6. 使えるものは使いましょう
閲覧ありがとうございます。
乙女ゲームで空気な存在、所謂モブというものがいる。日常生活でさえ関わり合いのない他人がたっぷり周りにいらっしゃる状況だが、小説やゲームなどの限られた情報しか得られないものは特に多い。
乙女ゲームでモブだった人が、私的には重要な人物だったりするのは仕方のない事であろう。
良い例が爺だ。乙女ゲームの攻略対象にしろとは言えないが、ハイスペック&美初老だ。マニアック層にはヒットしそうである。
閑話休題。
さて、何が言いたいのかという話だが、目の前にいる乙女ゲームでは出てこない人物がいるという話だ。
ただし、恐らく今現在かなり重要な人物であるという注釈がつく。
「よろしいですかな、殿下。これは一瞬気を失わせる御薬でございます」
「一瞬?」
「ええ。このパーティーは王太子主催という形をとっております。主催者がパーティーの最中に気を失うなど、恥晒しもいいところですぞ。緊張すると気絶するような軟弱な者は、王に見放されるでしょう」
「そうか。なるほど」
「ばれぬよう、こっそり飲み物に入れるのです。いいですか」
「分かった!」
典型的な悪役の会話でした。
休憩室へ向かう最中、見付けてしまった密談現場。高いヒールに幼いあんよが悲鳴を上げていたので、靴を脱いでしまったのが運の尽きである。パーティーで音の鳴る靴を履くべきという暗黙のルールが分かった気がした。嘘ですよ嘘。だといいのだけれど。
「それでは、私は他の者の気を引いてまいります。きっかり半時間後、計画実行ですぞ」
「任せろ」
家政婦も真っ青な感じで柱の陰から見守る。現場にいるのは二人。一人は我が両親と親交が深い、男爵であった。名前は不明。確かコロンブスみたいな名前だった気がするが、定かではない。
問題はもう一人だ。短い淡い緑色の髪と、意志の強そうな金色の目。色白の肌は興奮のためか、少し赤い。あれだ、ショタコン変態が見れば興奮しそうな美少年である。
そして、一番目立つのが、白と金色を使った服装だ。きらきらしいという以前に、そのカラーで服を作るのは王族以外あり得ない。現在、少年と呼べる年齢の直系の王族は、王太子とその弟となる。
つまり、彼は第二王子である。
なんてこったい。
「信じております、殿下。私は先に行きます。御武運を」
すすすっと音をたてぬように、去って行く某男爵。私のいる方向とは反対方向なので、私はじっと見送ります、ええ。
残された少年は、決意を込めた様な眼差しで小瓶を見つめる。
確か、王太子の殺人未遂は毒によるものだったと記憶している。ヒロインが手料理を披露するという初期のイベントがあるのだが、只管拒否をするという鬼畜っぷりだった。めげずに手料理攻撃を繰り返すと、堪忍袋の緒がぶち切れた王太子から、過去の話を聞く事になるのだ。
明らかに、現在の状況は危うい。
暗殺されそうになるまで、第二王子に嫌われているということに気付けなかったと悔いていた。
つまり、それまではそんな素振りを見せなかったという訳で、パーティーで気絶させるという悪戯は存在しない可能性が高い。
本当に小瓶の中が気絶するだけの薬なのか甚だ疑問だ。
小瓶から視線を上げた少年は、ぐっと足に力を入れ、駆けだす。私の方へ向かっているということは、パーティー会場に行くのだろう。
王族として落ち着きがないのは如何なものかと思った私は、しっかりとヒールの靴を履き、そっと足を差し出した。
唐突に出てきた障害物を避けきれなかったのだろう。見事に私の足に衝撃があった。足の痛みを感じると同時に、ごすっという鈍い音が聞こえる。足を確認すれば、微かに赤くなっていた。やはり足を引っ掛けるというのは地味に痛い。
そのまま視線をぴくぴく動く足から下半身、上半身、床と熱い接吻をする頭部を過ぎ、スーパーマンの飛行状態のような両手を見つめる。綺麗な転び姿勢だ。流石王族。
「あら、被害者の様に這い蹲る貴方。偶然歩き出そうとした瞬間、偶然通りがかった人に、偶然足を蹴られてしまいましたわ。わたくしに何の恨みがありまして?」
「違うだろう! あからさまに引っ掛ける目的で足を出していただろう!」
「まあこれが噂の被害妄想クレームというものですのね! 市井は怖いですわ」
「違うと言っているだろう! 話を聞け」
「聞きませんわ。貴方は王族。どうせわたくし以外の者に話せば、それは真実になるのでしょう。わたくしくらい、否定しても良いのではありませんこと」
「……格好良いことを言っているつもりかもしれないが、お前に否がある事は確実だぞ」
失敬な。
「あら、どちらかと言えば貴方の方がここにいた事を騒がれたくはないのではありません? 悪戯の計画とは言え、見る人が見れば怪しさ満点ですわ」
可哀想な子を見る様な目で私を見ていた少年は、気まずそうに視線を逸らす。
「視線は逸らさない!」
「は、え?」
「貴女は王族でしょう。視線を逸らすと言う事は、図星を刺されていると暗に伝えることになります。王族ならば、相手に感情を読まれない様努力なさい」
「な、何様のつもりだ!」
「イザベラ・ミカロ・トリステン様よ」
正確には悪役様ですね。
たまには悪役っぽいことをしておこうという、私の涙ぐましい努力。清々しいとかじゃありませんよ。ええ、本当に。
「トリステン家の娘か。成程、王族に暴言を吐くのも頷けるな」
「根拠のない決めつけ。流石王族ね。お父上にそっくり」
「父を侮辱する気か!」
「私の父の嘘臭い世辞をそりゃあもう嬉しそうに受け取っているのだもの。あれが王族なんて笑えるわ」
「っ! 父は素直なだけだ!」
「そう、素直なのね。だけど、素直と馬鹿正直というのは紙一重よ」
私の言葉に、少年は大きく目を見開く。王を真っ向から否定したことに驚いているのだろうか。王への批判はタブーだと、不文律でもあるような雰囲気の国にでは、珍しいかもしれない。
だから敢えて言おう。彼は馬鹿であると!
王に告げ口しようとするならば、その右手握りしめられた小瓶を突けば問題あるまい。
「国民に素直なのは素晴らしい事よ。でも、馬鹿正直は違う。疑うことを知らなければ、騙されるだけよ。それに知っているの? 素直には素朴や穏やかという意味もあるのよ。王の趣味を見ていれば、どちらもないように思えるけど」
「……何が言いたい」
「馬鹿正直な王と、貴方はとても似ているわ」
「なん、だと」
「先程の話を最後だけ聞かせてもらったの。お兄様に悪戯をしたいようね」
少年は、ぐっと唇を噛み締めながらも、目を逸らさない。気が強いのも結構だけれど、意地で真実が見えなくなるのは問題だ。
遠いところで人々の話声が聞こえる。パーティーはまだ終わらない。しかし、子供はもう帰る時間だ。早くしなければ、両親が私を探しに来るかもしれない。
時間がないので、私は直球で行くことにした。
「あの男爵がどう説明したか分からないけれど、その薬本当に気絶させるだけ、なのかしら」
「ロンブスはそう言っていた」
ああ、そうだ。ロンブス男爵だ。すっきりすっきり。『コ』がいらないんだった。覚えやすい様な、覚えにくい様な。
彼は両親の良き友である。つまり、類友方式で行けば、悪い大人という奴だ。男爵は両親に愛されている子供にしか、相手をしていなかった。冷めきった親子には、親にしかきちんと接しない。そういう、人間なのだ。それが、ちょっとした子供の悪戯を簡単に手伝うだろうか。
「彼が目の前でそれを呑んだの?」
「いいや」
「詳しい成分表を渡してきた?」
「……いいや」
「薬の名前は?」
「……知らない」
いよいよ手に持っている物体が何なのか分からなくなったのか、目を見開いて小瓶を見つめる。
子供相手に薬の説明は必要がないと思ったのか、それとも、説明できないものだったのか。せめて本当に気絶するだけの薬の名前くらい教えればよかったのに。
「よくそんな怪しげな液体、お兄様に呑ませようと思ったわね」
「ぼ、僕は……」
「貴方、そんなにお兄様が嫌い? それこそ、殺したい程」
馬鹿馬鹿しくて溜息が出る。彼は立場というものを理解していない。自分がどんなことをするかで、周りはがらっと変わってしまう。
私が苛々しながら返事を待っていれば、金色の目が潤みだした。途端、ぼろぼろと涙をこぼし出す王子。ちょ、ちょっと待ってどうした。
両手を目に宛て、うわーんと泣き出してしまった少年に、私は頭を抱えたくなった。王族が簡単に人前で泣かないで頂きたい。単純に子供という年齢なわけではないのだし。
「ひっく、えっぐ、嫌いじゃない。嫌いじゃないけど……」
ごしごしと目を擦る手を止める。赤くなってしまったら泣いた事がばれてしまう。つまり、泣かした私がばれてしまう。それは勘弁。
「擦らないでよ。目が腫れるわ。ほら、これで拭きなさい」
女子力として持ち歩いていたハンカチを取り出し、近くにあった噴水に濡らし、彼の目に当てる。噴水の水は汚いかもしれないが、見た感じは汚れていなさそうなので問題なし。王宮だし大丈夫大丈夫。
「あ、あに、兄上は完璧、なんだ。僕、が届かない、くらい。でも、僕だって、王になりたい、って」
「あーはいはい。基本的に次期王は長男の役目だものね」
「将来、僕の方が優秀に、なるかも、しれないのに。ずずっ」
「ちょっと、鼻水拭かないで」
「ごめん」
ひっくひっくと泣いている少年の背を撫でながら、どうしたものかと思案する。
「まず、王になりたいのなら、簡単に泣くなんてだめよ」
「ぐすぐす。だってぇ」
「だってじゃありません。それに、世の理として長子が次期当主になるのは当然でしょう」
「ぼ、僕だって頑張ってる!」
ぐっと拳を握りしめ、宣言する少年。熱血系なんですかね。熱い熱い。
「結果が全てでしょう。頑張っているから認めてほしいなんて、負け犬の遠吠えよ。頑張ったら戦に負けてもいいわけ? 努力すれば国がなくなってもいいの?」
「そ、そういうわけじゃないけど……」
「高い地位にいる人こそ、結果が求められるわ。努力は素晴らしいかもしれないけど、負けたら意味がないのよ。少なくとも今は貴方よりもお兄様の方が優秀であるし、年上だもの」
「たった一歳しか変わらないじゃないか!」
少年は14歳のようである。中二病の時期ですね。
「たった一年、ととるか、一年も、ととるかは人次第だわ。王にとっては一年も違うのよ。貴方はお兄様よりも一年学習期間が短く、一年世間を知らない。まあ、第一に次期王とその他の教育は違うでしょうけど。貴方、勉強のときに間違いを指摘されたことがないのではなくて?」
「……間違える様な難しい問題を出された事がない」
「ふふふふふ。教えを請う師というものは選ばなくてはね。我が国に都合のいい勉強だけを続けたって何の意味もないわ。この国の歴史について御存じ?」
何を言っているのだと、少年の目が語る。王族ならば、歴史くらい知っていなければいけない。しかし、本当に知っているのか。甚だ疑問だ。
「ダルニア王国歴1863年の戦争について、知っている?」
「隣国とのちょっとした争いだろう? 作物が出来ず、飢饉に陥った隣国から攻撃されたと学んだ。結果、我が国が支援をする事で戦争は終結し、今は友好関係を築いている」
どうだと言わんばかりに胸を張る。そのままひっくり返ればいいのに。
頭をごつんとついて転ばしたいという欲求を抑え、口を開く。
「それは先生に教えてもらったのかしら」
「そうだとも。王族に対して教えるのだ。優秀な者ばかりだぞ」
「学業が優秀でも、教師として優秀だとは限らないわ。少なくとも、貴方にそれを教えた人は教師としていまいちか、意図的に隠しているとしか言いようないわね」
「何の話だ?」
訝しげに少年が私を睨む。目尻に輝く涙のせいで、何とも禁断的なエロスですね。そんな趣味はないけれど。
「隣国の歴史書は読んだ事あるの?」
「……」
「歴史というのは、立場が変われば内容も変わってくるのよ。そんなことも知らないなんて」
王になりたいなんて、よくも言えたものよね。
にんまりと笑ってやれば、少年は俯いた。
「隣国ではこう言われているわ。『農作物が収穫できず、飢饉に苦しむ我が国にダルニア王国は好機とばかりに攻め入った。しかし、我が国は一致団結してこれを退け、彼の国から支援を受ける事を条件に、終戦とした。結果、我が国では多くの民が助かったのである。侵略してこようとしたとはいえ、彼の国の支援で我が国の民は生き延びたので、当時の王は感謝の意として、侵略に関しては目を瞑り、友好関係を築いたのであった』」
少年の目が大きく見開かれた。始まりと終わりは似ていても、内容が全く異なる。攻め入ったのがどちらなのか、どちらが優位に立っているのか。重要なことだ。
「まさか……」
「人の上に立つ者になりたいのなら、多方向から物事を観察しなければならないわ」
「……後で読んでみる」
「よろしい」
私は両手を胸の前で合わせ、ぐてんと首を傾げた。
「それならば、十日後などいかが?」
「は?」
「後でやる、なんて実行される確率が低い言葉で逃げられたら困るもの」
「え?」
「だから、歴史書を貸して差し上げますわ。そうね、我が家に来ると周囲が面倒だから、伯父様の御屋敷を借りましょう。ウィンスター家のタウンハウスは御存じで?」
「あ、ああ。もちろん」
「では、正午に会いましょう。伯父様には話を付けておきますわ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「あら、何か御用事でも?」
目を白黒させながら、少年は掌を私に見せてくる。渦巻きを書きたくなるからやめてくれ。
「どうしてお前に借りなければならない」
「王族の書庫に、自分達にとって忘れたい様な歴史が書かれた書物があると本気で思っていますの?」
「っ」
「都合のいい歴史しか教えない教師が良いとされているのよ。そういう書物なんて置いてあるとは思えません。それに、そんな歴史書を読みたいだなんていえば、痛くない腹を探られましてよ」
「……なんで僕が」
「王になりたいのではなくて?」
きつく唇を噛み締める少年に、誘うようにねっとりと話し掛ける。
この腐った王宮の中で潰されるには、惜しい人材だ。格下である私の言葉を聞き、馬鹿正直ながらも自分で考えられる。王になりたいと思いながらも、兄を殺す様な手段は選ばない。ジレンマに苦しんで泣いても、譲らないものはある。
冷めきった目をしていた王太子よりは、私的には彼が王になった方がいい気がするのだが。
「王になるのなら、都合のいい話だけを聞けばいいなんて通用しないわ。まずは歴史を知りなさい。帝王学や兵法、財務について学ぶのはそれからで構わないわ。先人の失敗から学べない様であれば、その時点で王失格よ」
「……十日後の正午だな」
「ええ。それでは、宿題を出します」
「宿題?」
「そうよ。周りの人々をよく観察なさい。何を考えているのか、何を求めているのか。余程慣れている人でもなければ、人の顔や仕草に感情は表れるものよ。王であれば様々な面で腹の探り合いがあるのだから、練習すべきね」
「分かった。そうしよう」
「では殿下、失礼ながらお名前を伺っても?」
ドレスを摘み、深く深く首を垂れる。
格下の私が名前を聞くなど無作法なのだが、今さらだ。
「ローランド・トロイ・ダルニアだ。イザベラ・トリステン、世話になるぞ」
「この上なき幸せでございます」
「……見事な棒読みだな」
余計な御世話です。
「さて、ローランド様。問題が一つ残っております」
ちらっと目元を確認すれば、微かに赤い程度。泣いた事まではばれないだろう。よかったよかった。
「何だ?」
ローランドの背後にある噴水が、きらきらと月明かりで光る。決意を秘めた眼差しは、少しばかり少年の幼さを失わせたようだ。
「それ、どうなさるおつもりです?」
私が指差したのは、恐らく毒であろう小瓶。暫し、ローランドとの間に沈黙が落ちる。もうすぐ約束の時間になってしまいそうだ。ローランドの顔は若干青いです、はい。
「の、呑ませないと言う!」
「彼にとってもローランド様にそれを渡したのは賭けですわ。なくしたとか、やめたとか、そんな不確かな事で許してくれる筈ないでしょう」
「許す?」
「ああ、許すというのは正確ではありませんね。あれです、思い通りに動かない癖に余計な事を知っている可能性がある、要注意人物に手を出さない、と言い換えた方がいいかしら」
「……王太子へ危害を加えようとする人物がいると知られると、困ると言いたいんだな」
「その通りです。貴方は彼に、馬鹿正直な王子であるという演技をしなければなりません。その上、暫く王位を目指すという言動を徐々になくしていかなければ」
「何故だ?」
不思議そうに首を傾げるローランドに、やれやれと首を振ってやる。
「貴方の野心を利用しようと、彼の様な蛆虫がたかってこないようにするためですよ。力もないまま利用されれば、公からおさらばするだけですよ」
「王になりたいと言えるだけの力を付けなければ、駄目だという話だな」
「ええそうです。なので、不測の事態があったことにしましょう」
「不測の事態?」
「つまり、こうです」
ローランドから小瓶を奪い、大理石の床に叩きつけた。
ぱりん。
軽い音を立て、小瓶が割れる。そして、怪しげな紫色の液体が飛び散った。
「おおおおおい!!」
「貴方は転んで小瓶を割ってしまった。なので、出来ませんというのです。証拠として破片を持っていくことをお勧めしますよ」
簡易魔法陣を取り出し、水の魔法で毒(仮定)を流す。そして、小さな破片をローランドに渡した。
「さあ、お行きなさい。もうすぐ約束の時間になってしまいます。十日後の約束について聞かれたら、私と話が盛り上がり、お勧めの本を紹介するとだけ言ってくださいな」
「……分かった。感謝する」
踏みしめるように足を進めたローランドの背中を見送る。彼が上手く生き残ってくれることを祈るしかない。
彼に関わるのは、一か八かの賭けである。王族として、使える人材になりえるのならば、私の生き残り作戦に重要な役割を担ってもらえるかもしれない。コネ万歳。
飛び散った毒の一部をこっそりハンカチで拭い、ポーチへ隠す。
彼のやろうとしたことがばれた時、きっといい手札になってくれる筈だ。ロンブスといい、ローランドといい、この毒薬が本物ならば、重要な証拠となる。私はマイナスからのスタートなのだ。手札は多いに限る。
私はにんまりと笑いながら、休憩所に向かって歩き出した。
6/17 17:30 一部訂正