15,ざわめく夜
ウィンスレット公爵家は、さすがは貴族の筆頭というべき権勢を誇るだけあり、その屋敷の細部に至るまで美術工芸品であると言っても過言ではないだろう。
そして、その身分にふさわしく当主のフェリクスは貴族らしく尊大な雰囲気がありどこか近寄りがたいのだが、夫人のルナが物腰が柔らかくて、その雰囲気で並んで迎え入れてくれる時にはホッとさせてくれるのだ。
二人の間には女子のみで男子が産まれていないので次の当主は弟であるジョエルに決められているのだ。
ルナはレオノーラの妹になるので、ウィンスレット公爵家はヴィクターにとって叔母の家となるのだった。だから、ほとんど確実にヴィクターは舞踏会に来ているはずなのだ。
ルナとレナは、幼い頃から面識はあるから、出迎えの時にも親しく声をかけてくれる。
「レナ、デビューおめでとう」
清廉な美しさのあるルナは、レオノーラとはまた違った綺麗さだと思う。
「今夜はお招きありがとうございます、ウィンスレット公爵並びに公爵夫人」
レナは令嬢らしくお辞儀をして挨拶をする。
「今夜は楽しんで行ってね」
「はい」
続々と到着する次の客人の為に、レナはそのまま奥へと足を進る。大広間の前に来ると、この夜もエスコート役はマリウスでレナの事を待っていてくれた。
「こんばんはレナ」
笑みを浮かべるマリウスは、側に近寄ると
「思ったよりも、元気そうだ」
安心した、と言いたげな表情にレナは笑顔で返す。
「昨日は……血の気が引いた……。今日は、離れないようにするから」
小さく囁かれて、レナはその言葉に甘える事にする。やはり昨日の事は思い出すだけで怖くなるから……。
大広間には、あらゆる年代の紳士淑女が招待されていて華々しいことこの上なく、そこかしこで笑いさざめく声が、楽の音と共に耳に押し寄せる。
天井には大きなシャンデリアがランプの明かりを反射してキラキラとしていて、空気だけでなく本当に輝いているのだ。
「レナも今夜は泊まっていくだろう?」
マリウスにそう言われて、レナは少し躊躇う。
「舞踏会はまぁ、みんな楽しむけど。若い世代だけで夜明けちかくまで遊ぶんだ。不埒なやつはいないはずだし……それに、ヴィクターも」
マリウスは事情を知る内の一人だ。
だから、こんなことを言い出したのだろう。
「令嬢たちからは、レナも知ってるジェールや、エリー・マクラーレン。それにレナも友達を誘って構わない」
誘って構わないと言われても、レナはその友達こそが今は不安なのだ。
「下手に遠ざけるよりも、真意を掴みやすい」
躊躇いを読んだかのようにマリウスはそう小さく耳打ちをしてくる。
「シャンテル・ベイクウェル。疑ってるんじゃない?」
レナは軽く瞬きでそうだと合図する。
「ただ…そこまで、するかな?というのが私の本音だ。レナも、そうなんじゃないか?」
レナは躊躇いつつ今度は首肯して見せた。
「ここで、レナに悪いことは起きない。絶対に、だ」
ここ、とはつまりマリウスの家であるウィンスレット公爵家だ。
「ウィンスレットが後見しているレナに、何かが起こるような事態には絶対にさせない。昨日の事は……私たちも怒ってる。とてもね」
マリウスは表面は穏やかなのにその瞳の奥は怒りが燃えているのかも知れない。
「さ、行こう」
若い令嬢たちが集まっているその内の一つが、シャンテルたちの輪だった。
「レナ、昨日は大丈夫だったの?」
シャンテルがレナを見るなり、少し大きめの声で言う。
「もちろん。シャンテルがメイドを手配してくれたのかと思ってたわ」
レナはあらかじめ、用意していた話を語ることにした。
フレデリックとジョージアナとそれから、ヴィクターと作った筋書きは、こうだ。
シャンテルが部屋を後にして、ブラッドフィールド家のメイドがすぐに入ってきた。急に貧血ぎみになったレナは、馬車を呼んでもらい帰宅した。というものだ。
「しばらくして、部屋に行ったら……居なかったから」
「来てくれたの?シャンテルがメイドを寄越してくれたのだと思っていたから伝言は残さなかったの」
しばらくして、という言葉にやはり、疑惑の念が疼いてしまう。
「心配、してたのよ?ねぇ、キャスリーン」
「そうよ、戻ってこないから。何かあったのかと」
探るレナと、シャンテルたち。
何となく気まずさのある空気を打ち破ったのは、ヴィクターだった。
「レナ、一曲目は約束通り私と」
有無を言わせない力強さで、ヴィクターが言った。
「悪いなマリウス」
「いいさ、婚約者となるヴィクターにならレナを任せるよ」
マリウスはレナの手を取って、ヴィクターの手に委ねる。
「え?婚約者って……」
「ギルセルド殿下が……婚約が決まりそうだから、ヴィクターとレナは婚約許可を申請してるんだよな?なんでも、親同士がそう決めてたとか」
マリウスが補足するように驚くシャンテルたちににこやかに話した。
「二人の祝い、じゃないけど今夜舞踏会の後も若い世代で楽しむつもりだけれど、ミス シャンテルもミス キャスリーンもどうかな?」
「もちろん、喜んで。おめでとうレナ。ビックリしちゃったわ、話してくれたら良かったのに」
「急に話が進んでしまって、まだ現実感がないの。正式に決まってから話そうかと思ってて」
意外な事に、レナはすらすらと半分嘘を平気で話せていた。
「ええ~レナ良いなぁ~」
キャスリーンがレナと、ヴィクターを見比べている。
ヴィクターがきっぱりとした態度をとったのと、婚約者という単語が利いたのか、割り込んでくるという令嬢たちはこの夜は居なかった。
ヴィクターの言うように、やはりかなりの効果を発揮してくれるようだ。
そして、いよいよ一曲目のウィンスレット公爵夫妻のダンスからはじまった。ルナは、やはりレオノーラの妹だからか、こういう時にはやはり柔らかさだけでなく凛とした雰囲気が漂う。それは血縁であるフェリシアにも共通していて、レナはそれに目を奪われた。
血筋に、とらわれるあまりにレナは自分を貶めてしまっていた。だから……こんな風になってしまったのかもしれないと、ぼんやりと意識する。
隣に立つのは、若い貴公子の中でも一際目立つヴィクター。
彼に似合う女性は……。
自信を持つには、今の、これまでのレナでは駄目なのだと他ならぬ自分が思える。
急には変われない、けれど。
せめて、ダンスの間だけでも俯かないようにしよう。
目を見つめたりなんて、そんな事は……今のレナには出来ないけれど……。
お辞儀をして、片手をあわせて……ダンスがはじまる。
華やかなカドリールは、幕開けに相応しい。
長身のヴィクターは、どんな時でも堂々としていてキレがあって目を奪われ吐息も鼓動も支配してしまう。
あと、もう少し背が高ければ……顔を上向かせなくても……視線が交わるかも知れないのに……。
自分が変われば……隣に立ち、眼差しを絡めさせる事に、迷いが無くなる?
「ワルツとラストダンスは、俺のものだから」
ヴィクターは踊り終えた時、そうすこし屈んで言いながら、レナのダンスカードに名を刻み込んだ。
ヴィクターは、次はキャスリーンを誘ってダンスを踊り、キャスリーンをうっとりとさせた。レナはといえば、マリウスをはじめとして彼らの友人とダンスを途切れなく踊り、わずかな嫌がらせさえ寄せ付けなかった。
これはきっと、ジョエルとマリウスを本気にさせたのだとそうレナは思った。さりげなくレナの側には、必ず誰かジョエルやマリウスが、または親しい友人がいるのだ。
それくらい、昨日の事はレナを傷つけようとしたのだと……。
舞踏会のちょうど半分、この夜は軽食をとる時間がありその前の曲はワルツなのだ。このワルツを踊った相手と席が隣同士になるので必然的にレナの隣にはヴィクターが決まっていた。
ヴィクターと踊るはじめてのワルツ。
今では舞踏会では必ず踊るワルツだけれど、男女があまりに近づきすぎるので、はしたないと言われた時期もあったという。それだけに、レナは一曲目のダンスよりも早鐘をうつ心臓を……指先の震えを、御することが出来なくて……頬は赤を通り越して青くなりそうなほどだった。
鼻腔をくすぐるのは、昼よりも甘みが強くなってセクシーささえ感じさせる香水の香りで、視覚からと嗅覚から……さらには、触れあう箇所から感じさせる体の逞しさにレナの意識は埋め尽くされてしまう。
「ちか、すぎるわ……ヴィクター」
「レナはすぐに、逃げようとするから……。それに、こうでもしていないと、また邪魔が入ってくる」
囁く声は、いつもよりも低くて、レナは止まりそうな足を叱咤して堪える。
2歳しか違わないのに、子供の時からヴィクターはレナよりもうんとしっかりとしていて、そしてレディ扱いをしてくれたのだ。そして、18歳のまだ青年に差し掛かった所だというのに、この色気はなんなのだろう。
「そんな……耳のそばで、囁かないで」
「レナが避けてた分、俺は今は近づいてるだけ」
神様は、ヴィクターに一体どれだけ贔屓をしたのだろう?
一瞬呆然として、近すぎる位置にある顔を見上げてしまった。
ヴィクターが、こんなに意地悪な部分を見せてくるなんて
思えば……小さな頃のヴィクターのいたずらと言ったら、大人たちを呆然とさせるほど凄いときもあった……。
そういう部分が今もこんな風に残ってるのだろうか?
「けっこう、執念深い血筋みたいだから。もれなく受け継いでるらしい……覚悟しておいた方がいい」
楽しそうな口ぶりで言われて、レナはまごついてしまう。
いつの間にか、曲は終わっていてぞろぞろと移動が始まっていて、少しの時その流れに取り残されてしまっていた。
用意されていた空いている椅子に座ると、シャンテルはマリウスと、キャスリーンはカイルと座っていた。その顔ぶれにレナは、何かをしようとしているのかと、不安が背筋を伝って指が震えそうになる。
軽食を食べる間、ヴィクターは隣からレナにしか聞こえないような声で話しかけるので自然と二人の距離は縮まってしまう。だから……親密そうに見えたとしても、仕方のない事だ。
想い出の、少年よりも今の大人びた青年の彼はあまりにも鮮烈であの頃よりももっと、その存在を刻みつけてしまう。
ほんの少しの、動きでさえ。
これ以上惹き付けられるのが、恐いくらい。




