23,約束は再び
晩餐の後、レナはヴィクターと二人アークウェイン邸の夜のガーデンを歩いていた。
邸からの灯りが外をほんのりと明るくして視界を保っている。
「レナは子供の頃の事をどれくらい覚えてる?」
ヴィクターのいる記憶は、レナにとっては恥ずかしくこれこそ甘酸っぱいと表現できる記憶に違いない。
「わたしはいつもヴィクターに会いたくて、母にねだっていたことも、それから後ろを追いかけてた事も……ヴィクターがとてもいたずらっ子だったことも覚えてる」
かつて遊んだ懐かしいガーデンだからか、それとも程よく闇の中だからか素直にそう言えてしまう。
「それでよく怒られたわ」
レナの言葉にヴィクターも笑った。
「確かにそうだった。見つからないようにしてるつもりなのに、いつも悪いことはしっかり見つかった。今から思うと、親にはバレバレだったんだろうな」
「だけど、怒られてもヴィクターはいつも庇ってくれたわ」
「それは……たいてい女の子が幼くてもしっかりしてるように従姉妹のジェールとフェリシアも、年下なのにそうだっただろ?二人は賢くて、絶対に都合よく叱られるのを避けてた。だけどレナは二人とは違って、ふわふわしてて頼りなくて……守ってやる存在で。レナも頼りにしてくれた。だからずっと、守り続けると、そう決めたんだ。あのときは、ただのよくある子供の戯れ言だった。でも今はそうじゃない」
手を取られ、指にきっちりと収められたのはサイズを直した指輪だった。
「どう?」
それは単にサイズの事だけではないと咄嗟に思った。
「ぴったり、それにとても素敵なデザインで綺麗だし好き……」
この指輪をつけると言うことは、ヴィクターの婚約者として宣言するという事だ。経緯さえ考えなければ、嬉しいに決まっている。
「良かった」
ヴィクターの笑顔を見て、レナは幼い頃の自分達の気持ちが今もなお存在しているとそう感じる。
「やっぱり……わたし、とても嬉しい。ヴィクターとこうして居られる事が」
「俺も、そう。何だか信じられない。レナはもう約束なんて覚えていないか無かったことにしたいのかと思っていたから」
「そんな風にヴィクターに対して、思っていたのはわたしも同じ」
「レナはギルセルド殿下の妃候補だったから、それで避けていると思った」
ヴィクターの言葉にレナは、ぎょっとした。そんな風にとられるなんて思いもしなかった。
「そうじゃないの……ただ、18歳のヴィクターとどうしても、まっすぐに見れなくて」
言いながら、とてつもなく挙動がおかしいという自覚がある。
「それは……自惚れていい理由から?」
「自惚れ……じゃなくて、たぶんそう」
「たぶん?」
「まだ、よく……わからないの。でも、いつだってヴィクターは特別なの。他の誰かと話してることさえ気になってしまうから」
レナがそう言うと、ヴィクターは大きく歩を進めてすぐ側に来てしまった。
「だめ……」
抱き締めるかのように回された腕に、レナは胸の辺りを押して軽く抵抗する。
「近づきすぎると……壊れそうになるの」
「この前は大丈夫だった」
「あの時は……シャンテルの事で……」
別のショックが大きすぎたのだ。
回された腕はレナの物とはまるで違って、硬くて力強いそしてそれは、ジャケット越しに触れる胸板もそうだった。
「レナ、壊さないから……このままずっと俺の側に」
甘い響きの、低い声がすぐそばで耳を刺激する。そっと軽く見上げてみれば、整った顔が覗きこんでいて、また顔を伏せると、はからずも頷いた格好になっていて、左のこめかみに柔らかなキスが落とされる。
その感触がレナの全身を刺激して、震えに瞬間襲われ自分から身体を寄せる形になり二人の間の距離はより親密さを増していた。
ヴィクターが好んでつけている香りは今やレナを包み込んでその香りを移してしまいそうだった。
「そばにいたい」
ヴィクターの手を取ることは、どうしたって目立ってしまう。
そのためにはやはり、攻撃される隙を見せてはいけないのだ。
この手を、離さないためには……。
想い出を、今に繋げるためには……。
「どつしよう………やっぱり心臓が壊れそう」
レナが呟くとヴィクターは笑った。
「同じだよ」
少し身体を離して支えてくれると、触れ合っていた身体には風が纏わり火照った身体を冷やしていく。
「あんまり散歩が長いと、伯爵に叱責されそうだ」
戻ろう、と手を出されてレナは腕に手をかけた。
そこからは、言葉もなくただ昔そうであったようにレナはヴィクターについて歩く。レナを導き守る存在で、安心するのに。成長した彼はそれでいて落ち着かなくさせる。
アークウェイン邸のロングギャラリーを通り、小広間へと向かう。そこで親たちはゆっくりとお酒を嗜みながら会話を楽しんでいるはずだ。
「………レナが昔よりも大人しく、自信なく見えるのは……私のせいだ」
ジョルダンの声が不意に聞こえてしまい、少し開いた扉に手をかけていたヴィクターはその手を止めてしまった。
「何があった?」
キースの尋ねる声がして、
「前のアシュフォード侯爵夫妻が来たのは、レナが9歳だったと思う。私の事など気にしても居なかったはずなのに、レナードの成長は気になったみたいで……突然にやって来た。レナードとラリサには話しかけたり贈り物をしたのに、レナの事は全く無視をしたんだ」
「それは……レナには辛かっただろう」
「あの人たちにとっては、アシュフォード家だけが大事で、男系の男の子の成長が気になったんだろうな。二度と近づけさせない……そう決めたが、その時からいくら言ってもレナは私の血を引かない事を気にしてる」
レナは、はっとしてヴィクターの手とそれから顔を見上げて、少し大きめのノックをした。
「お帰りレナ。散歩は楽しめたようだね」
いつも通りの穏やかなジョルダンの声。
だからレナも、聞かなかったふりで笑顔をかえす。
「どうしてキースは娘がいないかな。いれば私の気持ちが分かるだろうに」
「こればかりは神のみぞ知るだ。ジョルダンだって昔から、レナとヴィクターの事は許しただろう?」
「分かっていないな。4歳の幼子と16歳の娘と比べられない。これが……いけすかない男の息子や、どうしようもない馬鹿なら反対も出来るんだが………」
ジョルダンがそう言うと、レオノーラが笑った。
「良かったな、ヴィクター」
レナは上の空で、その会話を聞いていた。
さっきのジョルダンの言葉を反芻していたから……。
いつだって、ジョルダンはレナを大切にしてくれていた。でも、それは実子じゃ無いからではないか、本音は先のアシュフォード侯爵夫妻と同じく疎ましいのではないかと……。そんな風に考えずにはいられなかったのだ。
「認めるとはいえ、今の主流として結婚決めるのはゆっくりを願いたい」
「仰せの通りに」
ヴィクターが少し生真面目に答えると、親たちは軽く笑って、和やかな夜となったのだ。




