18,思考の海
幼い頃以来の事……。
誰かと同じベッドで眠り、そして起きるというのは……。
「なんだかお昼寝の後みたいね」
うっすらと目を開けたレナを見て、ジェールがひっそりと言った。その表情は記憶の残る幼い頃と重なり思わず笑顔になる。
遊び疲れてそのまま寝てしまったのは、本当に幼い頃。
「なんだか、懐かしい」
ジェールとそしてフェリシアとの、大切な記憶。
今はそのフェリシアの代わりにエリーが居るけるど……。
ベッドから降りたジェールが、メイドを呼ぶベルを鳴らす。
朝の明るい陽射しで見れば、ジェールの見事な金髪とそれから女性らしい肢体が同性であっても見惚れてしまう。
「ジェールってやっぱり綺麗」
「そう?ありがとう」
ヴィクターの母のレオノーラにも似たジェールは、華やかな美女そのものだ。
「レナも可愛いし、女の子らしくてどこも綺麗よ?」
ほどなくメイドがやって来て、ジェールはエリーを揺らして起こしている。
「………疲れてしまったかしら?」
ぼんやりと起きたエリーは、まだすっきりとしないらしく再び枕に頭を乗せてしまう。
二人と寝たせいでよく眠れなかったのかも知れないと、ジェールは揺らすのを止めて、そのままエリーを寝かせる事にしたようだ。
「男性の皆さまは、朝は乗馬に行かれるようですけれど、ご用意するのは乗馬ドレスでよろしいですか?」
「ひさしぶりに、良いかもしれないわ。レナは?」
「私も、そうするわ」
ミルクティカラーを選んだレナと、鮮やかな薔薇色を選んだジェールは、日除けのベールのついた揃いの帽子を被って馬場へと向かった。
馬を厩舎から選び出していたのは、ジョエルとマリウスの兄弟、それにルーファスとカイル。そしてクリフォードと彼の弟のエルバート。
すでに大きな青毛の馬に鞍を取り付けたヴィクターもそこに立っていて、レナはまるで絵画のようなその姿に思わず見惚れてしまう。揃いのような一回り小さな青毛の馬をレナの前に引いて歩み寄って来た来た。
「どう?気性も穏やかでレナには合うかと思ったけど」
近くで見れば、青毛は艶やかで長く白い鬣が優雅な馬だ。
「ありがとう、選んでいてくれたの?」
まるでレナが来ることを、分かっていたかのようだ。
「ああ、早い者勝ちだから」
女性向けの横のりの鞍がつけられていて、レナはヴィクターの手を借りてその馬に乗った。
ジェールの方も、クリフォードが芦毛の綺麗な馬を選んでいてそこへ騎乗姿も美しく手綱を手にしていた。
今朝起きてきたのは、どうやら女性ではジェールとレナだけだったらしい。
思えば昨夜はとても遅くまで起きていたのだし、他の令嬢たちは昼近くまで寝ていても不思議ではない。
けれどどこか、朝からシャンテルと顔を合わさずにいられた事にはホッとしている。まだどんな顔をして会うのか、心の準備と準備というものが必要なのだ。
昨夜は……というよりも、今朝あれからも起きていたに違いない彼らは、夜更かしの影響も感じさせないほど溌剌としている。
「まさか、起きてくると思わなかった」
考えを読んだかのように、隣で馬を操るヴィクターが話しかけてきた。
「ヴィクターこそ、寝てないのじゃない?」
「まぁ、ほとんど寝てないな」
「なのに、乗馬なんてするのね」
「すっきりするだろ?」
昨日、隣でかなりの時を過ごしたお陰と、日除けのベールごしに見ているせいか、緊張は少し解れている。だから、外の空気を大きく吸い込んでみることが出来た。
確かに、朝の空気の中をゆっくりとでも馬で散歩すれば爽やかだし、目が覚める心地がする。
「グランヴィル伯爵には、手紙は出した?」
不意にヴィクターがそう聞いてきた。それはきっとヴィクターとの事を知らせたかとそういう事だと思えた。
「わたしからは、まだ。でも、たぶん伯父さまからは」
レナはまだ自分の意思で結婚できる21歳になっていない。だから当然婚約にも親の了承が要るわけだけれど、今回は伯父のフレデリックが代わりをするとしても、ジョルダンに知らせないというのは考えられない。
「まずいな……」
「何が?」
「まだ俺から伯爵に赦しをもらってない。昨日は……何があったか、正確な事を調べるのに必死で……。レナの父上に……侯爵よりも早く連絡をとる、なんて……無理だろうな……」
「でも、ヴィクターは……子供の頃とはいえ……お父様に許しは頂いているから」
「レナも、いってた通りそれは子供の頃の話だから。正式なものじゃなかった」
「大丈夫よ。きっと、お父様は優しいから」
レナがそう言うと、ヴィクターは無言で苦笑した。
「きっと俺には違う顔を見せると思うけど」
「えっ?」
「……行こう、少し遅れてるみたいだ」
先頭を行くジョエルたちとはずいぶんと離されてしまっている。
ゆっくりで良いとは言っても、少しは見える距離にいた方がいい。
レナの少し前を行くその姿は、あの頃よりもずいぶんと逞しく育ったとはいえ、想い出と重なる。
「レナ、少し走らせよう」
そんな風に、少しだけ振り向いて、黒髪がそよぐのも……。
変わったようでいて、変わっていなくて。
レナもあの頃の、素直な気持ちが少し蘇って微笑む。
(―――まって、ヴィクター)
心でそう呟いて、鐙を入れる。レナの馬はヴィクターの馬の後を追って、駆け足で走り出す。
そうだった。
遊んでいた風景は、こんな緑あふれる所だった……。
だから、こんな風に既視感を感じられるのだ。
何でも人並み以上にこなすヴィクターは、レナに合わせての駆け足なのだろう。しばらく走らせて、ようやく乗馬途中で休憩するための小さな建物があり、そこでみな思い思いに寛いでいる。
ジェールは、近くに作られた池の側でクリフォードと並んで座っている。
どうやら、一晩たって機嫌は回復中らしい。
馬を降りたヴィクターは当たり前の仕草でレナを助け下ろして、近すぎるその距離はまた彼の香りを強く感じさせ、思わずもっと確かめたくなってしまう位だった。
さすがに寝不足なのか、屋敷の椅子に横たわって軽く寝ているのは、ルーファスとマリウスとエルバートで、ジョエルとカイルは中で喉を潤していた。
ヴィクターのエスコートで、中に入ると
「もっとゆっくり来ても良かったんだ。乗馬中は密室という訳ではないんだから」
ジョエルが少しからかうように言ってきた。
レナはそれを聞きながら、帽子のリボンをほどき空いている椅子に置いた。
「なるほどね。しかし、いくらジョエルでもいちいちレナと過ごす時間の配分まで指図はされたくないな」
ヴィクターが憮然とした顔を一瞬見せて、帽子を脱いでチェストの上に置いた。
水差しの水をグラスに注いで、ヴィクターはレナにひとつ手渡して空いているソファに座った。
ヴィクターはさすがに眠気があるのか、欠伸を噛み殺している。
「ごめん……少しだけ」
そう小さく呟くと目を閉じた瞬間、すぅと寝入ってしまった。
驚いて隣を見ていると
「少し寝ればすっきりと起きるよ」
ジョエルが笑いながら言った。
「俺たち、スクールで上級生になったら隠れて夜更かししてるから慣れてる」
カイルも頷きながら同じように欠伸を一つした。
「どう?社交界は」
うとうとしだしたカイルを横目にしてジョエルはレナに聞いてきた。
「正直に言ってしまうと……。見た目はすごく美味しそうなお菓子なのに、食べてみたらお砂糖とお塩を間違えてた……みたいな感じ」
そう素直に言うと、
「そうか……それは、グランヴィル伯爵に叱責されてしまうな」
ジョエルは、軽く眉間に指を当てる。
「でも。コーデリアとは今度、はじめてうちに招くの、そのことはとても楽しみにしてるわ」
「コーデリア?デュアー公爵家の?」
「そう、この間のガーデンパーティで知り合って」
「レディ コーデリアか……。しかし彼女は」
「分かってるわ」
言いたいことはわかる。彼女は近い未来、貴族社会にはいられなくなってしまうのだ。
「……レナ。――――申し訳なかった」
唐突過ぎるジョエルの言葉に少し戸惑う。
「ジョエル?」
「過信しすぎていた、ウィンスレットの名を。マリウスがエスコート役をしていて、まさかあんなことをしでかすとは……想定外だった。もちろん、些細……とは言っても、レナは不快だったと思うが………。言い訳だが、下手に女性の社会には口出し出来ないものだから、嫌がらせを受けている事は気づいていながら、それくらいならと見逃していた……それが、結果的にレナを危険な目に遭わせてしまった………ヴィクターの、機転で私たちも助けられた。コーデリア・デルヴィーニュが、社交界の第一線にいればこんなこともなかったかも知れない。―――ああ、また言い訳だな」
ジョエルは、ソファで座ったまま眠るヴィクターを見ながら、
「ヴィクターで良かったか?」
「……むしろ、ヴィクターには、申し訳なく思うくらいだわ」
「心から喜んでるようには、思えない」
レナは息をゆっくり吐いて
「仕方なく、というのが嫌なの。上手く、言えない。ヴィクターが嫌だとかそうじゃなくて……。わたしだって分かってるわ。利点とか……家とかそういうの全てで、考えないといけないのは」
「もしも、レナが一旦白紙を望むならまだ間に合う」
白紙に?
それを、レナは望むのだろうか?
「少し、考えて。お詫びになんでも協力する。例えばアドリアンに報復とかね」
最後はイタズラっぽく笑ってジョエルはグラスをとって残りを飲み干した。
そんな話をし終えると、ヴィクターがぱっちりと目を開けて、つづけてカイルも目を開けた。
「おはよう」
すっきりとしたらしいヴィクターに、言われるとレナはジョエルとの会話が過ってしまった。
レナが望むなら……。
ジョエルなら冗談で言うわけがないから、きっとそれが出来ると確信しているはずで……。
それを望むのだろうか?
「おはよう、少ししか寝てないのに、充分なの?」
「効率がいいだろ?」
レナは、人数分の紅茶をいれることにしてワゴンに近づいた。
湯気をたてる紅茶は、馴染みのある香りをふんわりと漂わせて、空気を仄かに変える。
「ありがとう」
カップを渡せば、ヴィクターはそれを受け取りいかにも育ちの良さが伺える仕草でそれを味わう。
「飲んだら、そろそろ戻ろうか」
ジョエルがそう言うと、カイルも頷いて
「そうだな」
とカップをワゴンに戻して、服を整えた。
外へと出ると、テラス側で休んでいたルーファスたちも休憩を切り上げて馬の手綱を掴んでいた。
ジェールとクリフォードは、すでに並んでゆっくりと出発していてレナは、最後にヴィクターと並んで来た道を戻っていく。
ジョエルとの会話が、さざ波のようにレナを思考の海に変えていた。




