12,罠
ギルセルドが追放された事で、レナたち未婚の令嬢たちの関係は変化を見せた。
争いが和らぐかと言えばそうではなくて、むしろ激化したと言っても言いかも知れない。
まずは、レナの親しいジョエル。19歳の彼は、ウィンスレット次期公爵でその証に現在もシルヴェストル侯爵を名乗っていた。彼とレナは縁戚ではあるものの、結婚は可能。
そして、オルグレン侯爵を継ぐルーファスで22歳。アークウェイン伯爵を継ぐヴィクターは18歳。
この3人はみな独身でしかも、婚約者も不在で20歳前後というこれから適齢期を迎える令嬢たちが狙う一番の貴公子たちだ。
この3人がいずれもレナと親しい、というのは本当に厄介な……事と言えた。
その夜はブラッドフィールド公爵家の舞踏会だった。
さすがは公爵家と言うべきか、威容を誇る屋敷である。ホスト役は次期公爵のシミオンが努めていて、そのせいか客層も若い。
レナが広間に現れると令嬢たちの群れはいかにも親しげに話しかけてきてその隙に、レナと親しい貴公子たちとダンスを踊る。結託した彼女たちの手口はいっそ見事と言ってもいいほどで、レナはあっという間に壁の花となってしまう。
踊りたい……訳じゃない、とそんな風に思っていても、やはり何もせずにぼんやりと踊る輪をただ見つめているのは侘しいもの。
ぽつりと立ち尽くしていると、
「おひとりですね。よろしければ私と踊りませんか?」
優しく声をかけて来たのは、黒髪の青年で。その色だけがヴィクターと同じ。整った顔は、男らしく凛々しい。
「でも……」
彼ははじめて見る人だった。
「アドリアン・アンスパッハです。レディ」
「レナ・アシュフォードですわ」
わざわざ壁の花を誘いに来てくれたのだ。
断るのも、無礼な事だとレナは躊躇いつつもその手を取った。
「なるほど……あなたが、レディ レナなのですね。噂は聞いています。近くで見れば納得の美しさですね」
レナは称賛されるほどの容姿をしていないと分かっている。
だから、アドリアンの言葉がすこしばかり気に障る。
「アドリアン卿はお世辞がお上手でいらっしゃる」
「お世辞だなど、とんでもない。その金の髪も、その青い瞳も、愛らしい口元も全て称賛に価します」
どうやらアドリアンは、グレイシアを知らないらしい。
グレイシアを知っていたなら、レナを美しいなどと言えないはずだから。曖昧に微笑んでレナはその言葉を流した。
アドリアンとは、それきり話も続かず曲が終わった事にホッとする。
端によった所で、ちょうどヴィクターと隣り合わせに立った。
「レナ、次のダンスの相手は?」
今日は誰にもダンスカードに記名はされていない。
口を開こうとした時、キャスリーンがレナ!と呼んで腕を組んだ。
「こんばんは、ヴィクター卿」
「こんばんは、ミス キャスリーン」
にこっと微笑んだキャスリーンは、こそこそとレナに耳打ちをした。
「レナ、ドレスが汚れてるわ。着替えた方がいいかも」
えっと、後ろのスカート部分を見てみると淡いピンクのドレスは、一ヶ所が黒っぽい染みが出来ている。
「キャスリーン、ありがとう」
「いいの」
振り向くとシャンテルが、心配そうに眉を寄せていて
「誰かにわざとされたのかも。行きましょ」
キャスリーンと、シャンテルに促されてレナはヴィクターから、離れていく。
遠ざかりながらも、その緑の瞳が何を映しているのかが気になってしまった。
「休憩する部屋があるでしょ?そこでドレスを替えましょ?」
「ありがとう、シャンテル」
デビュタントは、淡い色のドレスと決まっている。だから、ワインをこぼされたりするとこんな風にダメになってしまうのだ。
細工の美しい扉を開けると、中には小さめながらも客室らしい設えでレナは無人のそこへと入った。
「ドレスを借りてくるから待っていてね」
「ありがとう、シャンテル」
「いいのよ」
微笑んだシャンテルを見送って、薄暗い部屋を見回して、ランプを見つけた。
扉の近くにひとつだけ灯されていたランプから火を取ってほかのランプも灯していくと、部屋はほんのりと明るくなる。
誰が汚したのか、レナには心当たりがありすぎる。
そして、それがきっと故意であることも……。
明るくなった部屋の椅子に座り、用意されていた飲み物を手にした。酔いを冷ますために用意されていたのは水のようで、レナはほんの少し喉を潤すくらい口にした。
シャンテルはなかなか戻ってこず、レナは少し眠気を覚える。
眠気を冷ますために、窓を開けて風を入れてみる。
夜風は冷たいけれど、心地よく頬を撫でて、閉じてしまいそうな瞼を刺激してくれる。
扉の閉じる音がして、レナはシャンテルかと振り向いた。
「だれ……!」
それは、アドリアンだった。
「レディ レナ」
にっこりと微笑む彼は、レナにどんどんと近づいてくる。
呆けたのは、一瞬でここが密室で二人きりだという状況に青ざめる。
はしたないけれど、レナは窓枠をよじ登りそこを跨いだ。
「あ!」
慌てたのはどうやらアドリアンで、レナの後を追うように窓枠を越えてくる。ブラッドフィールド家のガーデンに出たレナは、ドレスの裾を持ち上げてやみくもに走り出した。
「少し、二人で話したいだけ。逃げないで」
アドリアンは追ってきてレナの腕を捉えた。
「離して、いや!」
習っていた護身術で、足を踏んでみぞおちに肘を入れて抜け出すけれど、一瞬は逃げられるがまたアドリアンは追ってくる。
ガーデンの中をやみくもに走った先に人影があり、レナは一瞬躊躇うが、
「お願い、助けて」
と、その先にいる人に望みを託す事にした。そしてそれは……。
ヴィクターとカイルたち若い男性たちだった。
突然乱入したレナと追ってきたアドリアンをヴィクターは代わる代わる見た。
「……やぁ、ヴィクター。――――レナ戻ろう」
「戻ろう?」
ヴィクターが怪訝な声を出す。
レナを見る視線には、窓を乗り越えてガーデンを走ったせいで、レースはあちこち引っ掻けた跡があるし、汚れた染みもある。それに枝に引っ掛けたのか髪もほつれていく筋か乱れて落ちている。
「レナは、助けてと、言ったが?」
「単なるお遊びだ」
「アドリアン、レナは私の婚約者だ。こんな風に追いかけるのは例え遊びでも止めてもらおうか」
「なんだと?そんな事はまだ告知されてない」
「近くされる。陛下の許可を待っているところだ」
ヴィクターはきっぱりと言いきり
「……悪かった、知らなかっただけだ」
「それなら……今後は一切近づくな。次はただじゃすまさない」
「分かった、許せ」
アドリアンは、来た道を引き返して走って行く。
レナはホッと一息をつこうとして、ヴィクターの怖い視線にあたる。
「ありがとう、ヴィクター」
レナは後ずさりながらもお礼を言ったが、気まずい空気は隠しようもない。
「レナを送ってくる、そうマリウスに伝えてほしい」
ヴィクターが男性たちに言うと、彼らはわかったと、その場を去って行き、ヴィクターとレナだけがそこに残された。
「探した」
「わたしを……?」
「マリウスが、どこに行ったか分からないと」
ぐいっと手を引かれ、肩を抱えるように一緒に歩き出す。
「何があったのかは、屋敷に送ってから聞く」
「待ってヴィクター……」
こんな乱れた姿のレナを連れているのを誰かに見られてしまうのは、彼の名誉を傷つけてしまう。
「これ着て」
普段は甘く響くその声は、今は怖いほど低く鋭く、着ていたテールコートを脱ぐとレナに着せかけた。
見上げるほどの長身の彼の服はレナの体をすっぽりと覆い隠せてしまう。
「でも……もう離れないと、ヴィクターに迷惑が」
かかる、と言いかけたのに、
「顔を伏せて」
と、あっさりと言葉は無視をして、ヴィクターはレナを易々と抱き上げ屋敷に入って回廊を足早に歩く。
「如何されましたか、お手伝いが必要でしょうか?」
従者がただならぬ様子に声をかけてきた。
「彼女が気分が悪くなったので、送っていくところだ。アークウェインの馬車を呼び出してくれると助かる」
淡々と告げる声は、やや早口で淀みなく言葉を紡ぐ。
「承知しました」
それだけではこの見た目の乱れようは説明がつかないが、余計な詮索をしないのが良い従者である条件だ。
「ヴィクター……!」
「喋るな、気分が悪いふりを」
静かな、命令口調で言われてレナは言葉を失った。
従者は一礼すると滑るような足どりで、走らずに、しかし早く馬車つき場へと先行して、その跡をヴィクターが颯爽と続く。
着くと同時に廻されてきたアークウェイン家のユニコーンの紋章のついたの黒い馬車が停まりレナは抱えられたまま、そこへ半ば強引に乗せられた。
「ヴィクター……さっき言ったこと、だけど……」
まさか、本気ではないだろうとレナはそう言おうとしていた。
「俺は…今、怒ってる。レナの意思は、聞かないそれに……」
あまりの瞳の強さに、レナは体を震わせた。
「約束は約束だ」
確かにまだ4歳と6歳の二人は、ままごとのような婚約をしていた。
「覚えてる……でも、あれは」
正式な約束を交わした訳じゃないとそう言いかけると、
「正式なものじゃなかったら忘れていいとでも?」
そう先を読み取って続けた。
静かな怒りを秘めた声は、いつもの紳士らしいヴィクターとはまるで違う人のようでレナは思わず両手で自分を抱き締めた。
キラリと光るのは、美しい緑の瞳。
いつもなら魅惑的なはずなのに、今はとても、怖くてただ首を横に振った。
「忘れて、なんていない。でも……あまりにも幼かったから」
「……隙がありすぎる、レナ」
確かに、もっと警戒しなくてはならなかった。だけど、
「今まで……昔の話なんて、おくびにも出さなかったのに……どうして……」
「レナが俺を……嫌っていたから」
「嫌って……なんて」
ただ……いきなり大人になって、目の前に現れたヴィクターと思い出の少年が結び付かなくて……。それにヴィクターは側にいるとあまりにもレナをおかしくさせてしまうから、
「目をそらしたり、あからさまに避けたり……挙げ句がこれだ」
レナはそう言われてまた、真っ直ぐに見ることが出来なくて視線を彼の胸元にさまよわせた。
「ほら……また」
指摘されて、レナは彼の美麗な顔に視線を戻すと、かっちりと視線が交わる。
「もう、嫌われてようがどうだろうが……構わない」
揺れる馬車の中、魅入られるかのようにその緑の瞳を見つめていた。
想い出の……グリーン。
それは少しも色褪せず、二人の約束の日を脳裏に呼び覚ました。




