41,信じる力
アークウェイン邸を出て、ジェイラスとの会話に身の入らないまま、レナはクロス家へと到着していた。
「グランヴィル伯爵令嬢 レディ レナ・アシュフォード、ジェイラス・エルフィンストーン卿」
名前を告げられハッとして笑顔をつくり、クロス夫妻にお辞儀をする。
明るい淡い色合いの広間は、華やかさよりも落ち着きがありゆったりとしたソファが目立つところにあり、ダンスホールの方と隣接した広間となっていて会話とダンスを楽しもうとしているクロス夫妻の意図が感じ取られる。
「ああ、ルークも招待されていたんだな」
ジェイラスの声に、レナは彼を見上げ「ルーク?」と呟いていた。
「次のゲインズ子爵」
そう言われて、視線をたどる。
現在のゲインズ子爵は、ジェフ・ゲインズといい、美しいくせのある黒髪とそして、煌めくような黒い神秘的な瞳。鍛えあげられた体つきをしていて、これまでにも数々の女性と噂になっている。ルークはジェフが親族から養子にした子供だというが、あまりにもそっくりな為に、ジェフが16歳の時にどこかで産ませた子供だと言われていた。
確かにジェフの容姿を受け継ぐルークは、悪魔的にまで美男子で危険な程に女性を惹き付けてしまうように見えた。
ルークの方も二人に気づいたのか、ゆっくりと歩み寄ってきて、そのいかにも男のフェロモンを発散している彼を目の当たりにした。
「ジェイラス、隣の美しい人を紹介して欲しいな」
「それ以上近づくな。レディ レナはヴィクターの婚約者だ。殺されるぞ」
笑いながら軽口をたたいた。
「なるほどヴィクターの、か。それは残念だ」
そしてルークの後ろに続いてきたの、まだ少年少女の様に見える金髪とはちみつ色の瞳の細身の青年だった。
「彼はスチュアート・エアハート。スチュアート……ルークといると、孕まされる」
ジェイラスが言うと、スチュアートはクスクスと笑った。笑うと男性なのにとても可愛らしい。
ジェイラスは声を潜めて
「君はそれほど噂好きじゃないと判断して言うんだが、…………スチュアートは実はアート・エアーの名前で女性向けの雑誌によく小説を載せてる人気作家なんだ。秘密なんだけどな」
ペンネームと言うことは、そうなのだろう。けれど本明をもじっているということはあくまでも隠している訳でもなく知る人ぞ知るなのだと判断できる。
「知ってるわ!毎朝読むのが習慣なの」
レナがそう言うと、スチュアートは笑いかけて
「楽しまれてますか?」
「ええ、もちろんです。今の《伯爵家のヒミツ》もとても楽しませてもらってます」
若い女性向けの雑誌〝ジュエリーボックス〟は、創刊されて間もないが瞬く間に人気になり、レナも王都に来てからは毎月欠かさず読んでいる。それも、最新号を!
アート・エアーの書く小説はメイドである主人公が勤め先の伯爵家で起こる事件を毎号ドキドキハラハラしながらたのしませてくれるのだ。
「スチュアートは、エアハート子爵の」
とジェイラスが紹介しかけると
「4男です」
スチュアートはとてもいい笑顔で続けた。
「エアハート家と言えば………」
実は紹介されたときからその名前の可能性に気がついていた。
「そうです。例の、アンブローズの令嬢の。けれど面識はありません。領地に聖夜に集まっても人が多過ぎて誰が誰やら……」
とクスクスと笑う。
「なにしろ代々多産の家系なので」
レナもつられて笑い頷いた。
グラスをチンチンと、軽やかに鳴らす音がしてクロス夫人が注目を集めた。
「本日はクロス家へ来てくださりありがとうございます。今夜はぜひ楽しんでいらして下さい」
グラスを皆が掲げ、合図をすると弦楽の音が舞踏会の始まりを告げる旋律を奏でた。
「では、一曲目はぜひ。代わりになれればいいのですが」
「代わりだなんて。あなたはとても……素敵な紳士よ。たくさんの女性にとって」
手を取り、踊りの列に並ぶとレナはふとジェイラスからヴィクターとどこか似かよった仕草を見つけて、彼を思い出す。
「ヴィクター…………怒ってるわよね?」
「あいつが悪い」
「でも……顔を……叩いてしまったの」
レナがそう言うと、ジェイラスは軽く微笑んで大丈夫だと肘にかけた手を撫でた。
「こんな華奢な手で叩かれたとしても、あいつが痛むことはない。体はね」
「明日、会ったら謝るべきよね?」
激情の波が収まると、あんな風に部屋に押しかけた事も、突然怒りをぶつけた事も、何もかもが居たたまれなくなってしまう。
「どうして?」
「ヴィクターのすることに、口を出すべきじゃなかったわ。お母様が、よく言っていたの。男性のすることに女性は何か意見を言うべきではないって………色々と、難しいものなのよって。ヴィクターも………そんな事を言ってたわ。あちらの国との関係があるからって」
「俺は、いいと思ったけど?そうやって、嫌だと思ってちゃんと伝えたくなるほど………あいつを思ってるって事だろ?それって………すごく良いと思った。黙って我慢するなんて、行儀が良すぎて楽しくない。部屋に押しかけて、喧嘩するくらい………うん。俺は君を正直見直した」
「ありがとう、元気が出たわ。でも……ちゃんと大人にならないと駄目ね。いつまでも………追いかけてばかりじゃダメなのよ。はっきりと分かったわ………振り向いてもくれなかったの……。でも当たり前だわ。きちんとわかろうともしなかったのだから」
「まだまだデビュタントだろ?これから、大人になればいい」
「わたくしも、見直したわ。ジェイラス卿、慰めるのが意外と上手なのね?」
クスクスとレナは軽く笑った。
曲を踊り終え、しばらく過ごしていると、クロス夫人が挨拶にやって来た。
「レディ レナ、今夜はありがとう」
「こちらこそご招待して下さりありがとうございます。わたくしで力に成れますなら喜んで」
「まぁ、とても嬉しいわ」
「父も、代わりにしっかりと聞いて来るようにと申しておりました」
「まぁ、伯爵閣下が」
レナはこうして、グランヴィル伯爵家からも金銭的援助をすると申し出た。
「開院の際にはわたくしも些少ですが、お力になれればと思います」
「貴女のように若くて綺麗なレディが来てくれればきっと、みんな心強いでしょう」
にこやかにクロス夫人は言い、レナはありがとうございます、とお辞儀をした。そして夫人はまた次の客人に話しかけに向かう。
資金集めの為の、舞踏会……。
ふと、レナはセシルのデビューに向けての根回しの為の舞踏会を思いついた。
シーズンはほぼ終盤。きっと、来シーズンには社交界に出てくる。
その為には今から……だからこそ、このタイミングでレナに話が来たのだろう。
「ジェイラス卿、アート・エアー氏に小説を依頼することは出来るかしら?」
アンブローズ家の親族とも言えるスチュワートなら、レナの計画に
協力を仰げるに違いない……いや、協力をしてもらうべきなのだ。
「小説を?」
怪訝そうな表情のジェイラスに、レナは頷いた。
レナは、レナのするべき事をするのだ。
そうして………嫌な想像は、考えない………考える隙を作らないようにするのだ。
「お願い、取り持って」
「スチュワートになら取り持つよ。ルークにはダメだけれどね」
女性に囲まれているルークと、そして同じく囲まれているスチュワート。そのスチュワートにジェイラスは軽く手を上げて合図をした。
するとスチュワートは柔らかい笑みを浮かべて、周りを気づかいながらもその場を離れてジェイラスの元へと来た。
「やぁ、正直助かった」
苦笑するスチュワートは、やや疲労がみられる。
「スチュワート、レディ レナが小説を依頼したいのだと」
「小説を?」
「レディ セシル・アンブローズとギルセルド殿下をモデルにした小説よ。真実を織り混ぜながらうんとロマンティックに書いてほしいの」
そう言うと、スチュワートははちみつ色の瞳を軽く見開いた。
「二人の話を」
「もちろん……実名じゃないの。でも読んだ人は、これはあの二人じゃないかしら?って思えるくらいなの。出来れば今シーズンには掲載出来れば良いのだけれど……」
「それは、彼女の為になんだね?」
スチュワートのひそひそ声にレナは頷いた。
「とても高貴なる婦人からのお願いなの。わたしは貴方の小説を元に噂を流すわ。うんとロマンティックな話を読めば、きっと、女性たちは二人に好意的になると思うの。来シーズン、彼女を見てもなれ初めを知った気持ちになっているから。それが本当かそうじゃないかはどうでもいいの。みんなシンデレラストーリーは大好きなのだもの」
「噂は、正しく流れる?」
スチュワートの問いに、レナは思いついた事を話した。
「舞踏会を開くわ。若い年代の人たちを中心に。………仮面……いえ、仮装舞踏会にして、自分達で準備を進めるの。それを目的にお茶会をたくさんして、噂が正しく広まるか調整していくわ」
「なるほど、噂とそれに近い、小説の二つで広めるつもりなんだね?」
面白そうに口許を笑みの形にするスチュワートにレナは頷いて見せた。
「引き受ける。何せ、親族だから」
「ありがとう、ミスター エアー」
「仮面舞踏会ならぬ仮装舞踏会ね」
「むこうが仮面ならわたしたちは仮装よ。ジェイラス卿も助けてもらえる?」
「そう言われると、ノーとは言うべきじゃないだろう?」
「ありがとう、嬉しいわ」
「もちろん、ヴィクターにも?」
「ええ、もちろん。……ヴィクターがわたしを許すなら」
そしてラモン伯爵夫人の存在次第。
今夜は………どう二人で過ごしているのだろう。
レナは浮かんできたそんな疑問を無理矢理払った。誰かを信じぬく事はとても難しい……。




