1月1日
元旦。東京の、ボロアパート。
初日の出を拝むべく、彼が玄関のドアを開けたところ。
「しんねんあけましておめでとうございます!」
幼女が太陽も霞む満面の笑顔で、玄関前に立っていた。
『幼女と暮らす一年間』
彼――そう、彼。
今、玄関のドアを開けた彼。中肉中背の青年。
そんな冴えない町田三夢は、突然現れた幼女を前に、ほんの僅かに細目を見開くだけの反応を示した。
実のところ、町田青年にはこの幼女が夢か現か、全く判断がつかずに固まっていただけなのだが。
「…………」
「…………」
何せ、幼女である。
背後の日の出が透き通る亜麻色の髪と、日光に当たっていないのにきらきらと輝く紺碧の瞳。
目鼻立ちも整っているのに、身体は五歳程の、まだまだふっくらとした柔らかさを持つ、小さな小さな、まさに幼女というべき子供。
おまけにもこもこ白コートに白のワンピース、可愛らしい白ウサギリュックサック付き。
そんな理想解を形にした様な外国人と思しき幼女のことを、日本生まれ日本育ちの町田青年は知っている訳もなく。
町田青年はただただ、困った様に。幼女を見つめることしか出来なかった。
「…………」
「…………」
とはいえ、いつまでも挨拶を返さないのは失礼なので――。
「明けましておめでとうございます」
「おめでとうございます!」
――町田青年は、丁寧に挨拶を返した。
幼女も丁寧で、年相応な挨拶を返す。
にこやかで、朗らかな空気が二人の間に流れた後。
「……これからよろしくおねがいします!」
幼女が無邪気に放った言葉に、町田青年が凍りついた。
「……えっ」
「これからよろしくおねがいします!」
「……えっ」
「おじゃまします!」
「……あっ」
何かがおかしい。何がおかしい? そうだ、彼女の挨拶には“も”が入ってないんだ!
そんな的はずれな追求をしていた町田青年だったが、幼女が玄関に入り込んだことで我に返った。
穏便に追いだそうとするが、時既に遅し。幼女は既に靴を脱ぎ、畳の上に座り込んでしまっていた。正座ではなく、女の子座りで。
「わぁ! ここがあたらしいおうち! すごい! なんかヘンなニオイ!」
「……はぁ」
興味深げにきょろきょろと辺りを見回す幼女に頭を抱えながら、町田青年はゆっくりと溜息をつく。
のろのろと、一部屋しかない屋内へ戻ると、ちゃぶ台を間に挟みながら、向い合せに対面した。
「まず、言いたいことを言います」
「はーい!」
「変な匂いは、畳の匂いです。掃除はしてあります」
「そうなの?」
「そうなんです」
「すごいね!」
「はい」
ぱちぱちぱち、という小さな拍手に、少しだけ胸を張る町田青年。
事実、ボロアパートながらも清潔感が漂っているのは、毎日キチンと、彼が掃除をしているからであった。
「でも、なにもないね!」
「はい」
……その内装は、清潔感を通り越して、殺風景だという感想を抱く者がほとんどだが。
少しだけ猫背になった町田青年が、ゆっくりと口を開く。
「聞きたいことがあります」
「はーい!」
「貴方は誰ですか?」
「メアリー!」
「めありー」
「スー!」
「すー」
「メアリー・スー!」
「めありー・すー」
「がいこくじん!」
「外国人」
外国人か。そう結論付けた町田青年は、困ったように首を傾げた。
どれだけ記憶の底をさらっても、やはり“メアリー・スー”などという人物に心当たりはない。
ともあれ自己紹介をして貰って自分はしないのも失礼なので、町田青年はゆっくりと自己紹介をした。
「えー……まいねーむいず」
「にほんご、できるよ?」
「あ、そうですか。では、私の名前は」
「なまえは?」
「町田」
「まちだ!」
「三夢」
「さむ!」
「町田三夢です」
「まちださむ!」
「日本人です」
「がいこくじんじゃない!?」
「違います」
ちがった! と驚くメアリーに、町田青年はゆっくりと頷く。
名前のせいで帰化外国人扱いを受けることはよくあるが、町田青年はれっきとした日本生まれ日本育ちである。
名前は所謂DQNネームであった。彼の密かなコンプレックスである。
「ところで、メアリーさん」
「はーい!」
「何故ここに?」
「……えっとねー! それはねー!」
言うやいなや、メアリーはごそごそとリュックサックから何かを探り始める。
しばらく「えっとねー」と「それはねー」が続き、次いで「あった!」という声と共に、小さな手帳が取り出された。
黒皮の、幼女に似つかわしくないその手帳には、「専門機関公認」と書かれている。
彼女はそれをぱらぱらとめくり、声に出して読み上げ始めた。
「おめでとうございます!」
「はい、ありがとうございます」
「あなたは“いぉ”によって、せかいじゅーのひとたちのだいひょーとしてえらばれました!」
「そうなんですか」
「そうなんです!」
「知らなかった」
何処かに応募しただろうか、と再び記憶の底をさらう町田青年だが、やはり憶えはない。
最近応募したのは就活と年末ジャンボくらいだが、その二つとも外れているからだ。
勝手に選ばれたのだろうかと首を傾げていると、メアリーが読み上げを再開する。
「あなたにはこれから、ひとりのこどもをいちねんかん、あずかっていただきます!」
「困ります」
「ほうしゅうをまいつきふりこみますので、ゆうこうにかつようしてください!」
「えっ」
町田青年が携帯から銀行口座を確認すると、口座には結構な額が入っていた。
およそ、彼の月収の二倍程度。これが毎月振り込まれるなら、一年程度養っていくのは苦ではない。
「困りませんでした」
「よかった! いちねんかん、よろしくおねがいします!」
「困りました」
「えー!?」
しかし、苦ではないからと言って、困惑しない訳ではない。
“いぉ”とかいうモノが何の目的でこの幼女を派遣したのか分からないし、未だメアリーの正体もてんで分からないからだ。
もしかしたらこれはドッキリで、何処かに隠しカメラが仕掛けられてるかもしれない。全国で恥ずかしい様を公開されるのは、流石に町田青年も嫌だった。
「何だか騙されている様な気がします」
「……めーちゃん、うそ、ついてないよ?」
「そうなんですか」
「そうだよ!」
「困りました」
「むー!」
ぷぅ、と頬を膨らませて、メアリーはぽこぽこと町田青年を叩く。
その拳をそっと肩に寄せながら、町田青年は深く考えこんだ。
確かに、メアリー自身は嘘をついているようには見えない。
だが、仮にそうだとしても、“いぉ”もそうだとは限らない。町田青年を騙す為に、メアリーを騙しているかもしれないのだ。
さりとて、懐が寒い町田青年にとって、高額報酬はとっても魅力的であり……。
「……もしかして」
「……」
「……めーちゃん、ここに、いちゃ……いけない?」
……こうして涙ぐむ少女を、無碍にするのもまた、気が引けることであった。
ポロポロとこぼれ落ちる涙を、町田青年はそっと、台ふきんで拭う。
「取り敢えず、決めました」
「…………?」
「実は諸事情で、おせちが大量にありまして」
「おせち?」
「はい、おせち」
そう言って町田青年は、キッチンの片隅に佇む、古びた冷蔵庫を開ける。
中にはコンビニ販売のおせちが三十食分、ぎっしりと詰まっていた。
黒いパックがみっちりと詰まった冷蔵庫に、メアリーも思わず涙を引っ込める。
「お餅もありますので、流石に一人で食べきるのは厳しいところでした」
「い、いっぱいだもんね」
「はい。ですが二人なら、その分楽ちんです」
「そ、そうかな?」
「はい」
一日三食としても、一人なら十日、二人なら五日である。
これなら賞味期限にも余裕で間に合うだろうと、町田青年はゆっくりと頷く。
「なので、少なくとも、このおせちが無くなるまでいい子にしていたら」
「していたら……?」
「貴方を預かることを、お受けしたいと思います」
「……ここにいて、いいの? いいこにしてたら?」
「はい」
「…………わぁっ!」
ぱぁ、と花開く様に、メアリーが笑顔になる。その顔を見ながら、町田青年も少し満足気に頷いた。
「では、お雑煮を作りますから、少し待っていてください」
「うんっ! いいこでまってる!」
「はい。いい子で待っていてください」
これなら様子を見れるし、おせちも減るし、何よりメアリーが泣き、路頭に迷う可能性もない。
我ながら名案だと頷きながら、町田青年はガスコンロに手をかけた。
これが、青年・町田三夢と幼女・メアリー・スーの最初の一日。最初の出会い。
眩い程の青空が、二人の生活を見守っていた。
■めありーのにっき■
きょうから いわれてた ことが はじまります
おしごとの あいては さむおじちゃん
かおがうごかなくて どうぞうみたい だけど やさしいです。
めありーは これから このおじちゃんに おせわになります
おせちは いろんなりょうりがあって おいしい
けど めありーは おぞうにのほうが すきかも。
おふろは せまくて さむいけど おふとんは きもちいいかも。
あしたも いいこと ありますように。