21. 迷惑夫婦から解放されましょう。
昨日一話更新しておりますので、未読の方はそちらからどうぞ。
また夢だ。そう思える程度には見慣れた、古くさい屋敷。そういえばかれこれ2週間ほど毎晩のように訪れているのだ。見慣れてくるもの。
飽きることなく、この古くさい屋敷での追いかけっこを繰り返す、女性と男性。最後は必ず男性に捕まり、ナイフで愛撫されるという決まった結末。最早その物語に興味などはなく、私は寝不足によるイライラがピークに達していた。
夢を見る度、私はエリザベスと呼ばれる女性の背後にいた。まるで背後霊のように、彼女には見えない存在。何度か声をかけてみたのだが、二人には私が見えないようであった。
「エリー、僕のエリー。いったいどこにいるのかな?」
くどい男は馬鹿の一つ覚えのように、そう言いながら屋敷を徘徊し、頭の足りないように思える女はがたがたと震えながら見つかりやすいところに隠れるばかり。全く、いったい何がしたいのか。むしろ、このやり取りこそ、やりたいことだと思えてきた。
「みーつけた」
厭らしい笑みを浮かべる男が、見えるように隠れた女に手を伸ばす。私は、その手をばしんとたたき落とした。
その手に触れられたことに驚きつつ、その感情を表に出さないようにし、極力冷たい声になるよう、声を発した。
「いい加減にしてくれるかしら」
私の声が聞こえたのか、男はすっと視線を下に移した。女の前に立ちふさがりながら、私は男を睨みつける。
「毎晩毎晩、いちゃいちゃする姿を見せられて、私はもうお腹いっぱいなのよ」
「……るな」
私の言葉に男は俯いてぼそりと何かを言った。
「何かしら」
俯いていた男は、急に顔を上げて瞳孔が開いた目で私を睨みつける。
「邪魔を、するなっ!!」
ぐわっと衝撃波のようなものが、男から発せられる。私は両手で顔を庇いながら踏ん張った。
「うるさいわね! 独りよがりのメンヘラ男!」
私は口を大きく開いて叫んだ。イライラが止まらない。理由もないのにイライラする。いや、理由はある。寝不足だ。いつもなら我慢できるであろうことが我慢できない。睡眠不足は理性を低下させる、
座り込んでがたがた震えてばかりの女の腕をとり、立ち上がらせた。
「きゃあっ! な、何ですか」
驚きで悲鳴を上げる女を無視して、盾にするように私の前に突き出す。刺すなら私ではなくこの女を刺せばいい。いつものように。
「知っているのよ私。貴方はこのエリザベスって女を殺してない!」
睨み付けていた男がきょとんとする。その顔は不思議と無邪気そうな顔をしていた。
「……え?」
「貴方はレートルート伯爵家の当主、ミシャ・レートルートで合っているわね」
「そ、そうだが。君は……」
「私はトリステン家が長女、イザベラ・ミカロ・トリステンよ。今、貴方のナイフを預かっているの」
「トリステン? 侯爵家の娘がどうしてここに……」
「どうしてかは私が聞きたいのだけれど、今は置いておくわ。全く、探すのに苦労したわよ。現在では残ってない家なのだもの。でも、幸いなことにダルニア王国内の貴族で助かったわ。貴族図鑑でこの家紋を見つけられたのだから」
私は壁のタペストリーに描かれた模様を指さす。
運のいいことに、この家紋はダルニア王国の貴族のものだった。そして、我が家にあった貴族図鑑が古いものだったため、記載されていたのである。図書館が大きくて助かった。
「そして、レートルート家のスキャンダルも残っていたわ。レートルート伯爵家当主、ミシャ・レートルートが自殺。結婚したばかりの妻、エリザベスは気を病み衰弱死」
腕を掴んでいた女がびくりと震えた。
どうして、この女は見つかりやすいところに隠れるのか。机の下や鎧の影、覗けば見つかるようなところに。
「エリザベスが気を病んで? 彼女は僕が殺した……筈だ」
そう、今まで見せられてきた無理心中は、事実とは異なる。少なくとも、新聞に記載されていたものとは違ったのだ。ミシャは、そう思っていないようではあるが。
その反応を見て考えられるのは、この男がミシャ本人ではないか、この男が死に際の記憶を思い違いしているか、それとも作られた記憶なのか。
「本当に彼女の死に際を見たの? 貴方は彼女の喉を切り裂いたの?」
「僕は、僕は……」
ミシャは目を白黒させながら、己の手の中にある美しい短剣を見つめていた。記憶を探っているのか、口の中で何か言葉を探しているようだった。
「やめて、やめて!!」
掴んでいた私の手を振り払い、震えていただけの女がミシャを庇うように振り返る。涙でまつげを濡らし、私を見つめた。
「違う、違うわ。私はミシャに殺されたのよ」
「……どうして、何も知らない筈の貴女が知っているの」
びくりと彼女が震える。今までの夢では、彼女の記憶が残っている様子はなかった。毎晩毎晩、同じように殺される。でもそれは、記憶が残っていなかったのではなく、寧ろ残っていたからなのだろう。
男は毎晩女を殺すという夢を繰り返し、女は男に殺される夢を繰り返す。記憶を持ちながら。
「貴方は彼に殺されると分かっていて、見つかりやすいように隠れていたのね」
エリザベスはゆっくりと顔を手で覆った。ひっくひっくと嗚咽が聞こえる。
「私が悪いの……。一緒に死ぬはずだったのに、死ねなかった。貴方の心がこのナイフにとられてしまう前に」
覆った手をどけて、エリザベスは振り返った。その目に光る強い光は、今まで震えて隠れていた彼女の目に宿るには強すぎて。
ミシャもびくりと震えた。
「エ、エリー?」
「私を放っておいて、そんなナイフなんかに夢中になって! 私、貴方が望むような女性になるため、ずっとずっと頑張っていたのに。か弱く守りたくなるような女性に」
「僕は、君を一番愛しているんだ」
「それがいつまで続くか、怖かったの。だから、そのナイフに呪いをかけたわ」
エリザベスはふっと笑い、ミシャの手からナイフを奪う。薄暗い壁掛けの蝋燭の光を反射させ、ナイフがぎらりと鈍く光る。
「貴方の心がナイフに奪われるほど、貴方が私にナイフを突き立てたくなるように」
ばさりと彼女の背中が割れたように思えた。しかしそれは見間違いで、破けた服からはコウモリに似た翼がはえていた。
「エリ、ザベス?」
「私、夢魔なの。夢は私の世界。だから、ナイフに触れる度に私の体にナイフを刺したくて仕方がなくなるように、呪いをかけたの。夢の中でね。貴方は生前から何度もこの夢を見たわ。ナイフに触れる度に。貴方がナイフを恐れて捨ててくれればよかったの。でも、貴方はナイフを捨てず、私にナイフを突き立てる道を選んだ」
ふわりと笑みを浮かべる彼女の顔は、どうしてか先ほどまでの弱々しそうな女性のものではなく、夢見る少女のようであった。
「でも、誤算があった。私が喉を切り裂かれていても生きていたこと。そして、夢に捕らわれた貴方が、死後ナイフに宿ったことよ。本当に、どうしてかしら」
最早私の存在は霞のようであった。もうミシャとエリザベスの世界である。私は砂を吐く思いで二人の会話を見続ける。
「君は、生きていたのかい?」
「そう、死ねなかった。死ねなかったのよ。貴方はナイフの中で夢に捕らわれたまま、あの日の逢瀬を繰り返す。それがとても羨ましくて。私は自分をそのナイフで刺したわ。何度も何度も何度も何度も何度も。死ぬまでね」
ぱちんとウィンクをして、エリザベスはくすくすと笑う。そんな朗らかな会話ではないと思うのだが、私は何も言うまい。
エリザベスはうっとりと、とろけた眼差しでミシャを見つめていた。
「そしたらやっぱり不思議。私もナイフの夢の中に入れたわ。これでずっと二人きり。逢瀬を楽しめる。このナイフの所有者が変わる度、私達の逢瀬を見られるのもスパイスになってよかったわ」
ミシャはもうついて行けないのか、ぽかんとするばかりである。なんだか美人局に騙された男のように見えなくもない。
このままでは暫くミシャの再起動に時間がかかりそうだと思った私は、びしっと手を上げて発言をすることにした。
「えーっと申し訳ないのですが、少々よろしいでしょうか」
「あら、珍しいお客さん。私達の逢瀬に影響されてナイフで自分を刺す殿方は多いけれど、私達に話しかけるなんて初めてなの」
「いや、それはどうでもいいんですけれど。夢を見ないようにしていただきたいのよ。他人の逢瀬なんて、興味がないので。勝手にラブラブしててくださいご自由に」
あら、なんて驚いたように両手を口に当てるエリザベスが、もうあざとく見えて仕方がない。
「他人に見られるのも刺激的でいいと思うのに」
「僕は嫌です!!」
顔を赤くさせたミシャがびしっと意見を言ってくれた。ありがとう、そしてありがとう。
「あとですね、出来ればこのナイフは男性に触れさせないでいただきたい」
ミシャはさらに顔を赤くさせて、寧ろ赤黒くさせて視線を横に逸らす。
「これは……エリザベスをイメージして作らせたナイフなんです。繊細で、美しくて、曇りがない。だから、そのナイフが男性の手にあるのは、許せなくて」
顔をそらしながらも、その目には夢の中の逢瀬で見た怪しい光が浮かんでいて。それを見たエリザベスは嬉しそうににっこり笑うのだった。
「少なくとも私は夢を見ないようにしてくれるなら、これの所有者に言っておくわ。触れるなら女性でって」
エリザベスが持つナイフを指さしながら言う。幸せそうに笑うエリザベスは、こくりと頷いた。
「ここは私とミシャが永遠に遊ぶ楽園。ミシャが嫌がることはしたくないもの。貴方に夢はもう見させないから。どうか、このナイフがもう男性に触れないようにしてね。ミシャが拗ねちゃうから」
ミシャは恥ずかしそうに一つ咳払いをする。エリザベスをとろけるような熱い眼差しで見つめた。
「ごほん……。君と共に死ねなかったのは残念だけど、君とずっと遊べるのはいいことだと思う」
「ええ。ずっとずっと遊びましょう。覚めることのない夢の中で」
二人は手と手を合わせ、触れるだけのキスをした。それはまるで結婚式の誓いのキスのようで、私は砂糖を吐きたくなった。
満足した迷惑夫婦は私に向き直り、幸せそうに笑う。
「さよなら、イザベラ。また会う日まで」
「さよなら、イザベラ。目覚めぬ夢を見たくなったらまた来てね」
仲睦まじく手を取り合い、その手にナイフを突き立てる夫婦。幸せそうに笑いながら別れの言葉を口にする。そんな二人に私はふんと鼻で笑ってみた。
「もうお腹いっぱいなのよ」
ころころと笑う声が木霊する。ごうっと強い風が一陣吹いた。ほこり臭い風はあまりに強くて、私は目を閉じた。
ぱちりと目を開ければ、重苦しい鉛色の空が広がっていた。下を見ればひび割れた灰色の大地。どこかで見たことがある景色である。
「……ルーナン」
「よく出られたね、あの夢から」
じわりと黒色がにじみ出るように人の姿のルーナンが現れた。現実とは違い、手足はきちんとある。久々に見た猟奇的でない姿である。
彼は私がイライラしている姿も、あのバカップルとの会話も、全部聞いていたのだろう。というよりも、あのエリザベスという女が夢魔だということも知っていたに違いない。
「ただの迷惑夫婦ってだけでしょう。ただ、愛し方が猟奇的なだけで」
「君はああいうのが好みなのかい」
「さあ、どうかしら」
少なくとも痛いのは嫌です。
ルーナンは私から視線をそらし、どこかを見るように目を細める。その口端はやはり、愉快そうに上がっていた。
「あのナイフには銀が使われていた。銀は呪術の触媒となる。そこに、夢魔の血が作用して、あの男を捕らえていたい、という夢魔の夢が宿ったのだろう」
ナイフに夢が宿るというのはどういうことか。私は半目になってルーナンを睨み付ける。
「夢は脳みそがある生物が見るものでしょう」
「君はそう思うのかい。まあ、あくまでナイフは鍵に過ぎない。夢魔が作った『夢』という名の異空間に、二人で閉じこもったとでも思ってくれ」
夢の概念が違うのかと。私はふうっと息を吐く。そう、ここは異世界なのだ。夢が私の知っている夢とは限らない。精神世界というより、違う世界のようなものなのだろうか。分からない。
「……いらない解説をありがとう」
「どういたしまして」
ルーナンは満足そうににんまりと笑った。この男は恐らくこの悪夢について知っていたのだろう。何でも知っているつもりなのか。腹立たしい。
だが、この男に救いを求めなかったのは私である。全ては私が選択したこと。後悔はない。腹立たしいが。
「全く、ただの痴話喧嘩に巻き込まれた気分だわ」
私の零した愚痴を無視して、ルーナンは顎に指を当てて首をひねる。
「彼女が何故、人間社会に生きていたのか、俺には分からない。見たところ、貴族同士の結婚だろう? 貴族は家柄を大切にすると聞いたよ」
家柄、まあ家柄なのだろう。まずは血縁と言えなくはないのだが。
「そうね。貴族図鑑でもエリザベスと呼ばれた女性は名家の産まれだと記されていたわ。確か、ノーリス家と言ったかしら。そちらも、今はもうない家ね」
彼女だけが夢魔だったのか。それとも彼女の一族全てが夢魔だったのか。
「夢魔も立派な魔族だ。人間が受け入れるとは思えないんだ」
「貴族図鑑にも、特殊な家系とは書かれていなかったわ。普通の家だと認識されていたのではないかしら」
少なくともダルニア国内では人間ということになっていたのだろう。その裏の顔は……という定番の陰の一族の可能性もなくはないが。公の貴族図鑑にはもちろん記載はない。
ルーナンが曲げた首を元に戻し、視線を私に向けた。
「ノーリス、か。そんな夢魔の一族がいたような気がするが。随分と昔の話だ」
「貴方が昔というのだから、本当に昔なのね」
数十年単位ではないだろう。数百年は昔の話かもしれない。エリザベスだけでなく、その家族も夢魔であった可能性が高くなった。
「何かの理由で人間と共に生きていくことにしたのかもしれないな」
「ノーリス家がどんな理由で人間として生きてきたのかは、私に関係ないことよ。何はともあれ、この悪夢からは解放されたわ。もうそれでいいの」
くるりと踵を返し、ルーナンに背を向ける。
鉛色の空。ルーナンに浸食された私の夢。私にとって夢はルーナンの領域で、心のどこかでルーナンならどうにか出来るだろう、そう思っていた。だからこそ、自分で解決出来たのは何よりである。
「……君がいつか、俺を頼ってくれるんじゃないかと期待していたんだけどね」
ルーナンの声に、残念そうな感情を感じることは出来なかった。本当にそう思っているのか。それとも、いつかは私もルーナンを頼ることになるのだろうか。
「貴方を頼る時なんて、ずっとないわ」
それは必ず嘘になる。私にでも分かることだった。
お読みくださり、ありがとうございました。




