元不良警官と庶民派お嬢様
無駄にパロネタが多いです
美景市は名前からして“美しい景色”がところどころに存在するように思えるが、実はそこまで美景が見られるわけではない。“花咲町”“爽海町”“星降町”“高山町”という、いかにも意味ありげな四つの街が市町村合併した結果である。当時の町長たちは「観光地っぽい名前の街だらけなんだから、どうせなら市名も意味深な名前にしましょう」と、ウソのようなホントの発言をしたらしい。何度かディスカッションがおこなわれた結果、シンプルに“美景市”となったわけだ。
合併当初は花咲町を中心に開発され、花咲町には市立学校だけでなく「名門」と名高い学園まで出来た。花咲シティビルとかいう高層ビルも建てられた。だが、それは過去の話。開発が一段落した現在は、惰性で街が成り立っているようなものである。それでも私がわざわざ美景市に上京してきた理由は他でもないのだが、それは今は割愛。また機会が訪れたらお話いたしましょう。
そんなわけで、美景市到着である。花咲駅前バス停で降り、私は恭介さんに頭を下げた。
「ここまでありがとうございます」
「いいよいいよ。礼を言われるようなことはしてないし。美景市に帰ろうとしたところ、たまたまキミに出会ったみたいなもんだから」
そう言って爽やかな笑みを浮かべる恭介さん。いい人だ。こんな人に好かれる“マロンベルさん”が羨ましい。
「じゃあ、花咲高校で会えるのを楽しみにしてるよ」
恭介さんはさりげなく大手まんぢゅうを一つ私に握らせ、手を振って花咲駅のプラットホームを出て行った。
私は彼の背中が見えなくなるまで手を振り返し、そして大手まんぢゅうを口に入れる。大手まんぢゅうは我が岡山の名産品だが、最近は食べていなかった気がする。久々の味は、故郷を思い起こさせる。
でも、故郷を離れたのは今朝のことだ。まだ午後である。
私は気合を入れて、プラットホームを後にした。
――したのだ、が。
「……………………」
この感じ、三十分前に新横浜駅と一緒だ。
私は再び道がわからなくなった。
「……どうしよう」
だいたい私の故郷は、田舎として全国的に有名な岡山県の中でも、どこに出しても恥ずかしくないほどのド田舎である。もし“日本ド田舎選手権”とかいうのがあったら、たぶん三位ぐらいには入賞出来る。日本は“日本三大ナンチャラ”が好きだから、どこかにあるかもしれない。
それはいいのだが、とにかく私はスーパーマーケットはおろかコンビニエンスストアさえないような田舎でのびのび育った少女だ。駅があるような街中では、どこに行けばいいのかさっぱりわからない。道が入り組みすぎているのだ。
だが、ここでボケーッとしていてもしょうがない。あたりをキョロキョロ見回すと、『花咲駅前交番』という看板が見えた。ちょうどいい。ここで道を尋ねよう。
私は交番を覗いた。運良くおまわりさんはパトロールに出かけていないようだ。
しかし、だ。
私は信じられない光景を目撃した!
行動的には『こち◯』の◯さんがテレビ画面から飛び出してきたかと思ったが、どうやら違うようだ。目つきの悪いおまわりさんは、腕まくり足まくり姿で、一心不乱にデスクに向かって透明ケースを見つめていた。彼はふと思い立ったが吉日とばかりに引き出しからフィギュアを取り出し、それをケースに入れようとしていた。
「…………!」
見なかったことにしよう。私は抜き足差し足忍び足で交番を離れる。
すると、
「待て」
短くキレのある声が耳に飛び込んできて、私は思わず硬直した。恐る恐る振り向くと、さっきの両さんがこちらを見つめていた。いや、見つめていたという表現は正しくない。ライオンがシマウマを見つけたときのような、そんな目。
「テメェ、交番に用があるんじゃねェのか」
「は、はあ……」
チンピラ口調のおまわりさんに逆らうとろくなことがない。私はホールドアップして交番に足を踏み入れた。
「あの、私、何も持ってませんが……」
「?」おまわりさんの頭上にハテナマークが浮かぶ。
「私、ただの岡山から来た女子高生でして、新出荘に行きたくて、花咲高校生徒になりたくて、それで……」
「何を言ってるんだ、テメェ」
おまわりさんはため息をつくと、デスクチェアで足を組み直して腕を組み直した。目つきが鋭く背が高くガッチリした体型なので、ますますチンピラ臭い。年もまだ二十代後半ぐらいだ。『街でも悪評判だった不良少年がある時警察のご厄介になり、刑事による必死の更生支援のおかげで警察に入るまでに』という、一昔前の青春ドラマを想像した。
「テメェ、どっから来たかはどうでもいいが、交番に用事があるんだろ。長谷川の仲間か」
「長谷川?」私はしばし考えて、恭介さんを連想した。
「確かに、私は長谷川恭介さんの知り合いですが」
「そうか。長谷川は栗山一筋だった気がするが、まあ、それはいい。叶わぬ恋は諦めるしかないのだ」
おまわりさんは自分の息子が巣立ったような感慨深い表情を浮かべ、二度頷く。
「それよりテメェ、用事があるなら早く言え。それとも、同僚がパトロールから帰ってくるまで待つか?」
「いえ、今言いますから」
早いところこんな交番から退散したい。私は率直に要件を伝えた――と、その前に、ずっと気にかかっていたことを尋ねた。
「すいません、あれ、なんですか?」
私はデスクの上を指差した。おまわりさんもそちらを見る。
透明ケースの中に女の子のフィギュアが入っている。女の子はピンク色の髪色で、戦隊ヒロインみたいなファッションをしている。肩の上には同じくピンク色のスライムのようなものを乗せている。どこかで見たことあるようなキャラクターだ。
「おいおい、テメェ、美桜ちゃんを知らねェのか!?」
おまわりさんは瞠目し、それから呆れたように肩をすくめる。
「ど忘れしただけです! きっとすぐに思い出します!」
「ど忘れなんて許せねェ! 『セゾニエール・ガールズ』の主人公、如月美桜ちゃんだ!」
私の思考は停止した。おまわりさんは胸を張り、美桜ちゃんとやらについて自慢話を始める。
「美桜ちゃんは穏やかで純粋で天然で、おまけにドジっ娘な、世の中の萌えという萌えを詰め込んだような女の子で……」
「はいはいはい……」
長くなりそうなので私は話の腰を折る。
「わかりましたから、わかりましたから。すべて思い出しましたよ。私も昔見てました」
どうりで見たことがあるような気がした。
『セゾニエール・ガールズ』とは、日曜朝九時からテレビ朝日で放送されているアニメ作品だ。主人公の如月美桜と、三人のクラスメートたちが、“メテオライト”と呼ばれる隕石のかけらをパートナーにして「三分後の世界」からやってくる悪の組織と戦う戦隊ヒロインモノだ。十一年前から途切れることなく放送されている人気アニメである。
元は女児向けとして制作されたが、戦隊ヒロインの類に漏れず、その手の輩の支持も絶えないという。おまわりさんもその仲間らしい。
「そういえば大昔、親戚と一緒にセゾニエーラーごっこをした覚えがあります。最近はあんまり見てないけど、あらすじだけは覚えてますね」
「そうか、そうか。その親戚とやらはいいやつだ」
どっちかというと私が“遊んでもらった”というより“遊ばされた”というほうが正しい。でも、おまわりさんがご機嫌なので黙っておく。
「この美桜ちゃんのフィギュアは、実はプレミアがつくほどの逸品でな」
おまわりさんはデスクチェアに身体を沈め、勝手に語り始めた。
「骨董品店にもヤフオクにもアマゾンにも売ってない。知り合いの『セゾニエール』仲間にも当たったが、どこにもない。そりゃそうだろうな。このフィギュアが発売されたのは『セゾニエール』が放送スタートした直後だ。つまり十一年前。そんな昔のフィギュアなんて、そうそう見つかるもんじゃねェ。しかも元から希少価値の高い、個数限定販売だったんだ」
「は、はぁ……」
「だが! 諦めかけた俺の元に、大きなチャンスが巡ってきた!」おまわりさんは拳を握り天を仰ぐ。
「ついこないだのことだ。花咲町に住む男が、このフィギュアを二つ持っていた。海野渚のプレミアグッズと交換しようと持ちかけてきたんだ。俺は歓喜し、さっそく海野渚の個数限定販売腕時計を渡した。彼は俺に美桜ちゃんフィギュアをくれた。物々交換成立だ。苦節二年、俺はついに最強グッズをこの手にした。ああ、我が生涯に一片の悔い無し!」
彼はラオウ昇天のポーズをおこない、この長広舌を締めくくった。
唖然とする私。恍惚の表情を浮かべるおまわりさん。
そんな我々の背後に立っていたのは、パトロールから帰ってきた彼の上司だった。
「バッカモーン!」
大◯部長みたいな彼の上司は、◯さんみたいな部下を一本背負いし、ガミガミと口角泡を飛ばしながら説教した。如月美桜のフィギュアを捨てようとしたが、そこはおまわりさんの泣き落としによって免れた。この上司は取り調べが苦手なタイプかもしれない。
それはそうとして。
私は山崎部長(ホントに部長だった)から新出荘への道を尋ね、ようやく交番を出た。
だが、そこは遥香クオリティ。あっちゃこっちゃ美景市を右往左往し、再び交番に舞い戻ってきた。山崎部長は手に負えないと言いたげに部下をチラ見。不良のおまわりさんは苦虫を噛み潰したような顔で立ち上がった。
私たちは新出荘に向かって歩いている。水戸誠司という名前が判明したおまわりさんは、仮ナビゲーションシステムとなった。
「新出荘なんてすぐそこじゃねェか、皆本。なんでこんな簡単な道がわからんのかねェ」
「しょうがないんですよ。昔っからそうだったんですから。三つ子の魂百までってね。水戸さんだって、警官になった今でも“警官くずれ”みたいじゃないですか」
「うっせェ! しばくぞテメェ」
実際元不良な警官と漫才していると、いつの間にか新出荘にたどり着いた。
新出荘はその名の通り新築で、現在二歳らしい。壁は雪のように真っ白で、『新出荘』と書かれた看板も輝いて見える。新しいが、あまりお家賃は高くないようで、皆本家のような金に苦労している家の娘でも一人暮らし出来るほど。そこの五階建てのアパートの三階三号室が私の部屋になるはずだ。
「今でさえ確かに名は体を表しているが、十年も経ちゃあ目も当てられないだろうな。名前負けとはこのことだぜ」
悪態をつく水戸さんと共に駐車場へ。今回の引っ越しで依頼した引っ越しセンターのトラックが停まっていた。もう一台別の引っ越しトラックが見えたが、出会いと別れと旅立ちの春。私のようにアパートで新生活を始めようとする人がいてもおかしくない。
我が家が契約した引っ越しセンター『立川引っ越しセンター』のトラックのところへ向かうと、そこには二人の社員が困り顔で腕組みをしていた。
それも不思議だが、何よりも謎なのは、トラックの荷台から荷物が運び出された形跡がないことだ。いろいろ立ち往生したし、そろそろ部屋にダンボール箱が並んでいてもいいはずだ。
「あの、私、皆本遥香ですけど」
声をかけると、二人の社員は目を覚ましたようにこちらを見た。
「はッ、どうも、皆本遥香様でございますね」
「美景警察署の水戸巡査長も一緒でございますね」
水戸さんの肩書が“巡査長”ということを初めて知った。こりゃますます『こち◯』だ。
まあ、それはどうでもよろしい。私は彼らに尋ねた。
「荷物、運ばないんですか?」
「それが……」
二人一緒に、隣のトラックを指し示す。先程の“もう一台の引っ越しトラック”だ。
トラックから一人の男性が降りてきて、彼らのそばで姿勢を正した。二つの引っ越しセンターの社員が一堂に会した。
面食らっている私に、隣の引っ越しセンターの社員が言った。
「実は、おかしなことが起こりましてね。何の偶然か、うちのセンターとそちらのセンターのお客様が、ダブルブッキングいたしましてね」
「ダブルブッキングぅ!?」
タバコを吸っている水戸さんを小突いて“ダブルブッキング”について尋ねると、彼は「無知だな」と憎まれ口を叩いてから私に教えた。
ダブルブッキングとは、ホテルや飛行機などで、一度に二重の予約を受けてしまうこと。一度に二つの約束をしてしまうこともいうらしい。それは私にも経験がある。友達と遊園地に行こうと約束した日に、母に留守番を頼まれてしまうといった具合だ。皆さんも経験あるでしょ?
とにかく、そういうことらしい。ホテル側にとっては思わぬ失態だ。それと同じ現象が引っ越し業界でも起こるとは、予想もしなかったが。
「アニメやマンガではよくあることッスけどねェ」
責める口調の水戸さんに、三人は萎縮した。
「いやあ、あってはならないことです」
「どうしようかと話し合いをしていたところ」
「話が行き詰まって」
「こうやって一息ついていたんですよ」
分割して説明する彼ら。私は、この問題のもう一人の主役を目で探した。
「その、ダブルブッキング先の入居者はどこにいるんです?」
「ああ、彼女は……」
あちら側の引っ越しセンターの社員は、ハンカチで額の汗を拭きながら言った。
「なかなか話がまとまらないので、三〇三号室で待機していただいていますよ。実は、私のところのトラックが先に着いていましてね。大失敗です。クビにされても仕方ありませんよ」
「じゃあ、そこにいるんですね? その人、何歳なんですか?」
好奇心から尋ねた質問を、社員は説明した。
「十五歳のお嬢様です。なんでも、花咲高校に入学するとかで……」
「そうなんですか!?」「マジか!?」
思わぬ符号に、私と水戸さんは声をあげた。
「私も花咲高校に入学予定なんですよ」
「そうでしたか! これまた偶然の一致ですね。ふーむ……」
こちらの引っ越しセンター社員は、考え込むように目をつぶった。
数十秒後、目を開き、私に突拍子もない提案をおこなった。
「もしかしたら、入学後、クラスメートになるかもしれません。恐縮ですが、お二人でお話し合いをしていただけませんか?」
「それはいい。我々が話し合うより、実際に入居するお二人が、全てを決めていただきたいのです」
「お願い出来ますか?」
三人の大人に頭を下げられたら、断るわけにもいかなかった。
水戸さんは駅前交番に帰り、私は一人で新出荘に入った。
エレベーターで三階へ行き、三〇三号室へ。いくら方向オンチの私でも、これぐらいは簡単だ。
チャイムを鳴らすと、「ふわぁい?」というあくび交じりの返事と共に、少女が顔を出した。まるで今まで居眠りこいていて、ついさっき目覚めたような、そんなトロンとした瞳だ。
だが、これはもう、アニメやマンガでもお目にかかれない可愛い少女だった。私と同い年だが、とてもそうとは思えない中学一年生ぐらいの身長。眠気が吹っ飛んでこちらを見つめる、クリクリした大きな目。ジェルを塗ったようなぷるんとした唇。小さな鼻。黒髪をツインテールにしているところも魅力的だ。
男でなくても魅了してしまう美少女は、顔に似合わぬ口調で質問した。
「あー! もしかしてキミ、さっきうちの引っ越しセンターの人と話してた子? どうしてここに来たの? 彼、あたしはここに暮らすってことで集結したって教えてくれたんだけど」
「え? え?」
どうも話が噛み合わない。
私は、一字一句噛みしめるようにして尋ねた。
「順番に教えてくれない?」
三〇三号室のリビングで彼女――弓野理沙が語ったことは、驚くべき事実だった。
弓野理沙十五歳は、日本全国にその名を轟かす超有名建設会社『弓野建設』社長の親戚。理沙の父親は社長の弟。社長には妻も子もおらず、理沙は今後お見合い結婚し、弓野建設五代目社長の妻になるはずらしい。「まあ、妻になっても、生活は変わらないんだろうけどねー」と、彼女はあっけらかんと言った。
弓野家の家訓は『庶民生活』。「上流階級のような生活をしていたら、お客様が本当に望んでいる建設をおこなうことは出来ない」と創業社長が遺したそうだ。
「遥香のトコの引っ越しセンターは知らないけどさー、あたしんトコはうちの系列会社でねー。ダブルブッキングしちゃったけどお嬢様はここで暮らしますよーとか言いやがったんだけどねー。遥香にはウソをついたってわけ。まったく、あたしなんかお嬢様なんて認識すらしたことないのにさ」
自身の腰まであるでっかいダンボール箱にもたれかかって自社の不祥事を嘆く彼女は、とてもお嬢様に見えない。私と同じ、普通の新女子高生。彼女の方が少しだけ、都会人っぽい雰囲気というだけの違いに見える。
「まったく、大人ってのは無責任ってゆーかなんてゆーか……。遥香もそう思わない?」
理沙は小首を傾げながら私に目を向ける。ゾッとするほどの可愛さだ。
私は理沙が座っているカメ型座布団のカメの顔を見つめながら、まったく別の方向に船を向けた。
「それは、確かに大人はいろいろ謎だけど……まず、考えようよ。私は引っ越しセンターの人の提案でここに来たんだけど」
私は駐車場の出来事を全て語った(水戸さんのことは語る必要ない)。
語り終えると、理沙は鼻で笑った。
「入学前にあたしに友達を作らせようとか考えてるのかもね、不動産屋も引っ越しセンターも。あたしこう見えても、昔から社交的なんだからね」
確かに、初対面の人間にあれだけぺちゃくちゃ喋れる女子高生を社交的と言わずなんと言おうか。
「それはいいけど、私はこれからどうすればいいの? 理沙」
「どうもこうもないと思うけどね。あたしが一言パパに言えば、あの人たちは明日から引っ越しセンターの敷居をまたぐことは出来ない」
「それも悪いと思うけど」
「でも、間違えたのはあっちだし……。とにかく、あたし以外の顧客じゃなくてよかったかも。あたしは身内だし」
理沙は肩をすくめて、
「まあ、いいけどね。あの人たちはどうせ系列会社。『弓野』の名を冠してるわけじゃないのよ。ここだけの話、この新出荘も弓野建設が建てたものなのよ」
そうだったのか。
「引っ越しセンターにしてみれば、あたしに入居しといてもらった方がメンツ的にいいかもしれないけど、あたしはどっちでもいいわ。今さら金持ち生活する気はないけど、どっか他のアパートやらマンションやらコーポやらに移ることも出来るわけだし。そうだ、遥香とルームシェアするって手もあるわ」
「そ、そうだね……どうしようかな……」
私は目を伏せた。理沙に借りたクッキー柄座布団が見える。
ルームシェア。それもいいかもしれない。ルームシェアしたら家賃も半分になる。そしたら、私の大好きな趣味も思う存分楽しむお金が生まれる。
「……………………」
しばらくの沈黙。
空気を変えるように、彼女が明るい声で立ち上がった。
「ねえ、トランプでもしようよ? 気分展開にいいじゃん」
「引っ越しセンターの人、待たせてあるんだけど……」
「いいのよ、どうせトラックでタバコでも吸ってるんだし」
「なら、お言葉に甘えて……」
それでいいのだ、と彼女はバカボンのパパになり、ダンボール箱を開けた。
しかし、背の低い理沙は、大きなダンボール箱の底まで手を伸ばすことが出来ず、涙目でこちらを見た。
私は代わりにトランプを取ろうと、ダンボール箱を覗き込む。
そこで、信じられないものを目撃した。
私は“それ”に手を伸ばし、持ち上げて胸に抱いた。
「ねえ、これ、なんなの?」
「それ? なんだっけ……」
ダンボール箱の中にはトランプやすごろく、ベーゴマなどのおもちゃが詰まっていたが、一つだけ場違いなものが混ざっていた。
焼き物だ。この形からすると花瓶だろうか。花瓶の縁に『ト』というサインが入っている。こういう焼き物、どこかで見たことあるようなないような……。
「不思議なこともあるものねェ……」
首をひねる私に、理沙がはしゃいだ声で教えた。スマートフォンをポケットにしまっている。
「遥香! パパにメールしてみたらね、金重陶陽とかいう作家の作品なんだってー。何の焼き物かはわかんないけどねー。有田焼とか?」
「備前焼、よ!」
私は思わず叫んでいた。備前焼を、そっと、慎重に、濡れ髪を剥がすようにダンボール箱に片づける。フタを閉めて、ようやく胸を撫で下ろした。
「理沙、これ、どういうこと?」
「どういうことって? イミフだよ」
理沙は無邪気に上目遣いで聞いてくる。
私は岡山県出身として、彼女に諭した。
「あのね、これは、人間国宝の備前焼作家が作った作品でね。『ト』というサインが入ってるでしょ。最低でも三百万はするでしょうね」
「へー、三百万」
三百万がピンと来ないのは、庶民的だからか、そばにあって金額だからか。
この『ト』のサインは、前に『なん◯も鑑◯団』で見かけた。金重陶陽の六十代からの作品には『ト』と入っていたということらしい。
思わぬ発見で、私はルームシェア承諾前に、理沙に尋ねることが出来た。
「ねえ、もしかして、これ以外にもお高いものがあったり……」
「お高いかは知らないけどー。前に友達を家に呼んだ時、驚かれたことがあったよ。カーペットがペルシャナンチャラだったり、ママのバッグがシャネルだったり」
ペルシャ絨毯にシャネルのバッグ。
ダメだ。弓野家は住宅だけは一般庶民でも、中身は金持ちだ。
「じゃあ、じゃあさ。この金重陶陽の備前焼はどこに置くつもり?」
「あたしの部屋かな? あ、もしルームシェアするなら言ってね。遥香の部屋にも置いてあげるからね」
「いりません」
私は辞退した。
「どうして~」と理沙が聞いてくるけど、無視。しょせん彼女とは親友であり、ルームシェアをするには至らない関係なのだ。
「いらないと同時に、私はルームシェア出来ないってことも伝えとく。いい?」
「うーん、しょうがないなー。本人の意志を尊重しなくちゃね。建設と一緒だよ」
「でも、私はこれからどこに住めばいいんだろう?」
「それはあたしに任せて! うちの系列会社がご迷惑おかけしましたってことで」
理沙はそう言ってスマホを取り出し、誰かに電話した。
「もしもし、パパ? 実はカクカクシカジカで……うん、わかった。遥香に聞いてみる」
“パパ”ということは、相手は弓野建設副社長だ。大会社のナンバースリー。ゆくゆくはナンバーツー、その後確実にナンバーワン。
世界が違う。世間は広い。
ありがたくない事実を見出し呆然としているところに、理沙が腰を小突いた。
「パパが謝ってた。家賃は払ってもらわなきゃいけないけど、パパが管理人をしてるアパートにおいでってことだよ」
「理沙のお父さん、アパートの管理人してるの?」
「ものすーごくボロっちいアパートの。『古井荘』って言うんだけど、立地はいいよ。花咲高校から徒歩十分、花咲駅から徒歩五分、ここから徒歩二十分」
確かに、それは魅力的だ。
「ボロっちいって、どんぐらい?」
「半端じゃないよ。あまりにも古いからお化けが出そうだって言われてて、なかなか入居者が増えないの。で、おもしろいことにね!」
理沙はくすくす笑いながら、
「敷地内に倉庫があってね。そこを弓野建設が改装して、人が住んでるの。『神崎探偵事務所』とかいうプレートがかかってるから、神崎さんって人が暮らしてるのかも」
「神崎探偵事務所?」
ふーむ。探偵事務所か。私は今まで多少なりとも探偵小説を嗜んできたが、そこに登場する探偵事務所はたいていビルに入っていた。ボロアパートの倉庫が探偵事務所なんて、新しすぎる。斬新すぎる。
「なんだか不思議ね……」ネタになりそうだわ。
「探偵事務所はどうでもいいんだけど、いちおうびっくりしないように教えとこうと思って。遥香がオッケーなら、古井荘に入居する?」
「……………………」
「徒歩十分、五分、二十分だよ」
「………………」
「1LDKだよ」
「…………」
「バス・トイレ付きだよ」
「……」
「家賃は一万五千円だよ」
「乗った!」
私は理沙と熱い抱擁を交わした。
やっぱり世の中、金なのだ。