1月29日
ちょっと暴力的表現があります。
※1月30日、追記しました※
一月二十九日。
遂に、メアリーの修行が実を結んだ。
「……できたーっ!」
「うん。ちゃんと出来たねぇ」
えらいえらい、と夢見が褒め称え、心底嬉しそうにメアリーがはにかむ。
彼女の小さな手のひらは、しっかりとお弁当箱を掴んでいる。
そう。頑張って料理に勤しんだ結果、遂にお弁当作りに成功したのだ。
まだまだ不格好ではあるが、それは年齢と込めた気持ちがカバーしてくれるだろう。
「おじちゃん、よろこんで、くれるかなー?」
「メアリーちゃん、ちゃーんと気持ちを込めて作れた?」
「うんっ!」
「じゃぁ大丈夫。先輩なら、喜んでくれるよ」
「そっか……そっかぁ!」
きっと、喜んでくれる。メアリーはそう頷いて、夢見にお弁当を包んで貰った。
大急ぎで籠に詰めて、メアリーは玄関へと向かう。
「いこっ! はやくはやくっ!」
「焦ったら転んじゃうよ?」
「だいじょうぶーっ!」
曇り空が浮かび、地に雨が染み込んだ昼の頃。
この日初めて、メアリーは町田青年の職場へと向かった。
***
「オラ、急げ愚図ッ! お前のせいで商品が売れ残ったらどうすんだあァッ!?」
「……すみません」
意気揚々と歩みをすすめるメアリーに対し、今日の町田青年は、いつもより瞳を暗く淀ませていた。
今日はいつもより、店長の当たりが強いのである。
それは昨日一昨日と、早めに仕事を終わらせて帰宅したせいなのだが、そもそも給金削減の為に早急な帰宅を望んでいるのは店長側である。
彼が怒っている理由は「何となくやる気が感じられないから」であり、町田青年のやる気と同じくらい、正当性の感じられない怒りであった。
「……あんまり気にしない方がいいッスよ」
「はい」
同僚の言葉に、町田青年はただ頷く。
元より雑音であり、気にも留めてはいなかったのだが、最近はこの声が辛くなり始めていた。
(……どうしてだろう)
以前はもっと、心は凪いでいた。
ところがメアリーが来てから、様々な物事に一喜一憂する様になっている。
それが辛さを助長させるとは、物事はいいコトばかりではないらしい、と町田青年は嘆息をついた。
(……早く帰りたい)
(メアリーさん達に、会いたい)
頭の中に過る言葉を、振り払うことも、反芻することもなく。
ただただ留め置いて、彼は作業に没入する。
しかし、そんな無理のある集中も。
「……おーじーちゃーんっ!」
「!?」
最早聞き慣れた声に雲散霧消する。
勢い良く町田青年が振り返れば、そこにはいる筈のないメアリーと夢見の姿があった。
「ごめんなさい、先輩。勝手に来ちゃって」
「ど、どうして」
「えへへーっ! あのねー……!」
どうしてここに。もしかして幻覚じゃないのか。
そんなことを口走りかけた町田青年だったが、差し出されたお弁当箱を見て、その口は固まった。
「……おべんとう、つくってきたよっ!」
「え」
「メアリーちゃん、この為に毎日、お料理の練習してたんですよ。ねー?」
「ねーっ!」
にこやかに微笑み合う二人に、どうして良いのか分からない町田青年が狼狽える。
気持ちとしては嬉しいし、予想はしていたのだが、嬉し過ぎて言葉が見つからないのだ。
そんな彼の奇態を見つけた他の従業員が、物珍しい光景を見て思わず話しかける。
「あら、町田さん。その子達、知り合い?」
「え、あ、知り合いというか、ええと」
「めーちゃんは、メアリー・スーでっす! あけましておめでとーございます!」
「あらあら。お正月の挨拶にはちょっと遅いわねぇ。あけましておめでとうございます」
元気良く挨拶するメアリーに、ご婦人の従業員も驚きながらも、快く挨拶を返す。
何せ、見るからに外国出身の子供と、見目麗しい女大生、そしてあの町田青年の三人組なのだ。
他の従業員もなんだなんだと顔を覗かせ、町田青年は困惑を露わにした。
「先輩に、二人でお弁当を作って来たんです。それで、お届けに」
「あらやだ。貴方もしかして町田さんのイイヒト?」
「「えっ!?」」
「いやねぇ町田さんったら。こんな可愛い女の子捕まえてるだなんて、隅に置けない人だったのねぇ」
町田青年と夢見が困惑する中、女性従業員はおほほと笑う。
メアリーは既に、他の従業員達にも挨拶して回っており、彼らも驚きと困惑を顔に浮かべながらも、人懐っこい彼女を無下にせず、それぞれ挨拶を返していた。
「町田さん、お昼休憩してきちゃったら?」
「で、ですが」
「いいじゃない、いつも働き詰めなんだし。三人で食べてけば……」
その時であった。
人混みを掻き分け、時に押しのけながら、店中に怒号が響き渡った。
「町田ァッ!!」
それは言わずもがな、怒髪天を衝かんとする男、店長その人であった。
恐らくこの和気藹々とした雰囲気も、彼にとっては作業効率を悪化させるトラブルであり、町田青年がその張本人であると思っているのだろう。
後者はあながち間違いではないが、それにしても理不尽な勢いで、町田青年の肩が掴まれる。
「テメェ、堂々とサボろうとは良い度胸だな、あァ!?」
「……申し訳ありません」
「謝って済むかよクソゴミが! 気付かないとでも思ったか!? 怒られないとでも思ったか!?」
「…………」
「何か言えよカス! 脳みそ詰まってるのかボケッ!」
怒号、怒号、また怒号。
町田青年はそれを、いつものだんまりで受け止めていると、今度は突然、頬に重い衝撃が走った。
「ぐ……」
「先輩っ!?」
「ちょ、ちょっと店長! いくらなんでも……」
「黙れババァ! 女にうつつ抜かして俺の利益を損ねてるんだぞこの糞野郎は! 罰を受けて当然だろうが!」
思わず倒れこむ町田青年を、何度も何度も、店長は足蹴にする。
今まで声が漏れることはあっても、その醜態を客に見せることはなかった店長だったが、今回は余程頭にきているらしい。
まざまざと見せつけられる凶行に、驚きと恐怖、その他様々な負の感情が店内に蔓延する。
だが、止める者はいなかった。
いや、より正確に言うならば、止められないのだ。町田青年に親しい夢見ですら、この男の、度を超した凶行に理解が追いついていない。
ただただ繰り返される暴行を、ぼんやりと見ていることしか出来なかった。
「……やめてーっ!」
「むぉっ!?」
唯一、メアリーを除いては。
彼女は思わず、持っていた弁当箱を投げつける。軽い音と共に中身が散乱するが、店長の動きを止めるには充分だった。
「おじちゃんを、いじめないでっ! あなた、きらい! だいきらいっ!」
「こ、の、クソガキ……!」
町田青年を庇う様に、メアリーは自身の何倍も大きく、太い店長に立ちはだかる。
子供に対する対応など、とうの昔に怒りに飲み込まれているのだろう。
店長はその太い拳を振り被った。メアリーは、思わず目をつむり、来る衝撃に備える。
「……?」
「な、テメ……げ、ぶぅっ!?」
しかし、衝撃はいつまでたっても来なかった。
汚らしい悲鳴に、メアリーが恐る恐る目を開けると……。
「……メアリーさんを、傷つけないでください」
……店長のビール腹に、深々と町田青年の拳が突き刺さっていた。
彼の目はいつもの様な眠そうな、優しげな目ではない。
静かな、それでいて確かな怒りが煌々と燃え、敵を排除する為に、確りと見開かれていたのだ。
今迄、メアリーはおろか、夢見でさえも見たことがない目であった。
「……少々お待ち下さい」
泡を噴いて倒れる店長を尻目に、町田青年は悠々と立ち上がる。
あっさりとした凶行の幕切れに、唖然とする人々を尻目に、町田青年は何処かへと走り去っていった。
暫くして、何枚かの書類を手に戻ってきた町田青年は、書類を気絶した店長に投げつけた。
「……責任を取って、退職させて頂きます。皆さん、今まで、お世話になりました」
呆然とするメアリーの手を、固く握りながら。
町田青年は、ゆっくりと頭を下げた。
***
「……辞めてしまいました」
「やめちゃったねぇ」
「ついカッとなってやっちゃったんです?」
「反省はしています。後悔はしていません」
一足どころか、とても足早に、三人は家路についた。
あの後で律儀に業務に戻る程、町田青年も真面目ではなかったのだ。
突然の退職とはいえ、肩の荷が下りた様に、町田青年は冗談を返してみせる。
「元々、退職の機会は伺っていたので。調度良かったです」
「そっかー! よかったー!」
「はい」
「……でもこれから先輩、どうするんですか?」
「早急に、考えます。まぁ……」
町田青年は鞄から、メアリーたちの作った弁当を取り出す。
飛散した中身をかき集めたものだ。中身は当然悲惨なことになっているが、彼は愛おしそうにそれを撫でる。
「……これを、食べてからにします」
にっこりと、珍しく微笑む彼に、二人は驚愕しながらも、喜んでそれを受け入れる。
三人での帰り道は、談笑が多く花開いた。
■メアリーの にっき■
【序文】
――1月29日の日記はメアリーさんが疲れて寝てしまった為、記録補完と言伝を兼ねて、不肖私、町田三夢が筆を執らせて頂きます。
(この手記は1月30日現在、深夜1時に執筆中です)
メアリーさんが何故日記を書いているのかは存じ上げませんが、これがメアリーさんの一助となれば幸いです。
【本文】
メアリーさんは本日、町田三夢にお弁当を作り、それを届ける為に町田三夢の職場に来訪しました。
職場内で幾つかトラブルはありましたが、メアリーさんは無事にお弁当を届けることが出来ました。
(お弁当はとても美味しかったです。また作って頂ける日を町田三夢は楽しみにしています)
町田三夢は上記トラブルの為に辞職となりましたが、当人は元々惰性で働いていた為気にしていません。
寧ろ、庇って頂けたことを大変嬉しく思っています。
メアリーさんはとても凄いことをしたのです。
(でも、危ないことはしないでくださいね)
夜は退職記念として、沢山料理を作りました。
メアリーさんがマッシュポテトのサラダと卵焼きを作りました。
卵焼きは難しいのに、とても上手に焼けていました。
【末文】
前途は多難ですが、自分もメアリーさんが困らない様に、最善の努力をするつもりです。
どうか明日も、メアリーさんにいいことがありますように。




