そのような懸念を抱いたらしい。

「オペラは良かったが」

「……では残念ながらレナ様とは」


「ロビンス。レナとは大丈夫だ、他の者たちにも心配する事はないと伝えておくように」

じとっと冷ややかな目線を受けて、

「私たちは未来のレディ アークウェインにはレナ様しかお迎えしたくはございませんので、それが使用人一同の意思だとお伝えしておきます。ヴィクター様もどうぞそのおつもりで」

それは随分な気に入りようではないか、と思わせた。

「……そんなに面識があったかな」

「とぼけたことを仰る。幼い頃から私たちはそう思ってきてますから。それに、レナ様をもしも逃すような事があればむこう10年はどなたともご縁はないでしょう」

なにかそうしてやる、とでも確信があるかのような言葉にヴィクターは半ば呆気にとられた。


「不吉な事を言うな?レナとは婚約までしてるんだぞ」

「婚約は破棄できます。ご存じでしょうが、レナ様はレディ グランヴィルの血を引くご令嬢ですよ?これから美貌が磨かれる事は誰もが予想出来ますし、ヴィクター様との不仲説を信じて付け入ろうとする紳士方がこそこそ動き出しても不思議ではありません」

その言葉にヴィクターは反応した。

「それは、誰だ」

「誰でも関係ありませんよ、ヴィクター様さえしっかりしていれば」

言う言葉に容赦がないのは、ロビンスがまだほんの少年の頃から、この家に仕えていてヴィクターの事も幼き頃から見てきているからだ。


「よーく分かってる。レディ アークウェインになるのはレナだけだ」

それに満足そうに微笑むと一礼して見せる。


部屋に戻ったなら戻ったで、次はハルがそわそわと今夜の首尾を知りたそうだ。

「聞きたい事があるなら、ロビンスへ聞くとい」

ヴィクターの言葉にハルははっと顔を明るくすると、

「それではレナ様がこのお屋敷でパーティーを主催するというのは本当なのですね?」

やや興奮したような声は、弾むようだ。


「そうか、そういえばその予定があると聞いている」

「ヴィクター様、お任せください。レナ様におきに召して下さるよう使用人一同力を尽くします!」

ハルもまた力が入っている。

「南棟の部屋の方もミセス ベルが張り切って模様替えをしてお迎えする準備は進んでますし」

幼い頃を除けば、レナがここに来たのは数えるほどの事で、なぜロビンスをはじめてみなが、レナを気にしているのか理解が出来ない程の張り切りようだ。


「ハル、なぜそんなにレナを気遣ってる?」

「それはもちろん、このお屋敷にお迎えすることを楽しみにしているからです」

「だから、なぜだ?会ったのは数回だけだろう」


「ヴィクター様こそ、なぜお分かりにならないのか理解出来ません。レオノーラ様はそれは主としては立派な方ですし、尊敬申し上げています。ですが……理想の女主人とは言いがたいと言いますか………。この屋敷の大広間はみないつも掃除はしておりますが、あそこが客人で彩られた覚えはございませんし、銀食器もほとんど磨かれてもしまわれるだけ。先代の伯爵夫人に至っては、ここに寄り付きもしなかったと聞いております。レナ様が来てくだされば、ここもようやく輝きを取り戻すのではと。早速未来のレディ アークウェインらしく、ここでパーティーを開いて下さると噂が。皆張り切ってしまうのは無理もないでしょう?」


なるほど、とヴィクターは納得がいった。

確かに、ヴィクターの記憶によればこの屋敷で大きな舞踏会など催された事はない。母のレオノーラは社交べたという訳ではないが、そういうことに興味がないらしい。


だが、使用人たちはそれに歯痒い思いをしていたのだろう。レナが計画をしている舞踏会はそこに投げ込まれた格好のネタだったようだ。


「旦那様がお帰りです、書斎でお待ちです」

従者が扉越しに声をかけてきて、ヴィクターはハルの熱弁から逃れられる気がして、少しだけホッとした。



アークウェイン邸の書斎へ向かうと、ヴィクターは軽くノックをして扉を開けた。夜会服に身を包んだままのキースがヴィクターを手近な椅子に座るように示した。

「父上お話が」

「どうした」

「ラモン伯爵夫人の事です、これ以上彼女と接触を続ける事は出来ません」

「レナの事か?」

「あるのか分からない機密事項よりも、今の俺にはレナの方が大切です」

「………婚約者を安心させてやれないというのは、ヴィクターの力不足だな」

「その通りです。認めます」

眉をひそめながらもキッパリと答えた。


「ふぅん?認めると、いうわけか」

「今夜、オペラの幕間でラモン伯爵夫人はレナに近づいた。レナはなにも無かったと言ったがそうは思えない。これ以上は国の為に動かない」

ヴィクターが言うと、キースは腕を組んでしばらく息子(ヴィクター)を見つめた。

「対策もなしに、手を引くのは良くない。グランヴィル伯爵に知恵を借りるべきだ。ちょうどこの邸でする舞踏会の事もある。名目はその相談ということで会いに行こう。お前も来るんだヴィクター」


「分かりました……ありがとう、父上」

キースは情けないと怒鳴りつけたりせずにヴィクターの意思を聞いてくれた。

本当はこの家のために手柄が必要だったのかも知れないのに。

「私だって、レオノーラの為なら……というよりは嫌われたくないからだが、そうするだろう。礼は事が片付いてからでいい」

安心させるかのような笑みを見せて、キースはヴィクターに下がるように手振りで示して、レターセットに手を伸ばした。

インクの匂いがふわりと広がって、これからジョルダンへと手紙を書くであろう事が察せられた。


情けないが、一人で成果は得ることが出来なかった。

悔しいが、事実だ。

しかし、それが分かれば次は学べばいい。足りない事を、次は悔しい思いをしないように……。

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