20. 獣を躾けましょう。
下品な表現があります。
ご注意ください。
夢を見始めてから1週間が経った。
私はげんなりとしながら起き上がる。あの夢の内容で、ノイローゼになる様な可愛い精神は持っていないようだ。しかしながら、夢を見るということは眠りが浅くなっているということで、ぼんやりと寝不足のような鈍痛が頭に響いている。お気楽令嬢生活なので、昼寝もしているのだが、寝たりないようだ。
「おはようイザベラ。良い朝だね」
枕から這い出してきたトカゲモドキがにんまりと笑いながら言った。私の夢に乱入してきたことのある男だ。きっと、望めば夢を見ないように出来るのだろうが、私は頼んだりはしない。決してしない。ルーナンが勝手にやったとしても拗ねる自信がある。面倒な性格をしている自覚はあるのだが、なおす気はないので仕方がない。
「良い朝かどうかは、朝が終わってから言ってほしいわ」
手元の魔法のベルを軽くならす。数分もしないうちに爺を筆頭に三つ子のメイドが現れた。美味しそうな朝食と供に。
柔らかそうな白いパンと、赤く輝くベリーのジャムと誘惑のバター。恐らくメインはベーコンエッグだろうか。いい香りはするものの、カバーがかけられ中身はわからない。ふわりと香るコンソメに、ぐうっとお腹の虫が暴れだす。
「まあ、少なくとも美味しい朝食があれば、良い朝とも言えるわね」
「おはようございます。お嬢様」
「おはよう、爺。他の皆は?」
「朝の鍛錬の最中でございます。終わり次第お呼びいたしますか?」
「いいえ、結構よ。まずは朝食を」
爺がてきぱきと朝食の準備を始める。本来ならば、食堂で食べるべきであるのだが、両親がまだ起きていないので、ここで食べている。昼食からは両親も起きてくるので、食堂で高カロリーパーティーが開かれるのだ。
爺の後ろに控えていた三つ子がしずしずと近くに寄ってくる。そのまま三つ子に身支度をさせた。髪は緩く編み込まれ、まとめられ、布が幾重にも折り重なって見えるワンピースを着せてもらう。昼食まではこのワンピースだ。両親が参加する昼食からはきちんとドレスを着ますとも。
私の身支度が終わる頃には、爺が朝食の仕上げとしてスープを入れていた。黄金色のスープ。私の好物である。メインは想像通り、ベーコンエッグであった。
「いただきます」
私はスプーンでスープを口に運び、ほうっと一息吐いた。
「やめてええ」
優雅な食後のティータイムを楽しんでいたら、なにやら悲鳴に近い声を聞いた。どうやら中庭からのようである。令嬢としてはよろしくないのだが、ぐいっと一気に紅茶を飲み干した。億劫だが、椅子から立ち上がりバルコニーへ向かう。そこから下を見下ろせば、恐らく朝の鍛錬中であると思われる光景が見えた。ギルバートの前に男子2人。そして、そこから少し離れたところに白い毛玉に襲いかかられている女子1人。
獣は朝っぱらからお盛んである。
「ねえ、ちょっとだけだからあ。先っぽだけだからあ」
「いやあああ」
どこぞの屑男かよと言いたくなる台詞を吐いているのは、畜生であるヨナルだ。もちろん、被害者はミリアーナである。何度言ってもあいつは言うことを聞かず、隙を見てはミリアーナに襲い掛かっていた。
「ほらあ。朝って、反応しちゃうのー」
「知らないよおおおお」
ディメトリとアンドリューが魔法で撃退しようとしているのだが、まだ操作が甘いらしくうまく当たらない。ミリアーナに当たらないように、用心しすぎているのだろう。木の陰にいたエリオルジオが、何やら助言をしているのか口をぱくぱく動かしていた、
と見ていたらアンドリューの氷の礫がヨナルの一つ目に直撃した。丁度目を瞑ったらしく、眼球は守られたらしいが、やはり痛いのかミリアーナから離れて悶えている。その隙に、ミリアーナはギルバートの陰に隠れた。まあ、体は一番大きいからね。
「痛い、痛いのお」
「先生、授業の続きを」
ディメトリがヨナルを無視してギルバートの方へ体を向ける。ここ一週間ほど、ほぼ毎日同じ流れが繰り返されていた。魔法の練習の的としてはいいのだが、うるさいのはどうにかしてほしい。第一、ミリアーナの特訓に支障が出ている。
ギルバートは険しい顔をしながら、剣を構えた。どうやら剣術の授業中らしい。朝っぱらから元気なことだ。
アンドリューはにこにこしながらヨナルに拘束の魔法を使っていた。そしてそのまま浮遊の魔法でどこかへ連れて行っている。多分、この部屋に連れてくるつもりだろう。
「爺、アンからヨナルを受け取ってきなさい」
「了解いたしました」
ディメトリはファーガスが旅立ってから剣術の授業をより熱心に受けるようになった。年長男子として力をつけたくなったのだろうか。今も汗水垂らしながらギルバートに食らいかかっている。そんなギルバートはミリアーナを庇いながらも見事に立ち回っている。
ミリアーナは剣術はいまいちらしく、ほかの授業に時間を割いている。しかし、今に限ってはヨナルを警戒してギルバートの傍から離れようとしない。やはりあの獣を何とかしないといけないか。
ディメトリにアドバイスをしながらも、ミリアーナを庇いながら隙を見せないギルバートはなかなかの剣士である。本来ならば、こんな子供相手のお稽古をするよりも、騎士として名を挙げていてもおかしくない人材と言えよう。
平民出身だが実力があるギルバート。それを疎んだ上司により、こんなところで子供相手の剣術指導をするなんて。本人は思ってもみなかっただろう。立ち回りが下手だったのかね。まあ落ちてきてしまったのなら仕方がない。両親の肉壁よりはましだろうから、頑張っていただきたいものだ。
そういえばリモネがいないと思って探してみれば、庭の隅の方で走っていた。1年以上、まともに訓練していなかったのだ。基礎的なことから始めているのだろう。以前と同じように無表情ではあるものの、黙々とやっている感じだ。一人だけ別メニューであることに不満はないようで、やれることを頑張っているのだろうか。よきかなよきかな。
ふうっと一息をつき、長椅子に座る。こちらは寝不足でぐったりしているのに、どうでもいいことで騒がないでほしい。
「お嬢様、失礼いたします。ヨナルを連れて参りました」
4回のノックの後、爺の声が聞こえた。入りなさい、というとヨナルを引きずるように連れてくる。そこそこ体格のある獣を引きずるとは、このじじいも年を考えさせないな、と感想を抱いた。
「酷いわあ。酷いわあ」
「酷くはないのではないかしら」
私は長椅子に寝そべり、しくしくと泣き真似をするヨナルを見下ろす。四足歩行のくせに、綺麗に前足を一つ目にあてているところがあざといのである。
「わたしはただ、ミアちゃんが好きなだけなのよお。根本は獣だもの、交尾したくても仕方がないじゃなあい」
どいつもこいつも騒がないといけないのか。少年のような少し高い声で泣き真似されると、頭に響く。イライラするが、我慢しなければ。
「人間の恋愛は、交尾して子供作ってはいおしまい、じゃないのよ。ミアに愛されたいのなら、どうすれば愛されるかミアに聞きなさい。何が嫌なのか、何をしてはいけないのか。少なくとも、急に交尾を求められるのは嫌がられることよ。無理矢理交尾をするのはただの暴力。最も嫌われることの一つよ」
「でもでも~」
ぐずぐずと駄々を捏ねるヨナルが本当に鬱陶しい。どうしたら、獣と人間の違いを教えることが出来るのか。私は人間だから分からないよ、ヨナル。
「貴方はただ、ミアと交尾したいだけなの? それならばミアに私が命令してあげるわ」
私はにんまりと笑みを浮かべて言った。
「ミアは私の奴隷だもの。命令すれば言うことを聞く筈よ」
「本当!?」
パッとヨナルの瞳が輝く。涙なんて、その目には見えなかった。やはり嘘泣きだったか。変に人間臭いけだものに、私はため息を吐きたくなった。きらきらと輝く目を人差し指で指さす。
「ただし、貴方は交尾の後、この屋敷を離れてもらうわ。どこへでも好きなところへ行きなさい」
「え……」
ぽかんと口を開けて呆けるヨナルに、はあっと深いため息が出てしまう。我慢できなかった。獣だからか、人の世界で育ってしまったからか、ヨナルは目先の欲に弱く、後先考えないところがある。
「私は貴方の願いを叶えるの。その代わり、貴方には私の願いを聞いてもらうわ。いらないのよ、本能だけで騒ぐ人語を操る獣なんて。人に理解できない鳴き声で騒ぐだけなら、ただ鎖を繋いでおけばいいわ。きゃんきゃん騒ぐ獣の鳴き声なんて、耳に入ってこないもの。でも、人語だと面倒くさいわ。鬱陶しいと思うの」
私はゆっくりと長椅子から起き上がり、ヨナルが伏せているカーペットにしゃがみ込む。
「貴方は私に何をしてくれたの? 人よりも食べ物が必要で、豪華な首輪をつけ、私の可愛い可愛い奴隷達の訓練の邪魔をする。貴方がいることがマイナスだわ。そのマイナスである貴方がいなくなるのなら、ミアの体を差しだそうというのよ」
ヨナルは鋭い牙の生えた口をぱくぱくと動かす。それでも、何も言葉を発しなかった。
我慢ならないのだ。人の努力を邪魔することが。それが、己の欲のためというのなら、なおさら。その努力が、私の力になるかもしれないのに。
「ミアにとってはとても辛いことよ。自分よりも大きな獣にのし掛かられて、合意もなく痛いことをさせられる。きっと一生残るような嫌な記憶になるでしょう。そんなこと、貴方は私にさせるの。もしかしたら、もう使い物にならないかもしれないわ。ミア一人を犠牲にして貴方がいなくなるなら、私はそれでもいいと思うの。他の子達が訓練に集中出来るのなら、それでいいと思うのよ」
しゃがんだまま、じりっと近寄れば、ヨナルは伏せたまま後ろに下がろうと足を動かした。やめろと私が言っているのに、この獣はやめようとしない。奴隷という自覚はあるのか。成り行きとはいえ、私の奴隷になったのだ、従ってもらわねば困る。
「私はミアに、貴方は畜生なのだから我慢しろといったわ。貴方は何を我慢したの? ヨナル」
「交尾、しないように約束したわ。できないように、契約をしたじゃない……」
「結局は我慢できないから、契約で縛っているのよ。貴方は獣。本能が強いのは理解しているつもりよ。それでも、貴方は人語を操る。会話が出来ると、人間は人間の基準に当てはめるの。獣では当たり前のことでも、人間では非常識なことがあるわ。相手が嫌がっていても、自分が相手を好きだから交尾をする。それは人間にとって、嫌われるの。自分勝手な暴力なのよ。事実、ミアも嫌がり、恐れているわ」
ぷるぷると震えるヨナル。人語を話せるようになり、調子に乗っていたのか、ミアのお尻を追いかけるだけしかしていない。それでは困るのだ。コミュニケーションがとれるなら、せめて邪魔だけはしないでいただきたい。
「だから、私は貴方に選ばせるの。本能を抑えず、ミアと交尾したいのなら、さっさと交尾して出て行きなさい。あの子達の訓練の邪魔になるわ」
「わ、私は……」
「貴方は今、人間の世界で暮らしているわ。人間の習慣に合わせる気がないなら、早く獣の世界に帰るのね」
ヨナルはお座りの体勢になり、体を折り曲げるように丸めた。人語を操るとはいえ獣なのだ。私は出来ないことが出来ないのであれば、それで構わない。無理をしろとは言わない。だが、どちらが嫌なのか。それだけは選んでもらわねばならない。ミアと交尾をしたいという本能をとるのか、ミアに嫌われないように理性を守るのか。もしかしたら、それは人間も他の獣もあまり変わらないのかもしれないのだが。
「私は獣ではないわあ。獣よりも長い時を生きる妖怪なの。そうよね、そうだったわ。ここは人間の世界なのよねえ。ミアちゃんは人間だもの。我慢するわあ」
ぐしぐしと前足で顔を掻くヨナルは獣のくせに人間のように、困った笑みを浮かべているようだった。
これで態度が改善されないようであれば、この獣は売りに出そう。珍しい妖怪だ。高値で売れてくれるといいが。
「そんなヨナルに良い言葉を教えてあげる」
私は唇に人差し指をあて、にやっと笑ってやった。
「人間の世界ではね、惚れた方が負けなのよ」
ヨナルの背後で、爺がぷっと吹き出すのが見えた。
「優しいんだな、イザベラは」
「また変なことでも言うつもり?」
変なんて失礼な。そういいながらもにんまりと笑うルーナン。
「いやはや、惚れた方が負けとはよく言ったものだなと」
既にヨナルや爺はいない。奴隷達の訓練に戻ったのだ。この部屋には、三つ子のメイドとルーナンしかいない。そろそろ両親が起床するので、お昼の高カロリーパーティーに向けて身支度をしていた。
「何かの本から読んだのよ。きっとね」
「惚れた方が負け、確かにその通りだよ。俺だってそうだろう?」
何をいけしゃあしゃあと。私は目を眇めてルーナンを見やる。この魔族は何を言っているのだろう。ぎちぎちと髪を編み込まれる私の目の前まで、ルーナンはぷかぷか浮いてくる。手足の短いトカゲモドキは、よく動く口を笑みの形で止めたまま、口を開いた。
「俺は人間よりも強い。イザベラだって、俺にはかなわない」
「それはそうでしょう。人間の中でも弱い自覚はあるわ」
戦闘には全く向いておらず、魔法も向いているとは言えない。頭もいいわけではなく、知識は偏っている。前世の知識など、この世界では豚に真珠であるのだ。
「それでも俺は、出来るだけ君の望みのままにしているだろう?」
「私は出て行けと言ったはずよ」
「それ以外は叶えているじゃないか。出来る限り人に見られず、君の目や耳となる。そういう約束だ」
「貴方が私の傍にいたいと願う対価でしょう?」
「君はそれが平等だと思えるのかい?」
それはもちろん釣り合っていない。でも、私の第一希望が叶えられないのだ。代案で我慢してもらうしかない。
私はルーナンの質問には答えず、手元の本に視線を移す。編み込まれている髪が引っ張られ、少し痛い。ルーナンはそんな私に今一度笑いかけると、ふわふわと本に着地した。
「それは何の本?」
「ダルニア国内の貴族図鑑。まあ、何十年か前のものだけれどね」
ぱらぱらとめくりながらルーナンと話す。文字は大して読まず、家紋だけを重点的に見ていった。
担保として預かった呪われた短剣。その柄には何かの模様なものが刻まれている。その模様は、夢の中の屋敷の中にも見られたものだった。恐らく、元々所有していた貴族の家紋だと思ったのだ。まあ、この国のものかどうかも分からないのだが。
「見つかるといいな」
「見つかったところで、解決策になるとは限らないけどね」
ぱらぱらと図鑑をめくる私を、ルーナンはにやにやとしながら見ていた。
お読みくださりありがとうございました。




