35,恋する悩み
王宮に招待され、コーデリアも誘ったのが、クラレンスの体を心配するコーデリアは他家に滞在をすることを躊躇うのだと言い、近頃はずっと一緒だったレナは王宮を一人で訪れる事に心細い感じさえしてしまった。
王太子の住まう冬の棟に一室を用意されて、王太子妃の友人としての滞在だ。
「レナ、来てくれて嬉しいわ」
案内されたホールへと足を踏み入れると、もうずいぶんお腹が目立つようになったフェリシアが自ら出迎えてくれる。顔色は明るく彼女本来の伸び伸び溌剌とした生気がみなぎっていてその美貌がハッと目を惹き付ける。
「わたしこそ、会えて嬉しいわ」
王太子妃の応接室に通され、揃って座ったところで
「妃殿下、グランヴィル伯爵令嬢より贈り物を頂いております」
フェリシア付きの侍女が控えめに申し出る。これは着いたときに預けたものだ。きっと危険が無いかを調べているのだろうと思えて、直接贈り物を渡せない所がやはり国の大切な女性になるというのは大変な事なのだと感じさせた。
「開けてちょうだい」
なにかしら?とフェリシアの瞳は嬉しそうに見える。レナが持ってきたのは、足に優しい靴だった。履きやすくて転びにくい。ヒールも低いものだ。それに美しくて暖かいストールだった。
「お腹が大きくなると足元が危ういでしょう?母も足が浮腫んで靴が辛かったりしたの」
「そう!そうなのよ、レナ。ありがとう、嬉しいわ」
「みんなお祝いにするには赤ちゃんの物が多いから、あえての新しいママにと思って選んだの」
赤ちゃんの物は可愛くて、贈り物を選ぶのも楽しいけれど妊娠出産で大変なママ向けての贈り物は意外と少ないものだ。
元々大変な美少女のフェリシアだけれど、今はとても柔らかな表情でより輝いて見えて、クリーム色のストールがよく似合って見えた。
「レナも早く結婚してみない?」
去年結婚したフェリシアは、レナの一つ年上なだけだ。
レナも結婚出来る年にはなった。けれど、いざ本当に現実のものとして考えるとまだまだ子供な気がしてしまう。
「まだ早いかなと、思ってるわ」
「ジェールにしてもそうなんだもの。早く結婚して同じくらいに子育てが出来れば良いなと思ったのに。ヴィクターはそんな事を言ったりしない?」
「具体的に……いつとかは話してはいないもの」
「今の……風潮って、結婚がどんどん遅くなって来てるでしょう?」
「そう、ね」
近頃は女性は22歳から26歳頃で、男性は20代半ば以降くらいから結婚するのが主流になっている。例えばジェールの様に婚約期間が長い分、ゆっくりと結婚準備をするのだ。
ドレスに刺繍をしてみたり、お揃いのファブリックをたくさん作ってみたり、嫁ぐ先の部屋を花嫁好みにしてみたりと。
「そうなると………やっぱり婚前に、関係を持ってしまうのかしら?」
フェリシアが言った一言にレナは思わず息を詰まらせてしまった。こういう事を口にしてしまうのはやはり既婚者で、更に言えばもうすぐ子供も産まれるからに違いない。
「……レナ?」
そんなレナの反応を見て、フェリシアはまるでおもちゃ箱を見つけた子供みたいな笑みを浮かべた。
「聞きたいわ!嘘は駄目、何かあったんでしょう?」
レナは周りを見て、
「大丈夫よ、みんなここで聞いたことを言いふらしたりしないわ」
それでもレナはぐっとフェリシアに近づいて、扇で口元を隠して声を潜めた。
「フェリシアに聞きたいことがあったの。その婚前の……関係の事で、殿下とは………あった?」
ずいぶんと踏み込んだ事を聞いてしまっている。けれど、他に誰に聞くことが出来るだろう?
「私たちは無かったわ。だって、考えてみて?まずいでしょ?」
確かに、王太子妃となる身が婚前にそんな事になっていてはいけないのかもしれない。女性は結婚するまで清らかな身でいなければならないとされている。けれど、あちこちから聞こえてくる噂では、親の目を盗みこっそりと関係を持つ女性もいる。だからこそ、レナはフェリシアに聞いてしまったのだ。
「でも、出会ってすぐに決まってしまったからかも知れないわね」
デビューの舞踏会でエリアルドと知り合ったフェリシアは、お互いに一目惚れだと聞いている。そこからは、釣り合いのとれた二人だから……待ち望まれていた王太子妃の位に、上り詰めたのだ。
「そう、よね」
レナはこの前の、夜の事を気にしていた
リボンの誘いの通り、ヴィクターはレナの部屋をこっそりと訪れていた。それは、どこか背徳的でスリリングでそして楽しくもある。大きな舞踏会の後で……それから、聞いてしまった親しい二人の会話。それを話題にしたいような、話してはいけないようなそんな気がしてしまって、結局はレナの新しい弟の話ばかりしていた。
もちろん、ただ少しの時間をゆっくりと過ごしただけで、前回の夜同様に……一線は越えてはいない。
一度始めてしまったこの危険とも言える逢瀬はこのまま続けていても良いのか……?いつか、越えてはならない一線を越えてしまったら?
もし、ヴィクターがそれを望んだら……レナはきっと拒否出来ない。それどころか、嬉々として受け入れてしまったら?
ヴィクターは軽い女だと……もしかすると、もう思ってるかもしれない。
でも、拒否をして、嫌われてしまったら?
「レナがどうしたいのか、じゃないの?ヴィクターはレナの嫌がる事はしないだろうし、それに……嫌がったからって嫌いにはならないと思うわ」
「嫌じゃないの、だから………悩むの」
「だったら、悩むことないわ。二人が望むこと、それが答えよ周りがどうこう言ったって、結局は何を一番に思うか、よ。心配ならヴィクターに話すの。一人で抱えて良いことなんて一つもないわ」
「フェリシア……なんだかとても、大人になってる気がするわ」
「これでも一年、レナよりはお姉さんだもの」
「ううん、フェリシアは昔からもっとずっとお姉さんらしかったわ」
目の前の彼女は、いつだってレナの先を歩きお手本を見せ続けている。それは成長した今だって変わらない。
「私はレナのその素直な所、凄く好きよ。私も殿下も、表面を取り繕うのが上手すぎて……お互いに誤解したまま何ヵ月も無駄にしたもの」
「えぇっ!でもそれって、この社交界では無能よね?」
つまりは表面を取り繕えていない。つまりは、社交ベタということではないか。
「やだ、そんな事じゃないの。ちゃんとやれているわ。私たちお互いに、他に好きな相手がいるって思ってたの………そんな相手は居なかったのに、………つい数ヵ月前までは最低な日々だったわ」
「フェリシアと、殿下は一目惚れじゃないの?」
「………まぁ、そうだったかも知れないけれど、私たちはあの出会いを用意されていたの。だから………それが演技なのかそうでないのか……分からなくなったの」
「………殿下はどうみても、フェリシアにしか目がいってないわ」
そう言うとフェリシアは軽く眉尻を下げた。
「そうだと、良いのだけれど」
「フェリシア程の美少女が、まさかそんな事を思ってたなんて」
「だって、ジョエルはどこまで出会いを用意したのか教えてくれなかったのよ?だから……エリアルドの行動もどこまでが作為なのか、考えてしまって」
「ジョエル……が、出会わせたの?」
確かコーデリアもそんな事を言っていた。
ジョエルの名を聞くと今はこの前の事が忘れられずにいるから、つい気になってしまう。
レナとギルセルドを結びつけるために彼は何かしたのだろうか?もしも、馬が転倒しなければそういう出会いを準備したのだろうか?
それとも………レナが気づかないうちに何かしていたのだろうか?
「任せておけ、くらいの感じね」
「そうだったの、驚きだわ」
レナは気持ちを落ち着かせようと、冷めそうな紅茶に手を伸ばし口元へとカップを寄せた。
冬の棟は静かで、王宮の中だとは思えないほどだ。フェリシアの体を気遣ってか、明るいが陽射しは柔らかくホッと落ち着く空間になっている。
「私こそ驚きだったわ。レナがいじめっ子にシャンパンを頭からかけたなんて」
「やだ、姫様方から聞いたの?」
「そう、アンジェリンから」
せっかく落ち着かせようとしたのに、あの日の事を思い出すとまた動揺してしまう。
「レナが……社交界で上に来てくれると私としても心強いわ。こうして滞在してもらうのも、エリアルドの後押しね。これでレナは誰も無視できない存在になるわ」
その事に思い至っていなかったレナは、目を見開いた。
「そんな立場を……望んだ訳じゃないのに」
「私だってそう。でも、他の誰も変われない、そういう事があるの」
「フェリシアも、望んではいなかったの?」
その問いにフェリシアは、軽く微笑むだけで何も答えなかった。
「…………ほんとに毎日、退屈だったの。レナが来てくれて本当に嬉しいの」
望んでも、望まなくても、フェリシアにもレナにもその身に課せられた役割がある。レナよりもフェリシアはもっとその責任は大きく、重いものだろう。だけど、二人は幼馴染みで友達で……そして今はこうして、同じ席にいて……他人には出来ない話をすることが出来ている。
それはとても……得難い事だった。
それと同時に、自分達が子供時代を終えるのだと改めて感じさせざるを得なかった。
レナもまた、貴族たちの社会の何かを変える力を持っているのだと………。
それはあまりにも怖いことでもあった。けれど目の前の幼馴染みは、凛として立ちレナにもその側に来ることを望んでいる。そしてレナも、自分で対処すると言い、コーデリアに助けを求めた時から、その道を自ら選んだのだ。ジョルダンの助けをはね除けて……。
だから今、ここに座っている。
「フェリシア……わたし………貴女の助けになれる?」
「もう、なっているわ。だから、早く………ヴィクターと結婚して。この子には友が必要よ」
微笑むフェリシアは、大きなお腹を優しく触れた。
(………でも………まだこわい………)
大人の責任、というものを一度感じると………そんな心の音が浮き上がってきた。
「私だって、レナと同じ…………分かるわその、気持ち」
ブルーグレーの、美しい眼差しを受けてレナの目はじんじんと熱くなり涙を堪えなくてはいけなくなってしまった。
フェリシアの言葉にレナは無理矢理微笑むことで応えた。




