2月5日
二月五日。
町田青年とメアリーは、保健所に来ていた。
「……はい。では、これで手続きは終わりです」
「ありがとうございました」
「ありがとうございましたー!」
別に、町田青年は犬猫を飼う気はない。
勿論、メアリーが飼いたいなら話は別だが、今日は営業許可書の申請に来ているのだ。
実は町田青年は、喫茶店を開くのに必要な資格は取っている。
喫茶店を開くには営業許可書の他、食品衛生責任者という資格を要するのだが、これは前の職で取っていたのだ。
過去が如何に苦くとも、資格は役に立つものだと、町田青年は溜息をつく。
「とれてよかったね、おじちゃん!」
「はい」
とはいえ、資格のお蔭ですんなり取れた訳で。
これで今日から開店出来るので、二人は意気揚々と家路についていた。
「今日は何を食べましょうか」
「のこりもの、いっぱいあるよ?」
「……そうでした」
昨日怒られたことを思い出して、町田青年の肩が下りる。
それを見たメアリーが、あわあわとフォローを試みた。
「で、でも、のこりものでもおいしーよっ?」
「そうでしょうか……」
「そうだよっ! めーちゃん、おじちゃんのりょーりだいすきっ!」
「……そうですか」
「そうだよ!」
ゆっくりと彼の姿勢が戻って行くのを見て、メアリーはほっと息を吐く。
そうして、新たな我が家へ戻って来たところで……。
「……だれ?」
「…………はて」
……我らが喫茶店の玄関を覗く、不審な男がいた。
彼はインターホンを押しながら、誰か居ないかと玄関の小窓を覗いている。
町田青年の記憶する限り、前の職場に関係する人物ではなさそうだが。
「……あやしいね」
「怪しいですね」
とても、怪しかった。不審だとも言える。
冬だからコートなどの防寒着は当然とはいえ、ニット帽を深く被り、口元はマスクで見えないのだ。
空き巣だろうか? 最近多いと聞くが、白昼堂々とは大した度胸であろう。
珍しく町田青年の眉根が寄る。彼も悪行に対して嫌悪感を抱く程度には有機的なのだ。
「……あの」
「いっ!?」
低い唸り声が、町田青年の喉から零れる。
男はぎょっとして振り向くと、ひっと声を漏らした。
「……何か、御用ですか」
「え、あの、えぇと……」
町田青年は、表情を作るのが下手だ。
表情が死んでいる、といってもいい。無愛想ではないが、その一点が妙なクールさを生んでいた。
そんな彼だが、顔の造形はそう悪くは無い。きちんと表情を作れば、それなりの迫力があるのだ。
無論、凄む様に眉根を寄せ、疑念と嫌悪感を滲ませても。
かなり、迫力があるのだ。メアリーが見ていなかったのが、幸いな程に。
「……えぇと、実は……」
ごそごそ、と男は懐から、何かを取りだす。
震える手で渡されたそれを町田青年は手に取って、ぴく、と固まった。
「……お、俺。あ、いや、ワタクシ、こういうものでして……」
手渡されたものは小さな紙片。
そこには派手な背景にポップな書体で、『上三焙煎工房代表 スラッシャー上三』と書かれていた。
ふざけた名前だなと、町田三夢青年はそっと心の棚を増築した。
***
「申し訳ありません、営業とは思わなかったので」
「いやいや! こっちも怪しかったって気が付かなかったですし!」
取りあえず町田青年は、男、スラッシャー上三を中へ通した。
ニット帽とマスクを外した上三は、ぎらぎらとした金髪で、口にはピアスがつけられている。
町田青年もメアリーもぎょっとしたが、本人は慣れているのだろう。へらへらと笑っていた。
「あ、怖かったッスか?」
「いたそう……」
「大丈夫なんですか」
「へへへっ! まぁ、最初は痛かったスけど、これもオトナのお洒落みたいな?」
「そうですか」
「反応薄ッ!」
なんだかんだと人懐こいのか、上三はよく話し、よく笑う。
暖房が効いてきたところで、町田青年はそっと話を本題に移した。
「それで、ご営業とのことですが」
「あぁ、はい! ウチは焙煎の他に、豆の販売店やってるんスわ」
「だいず?」
「いやいや、珈琲豆オンリーでね?」
そう言って取りだしたのは、袋詰めにされた珈琲豆と、手回し式のコーヒーミルだ。
彼はさも愛おしげにそれを撫でながら、実際に挽いて見せる。
「まぁ、まずは飲んで貰おうかと。いいッスか?」
「はい」
「ね、こーひーってどんなあじー?」
「そりゃーもー、ウチの豆だし。香りもコクも、すっげーウマいぜー?」
「へー……!」
目をきらきらと輝かせて、メアリーはじっと、コーヒーミルを見る。
やがて辺りに、香ばしい様な、目の覚める様な匂いが辺りに巡ってきた。
「……いいにおい!」
「はい」
「おっ、嬉しいッスねー。……手回し式だと、やっぱこういうトコが映えるんでオススメッスよー」
「勉強になります」
砕かれた豆が取り出され、ふわ、と一層香りを放つ。
「俺が淹れましょっか?」
「いえ、自分の店なので、自分が」
ペーパーフィルターをセットして、粉を入れる。
そっと「の」の字にお湯を注ぎ、蒸らす。そうすれば、黒々としながらも薫り高い、珈琲の完成だ。
「まっくろ!」
「ブラックはいけます?」
「自分は、大丈夫です。……頂きます」
す、と町田青年はコーヒーカップを手にする。
香りを楽しみながら、す、と一口飲んで。
「……へぇ」
薄く、微笑んだ。
固唾を飲んで見守っていた二人が、恐る恐る聞く。
「だ、ダメだったッスか?」
「いえ。とても……」
「と、とっても……?」
「……美味しいです」
「よっしゃっ!」
にこ、と笑いかけられ、上三がガッツポーズを取る。
メアリーは手をぱむぱむとカウンターに叩きつけて、自分の分をせがんだ。
「めーちゃんものむ!」
「……熱いですよ?」
「ふーふーする!」
「では、どうぞ」
「いただきます!」
手を合わせてから、ふぅふぅと口で吹き、ちょびりと飲んでみる。
……飲むまでは薫りに綻んでいたが、一口飲んだ途端に、表情が微妙なモノに変わった。
「……にがい」
「珈琲なので」
「珈琲だかンなァ」
「りふじん!」
どうやら、彼女好みのあまあまではなかった様だ。
ぶぅぶぅと声を鳴らすメアリーを撫でながら、町田青年は言う。
「スラッシャーさん」
「スラッシャーは芸名みたいなモンなんで、上三でイイッスけど」
「スラッシャーさん」
「あ、そっち気に入ったんスね。なんでしょ」
「……この豆、頂いてもいいですか」
「えっ」
町田青年の発言に、上三は目を丸くする。
おかしさも覚えながら、町田青年はに、と笑って。
「販売店の伝手がある訳でもないし、気に入りました。……当店で扱わせて頂くには、どうしたらいいでしょうか?」
改めて、上三の気に入る様に言い直した。
■メアリーの にっき■
きょうは こおひぃやさんが きたよ!
こおひぃは かおりがいいけど にがい!
りふじんだけど かおりはすき。 ふくざつ!
おじちゃんは とってもきにいったみたいで こおひぃやさんに おまめをかいたいって いってたよ。
こおひぃやさん とっても よろこんでたよ。 けいぞくの おきゃくさんは とってもだいじなんだって。
むずかしいはなしは よくわかんないけど めーちゃんのしたいがい みんなしあわせ!
……でも あとで いちごケーキをつくってもらったよ。
なので めーちゃんのしたも しあわせなのでした。
あしたもいいこと ありますように!




