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7. 時には諦めることも必要です

 豪華な休憩室の扉の前に立ち、私は暫し呆然と立ちすくんでいた。扉の小さな小窓から見えるのは、メイリーンである。


 貴族の中の貴族、令嬢の中の令嬢。王妃になるために生まれてきたと言っても過言ではない程、洗礼されたレディだ。


 そんな彼女が、高級そうなソファーに大の字で寝転んでいたら、この国で生まれた乙女ならばショックを受けるだろう。そういう私も、ショックで呆然としていた。


 なんてこと、もう少しで下着が見えてしまいそうじゃないの。


 乙女として許容範囲内だと思われるくらい自然な動きで、スカートの中を覗こうと小窓に張り付く。


 張り付いた時点で怪しい行動ですって? 誰にも見られなければ問題ありませんの。


 女性のオーラは下着からと聞いたことがある。彼女の下着を知ることが出来れば、同じようなレディになれるかもしれない。


 それが建前である。


 隠されているものは見たくなるという、人間の本質のまま下着を拝見しようとしていれば、彼女がもぞりと動いた。


 咄嗟に小窓から隠れ、低い姿勢で小窓から離れる。そして、素知らぬ顔で、休憩室に近付いた。ゆっくりとノックをし、静かにドアを開ける。すると、美しく微笑むメイリーンが、美しい姿勢で座っていた。


 素早いも身のこなし、素敵です。


「またお会いしましたね。トリステン家のお嬢さん」


「先程ぶりですね。ヴィエーガ様」


「メイリーンと呼んでくださって構いませんわ」


「ではわたくしも、イザベラと気軽にお呼びください」


 軽く頭を下げながら、定型的な挨拶をする。ファーストネーム呼びを許可すると言う事は、それなりに気を許しているということだろう。


「ではイザベラさん。よければお座りになる?」


 ぼふぼふと長椅子の隣を叩くメイリーンに、笑顔を張りつけながら頷く。


 憧れの御令嬢とお話しできるなんて、光栄なことです。面倒臭いとか思わない思わない。


「失礼致します」


 ふっかふかの長椅子は姿勢を保つのが難しい。前世の就活でも無駄に弾力の良いソファーには苦戦したものだ。腹筋とか程遠い人生だったので。


 浅く腰かけ、背もたれに頼らぬよう、幼い腹筋がぷるぷるしております。


「初めてのパーティー、いかがでした?」


「殿下と踊る事ができ、本当に夢のようでしたわ。殿下にとっては愉しい時間ではなかったかもしれませんが。メイリーン様は婚約者ですから、きっと殿下をもっと御存じですのね」


 美しい笑みを浮かべていたメイリーンの顔が、一瞬曇る。これは厄介事がありそうだ。


 藪蛇にならぬよう、話題を変える事にした。


「殿下について知りたいと思うのは不躾でしたわ。申し訳ありませ」


「私と殿下は親しいわけではありませんわ」


 話題の転換失敗ですと。


「そうなのですか。メイリーン様のご趣」


「そう、我々は戦友なのです」


 聞いていません。


「恋愛感情よりはそういう関係の方か、うまくいく場合もありますものね」


 仕方なく話を合わせる事にした。長い物には巻かれる、これ鉄則。


「ええ、ええ。私は物心ついたころより殿下の婚約者として、あるべき姿を求められてきました。……私には夢がありましたが、それを叶えることは不可能でしょう」


 暗い顔をしたメイリーンを、灯が照らす。愁いを帯びたその姿は息を呑むほど美しかったが、如何せん強引な姿勢を見せられていたため、残念感が否めない。


「そうでしたの。貴族の娘として生まれたからには、ある程度将来が縛られるのは仕方がありませんわ」


「分かっています。それでも私は、騎士になるという夢を持ってしまったのです」


 メイリーンの言葉に、爺から学んだ貴族知識が呼び起こされる。


 ヴィエーガ公爵家。それは伯父の公爵家と対をなす、この国有数の名家だ。文のウィンスター家、武のヴィエーガ家と言われる通り、主に外交や内政に秀でたウィンスター家とは違い、ヴィエーガ家は優秀な騎士を排出してきた。現当主はこの国の騎士団長を務め、次期当主と名高いメイリーンの弟は幼いながらも優秀さが垣間見えるとか何とか。ウィンスター家に『蒼の証』がある様に、ヴィエーガ家にも『緋の証』というものが存在する。緋色の目を持つ者は大成すると言われ、メイリーンの弟がそれを持っている。


 彼女の弟は、乙女ゲーム攻略対象者の一人で、かなりいいメンバーとなる予定だ。ヴィエーガ家の『緋の証』持ちであるし、見目麗しい公爵家の次期当主。婚約者の弟なためか、王太子の覚えもめでたい。将来有望株といったところである。


 そのため、いくら彼女に力があろうとも次期当主になるのは無理な話だ。元々、女性が当主になれる事はほとんどない世の中である。『緋の証』持ちの令息がいるのであれば、言わずもがなだ。


 とはいっても、武力を重んじるヴィエーガ家。その名に連なる者で非力というものは認められず、女子供であろうが武力を求められる。嫁入りしてきた娘がきつすぎる特訓で逃げ帰るということがよくある、らしい。鬼畜である。


 男がいなくとも家を守ることが出来るくらい、ヴィエーガ家の女性は強い。行き場ない貴族男子が集まる騎士団よりも、強いのではないかと言われるほど。


 騎士こそこの国を支える敬うべきものだと、教えられるらしいヴィエーガ家にいれば、騎士に憧れるのも至極真っ当であろう。


「この国には女騎士というのはいませんの?」


「いない。だから、私が作ろうと思っているのだ!」


 急に立ち上がったメイリーンは、拳を高くつき上げ叫んだ。


 その姿は令嬢というよりも志の高い騎士の様だった。強ち間違っていないのが悲しい。


「私は騎士にはなれぬ。何度父上や母上に頼んでも、私は人々の模範となるべき令嬢になれと言うばかり。何故女は騎士にはなれぬのかと聞けば、そういうものであると一点張り。ウィンスター家を頭の固い連中と言いながら、頭が固いのは我が両親の方だ!」


 自分で言っていて興奮してきたのか、頬が赤く染まっている。目がぎらぎらしておらず、古臭い口調でなければ美しい女性なのに。


 なんてこったい。


「女が騎士になってはいけないという法律はないが、女性は家の中で守られるべきだと考えられている。そういう世の風潮を、私が王妃となり変えていく。それが私の夢だ。……私の夢と、周囲の期待とのいい着地点なのだ」


 明らかに未練たっぷりな感じで落ち込むメイリーン。新しい夢を作ったのはいいものの、前の夢が捨てきれないというわけか。


 それはいいのだけれど、何故私に話す。


「素晴らしいと思いますわ。本で読んだだけですが、他の国には女性騎士だけの騎士団があるそうですよ」


「それは誠か!」


 ずずいっと顔を寄せてくる彼女に圧倒される。近づいても美しい顔なんて腹立たしい。しかも、迫力が凄まじい。


「え、ええ。所謂王妃専属の騎士というものらしいです。騎士とはいえ王妃に男性を近づけたくなかった王の御考えらしいですわ」


「成程。そういう目的ならば女の騎士団があっても良いかもしれぬな」


 ぶつぶつと独り言を吐き出しているメイリーンは、傍から見れば異常であろう。死んだ魚を見る様な目で見ない様気をつけながら、思考を巡らす。


 メイリーンってこういう性格ですと。


 取り敢えずその一言が私の心境を表していた。


 確かに、前世知識において彼女に関しての情報は少ない。とはいえ、令嬢として育てている筈なのにこの様な女性が出来上がると言うのは、ヴィエーガ家の不思議なのか。


 独り言には「某伯爵を買収」だの「某侯爵をあれで脅す」だの、不穏な発言も混ざり始めた。危うい。


 ちょっとした仮定の話として、私は尋ねてみることにした。彼女が、乙女ゲーム的ストーリーを進んだ場合の将来を。


「もしも、もしもの話でございますが、王太子殿下が心変わりをなされたら、メイリーン様はどうなさいます? 婚約を破棄されるようなことがあれば……」


 メイリーンは驚いたように私を見つめ、暫し考えるように首を傾げた。その顔は今まで考えたこともないことを考えているような顔で、不思議そうである。


「……そうだな。取り敢えずやけ食いだな」


「は?」


「私はかなりの食道楽でな、美味いものに目がない。ストレスが溜まったり、理不尽な目に遭ったりしたら吐きそうになるまで食べることがストレスの発散になるんだ。だから、まずは食べまくる。そして、それから考えるよ」


 にこっと爽やかに笑うメイリーンが目に痛い。いい人過ぎるぜこの人は。竹を割ったような、とはまさにこのことである。


 自称さばさば系実は嫉妬深い乙女にないような爽やかさがそこにはあった。皐月に吹く薫風のような、香り立つ爽やかさだ。悪役とは程遠い姿である。


「それはいいですわね」


「まあ、そんなことにはならぬと思うがね。私は女性でも騎士になれる国づくりのため、殿下の王妃として相応しい女性となり、彼の仕事を手伝う。殿下はよりよき国づくりのため、協力的な王妃を手に入れる。それが私達の間にある関係だ。どちらにもデメリットがない。婚約を破棄する理由はないさ」


 今は、ですけどね。


 口角が厭らしく上がりそうになるのを抑え、私は笑顔を浮かべる。そうなればいいとは思うけれど、そう簡単にいかないであろう未来を、嘲笑いたくなった。


 彼女も私も、ヒロインが現れなければ穏やかに暮らせるかもしれない代表格だ。


「しかし、どうして私にそのような話を? 失礼ながら、今のメイリーン様は世間一般的にレディとしては眉を顰められましょう」


 古臭い言葉、粗雑な仕草。全て褒められるべきものではない。ついつい熱くなるのは分からないでもないが、ここは王宮である。仮面を脱ぎ棄てていい場所ではない。特に、今日会ったばかりの人物を前にしては。


「ああ、すまないな。興奮すると言動が荒くなってしまう性質なのだ。許せ。そうそう、イザベラ殿に話をした理由だったな。それは、殿下に全く興味がなかったからだ」


 それを貴女が言いますか。


「イザベラ殿の両親は殿下へ熱い視線を注いでいたが、貴殿自身は興味深そうに見つつも熱量はない。ダンス中も余裕がありながらも不必要な会話はせず、踊るだけ踊って殿下から離れていった。そして、私へ丁寧過ぎる程気遣った事だな。普通、王太子殿下を狙っている令嬢と言うものは、私を牽制するものだ。貴殿にはそれが全くなかった。それがとても興味深く、好ましかったのだ」


 ほとんどいい当てられて、私はなんとも言えない感情を抱く。別に隠す必要のないものだが、気持ちのいいものではない。


 敢えて一つだけ言おう。ダンスは全く余裕がなかったと。


「それは何とも嬉しいこととは言えませんが、殿下へ恋愛感情がないことなど、別にいう必要がないのでは」


 そう、王太子との間に愛がないと知れれば、そこに付け込もうとする輩がいる。はた目から見て分かりやすいとはいえ、自分の口からいうべきことではない。


「それもそうだな。何と言うか、決意表明をしたかったというか。誰か、私の気持ちを知っていてくれる友が欲しかったのだ」


 友ですと。


「あら、ここにもう一人いるなんて知りませんでしたわ」


「何を言っている。ここは私とイザベラ殿だけではないか。私は妹が欲しかったから、丁度いい。こんな幼い友人は初めてだぞ」


「聞き間違いでしょうか。私とメイリーン様がお友達だと聞こえたのですが」


 待ってくれ、私は悪役の友人はいらない。これ以上面倒臭い事件に巻き込まれるなんて御免である。


「はっはっはっ。恥ずかしがらずともよい。今度茶会に誘う故、楽しみにしていろ」


 ばしばしと肩を叩かれる。このノリは完璧体育系だった。なんてことでしょう。


「それは光栄にございます」


 学園編を乗り切っても、悪役ルートから逃れられないフラグが立ちました。


 勘弁してくれ。


「そろそろ私は戻らねばらないな。王太子の婚約者だから、あまり傍を離れるわけにはいかん。ではまた会おう」


 ドレスのスカートを華麗に翻し、メイリーンは颯爽と立ち去った。私はぽかんとそれを見送るしか出来ない。


 眩暈を感じ、ふっかふかのソファーに倒れ込む。


 乙女ゲームの主要キャラとは距離を取ろうと思っていたのに。なんて事だろう。

これはもう国外脱出しかないかもしれない。


 後々両親を売って助かろうと思っていたのだが、それだけではまだ処刑ルートが残ってしまう。メイリーンだ。権力大好き両親が、公爵家であり王太子の婚約者のメイリーンとの友好関係を喜ばない訳がない。上手くいけば王族と仲良くなれるかもなんて考えるだろう。浅はかな。


 兎に角、メイリーンと仲良くしないと言う選択肢はもうない。ずるずると悪役ルート再びになるだろう。国外に逃げる以外には。


「そうだ、どっか行こう」


 遠い目をしながら、そう呟くしかなかった。






 暫く休憩室で世の無常について嘆いていたが、お子様はおねんねするべき時間を過ぎても探しには来なかった。お喋りに夢中なのか、見当違いのところを探しているのか分からないが、迎えというのは期待しない方がよいのだろう。


 パーティー会場に戻り、両親を探してみれば奇声の先に母がいた。正確には鶴の鳴き声のような笑い声なのだが。お話が盛り上がっているようで、ぎゃんぎゃん声が大きい。周囲の他の客は、五月蠅いという心の声が聞こえてきそうな顔で睨みつけている。どうやら母は社交界にお呼びでない様だ。残念。


 父はといえば、様々な食べ物が所狭しと並んだテーブルの傍の、少し薄暗くなっている部屋の角で何やらにやにやと話しこんでいる。あれは悪い話をしている顔だ。だが、悪い話をするならばもっと人のいないところでやるべきである。食べ物の傍など、人が来るわ来るわ。そこら辺の詰めが甘いのが父の特徴です、はい。


 両親にそれぞれ声を掛ければ、好きに帰っていいとのこと。つまり、勝手に帰れと言う事だろう。パーティー会場に戻る途中、親と共に帰って行く子供を見た。つまり、我が家は異常である。


 やれやれと思いながらパーティー会場を出ようとすれば、ばったりと伯父に会ってしまった。もう帰りたいんですが。


「やあ、イザベラ。まだ帰っていなかったのかい?」


「ええ、ちょっと会話が弾んでしまって。今から帰りますの」


「エヴァン達は?」


「まだお楽しみなようですよ」


 顎でくいっと父を指してみれば、伯父もやれやれと首を振っていた。やはり子供一人で帰すのはいただけないようだ。


「送ろうか? 私も帰ろうと思っていたんだ」


「遠回りになってしまいますから、御迷惑でしょう。馬車に乗っているだけですもの。わたくしでも出来ますわ」


 盗賊とかに襲われないなら、の話ですけど。でも、伯父と仲良く馬車で二人きりなんて辛すぎるので勘弁。


「そういう問題ではないと思うのだけれどね」


「必要ありませんの。それより伯父様、お願いがあります」


 面倒な話題はさっさと変えるに限る。そして、厄介なお願いごともさっさと片付けるに限る。


「何かな? 小さな妖精さん」


 ああ吐き気。


「……今日仲良くなった友人にわたくしの好きな本を貸すという約束をしまして、諸々の事情から伯父様のタウンハウスを貸していただきたいのです」


「諸々の事情にもよるなあ」


 にやにやと意地悪そうに笑う伯父を睨みつけ、ふんと鼻で笑う。


「貸していただけるのなら話しましょう。出来ないのであれば、この話はなかったことにしてくださって構いませんわ」


「うーん、いつかな」


「十日後ですわ」


「そうか、なら私は空いているね」


 別にいなくても構わない、寧ろありがたい。


「まあ、それは幸運ですわ」


 心にもないことをいう事には慣れました。


「初めての姪からの頼み事だ。伯父としては叶えてあげたいけどね」


「それならば、お礼としてあの子たちの一人を一日貸しましょう。それでいかがかしら」


「一日だけかい?」


「わたくしだって、屋敷を借りるのは一日だけですわ。まさか、人間一人の命よりも屋敷の方が重いとは言いませんわよね?」


「別に殺す訳ではないからね。……まあいいよ。貸してあげよう」


 内心ほっとしながら、にこやかな笑みを浮かべて見せる。


「とても嬉しいですわ。ありがとうございます」


「さて、事情と言うのを話してくれるかな」


「ええ。ちょっと伯父様、耳を貸してくださる?」


 私がそう言えば、伯父はしゃがんでくれた。その耳に近付き、内緒話をするように口を寄せる。


耳にふーっと息をかけたくなるのは某春日部の園児の影響だろうか。


「今日出来たお友達、ローランド様ですの」


 伯父の目が大きく見開かれる。


「それは本当かい?」


「そう名乗っておりましたわ。白と金色の服を着ていらしたから、強ち嘘ではないかと。第二王子をトリステン家にご招待すると、父や母が必要以上に構いそうで。ゆっくりお話出来ないのではないかと不安ですわ」


 政治的背景とかではなく、あくまで友達との会話を邪魔されるのが嫌なだけだと言葉を続ける。


「……確かに、穏やかな会話は出来ないかもしれないね」


 伯父の目がきらんと光る。そりゃそうですね。不穏分子でしかないトリステン家に王族をほいほい関わらせるのは得策じゃないよね。だから貸そうね御屋敷。


「わたくしの諸々の事情、分かっていただけました?」


「ああ分かったよ。自由に使うといい」


「では、朝食を食べたら伯父様のタウンハウスに伺いますわ。よろしくお願い致します」


 ドレスの裾を摘み、しっかりと頭を下げる。美しい笑顔を浮かべた伯父が、ぽんぽんと頭を撫でた。髪形が崩れるからやめてほしい。


「待っているよ、イザベラ」


「それでは、わたくしは帰りますわ。ごきげんよう」


 約束も取り付けたし、もう伯父と話す事はない。さくっと踵を返して、私はパーティー会場を後にした。


 溜息を吐きそうになるのを堪え、足を進める。王宮の出入り口に立つ従者が、驚いたように私を見下ろしていたが、私はつんとそっぽを向いた。下手に話しかけられたら困る。迷子センターの様に、「親は?」とか聞かれるのは苦痛だ。私はもう8歳児(プラスα)ですよ。


 今度は怪訝そうな顔をした馬車を管理する従者にチップを渡し、トリステン家の馬車に乗り込む。両親は朝に帰るそうで、馬車は使っていいと言われたのだ。全く、お盛んな事で。


「よろしいのですか? お嬢様」


 未だに訝しげに見つめる従者を気にしてか、御者が私に話しかける。私はにっこりと笑った。気の利かない奴など放っておけばいい。


「出して頂戴」


 何も責められるべき事など、疑われるべき事などないのだ。堂々としていなければ。後ろめたい気分になるのは何故だろう。


 やっと納得したらしい従者が扉を閉める。そうすれば、馬車は動き出した。


 がたがたと音を立てて進む馬車の窓から、王都の街並みを眺める。


 白い壁で統一された町並みは、美しいながらも生活感がない。ぱっと見てどこがどの店だとかが分からないのだ。夜だからということもあるのだろうが、全て似た様な作りの家だ。


 つまらない、と思う。


 私はもっと、活気あふれる下町の様なところが好きだ。


 こういう見た目重視もいいけど、やっぱり下町っぽい方が舌に合う気がする。安いしね。ああ、ケチくささが抜けない。


 もちろん、買い食いするならの話です。


 生まれてからまともに屋敷から出してもらった事がないので、買い食いもしていない。パーティーデビューもしたし、外の独り歩きも許してくれるだろう。駄目そうなら抜け出せばいい。


 新たな野望に胸を膨らませ、私は馬車に揺られる。


 抜け出すのなら、外で使えるお金を稼がなくてはいけない。もちろん、屋敷から出られないであろう私がお金を稼ぐと言うのは至難の業だ。バイトなんて出来ないであろうし、身元が定かではない子供を働かせるところもないだろう。


 乙女ゲームでの稼ぐ手段は大きく分けで三つあった。


 一つはバイトである。いくつかのイベントを解放すると、花屋や食堂といったところで働けるようになる。これはステータスも上がらず、一日費やしてもあまり稼げない。しかし、幾人かの攻略に必要なため、それが目的でなければやらないのだ。


 二つ目は採取や魔物の討伐で手に入れた素材やアイテムを売り払う方法。これは時に便利なものだ。大方、三つ目の稼ぎ方と同時にやるであろう。


 そして三つ目はギルドのミッションをこなして依頼料を頂くこと。魔物や盗賊のモンスターから簡単な採取まで、様々な依頼があるため、レベルが低くステータスも低い状況でもきちんと稼げる。その上、こなす依頼によってはステータスも上がるため、ほとんどの稼ぎ手段だ。


 細かい設定については知らないため、よく分からないがギルドという存在はあるかもしれない。年齢制限がなければ、義兄弟の皆さんに稼いで頂こう。バイトをさせるより人との接触が少なく、技術によっては稼げるかもしれない。


 その一部をお小遣い的なノリで渡せば不満も減るか。


 まあそう簡単に納得してはくれないだろうが、搾取するのはご主人様の特権と言う事で。


 にまにまと金儲けについて考えていれば、何時の間にやら屋敷に到着していた。きっちり4回ノックの後、馬車の扉が開かれる。夜も更けているというのに、爺は寸分の隙もなく執事服を着こなしていた。


「御帰りなさいませ。お嬢様」


「ただいま。あの子たちは?」


「幼い子らは寝かしてあります。もう間もなく上二人も寝るでしょう。身支度に呼びますか?」


「いらないわ。面倒臭い。脱ぐくらい自分でも出来るわよ」


 爺を引き連れ、寝静まった屋敷を歩く。騒々しい両親がいなければ、屋敷は静かなものだ。二人が起きていると、どこでもその笑い声か怒鳴り声は響いてくる。とはいえ、両親は外出が好きなので家にいる時間はそう長くない。耐えうる範囲だ。


「お夜食などは御入り用ですかな?」


「うーん、そうね。軽くスープでもくれる?」


 パーティー始まってから少し料理をつまんだくらいだから、お腹は空いている。がっつり食べたいが、それは我慢だ。ダイエット的なものではなく、朝食が美味しくないからである。ダイエットは大人になってから。


「かしこまりました」


 部屋の前まで着くと、爺が深々と頭を下げる。そのまま自室に入り、長椅子にどさりと腰を下ろす。


 濃い時間だった。たった数時間だけだったけど、人生を左右する数時間だ。これが社交界かと思わず遠い目になってしまう。私ほど生死に直結する人はそうそういないだろうけど、疲れる事に変わりはない。


 長椅子に座りながら装飾品を外していく。重苦しい首飾り、大きいだけのイヤリング、常識外れなティアラ、子供につけるデザインじゃない手袋、夜会には不似合いな柄の扇子、足を痛めることに重点を置いた靴。


 どれもこれも私がトリステン家の娘だと周囲にアピールするための媒体だ。


 立ちあがり、裸足でぺたぺたと歩きながら向かったのは洗面所である。土足文化なこの国で裸足で歩きまわるのはよろしくないのだが、疲れたのだからしかたがない。ふさふさの絨毯が疲労困憊の足裏が癒される。足つぼマッサージか青竹踏みでもしたい。


 装飾されまくりな鏡の中から、憂鬱そうな顔の女児がこちらを見つめている。化粧されているとはいえ、本来の顔の雰囲気からは脱してはいない。ぱっとしない令嬢といったところだろうか。


 ごてごてなアクセサリーを飾らなければ、目立たない様な容姿。両親の飾りたがりの理由が分かった気がした。


 とはいえ、センスは皆無なのだが。


 髪に飾られた花をすぽすぽと抜いていく。ミリアーナの魔法なのか、数時間たっても萎れる事はない。やはり才能のある人材は便利だ。


 かぴかぴする髪が嫌なため、ワックスはつけていないので三つ編みを解けばするすると髪が降りる。生まれてから毛先を整える程度にしか切っていない髪は太股あたりまであった。これを編むのもなかなか重労働だ。婚約者が決まるまでは伸ばしておこうという母の命令である。いいお相手が見付かる様にという願掛けだ。


 はっきり言って邪魔である。


 結べる程度の長さが一番いいと思うのだけれど。


 軽くブラッシングをし、緩く縛る。そのまま、ばしゃばしゃと化粧を落とした。そうすれば、特徴のない顔がこんにちはする。疲労のためか、この世のすべてに絶望しているという顔に見えた。何故。


 将来明るい8歳児なのに。


 冗談はさておき、さくっと紫色のドレスを脱ぎ棄てる。皺になるとか気にしない。同じドレスなんて多分着させてもらえないだろうし。その内換金しようかとさえ思える。


 寝巻に着替え、再び長椅子にお世話になった。この長椅子は特にお気に入りだ。程良い弾力と手触り。高級品なだけある。


 ぐったりと寝そべる気分はクレオパトラだ。あんな美女に転生出来れば、もう少し夢を見られたのだろうか。


 無理ですな。


 暫くぼうっとしていれば、ノックが4回聞こえた。返事をすれば、やはり爺である。


「スープをお持ちいたしました」


「ありがとう」


 大きめのスープカップに入れられたスープから、いい香りが漂った。受け取れば、程良い温かさが手にじんわりと広がる。黄金色のスープの中には、野菜がたっぷり入っていて具沢山だ。


 爺に渡された木のスプーンを使い、澄んだスープをたっぷりと掬う。まずはスープだけを味わうのだ。口に含めば、豊かな旨みが口いっぱいに広がり、様々な食材の優しさが体いっぱいに広がる。


 やはり、美味だ。


 噛み締めるように味わいながら、ゆっくりしっかりスープを楽しむ。


 夜に食べてはいけないという背徳感が若干のスパイスである。スープがいつもより薄い味付けなのは時間を考えてのことだろう。気遣いまでできる爺が嫁に欲しい。


 しっかりと味わい、一滴残らずスープを飲み干し、満足気に溜息をついた


「ごちそうさま。とっても美味しかったわ」


「それはありがとうございます」


 空いたスープカップとスプーンを爺に渡す。


「ちょっと聞きたい事があるのだけれど、時間をもらってもいいかしら」


「ええ。お好きなだけ時間を差し上げますよ」


「あのね、お金の稼ぎ方を知りたいの」


 その時の爺の顔をなんと形容していいか分からない。奇怪なものを見る様な目と言うか、正気を疑われている目と言うか。どこいったポーカーフェイス。


「失礼ながら、何か必要なものでも?」


「うーん、特にこれと言ってないのだけれど、父や母に頼らないで買い物が出来ればいいなって思うの。ちょっとしたことでお金をもらうのも面倒臭いわ。お小遣いとかもらえればいいのだけれど、欲しい物は何でも買う方式だと、それも難しいのよね」


 買い食い目的でお金をくれるとは思わないというだけである。


「……なるほど。しかし、お嬢様が出来る儲け方となると難しいですよ」


「あら、私が稼ぐと何時言ったの?」


「と、いいますと?」


「私には優秀な手駒がいるじゃない。何のために飼育していると思っているのかしら」


 ふふんと鼻で笑ってやれば、困ったように爺が苦笑する。


「まだまだ彼らは未熟です」


「成熟した人間ばかりが金を稼ぐ訳ではないでしょう。彼らにでも出来るものはないの? ファーグが好きな狩りとか」


「そうですね。では、ギルドというのはいかがでしょうか」


 出た、ギルド。


「狩りをする仕事なの?」


 今までの人生でギルドというものは聞いたことがない。知っていては不自然だ。知らんぷりが吉。基本的にギルドは庶民の集団であるので、貴族はあくまで依頼主ぐらいにしかなりえない。暇つぶしや腕試しで所属する貴族もいるのだが。


「様々な仕事が集まり、案内してくれる機関です。腕に自信のあるものが集います。狩りの仕事もあるでしょう」


「身分を隠して働くことも可能かしら」


「ええ。寧ろ訳ありの連中が多いですよ」


「それはいいかもしれないわね。では、明日ファーグを連れていきなさい。お金を稼げそうで、他の子たちも出来そうな仕事があるのなら、後々やってもらいましょう」


「かしこまりました」


「それから、モネの事なのだけれど」


 不自然にならない程度の訓練を皆にはさせてきた。両親のいない時間や眠っている時間を選ぶことで、これといって目立った行動はしていない。だが、外に出るとなれば話は別だ。貴族と言うのは閉鎖的なのだから、出入りする人物というのには気を付けている筈。


 親の目を引き付ける何かが必要だ。


「リモネですか。彼女もギルドへ?」


「いいえ、彼女への訓練はやめにして頂戴」


 爺は私の言葉に首を傾げた。意味が分からないと言いたげだ。訓練しろといったり、やめろといったり、どっちつかずとでもいいたいのだろうか。


「理由を聞いても?」


「やる気のない人へ割く時間が勿体ないと思ったの。このままでは、適当な仕事をするだけの人間になるわ。そんな人材、私は必要としていないの。寧ろ、邪魔ね」


「成程。して、彼女には何をさせるのですか?」


「両親のメイドにでも混ぜてもらえばいいわ。モネは復讐したいみたいだし、復讐の対象の近くにいたいでしょう。自分がどれだけ恵まれた場所にいたのか、いい加減思い知ればいいんだわ」


 両親の使用人は入れ変わりが激しい。少し失敗しただけで奴隷にされるからだ。失敗をしなくても、機嫌が悪かったり、気に食わなかったりすれば、奴隷行きである。


 そのため、慢性的にこの屋敷は使用人不足だ。一人分の仕事量も多い。失敗しない方が不思議な程である。寧ろ、失敗させるよう仕向けている節もあるのだ。


 しかし、それに苦情を言える立場の者はいない。ここの屋敷の使用人は、純粋な労働者ではないからだ。両親に売られた子供、夫に売られた妻、借金の担保として預けられている親子など、それぞれ訳ありの使用人ばかりである。ほとんど自分が売られた値や借金の額の返済のため、奴隷の様な生活をさせられているのだ。しかも、その金を払い切った者はいないと聞いている。


 蟻地獄の様なものだ。


 立場の弱い状態で両親に近寄ったら最後、ずるずると食われるまで堕ちていく。

 両親はほとんど金を払わず使用人を手に入れ、後々それを奴隷として売り払う。そういう金の稼ぎ方をしているのだ。


 人攫いをしないことだけが良い点なのだろうか。いや、攫う必要がないだけなのだろう。自ら進んで蟻地獄の巣に近寄ってくる輩は絶えない。


「……では、そのように」


「明日、朝食が終わったらモネを呼びなさい。話は以上よ。私は寝るわ」


「はい。おやすみなさいませ」


 きっちり頭を下げた爺は、食器を持って退室していく。音を立てずに扉が閉まり、私はふうっと息を吐いた。


 不安要素が多過ぎるこの人生、安寧な時間が来るのだろうか。いつも何かしら不安がある様な人生に疲れてしまう。まだ8年しか過ごしていないのに。取り敢えずは明日、考えよう。もう子供は寝る時間だ。


 軽くうがいをし、堅めのベッドに登る。大きなこのベッドには天蓋が付いており、若干邪魔だ。しかし、暖炉があるのだから仕方がない。寝ている間に煤まみれなんて、シンデレラではないのだし。


 どちらかと言えば美女と野獣の野獣な気分だ。


 無意味な程大量にあるクッションに身を委ね、意識を夢の世界に飛ばした。







閲覧ありがとうございました。


6/17 17:25 一部訂正

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