太陽神の願い
少年は、ルナは、ちらりと視線を祭壇へと向けた。その祭壇に眠る存在を、彼は知っている。知りすぎていた。その存在は、青年−ソル−もよく知る存在だ。
そこに眠るのは、一人の少女。名前は、テラ。彼等二人にとっては、生まれ落ちた時より兄弟の様にして過ごしてきた、掛け替えのない存在である少女だ。
「どうしてソルは僕の邪魔をするの?僕はただテラを取り戻したいだけなのに。」
「それでヒトを殺すのか?それじゃあテラの望みは叶わない。」
「そんな事、どうでも良いの。僕はただ、テラを取り戻したいだけ。」
「ルナ!」
煩そうに、少年が青年を見た。その瞳を見た瞬間に、彼は、既に何もかもが終わり始めている事を悟る。少年の精神は病んでいる。全てを終わらせなければならない程に、病んでしまっているのだ。それは、何時から始まった歪みなのだろうか。
テラという名の少女が眠りについた時、全てが始まり、終わったのだ。今ならばそれが解ると、青年は思う。けれど当時の彼は精神に傷を抱え、少年の痛みに気づけなかった。いや、彼自身も傷ついていたからこそ、解らなかったのだ。それが今の事態を引き起こしているというのは、皮肉でしかない。そう悔しさに呻く青年の視界で、少年が姿を消そうとしている。
その腕を、青年は取った。振り返った少年の表情は、彼の知らないものだった。無機質に冷え切った中で、怒りだけを宿した表情。少年をこのようにしてしまったのは自分だと、青年は漠然と思った。
「解った、ルナ。協力してやる。」
「本当……?」
「テラを、取り戻したいんだろう?手っ取り早く、すませてやるから。だから、あの剣を……。誓約の剣を、抜いてくれ。」
「うん、解った。」
ニコニコと、少年が笑いながら剣を抜いた。漆黒のマントの内側にしまわれていたのは、かなり大振りな剣だ。見事、としか言い様がない。どのような名工が鍛え上げても、これ程見事な剣は出来ないだろう。そのように思わせる様な、一振りだった。
白銀の刃に、けれど青年は血糊を見る。実際には何も滲んではいない。けれど青年は、その剣に吸われた生命を理解した。少女を呼び戻す為だけに、少年が殺した生命。懺悔する意味も込めて、彼は小さく息を吐いた。
「……ルナ。」
「何?」
「もう一度、聞く。お前が欲しいのは、テラだけだな?」
「……?僕はテラを取り戻したいんだよ。」
「テラが戻ってくれば、お前はもう、誰も殺さないな?」
「当たり前じゃないか。テラの為だけに殺してたんだから。」
微笑みながら当然のように少年は言う。その答えを聞いて、青年は安堵した様に微笑んだ。その安堵の笑みが、不吉な予感を呼んだ。けれど少女を取り戻したいと願う少年は、本能の片隅で感じた違和感を、認識しなかった。彼はただ、少女を取り戻せると、歓喜していた。
青年は、剣を握る少年の掌に、自らのそれを重ねる。不思議そうな顔をしている少年の名前を、彼は優しく呼んだ。名を呼ぶ声があまりにも優しすぎた事に、少年は呆然とする。何故か、ゾワリと少年の内側を悪寒が駆け抜けた。
次の瞬間、青年は、自ら誓約の剣の刃に身体を差し出した。
肉を割く、その手応え。既に馴染みきっていたそれを感じて、少年は呆然と青年を見た。剣が青年の生命を吸い、力と成し、歓喜の声を上げる。その様を見届け、青年は、血に濡れた唇で、小さく笑った。
「……良いか、ルナ……。テラを、甦らせたら、ここで……、二人で、暮らせ……。俺はもう、いい……。世界の事も、もう、良いから……。」
「…………そ、ソル…………?」
「…………お前の罪は、全て、俺が、持って、逝ってやる、から……。だからお前は、テラと、二人で、幸せに、くら、せ……。」
ずるりと、青年の身体が崩れ落ちた。意識が白濁していくのを感じながら、少年は剣を抜いた。床に倒れた青年の身体から、血溜まりが広がっていく。けれどそれは床に染みこむ前に、柔らかな光と共に消え始めていく。黄金色の、優しい晄と共に。
「……ソル……?どう、して……?」
「……殺すな、よ……。テラは、ヒトの所為で、死んだけど、でもな、あいつは、一度だって、ヒトを、恨んでなんか、いなかったんだ……。」
「い、やだ!嫌だよ、ソル!ソルもいなけりゃ意味ないよ!僕と、ソルと、テラと、3人で一つなのに!ソルがいないと、何も出来ない!!」
「でき、る……。俺の、生命、俺の力、全て、お前と、甦るテラに、託す。だから、後は、頼む……。」
「ソル、ソル……ッ!」
光の粒子となって、青年の身体が消えていく。どうしてと叫ぶ少年の声に、彼は困った様に笑った。そして視線を、祭壇に向ける。そこには既に、哀しげな眼差しをした少女が一人、立っていた。腰まで届く長い灰色の髪に、右が黄金、左が白銀の双眸。類い希なる美貌を宿した優しげな美少女が、そこにいた。
テラ……?
掠れた声で、少年が呟いた。それには答えず、少女はゆっくりと、少年に歩み寄っていく。掌を、消えゆく青年の額に触れさせた。それだけで、青年は、小さく微笑みを浮かべるのだ。
「貴方は、どうしてそう、捨て身になれるのですか、ソル。」
「……捨て身、か?」
「ええ。…………眠るのですね、ソル。貴方もまた、この世界の一部となって。」
「……あぁ。ルナを、頼むな、テラ……。」
「ひどい事を仰います。貴方はソルだというのに。」
咎める様な口調の少女に向けて、青年は苦笑した。ただ、それだけだった。そしてそのまま、青年の身体は、光となって消え、風に乗ってその粒子すら、残らなかった。