22,晩餐
デュアー公爵家へ滞在している間に、アークウェイン邸での晩餐会の日にちがやって来た。
この夜は淡いブルーのドレスを選び、銀と青の石の首飾りで彩り髪は一つに結い、巻いた髪を背に垂らした。
「レナ、あれから数日たった。少しは落ち着いて考えられたか?」
馬車に乗るとジョルダンはそう尋ねてきた。
「正直に……気持ちを話すわ」
レナはこれまで育ててくれたジョルダンに、見抜かれるであろう嘘など告げられるはずもなくそう始めに言った。
「ヴィクターと……婚約するのはわたしの小さな頃からの、夢みたいなものだったし……。白紙にしたいかと聞かれればそうじゃないの。もしも白紙にしてしまって彼を失うのはもっと怖くて……したくない。ただ……こんな形で話が進んでしまったのが自分でもなんだかとても…………喜べないの」
「わかった。レナの意思を尊重しよう……私にとってもこの話は反対な訳じゃない。ヴィクターはいい青年だからね、ただレナはまだ若く経験も浅い。婚約が正式なものになると、白紙には戻せない、不可能に近いと思ってほしい。それはレナの名を傷つける。私としてはそれは絶対にしたくない」
「わかってるわ」
レナの返事にジョルダンは頷いて見せた。
心を打ち明けるような話題を出してくれた事で、レナも尋ねたかったことを聞いてみる決心がついた。
「お父様に、聞きたいことがあったの」
「なんだ?」
青い瞳には何の感情も伺えない。それは彼の完璧な貴族らしい一面だ。
「わたしが、ギルセルド王子の妃候補だと知っていて、王都でのデビューを望まれたの?」
気になっていたこと。
それは手紙では決して書けなかったことだった。
「その答えなら、そうだ」
「わたしが争いに巻き込まれると分かっていて?」
歴史ある侯爵家に生まれ社交界を知り尽くしているジョルダンは、それに気づいていなかったとはとても思えなかったのだ。
「だから、エスコートはウィンスレット公爵家のマリウスに。滞在先は力強い後見となるアシュフォード家を選んだ。グレイシアは王都ではデビューしていない。経験としてはレディ ジョージアナの方が優れている」
ジョルダンの言葉にレナは嘘がないと感じられた。
そもそも、父母は本当に王都に来ることが出来なかったのか?
目の前の父は、レナの父であり……それよりもグランヴィル伯爵なのだ。そんな油断のならない一面をわずかにレナに見せている。
「わたしが……傷つくとわかっていて……」
「許せとは、言えない。君を候補に選んだのは王宮で……私もまた、それを受けた。現にレナは王都へ来た当日に、偶然に殿下と出会い縁もあるかのように思えた。ギルセルド殿下には……王が認めたくない恋人がいた。その相手からレナが奪い取る事を、私としても期待せざるを得なかった」
やはりそうなのだ。
なんとなく感じていた、大人たちの思惑。それは叶わなかったからこそ、今こうしてあっさりと明かされている。
「わたしを利用しようとしたの?何も言わずに」
「否定は出来ない。ただ、ギルセルド殿下はレナの相手として素晴らしい人だった」
それはレナも否定はしない。
ギルセルドは、王子らしい品格とそれから資質が備わっていたから女性なら誰しも彼の相手に選ばれるなら喜ぶ事だろう。
ただ、レナにはやはりヴィクターがいたから……。
だから、彼を一歩下がった所から見れて、彼がレナを見ないと気づけた。だから、ギルセルドが相手を選んだと聞いてもショックはなかったのだ。
「言ってくれれば……」
「言えば、レナはギルセルド殿下との結婚へ向けて頑張れたか?そうじゃないだろう?君はグレイシアとよく似てる。ここが弱い……すぐに逃げようとする」
ここ、とジョルダンは自分の胸をトンと軽く叩いた。
「だが……皮肉にも、先日の出来事が……レナを少し変えた」
レナはジョルダンをしっかりと見つめ返した。
「君の幸せが、グレイシアの幸せで、彼女の幸せが私の望みだ。許せなくてもそれだけは、信じてほしい。―――――私の肩には傷があるだろう?……これは人の恨みを買っての怪我だ。清廉潔白な人生を送ってきたとは言えない、そんな私をグレイシアが夫に選びそして父にしてくれた。手に入らないと諦めていた普通の、家族を作らせてくれた。私は父として、レナの幸せを心から望んでいる」
レナは、目を伏せて数秒数えた。
肩の傷の事はレナも知っている。けれど、それが恨みからだとは知らなかった。ジョルダンが誰かから恨まれているなんて信じがたいけれど、そう言うのなら事実としてあったのかも知れない。それでもレナは、きっとそれを否定するほど父として尊敬し愛していた。
「王都に、来るんじゃなかった。本当はそう、思ってる……。それに、わたしはどこかで実の娘じゃないからってそれが、ずっと引け目に感じてた。でも、私はレナ・アシュフォードなのだから……お父様を信じてる」
「レナは私の娘だ。ずっとね……2歳のレナが、私を父にするとそう言ってくれた時から……アシュフォードの娘だ」
「じゃあ……わたしの事も許してくれる?」
王都で再会をした時、ジョルダンは怒っているように思えた。
「レナにははじめから怒ってる訳じゃない。不甲斐ない男たちにちょっとした指導をしただけだ」
ジョルダンはようやく少し笑った。
「でも、ジョエルもマリウスもわたしを支えてくれてるわ」
「分かってる。だけど、自分達を過信して失敗した事には変わりない。それは彼ら自身が一番よく分かってるはずだ。だからこそ私の姿を見て青ざめていた。レナを任せ、後始末を任せるくらいには信頼してる」
ジョルダンの穏やかな表情にレナもようやく心からの笑顔を向けた。
ちょうどそこで、馬車が止まりアークウェイン邸についた事を知らせる。レナは、出迎えに出て来たヴィクターの手を取り馬車から降りた。
「ようこそ、レナ」
華やかな容貌のヴィクターの笑顔は、眩しいほどでレナの心を容易くかき乱してしまう。
「お招きありがとう、ヴィクター」
返事を普通に返せたのは、近頃ではヴィクターの存在が身近にあってほんの少し耐性がついたからに違いない。
「レナ、ひさしぶり」
玄関ホールでジョルダンを出迎えていたのはヴィクターの母のレオノーラで、飾り気のない深いワイン色のドレスが美貌を引き立てていた。
「レオノーラさま、お久しぶりです」
慈しみのこもった抱擁を受けて、レナは笑顔でその顔を見上げた。
「グレイシアが来れなくて、残念。ジョルダン、ローレンスの具合はどう?私も心配してる」
レオノーラはレディらしいとは言いがたいが、無駄のない話ぶりは心地よい。
「熱を出しやすくて、なかなか油断出来ない。医師からは成長と共に丈夫になると聞いているから、それを信じている」
「そうか、それなら王都よりも、ウィンチェスターの方が体には良いかもしれないな」
そう言ったのはヴィクターの父のキースで、彼はヴィクターと並ぶと良く似ている。
ヴィクター瞳は、両親共に同じ緑色だけれど、よりレオノーラの煌めく緑の瞳の方に似ている。
久し振りに入ったアークウェイン邸のダイニングルームは、記憶のまま重厚で美しい艶のある調度類で整えられ、カトラリーが灯りに照らされて輝いていた。この席に座ることが許されたのは、はじめてのことだった。
「こうして晩餐の席に二人が揃って座ると、ヴィクターもレナも大人になったと感じてしまうな。あんなに小さかったのに」
キースが従者から注がれたワインを片手に笑った。
「昔の事は話をするなよ。一気に老ける」
キースにそう言ったのはヴィクターで
「大人ぶるなよ、ヴィクター。恥ずかしいだけだろう?」
あっさりと余裕の態度で返される。
「レナの前でやり込められたくなかったら余計な口は閉じておくべきだな」
キースにそう言われてヴィクターは、わずかに眉を寄せた。
「スクールでの武勇の数々を自慢したらどうだ?」
レオノーラがにっこりと笑いながら言うと、レナはヴィクターが幼い頃からかなりのいたずらっ子だった事を思い出す。
「わかった、謝る。だから、もう話題を変えてほしい」
レナはヴィクターの降参する発言に、思わず吹き出してしまった。瞬間目があったヴィクターに慌てて笑いを収める努力をしなくてはならなかった。
「レナはコーデリアといつの間に仲良くなったの?」
レオノーラに聞かれて、早速の話題の変更にレナはほっとして答えた。
「この前のガーデンパーティです」
「コーデリアはなかなか難しい子なのに家に招かれるなんて珍しい」
「そうなのですか?コーデリアはとても優しいのに。それにとても聡明でしっかりしてて……とにかく素敵なひとなのに」
「レナがそう思ってるからコーデリアも、レナを招いたんだろうね」
「公爵令嬢とはいえ、後がないとデュアー公爵閣下を軽んじている貴族たちが多いからね」
「後がないとかそんなので、決めるなんておかしなことだわ」
「そう、レナの言うとおり」
レオノーラはレナにうなずいてみせた。
「確かにデュアー公爵家は、困窮して見えるが……借入はない。公爵が病がちだから今は収入も落ち込んでいるかも知れないが、持ち直す可能性は大いにある」
ジョルダンの言葉にレナは、反応した。
「コーデリアは家を離れなくて済む?」
「いや……難しい事だ。だが……手がないことはない」
「コーデリアの結婚?」
「それはコーデリアが?」
「そうなの。でも、コーデリアはそれは可能性は無いって」
レナの言葉にジョルダンは軽く頷いて考えるそぶりを見せた。
「デルヴィーニュの名を持つ男系はすでにない。公爵家にまったく関係のない養子を迎え入れるのは……」
「祖を同じくする家なら?」
そぐさに答えたジョルダンに、キースは軽く目を見張った。
「お前は昔から、悪知恵が働く」
「あくまで可能性かまったく無いという訳じゃない……という話だ」
デュアー公爵家は大公家の筋であり、祖を同じくするのは王家という事になる。それを思えば王家が爵位を引き継ぐのなら今ある未來とそれほど差があるようには思えなくて、レナは軽く首を傾げた。
ちらりとヴィクターを見ると、ヴィクターもピンとはきていない様だった。ジョルダンもキースも、二人にははっきりと答えを教えようとはしなかったのだ。




