2月10日
※この物語はフィクションです※
二月十日。
町田青年の喫茶店は、ちょっとした騒乱に巻き込まれていた。
「先生!? 此処に来てるってのは探偵の調査で分かってるんですよ! 先生!?」
店の外。凄まじい剣幕で、若い女性が言う。
町田青年はその怒号を聞き流しながら、厨房の戸棚、普段はコーヒー豆の袋を入れている場所を、少し開いた。
「……ご注文は?」
「ミルクと、角砂糖二つ」
「畏まりました」
戸棚の中で身を屈めて、密かにタイピングを続ける六天縁に。
町田青年は鷹揚に、頷いてみせた。
昼の頃であった。
***
「唐突だが、匿ってくれたまえ」
「は、はぁ」
爽やかな朝と昼の間。
六天縁はそう言って寄越した。
「締切が近くてね。非効率的なのを承知で、編集がカンヅメさせようと躍起になっている」
「かんづめ?」
「ホテルや会議室に押し込めるのさ。娯楽も何もないから、原稿を書かざるを得ない。全く、人道的な措置ではないな」
だったら原稿を書けば良いのでは。
などと思った町田青年だったが、迂闊に口を滑らせることはしない。
創作などは難しいし、筆が乗らなければ一日だろうと一年だろうと進まない時もある。
まだ歳若かった頃の苦悩を思い出し、固く口を閉ざすことにした。
「だったらかけばー?」
「書きたくても書けない時もあるものだ」
「そういうもの?」
「そういうものだ」
「そっかー」
とはいえ、メアリーには関係の無いことで。
あっけらかんと言って、苦々しい反論にあっさりと納得していた。
何となく距離感が近いことに複雑な思いを感じながら、町田青年は漸く口を開く。
「二階で構いませんか?」
「いや、人が入ってると思えないところが良い。“彼女”は必要なら、容易く人家に踏み入る」
「どろぼうさんなの?」
「ある種において、人攫いと言っても相違は無いな」
一体いつも、どういった目に遭っているのか。
首を捻りながらも、町田青年は戸棚からコーヒー豆の袋を取り出した。
「……此処なら、隠れる分には問題ないかと」
「おぉ、助かる」
そう言って戸棚を解放すると、六天縁はいそいそと戸棚へ潜り込む。
その様がとても楽しそうに――事実、六天縁は明らかに楽しんでいる――見えたのか、メアリーはうずうずとしだして。
「めーちゃんも!」
「えっ」
「めーちゃんもかくれんぼする!」
「えぇっ」
……突如、椅子の下に潜り込んだ。
頭隠して尻隠さず。小さな小さなお尻が自己主張をしているが、それを主張する勇気は町田青年にはなかった。
その途端、大きな声が響く。
ぎょっとしながらも、町田青年は戸棚を開けて、注文を伺うことにした。
***
「あの、如何なさいましたか」
「あぁ、すみません。大声出しちゃって」
町田青年が玄関を開けると、女性が名刺を差し出す。
「私、編集社ニビックの加藤満です。……此方に六天縁先生がいらっしゃいますよね?」
ニッコリと笑う女性、満は、そのスーツ姿も相俟って、若いながらもかなりやり手の様に思える。
きりりと上がった目尻は、どんな状況でも気丈に、そして強気に振る舞えそうであった。
しかしそれでも、町田青年は喫茶店“MARY”の店主であり、お客様に気持ち良く利用してもらうのが勤めである。
「……どなたでしょうか」
「は?」
「いえ、生憎と、文に疎いものでして」
「あ、あぁ、成程」
なので、心苦しいが、嘘をつくことにした。
町田青年の表情は、余程慣れていなければ見極めることが難しい。
なので、満は虚を突かれた様に目を瞬かせる。しかし、六天縁が名乗っていない可能性を考えたのか、スマートフォンから六天縁の写真を出して見せた。
「この方です。此方にいらしたことは?」
「あぁ。この方でしたら、先程お越し頂きました」
「先程?」
「はい。三十分程前に、裏口からご退店されましたが」
「クソッ! やられた!」
表を見張っていたのだろうか? 満は頭を掻きむしると、名刺を押し付けて走り出す。
その後姿を見送っていると、彼女は大声で。
「六天縁先生が来たら連絡してくださいっ!」
と、頼んだ。
罪悪感を覚えつつも、町田青年は一言。
「はい」
と、嘘を言うのであった。
尚、六天縁はその後昼食を平らげ、数時間程作業をして、夕食を完食した後、悠々と自宅へ帰っていった。
■メアリーの にっき■
きょうは おじーちゃんと かくれんぼしたよ!
へんしゅーさんに みつからないようにするの!
どきどきだったけど おじちゃんが へんしゅーさんを おいはらっちゃった!
おじーちゃんと いっしょに はいたっち!
おじーちゃん おゆうはんまで おみせに いてくれたよ!
あとね あとね あしたは たのしみにしててって ゆめみせんせーが いってた!
あした なにがあるのかな? たのしみ!
あしたもいいこと ありますように!




