42,父と娘
クロス家の舞踏会を後にして帰宅したレナは、早速コーデリアとエリーそれに、ジェールをはじめとした友人と、そしてシャンテルたち友人ともいえる女性たちに、お茶会の招待状を書いた。
急ぐことの為に、レナの手はすっかり痛くなったしそれに、時間はややもすれば窓の外は白々として、邸の中からはそろそろ使用人たちが活動し始めている物音が微かに感じとれる。
掃除に入ってきた下働きのメイドのマーガレットがレナに気づいた瞬間にぎょっとした顔をした。
「も、申し訳ございません」
「いいのよ。起きていたわたしが悪いの。気にせずに掃除をお願いね」
ミアたち上級のメイドと違い、彼女たちは主一家が活動している時間は上のフロアへは上がって来てはいけない。だから、今にも罰せられるような顔をしている。
「マギー、気にしないで。ミセス ラメージにはわたくしから言っておきます」
「はい、お嬢様」
「ミアに、この手紙を出すように、バレリオに頼むように伝えておいて」
レナは立ち上がり、手紙の束を指し示してマーガレットに言った。
遅くなりすぎたが、少しだけベッドに横になり眠るつもりで体をそっと倒すと、疲労感が一気に押し寄せ何も考えることもなく眠りについてしまえた。
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「…………レナお嬢様、体調でも悪いのですか?」
ミアの心配そうな声に、レナは薄ぼんやりと目を開けた。
「へいき、眠るのが遅くなっただけなの」
「今夜はヴィクター様がオペラにと………ドレスはどうなさいますか?」
夜に着られる様にアイロンをかけるのだろうとレナは眠りに落ちがちな脳を働かせて、ワードローブを少し考え新しいドレスを一つ思い浮かべた。
「オペラ?………じゃあ………薔薇色の艶のある……のは?」
「よろしいかと思いますわ」
ミアの返答にうなずいてまた枕に頬を埋めた。
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睡眠はとったはずなのに、すっきりとしないまま目覚めるとすでに日は高くお昼が近いことを知らせてくる。
身支度を整え階下に降り、朝食ルームで軽い軽食を口にしてお茶を呑んでいる所でジョルダンが部屋に入ってきた。
「珍しくお寝坊さんだったね」
「お父様、昨日は友人たちに手紙を書いていたの。シーズン最後に舞踏会を自分たちで主催しようと思ってるの」
自分たちでするのなら、当主であるジョルダンの許可を無くしては何事も進まないものだから、体ごときちんと向いてそう言った。
「なるほど、それでたくさんの手紙を出した訳だな。私も何か手伝おうか?」
主催、というレナの言葉に軽く目を見張るとジョルダンはそう言ってきた。はじめての試みではあったけれど、不思議と反対されることは一つも考えたりしなかった。それはこれまでの経験で、やりたいということを頭ごなしに反対された事が無かったからかもしれない。
もちろん、駄目だと言われた経験が無かった訳ではないけれど……。
「たくさんお願いしないといけない事があるの、お父様。いいかしら?」
「なんだろうね?」
「新しいドレスと、それに雑誌のジュエリーボックスに小説を載せてもらうのに、お父様に交渉してほしいのと………あと、舞踏会をするのに会場が必要なの。若い人達だけになるから、砕けた会場がいるの、でもそれでいて安全じゃないと……」
「なるほど………レナのたまのお願いというのはなかなか一つ縄ではいかないみたいだ」
そうは言ってもどこか楽しそうでさえあってレナはホッとさせられた。
「舞踏会をするのも雑誌に載せるのも、王家の為なの。レディ セシル・アンブローズの為に」
「王妃さまの頼みか……。あの方も人を使うのが上手くておられる」
ため息混じりの声にレナは頷いて、確かにNOと言える雰囲気ではなかったと思い返した。その口ぶりにジョルダンもまた、これまでに王家と繋がりが深かったのかも知れないとふと思わせた。
「お父様と話して気づいたの。わたしは彼女に会ったことはないけれど、助け合うべきなのよ。きっと………それに……忙しく頭を働かせないと………。もっと馬鹿な事をしてしまいそうで嫌なの」
「馬鹿な事というのは、昨夜アークウェイン邸へ立ち寄った時の事か?」
「知っていたの。そうよ」
レナの事で、父が知らないことは無いのだと苦笑してしまう。でもそれはレナを守ろうとしている事なのだろうけれど、少しばかり窮屈でもある。
「ジュエリーボックスはキャッスル出版だな。アルバートに繋ぎを頼んでみよう」
「アルバートおじ様ならきっと伝があるわね」
アルバート、といえばアルバート・ブルーメンタールの事でグランヴィル伯爵家とも親しくしている弁護士で、あちこちに顔がきく。
「小説を書いてくれるように頼んだのよ、アート・エアーに」
「アート・エアー………エアハート家の子息だったか?」
「ええ、そうなのですって。この国の人の事でお父様の知らないことは無いのかしら」
レナは少し呆れた気持ちになってしまう。彼の正体はそれほど明らかにされていそうでは無かったのに
「昨夜クロス家でジェイラス卿に紹介していただいたのよ」
「そうか、レナは何か出会う人の廻り合わせが良いんだな。そしてそれを上手に活かす事が出来るそれは一つの才能だね」
「そうかしら?」
とても褒められた気がして面映ゆくなる。だから慌てて本題に入った。
「それで……次の号でそれを掲載したいの」
「それはなかなか………大変な事だよ。レナ」
「だからお父様に交渉をお願いしたいの」
「それはアートの執筆速度にもよるから確実とは言えないが努力してみよう。それで、その狙いは何なんだ?」
「アートにはギルセルド王子と、レディ セシルのお話を作ってもらうの。それと同じような噂を、ミアたちメイドに頼んで、使用人たちから広めてもらうの。そうすれば、みんな親近感というか……好印象を持つのじゃないかと思ったのよ。だって、女の子はみんなシンデレラストーリーが大好きでしょう?本当かどうかよりも、ラブストーリーのヒロインが好きなのよ」
「それで、舞踏会は?」
「友人たちと一緒に主催するの。だから、打ち合わせを兼ねて、お茶会を開いて噂がどんな風に流れてるか確かめるの。それで……それとなく好印象な方に話を誘導するつもりよ。仮装舞踏会が成功すれば、わたしたちの意見はそのまま社交界の若い女性たちの意見となるはず」
ふと思い立った事だけれど、こうして話していると頭の中を整理できる。
「………驚いたな……レナが、そんな風に考えるようになっていた事に……本当に驚いた」
レナはそれに微笑んで、誤魔化すようにカップに手を伸ばした。それは、自分でも驚いている。
このシーズンが始まった時には田舎者でまさかこんな風に中心に立つとは望んでも居なかったことなのに。
「うまく、いかないかしら?」
「……いや、試してみる価値はあるだろう。人は見たいものを見るものだから。何かしなくてはレディ セシルを王家の一員として心から歓迎するのは貴族たちの信条としては難しい事だろうからね………まして、働いていた女性に対する見方は、同じ女性の方が厳しいと言えるだろう」
「働いていらしたの?」
レナは驚いて、目を向けた。
「ああ、それも王都の女性むけの雑貨の店だから顔を知っている婦人たちもいるだろうから」
それは少し、レナの予想すらしなかった事だった。
そしてそれはレナが生まれながらに貴族の一員で、貴族の女性が働くという概念が無かったからだ。けれど、その事を少し恥じた。
今の時代、コーデリアがそうであったように貴族らしい生活を送れなくなる人達も居ないわけではなく、レナはセシルにとても興味が湧いてきた。
「お会いするのが、楽しみになってきたわ」
「この国の尊敬すべき貴婦人たちが認めたレディだから……きっと素敵な女性だろうと私も思ってるよ」
レナはそれを聞いて、さらにこの事をやり遂げようという気持ちが強くなった。
「それから、会場のあてというなら、アークウェイン邸をつかってはどうだろう?この際ヴィクターをこき使えば良いと思う」
「アークウェイン邸を?」
「広さは十分だし、アークウェイン伯爵も伯爵夫人も若者にか寛容だから、少々羽目を外したところで目くじらは立てないだろうし、警備の方でも申し分ない。それに……アークウェイン邸でレナが舞踏会をすることは、ヴィクターと溝が無いと示すにはうってつけだと言っても良い」
ジョルダンの言葉に、レナは
「お父様がそういうなら、それが一番良いのだとわたしは思うわ。お願いしてもいい?」
レナは今、ウィンチェスターにいた頃よりもずっと素直になれている。頼ることが、子供っぽい甘えじゃなくて、ほんの少し大人になったからこそ、何を頼るべきなのか理解することができてきたからの様に思える。
「アークウェイン伯爵家はきっとよろこんで引き受けてくれるだろう」
よろこんでかどうかはわからないけれど、きっと引き受けさせるのだとレナはその穏やかな笑みから読み取った。
出版社への交渉や、会場を準備するにはグランヴィル伯爵の力を必要としているし、そして準備をするのにもレナはまだ自由に使える財産があるわけではないからどうしても頼らざるを得ない訳だけれど、ジョルダンの表情は終始笑顔だった事にこれで大丈夫なのだと、後押しをされた気がした。




