1月7日
一月七日。六時。
町田青年はゆっくりと、トイレから出た。
「…………」
結局昨日は胃の痛みが治まらないまま、メアリーが満足気に眠るまで苦痛に耐えなければならなかった。
若干の寝不足であるが、トイレで気絶したことでまだマシになった。
……身体は冷えているが、熱は出ていない。仕事に支障はないと彼は判断する。
「…………でも」
完成品も粉っぽさを感じる出来ではあったが、美味かった。
というより、食べ物で味を感じたのは、彼にとって、本当に久しぶりであった。
例えそれが、苦味であっても。
「……むにゃ」
「ぐぅ……」
心配だということで、泊まり込んだ夢見とメアリーが、いつの間にか寄り添いながら眠っている。
メアリーは夢見の豊かな胸部を枕にしており、人によっては眼福モノではあるが、町田青年にとってはとても微笑ましい光景であった。
「……早乙女さんが来てくれて良かった」
町田青年は、薄く笑いながらそう呟く。
自分の知らないメアリーの一面を見れたし、何より彼女の行動の幅が、夢見がいることでぐんと広がった。
彼女が見ていてくれれば、外で遊ぶことも出来るだろう。
自らが面倒を見れないのは心苦しくもあり、寂しくもあったが……。
「……でも、メアリーさんが籠の鳥になるよりは、ずっといい」
メアリーを愛玩動物でなく、一人の同居人として。
最大限配慮してあげたいというのが、町田青年の意思であった。
***
「……今日はお菓子作りに励もうと思いますっ!!」
十時。
高らかにそう言うのは、町田青年のエプロンを身につけた夢見である。
メアリーも町田青年が買ってきた小さなエプロンを身につけており、やる気満々、といった顔をしている。
「きのうみたいに!」
「は、ならない様にしてっ!」
「!?」
梯子を外されて、驚愕するメアリー。
しかし、昨日彼女が寝静まった後の大惨事を知る夢見は、その凶行を許す訳にはいかなかった。
今度こそ美味しいお菓子を作り、先輩の胃を休めなくてはならないのだ。
「じゃ、じゃぁ、どうするの?」
「今日は美味しくクッキーを作ります!」
「きのうとおなじだよっ?」
「昨日とは違うの! 具体的には焦げがない感じで!」
もう顔を青ざめさせながら、黙々と無表情で食べ続ける先輩は見たくない。
悲しい決意を胸に抱き、夢見は購入したレシピ本を開く。
「メアリーちゃん!」
「はい!」
「昨日のは失敗作だと思いなさい!」
「!?」
驚きに目を見開くメアリー。
だが厳しい現実を突き付けねば、お菓子作りの腕は成長しないのだ。
心を鬼にして、夢見は続ける。
「あんな焦げまみれでは失敗作! 粉っぽくてもダメ! やっぱりクッキーはしっとりサクサクじゃなければ!」
「そ、そんな……!」
「出来っこないと思うでしょう! でも大丈夫! この本があれば!」
「あれば!?」
「作れる!」
「つくれる!?」
「「作れる!!」」
思わずハイタッチをする二人。
まだ作り始めてすらいないのだが、二人共上がりきったテンションを抑えることが出来ない様だ。
「あの仏頂面を、ニコニコ笑顔にするのよ!」
「わぁっ! おじちゃんのニコニコ、めーちゃんみたーいっ!」
「そうでしょう、そうでしょう! 私だって見たこと無いもの!」
材料は買い揃えた。レシピ本もある。やる気は天も貫かん程だ。
調理器具を片手に、メアリーは高らかに宣誓する。
「めーちゃんは、とーってもおいしいおかしを、つくりますっ!」
「よし、その意気だ! 早速始めよう! えい! えい!」
「おー!」
高く振り上げた手で、早速二人は調理を開始する。
目標は、しっとりサクサクの美味しいクッキーであり、ニコニコ笑顔の町田青年である。
***
二十時半。
いつもより疲弊しながらも、町田青年は帰宅する。
するとそこには……。
「……おかえりーっ!」
「はい。ただいま戻りました」
エプロンを小麦粉まみれにした、メアリーの姿があった。
奥では苦笑しながらも、同じく小麦粉で汚れている夢見の姿が。
……恐る恐るキッチンを見ると、やはり失敗作はうず高く積もっていた。
昨日より多い事実に、町田青年の胃がきりきりと痛む。
「おじちゃん、くろいのはたべちゃ、めっ、だよ!」
「えっ」
黒い焦げ山に手を伸ばした町田青年を救ったのは、他ならぬメアリーであった。
戸惑いを露わにする町田青年に、メアリーは申し訳無さそうに言う。
「あのね、めーちゃん、しらなかったんだけどね?」
「はい」
「コゲコゲは、びょーきになるの」
「癌ですか」
「しってたの!?」
「はい。有名な話ですが、リスクが高まるだけなので無視しました」
「そうなの……ごめんなさい」
「いいえ」
しょんぼり、と頭を下げるメアリーの頭を、町田青年はゆっくりと撫でる。
「美味しかったです、とても」
「でも、にがいよ?」
「気持ちが、です」
「きもち?」
「はい。美味しいものを作ろう、という、気持ちが」
「そっか……!」
町田青年の言葉に、メアリーは顔を上げ、えへへ、と笑う。
その様子に安堵した夢見は、一つの袋を手に二人の下へ歩み寄った。
「でも、今日は気持ちだけじゃないですよ?」
「さおとめ!」
「そうなんですか」
「そうです! このユメちゃんとメアリーちゃんが、丹精込めて作った傑作が……」
「こちら!」
「成程」
袋に入っていたのは、良い焼色になったクッキーであった。
大量の材料を使って、たった小さな一袋。
けれども、町田青年には、それが妙に重く、暖かく感じた。
「……食べてみても?」
「いいよ!」
「勿論ですよ!」
「では、いただきます」
さく、という音と共に、町田青年の舌の上で、甘く、柔らかい物が広がる。
その快さに。
「…………おー!」
「先輩が、笑った……!」
ふ、と。町田青年の口から、笑みが零れた。
メアリーと夢見が、思わずハイタッチする。
「……やっぱり、美味しいです。とても」
小さな小さな笑みで、町田青年はクッキーを完食した。
■メアリーの にっき■
きょうも さおとめと クッキーをつくったよ。
じつは きのうのは しっぱいでした。
いっぱい いっぱい しっぱいして ちょっとかなしい。
でも さいごに ふくろ いっこぶん できたよ!
おじちゃんは すごく おいしそうに たべてくれたよ!
こんどは おじちゃんが つくってくれるって!
いいことできて めーちゃん、うれしい!
あしたも いいこと ありますように!