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39,仮面舞踏会 [victor]

 ヴィクターは、自分の邸から出た所で親友であるジェイラスの乗った馬車と出くわした。その理由はもちろん、さっきまで会っていた、婚約者であるレナのエスコート役を自分が頼んだからだ。


ジェイラスはヴィクターの顔を見るなり、自分の頬を何も言わずにさすった。その行為の意味するところは、はっきりと分かる。


――――やられたな、当然だ。


ついさっきレナの手で打たれた頬は、さほど痛んだ訳じゃない。それよりも守るべきレナを傷つけた事が、そしてさらにそれを直ちに解決することが出来ないことが辛かった。



 レナとはじめて会ったのは、ヴィクターが4歳の頃になる。


ヴィクターが産まれたアークウェイン家というのは武門の家だということもあるのだが、母のレオノーラをはじめとして、年下であるはずの従姉妹たちもみな心身共に強く、女性だから守るべき対象だというよりも、従わされる(・・・・・)存在だった。もちろんヴィクターは大人しく従うような子供だった訳では無かったのだが………。


とにかく、彼女らとは違いいかにもか弱げなレナと彼女の母 グレイシアと出会った時には、幼いながらにも騎士道精神をいたく刺激され、レナが『ヴィクターすごい!』と瞳をキラキラと輝かせる度にそのレナの中に、ものすごくカッコいい自分を発見したのだ。

単純な話だがレナにカッコいいと言われたいが為に、ヴィクターは悪いことも良いことも精一杯してきたものだ。


だからこそ………再会して、はじめて踏み入れた社交界の中で不安げで頼りなげなレナを見たときには、守るべき存在があることをまた再認識したわけだった。



 ヴィクターは、見送りに出てきた従者のハルにオペラのチケットの手配をするように言い、ジェイラスの乗る馬車を越えて、自分の使う馬車に乗り込んだ。

物言いたげなジェイラスの視線を無視して、タイを結びベストとコートをきっちりと着た。


明日、何と言ってレナに話をしようかと考えをまとめなくてはと、これから会うはずのリディアーヌ・モンフィスの事を思い浮かべた。

今、勢力を増しているフルーレイス国の大使夫人の彼女はイングレスにとって軽く扱える存在ではなく、彼女がヴィクターを気に入り、あれこれと誘うようになると、父であるキースはヴィクターにあえて誘いに乗り、あちらの国の事を少しでも聞き出せと命じてきていた。

………大事の前には、婚約中だという個人的な事情など捨て置かれるという訳だ。


そんな折りに、レナは王宮に招かれた。

つまり少しレナとの距離が自然と出来た形となって、王宮の意志も同じと暗に言われた気がした。


一度、リディアーヌの誘いで昼のお茶の時間、彼女の住まいを訪ねれば、瞬く間にヴィクターとリディアーヌの噂は広まってしまった。そして、そのお茶の時間以外にも夜会で会ったときにも挨拶を交わし、リディアーヌの夫であるダリウスに踊るように言われれば、そうせざるを得ず。それもまた、噂に拍車をかけることになってしまっていた。


――これほど望まざる事態を経験した事はなかった。ヴィクターはこれまで自分の意思で全ての行動を決めてきたものだ。けれど今回の事だけは、従わされている気がしてならない。その事が我慢しづらく、苛立ちを押さえられない。



 馬車はやがて会場であるドレッシー・ホールにつき、ヴィクターは黒の顔を隠す仮面を着け、いやに大きく見える扉を潜り、わざと照明を落としていて、そこかしこに視角が作られ、ランプの明かりでゆらゆらとしながら陰影をつくりだし、淫靡な空間を作り出している会場内に足を踏み入れた。


「来たのね!」

とん!と喜びを露に軽やかに腕を取りにきたのはまさしく今、悩みの種であるリディアーヌだった。


 彼女は白のレースに銀の糸で美しい蝶のような仮面をつけ、羽がふんわりと動きに合わせて揺らめいていた。身長差があるために自然その下へと目をやれば、大きく開いた襟元からはこぼれそうな乳房が半分、その白く柔らかな存在を主張していて、くびれたウエストとヒップを見せつけるようなドレスを着ていた。


それと共に、彼女の甘くそれでいてどこか愛らしげな香水の香りがヴィクターの鼻を刺激した。


「頬……」

つと、きれいに磨かれた爪がヴィクターの頬を撫でた。

「可愛らしい婚約者に、ぶたれたの?」

クスッと微笑むとふっくらと赤い唇が笑みの形になった。

『もしかするとわたくしのせいかしら?』

母国語であるフルーレイス語で、ヴィクターの耳の産毛を震わせるかのように熱い息を吹きかけた。


『ええ、貴女の言うとおり』

ヴィクターはリディアーヌの機嫌をとることなど忘れ、憮然としてそして、ぶっきらぼうに吐き捨てた。

『満足ですか?』


『頬を打たれるなんて悪い男ね、ヴィクトール』

やんわりと寄せられた体は、否応なしにリディアーヌの豊かなバストを体で受け止める事になってしまっていた。

『ここでは名前を呼ばない決まりでは?』


『まぁ……なんて今日はご機嫌が悪いの?さぁ飲んで』

ワイングラスを唇にあてがわれ、ヴィクターはそれを飲んだ。


『イングレス人って……お堅いとは聞いていたけれど……ほんとね。仮面舞踏会ですらお上品。………ねぇ?どこで羽目を外すの?』

『さぁ………貴女の言うとおりお堅いイングレス人ですから、噂に上らない所で。という予想しか出来ません』


リディアーヌは巧みにヴィクターを誘導して、会場内の人の波をすり抜けて、開いているソファに(いざな)った。そこは薄く紗のカーテンがかかっていて視界を遮っている。


『彼女とはキスはしたの?』

仮面ごしだけれど、リディアーヌの明るい茶色の瞳は楽しそうに見つめている。カールを描く赤みのある金髪は柔らかくヴィクターの頬を撫でる程に近づいていた。


『なぜそんな事を?』

『この国のお堅い貴族の若者の恋愛事情を聞いてみたいから』

ねぇ、とリディアーヌは指先でヴィクターの唇を触れて、

『ここまで?それとも……もっと深くまで?』

「少なくとも……『貴女とはまだ、ですね』」

ヴィクターは触れてくるその指をそっと押さえた。


『つまらない……もっと動揺しないと。貴方は本当にまだほんの若僧なのに』

どうやら、リディアーヌはヴィクターの反応を見て楽しんでいるらしい。

「動揺しないと、いけないのですか?マダム」

『ああ……そのマダムは少しも色っぽいマダムじゃないわ。貴方の容姿ならさぞかし放蕩出来るはずなのに、悪っぽく見えてなのに根には生粋のお堅い紳士が脈々と呼吸をしているのね』

『いけませんか?』

お堅い、と言われても自分ではそうは思っていない。

自分はまだ成人前で、彼女のいう放蕩というものとはまだどこか遠い所にあった。


『いいえ、いけなくはない………むしろ、魅力的だわ。そういう………真っ直ぐな所。若々しくて………伸びやかでお日様をたくさん浴びて育ったのね』

ヴィクターは軽くリディアーヌから、体の距離を開けた。

「なぜ………私に近づいたんですか?」

「なぜ?」


「私みたいな若僧は、有益な情報など持っている筈がないのに、なぜ近づいたんです?」

『貴方の容姿、それにその声も全て。近くで見て聞いて触れたかったの』

リディアーヌは両頬を包み込んだが、ヴィクターはまたその手を軽く取って、離した。


「だいたい、わたしは大使夫人だけれど。仕事をするのは夫であってわたしじゃないもの。貴方と過ごすことに目的も何もないわ」

「でしたら……今夜はもう良いですか?」

「帰るの?」

不満げなそれでいて、そんな反抗的な態度を面白がる風でもあった。

「そうです」

「明日は?一緒に買い物に行きましょう?喧嘩をしてしまったお詫びに、贈り物をしたいの」

にっこりと微笑むリディアーヌにヴィクターは首を横にした。

「明日は約束があります」

『彼女と?』


「では……」

ヴィクターは、軽く手の指先に礼儀正しいキスをして立ち上がった。


『仲直りにには贈り物があるといいわ』

リディアーヌの言葉が背中に向けて放たれた。


誰のせいだと言いたくなるのを堪えて、ヴィクターは軽く頭を下げた。

大使夫人であること、思わせ振りな過剰な触れ合いが多いことを除けば、それほど嫌えないのが困りものだった。


『せめて今夜のお別れに………一曲だけ踊りましょう』

するりと腕に絡み付いた腕は、ヴィクターをホールの中に紛れ込ませた。

大人向けのスローテンポな曲に漂わせるように踊り、ヴィクターは約束通り一曲だけでその場を後にした。


待たせてあった馬車に乗ると、リディアーヌの香りがまとわりついていて上着を脱いで前の座席に投げた。当然ながらそれでも移り香は消えるはずもなく、レナの様子を聞きにグランヴィル邸を訪ねるのは断念した。

「エヴァーツ邸へ」


思いついたのは、ジェイラスだった。

ジェイラスに、レナの様子を聞かなくてはならないと……そして、無事に送り終えたかを知りたかった。


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