必殺・枕返し
メリークリスマス!!今日は人生で一番素晴らしい日だ!
愛する彼女と一緒にこの日を過ごせることをとても幸せに思うよ。
一緒にショッピングして、映画を見て、ご飯を食べて、
そしてプレゼントの指輪を手渡したんだ。
これが俺のクリスマスプレゼントだよって。
彼女は泣いて喜んでたなあ。
そして彼女は言ったんだ。
今度は私がプレゼントをあげる番。プレゼントは
わ・た・し(ハート)
そこまで書いて俺は勢いよくノートを閉じた。
もうお分かりだと思うがさっきまで書いていたことは全て噓だ。
ショッピングにも映画にも行っていない。
あまりに貧乏なため今日はご飯も食べてない。
もちろん彼女もいない。
今日がクリスマスという事実だけがその嘘を余計に空しくさせていた。
妄想をするのは楽しいが、ふと我に返ると寒気がするほど虚しくなる。
そうこうしているとまた腹が減ってきた。
もう寝よう。
***
電気を消してしばらくしたが、空腹でなかなか寝付けない。
羊を数えようにも羊がうまそうに見えて余計に腹が減る。
もう末期も末期だ。
俺の事はマッキーと呼んでくれ。
そんな訳の分からないことを考えていると、ベッドの横でガサガサとビニールの擦れる音がする。
……ゴキブリか?
いやこの時期にゴキブリが出るとは考えづらい。
まさか、泥棒?
俺は勢いよく飛び起きて電気をつけてみた。
枕元で見たのは、俺が人生で見た中で一番奇妙なものだった。
身体はザリガニのような赤い色をしていて、
頭には小さな角のようなものが2本生えている。
口は顔に不釣り合いなほど大きく開かれており
体のサイズは中型犬くらいだろうか。
そしてその大きく腫れぼったい目で俺を見ている。
……鬼?
「何見とんねん」
その鬼のような生き物が声を発した。
しゃがれた、紙と紙がすれるような音だ。
「何見とんねん言うてんねん」
再度その生き物が声を発したところでハッとする。
「いや、お前こそ何で勝手に人の家に上がってるんだよ」
「しゃーないやろ、これがワシの仕事なんやから」
「……仕事?」
「せや。ワシは枕返し。夜な夜な忍び込んで人の枕をひっくり返すのが仕事や」
聞いたことがある。
確か「枕返し」という日本の妖怪がいたはず。
その名の通り枕を返す妖怪だ。
なんだか地味というか、地味に迷惑というか……。
「てなわけで、枕引っくり返させてもらうで」
「ま、待て」
俺は枕を掴もうとする枕返しの腕をつかむ。
「なんやねん」
枕返しは面倒くさそうに俺の顔を見る。
「お、お前が枕を返したらなんか災いがあるとか、俺の命が取られるとか、無いよな……?」
「ないわそんなもん」
少しほっとしたが、それならなおさら枕を返しに来た意味が分からない。
枕返しは俺の手を振り払うと、また枕に手をかける。
「待て待て!なんかやだ!」
納得のいかない俺は枕返しを枕から引きはがす。
「なんやねん、ワシはこの後ほかの家も回らんとアカンねん。お前と遊んどる場合ちゃうんやぞ」
「なんやねんじゃないわ!そもそも、お前不法侵入しといてなんでそんなに偉そうなんだよ!」
「妖怪に法律は適用されんと思うで」
「そ、そんな理由がまかり通るかよ!」
俺は枕を掴んで自分の背面に隠した。
「あ!お前、枕返せや!」
お前の枕じゃないだろう。
枕返しは俺に掴みかかり、背面の枕を取ろうと手を伸ばす。
「や、やめろぉ!」
窓の外にクリスマス色の光が降る聖夜、
俺はザリガニ色の妖怪と格闘していた。
アパートの隣の部屋からはカップルの声がする横で
俺たち2人はもみ合いの中で息遣いは次第に荒くなり、
聖夜に非常に汚い白い息が立ち上っては溶けいった。
「お前、ええかげんにせえ!ワシはこの後女子大生の家に忍び込まんとあかんのや!そこでタップリ女の子の髪の臭いを嗅ぎながら枕返すつもりなんやから時間取らせんなや!」
その瞬間俺の中で何かが切れた。
枕返しを強引に引きはがし、平手でその頬を思いっきり張った。
夜のしじまに乾いた音が反響する。
音の後に訪れた静寂は、虚しくて、空しかった。
しばらくの間沈黙が流れる。
その沈黙の間に俺は冷静になっていった。
何も、手を出す必要は無かったかもしれない。
「お前それはアカンぞ」
枕返しは消え入りそうな声で俺に抗議した。
その眼には涙が潤んでいる。
きたない。
しかし罪悪感がわいてきたのも事実だ。
「ご、ごめん、つい……」
そこからまたしばらく沈黙が続いた。
隣のカップルが事に至る音が始まる。
我慢できなくなって俺の方から口を開いた。
「枕、ひっくり返せよ」
そう言って枕返しの前に枕を置く。
「ええんか?」
枕返しは注意深く俺の顔を眺める。
「いいよもう、ひっくり返せよ。なんかもうどうでも良くなったわ」
そう。最初からどうでも良かった。
心底くだらない。
なんで俺はこんなどうでも良いことに必死になっていたんだ。
そう思ったら急に悲しくなった。
枕返しは俺の枕を掴み、くるりと回してまた置いた。
それはまるでかゆい背中を掻くような淡白な動きだった。
ただそのとき枕返しが
「くるりんぱ」
と言ったのが若干イラっとした。
枕返しは、枕を俺に手渡すと立ち上がり背を向けた。
「ほな、行くわ」
そう言って枕返しは玄関に向かって歩き出す。
「ああ、それじゃあな。楽しんで来いよ」
うつむいたままの俺の方を振り返った枕返しは言った。
「一緒に来るか?」
「え?」
「お前も女子大生の髪の臭い嗅ぎたいやろ」
いやお前、いくら何でもそのためだけに人生捨てられるほど俺は変態じゃない。
「よし、行こう」
いや変態だった。
俺は大きく頷くと、枕返しとともに聖夜の街に繰り出すのだった。
おわり