2月9日
二月九日。
この日も、六天縁は喫茶“MARY”に来ていた。
「珈琲と、角砂糖を二つ」
「畏まりました」
開店してから、当然の様に注文する六天縁に、町田青年は努めて冷静に返す。
淹れ立ての珈琲と角砂糖を差し出すと、彼は満足気に角砂糖を齧った。
「おじーちゃん、おさとうこーひーにいれないの?」
「うん? あぁ、珈琲はブラック……砂糖を入れない方が好みでな」
不思議そうに見つめるメアリーに、六天縁が鷹揚に頷く。
この壮年、気さくという訳でもないが、気難しいという訳でもないらしく、メアリーの様な子供に対しても邪険に扱わず、寧ろ分かりやすい様に言葉を選んで話していた。
作家というのは気難しいモノと考えていた町田青年は、内心で歓心する。
実際は編集と話し合うことも多い仕事なので余程気難しいと続かないのが現状なのだが、「小説家=明治・大正文豪」を想起する一般人にとっては知る由もない。
「じゃぁ、なんでおさとうかじるの?」
「砂糖はそのまま、頭の栄養になるからな。甘くなったら珈琲で口直しすればいい」
「へー……!」
「合理的だろう?」
「ごうりてき!」
本人なりの冗談なのかもしれないが、メアリーは素直に受け取った様だ。
すごいすごいとはしゃぐ幼女は、見ようによっては六天縁の孫にも見えるかもしれない。
「おじーちゃん、もしかして、ものしりさん!?」
「ふむ。小説家というのは、色々と調べ物をするからな。人より物は知っているかもしれないな」
「へー……!」
「例えば、どの様な……?」
「おう、興味があるかね」
「は、はい。すこ……とても」
謙遜を捨て、“少し”正直になってみる町田青年。
六天縁はにや、と笑うと、朗々と吟じた。
「……言葉というのは、正しい意味で書かねばならん」
「ただしーいみ?」
「うむ。正しくない言葉を用いれば、伝えたいことも伝わらん。幾千幾万の人に伝えるならば、尚更だ」
「どうやってしらべるのー?」
「こうやって、だ」
そう言って彼が取り出したのは、一冊の国語辞典だ。
虫眼鏡で拡大された文字は、人々に正しい言葉を教える為にある。
「辞書は正しい言葉の集まりだ。故に分からん言葉があれば辞書を開く」
「ふむふむ……!」
「理論であれば学術書。生物であれば図鑑。物品であれば博物館という手もあるな」
「インターネットとかは使われるのですか?」
「使うが、概略的に調べたい時か、人々の認識はどうであるか、くらいだな。そもそも間違った情報である可能性が高過ぎる」
さらりと言うが、六天縁程の歳でインターネットの利用に慣れている人もそうはいないだろう。
SF作家というだけあって、新しい物は割と好みなのかもしれない。
「だから、多くの場合は辞書を引き、資料を読み耽る。そういうことを積み重ねていると、自然と物を知る様になるのかもしれないな」
「へぇー……!」
歓心した様にメアリーが声を上げ、町田青年が静かに頷く。
ある程度語って満足したのか、喋っている時もタイピングを続けていた手が目標を達成したのか。六天縁は立ち上がり。
「勘定を頼む」
「え、あ、はい」
「図鑑を見てみるのも、楽しいかもしれんぞ」
「……はい。ありがとうございます」
ゆるりと勘定を済ませ、店を出た。
少しばかり、客のいない店を堪能した後。
「……お店を閉めたら、本屋さんに行きましょうか」
「うんっ!」
そう、約束するのだった。
■メアリーの にっき■
きょうは ずかんを かったよ!
おじーちゃんの おはなしのおかげ!
おじちゃんと かったのは おさかなさんの ずかん!
うみには いろんな おさかなさんが いるんだって!
めーちゃんが すきなのは クジラさん! おっきい! すてき!
ずかんを みてたら ゆめみせんせーが いつか すいぞくかんに いこうって いったよ!
すいぞくかんっていうのは おさかなさんが いーっぱいみれるところ!
じしょで しらべました! ただしい!
すいぞくかんに いつかいきたいな。
あしたもいいこと ありますように!




