1月4日
一月四日。月曜日の朝、六時。
ついにこの日が来たかと、町田青年は嘆息をつく。
三日間。時間にして72時間。長いようで短かったが、時間は等しく刻まれる。
呪詛さえ吐きたくなったが、そんな気持ちも、胸元に広がる熱を感じると霧散していく。
「……んん」
「…………」
幸か不幸か。今日も今日とてメアリーは、町田青年の程々に厚い胸板に寄り添っている。
これが一人前の女性なら、男の胸に張り付いて何が楽しいのかと頭を捻るところだろうが、まだ幼気な彼女だからこそ微笑ましく思えるのだろう。
だいぶ絆されたな、と町田青年の“かたい”部分が吐き出し、だがそれも悪くないと、町田青年の“やわらかい”部分が飲み込む。
「……つまり五日間なんて、必要なかった」
「んー……」
彼女の枕元には、色とりどりの人形達を収めた箱の数々。
これは町田青年にとって、「貴方を受け入れる」というサインだ。
早過ぎると人は言うかもしれない。不用心、チョロすぎる、或いは「そういう趣味」なのかと軽蔑するかも。
だが、人が他人を受け入れる為に必要な時間というのは、人それぞれだ。
一秒で充分な者もいれば、百年経ってもダメな者もいるかもしれない。
或いはとうに受け入れていることに気付かずに、必死に拒む者もいるかもしれない。
そんな数多くのケースの中で、町田青年はメアリー・スーを三日間で受け入れられた。
結果だけ見れば、ただそれだけ。
だが、メアリーの方はどうなのか。
「……五日間必要なのは、貴方なのかもしれませんね」
「んんぅ……」
この幼女が何故自分の家に住むことになったのか、町田青年には分からない。
ただ、町田青年は彼女の意思でという訳ではない、と確信していた。
だからこそ、真の意味で彼女が自分を受け入れる、その時間こそが。
「この二日間が、分かれ道」
この二日間に懸かっているのだと、町田青年は考えていた。
「……いい結果だと、いいんですが」
今年のおみくじは、町田青年は末吉だ。メアリーは、大吉。
この違いがいい物でありますようにと、町田青年は祈りながら起き上がった。
***
七時。
くつくつという雑煮の音に、メアリーはゆっくりと目を覚ます。
すっかり慣れ親しんだ熱がないことに気付き、何処に言ったのかときょろきょろ見回して……。
「…………ん!?」
枕元に何かがあることに気付いた。
箱、箱、箱。箱を箱として形成する、アクリル製の透明板の奥には――。
「……おにんぎょうさんっ!」
――メアリーが欲しくて欲しくてたまらなかった、舞踏会の人形達が、お行儀よく立っていた。
パッと飛びつき、次いで誰がこの素晴らしい贈り物をしてくれたのかを疑問に感じる。
「……おにんぎょうさん、おみせからでてきちゃったの?」
「いいえ。それは贈り物です」
後ろからの声に、がば、とメアリーが振り向く。
声の主は他ならぬ町田青年だ。町田青年の足に、メアリーはぎゅっと抱きつく。
「おじちゃんがおくりもの!?」
「いえ、自分“は”贈り物ではありません。リボンもついてません」
「じゃ、だれ!?」
「……それは」
「自分“が”貴方に贈ったのです」とは気恥ずかしくて言い難く、町田青年は少し言い淀む。
いくらか逡巡して、一言。
「……七福神です」
と、努めて真面目な顔で――元より生真面目にしか見えない顔だが――言ってのけた。
「……しちふくじん?」
「はい。日本ではいい子にしていると、七福神からプレゼントが貰えるのです」
「そうなの!?」
「はい」
「そうなんだ……!」
一度滑らせれば、滞り無くでまかせが出てくるのが人の口。
巧みといっていいのかは分からないが、どうやら彼女は信じ込んでしまったらしい。
「ありがとー! しちふくじんさん、ありがとー!」
「人形と遊ぶ前に、ご飯を済ませましょう」
「はーい!」
くるくると回りながら、メアリーは人形を抱っこする。
いっそう賑やかな朝食は、メアリーのにこにこ笑顔で始まった。
***
七時半。
「……メアリーさん」
「はーい?」
「申し訳ありませんが、少し大事な話があります」
「だいじな?」
「はい」
食事が終わり、皿も洗い終えた後、町田青年は険しい顔でそう言った。
メアリーもお人形遊びを止め、ちゃぶ台の前でお行儀よく座る。
「……今日から、メアリーさんにはお留守番をして貰う事になります」
「おるすばん?」
「はい」
「……おにんぎょうさんと?」
「はい」
町田青年が頷くと、途端にメアリーの眉尻が下がる。
心苦しい気持ちはあったが、どうしようもない。努めてゆっくりと、町田青年は話を続ける。
「時計の太い針が、七と八の間にありますね?」
「うん」
「これが八なってから……もう一度、八になった時に帰ってきます」
「はちじ?」
「はい。夜の八時です。今から十二時間後です」
「……そんなに?」
「……はい」
時計を指差しながら、町田青年は頷く。
十二時間。子どもを置いて家を開けるには、些か長い時間である。
当然、時間をかければ方策はある。
だが、メアリーは殆どの施設が休みである正月から、急に預けられた子だ。
町田青年の対応力では、これが限界でもあった。
「後日、改善はしますが……少なくとも今日から二日間は、お留守番して貰わなくてはなりません」
「……うん」
「出来ますか?」
「……うん。めーちゃん、がんばる」
「申し訳ありません」
町田青年は頭を下げて、幾つかの説明を続ける。
「今日のお昼は、カルボナーラです。冷蔵庫に入っています」
「おせちじゃなくて?」
「はい。おせちも食べたくなったら、冷蔵庫から取り出してください。のぼり台は此方に」
「うん」
態々床に設置し直された電子レンジを叩いて、町田青年は言う。
ビール箱であるが、のぼり台もちゃんとある。これなら注意すれば問題が起こる事もない。
……とはいえ、問題が起きる可能性はいつでもある。
「……万が一の時は、この番号に連絡してください」
そう言って、町田青年は携帯電話の番号が書かれたメモ書きをちゃぶ台に置く。
そろそろ時間である。町田青年がコートを着こむと、メアリーがきゅっと袖をひく。
「……めーちゃん、いいこに、してるから」
「はい……」
「……いってらっしゃい」
「……はい」
メアリーの頭を撫でて、町田青年は玄関から出る。
鍵を閉めて、アパートが見えなくなるまで、町田青年は何度も何度も振り返った。
***
九時。
しばらくの間は、人形遊びをしていたメアリーだが、やがて飽きたのか、ゴロンと床に転がる。
「……むぅー……」
一人でいるのは、彼女にとっても数日ぶりだ。
慣れていない訳ではない。だが、歓迎したい訳でもない。
「……むぅ」
やむなく彼女は、人形遊びを再開した。
後、十一時間。
***
十二時。
メアリーはお腹がすいたので、冷蔵庫からカルボナーラとおせちを取り出す。
町田青年の書き残したメモには、丁寧にルビや解説が付いており、メアリーにも分かりやすい仕様になっている。
メモの通りに電子レンジで温めれば、ちょっと豪華な昼食の完成だ。
「……いただきます」
しかし、素直には喜べない。
喜びを共にする彼は、今この家にはいないからだ。
もそもそと、食事を摂り、流しに置く。
後、八時間。
***
十七時。
「……ももたろさん、ももたろさん」
メアリーは絵本を読んでいた。
日本語は分かる。だが、難しい言葉までは分からない。
日本語は彼女にとって、摩訶不思議な呪文でもある。
「……たいじってなーに? おにさんはどーしてわるいの? どこからきたの?」
摩訶不思議な呪文に対する、疑問の答えを出してくれる青年は、今ここにはいない。
疑問が膨れ上がる度に、メアリーの頭の中で、どうしようもない寂しさが募る。
次第にそれは、現実からメアリーを遠ざけて……
「……すぅ」
ゆっくりと、眠りの世界へと旅立たせてしまった。
後、三時間。
***
二十時。夜の八時。
慌ただしい音と共に、玄関の鍵が開く。
「……ただいま、戻りました」
「……むぁ」
疲弊を顕わにし、息を切らしながら入って来たのは勿論、他ならぬ町田青年である。
そして、その声に反応してメアリーが起き上がる。
「……おじちゃん?」
「はい」
冷えた身体を震わせながら、メアリーは問う。
町田青年はそれに、力強く頷いた。
「……おじちゃんっ!」
「はい」
勢い良く駆け出すメアリーに、町田青年は腰を下ろして、両手を開く。
メアリーはぴょん、と飛んで、思い切り彼に抱きついた。
「……おかえりっ!」
「……はい。ただいま、戻りました」
熱い抱擁を交わす二人。
そうして彼は、彼女の身体が酷く震えている事に気づく。
それは寒さか、それとも寂しさか。
何にせよ、それを暖めるのが彼の義務だ。
「……寒かったですね。ご飯の前に、お風呂に入りましょうか」
「うんっ!」
お湯を湯船に注ぐ間、二人は寄り添いながら絵本の続きを読む。
透き通る夜空の下。身体は冷えていたが、心は暖かくなり始めていた。
■メアリーのにっき■
きょうは ちょっとさみしかった。
でも、しちふくじんさんが おにんぎょうさんを くれたので めーちゃんは がんばりました。
ひとりでたべるごはんは おいしくないけど ふたりでたべるごはんは とってもおいしい。
だから めーちゃんは ふたりでたべる ほうがすきです。
あしたも いいこと ありますように。