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19. いろいろしましょう。

後半、若干のグロ、痛い表現あり。



 エリオルジオとの話がまとまったので弟子予定3人を招集した。とは言え、絶賛お仕置き継続中のリモネとギルドの試験に参加中のファーガスは元からいないので、3人で全員である。


「さて、まあ色々あって貴方達の魔法の先生を手に入れたわ。精進しなさい」


「はーい」


 と元気に返事をしたのは最年少アンドリュー君だ。ルーナンが我が家に来て以来、もっと難しい魔法をと向上心に溢れているお子様である。目をキラキラさせてエリオルジオを見上げている。そんなアンドリューに、エリオルジオも満更ではないようで、むふーと鼻息を荒くしていた。一見したらただの変態である。


「そういえばジオ爺、治癒魔法を扱えるのかしら?」


「ふむ、治癒魔法とな。基礎は学んだ程度、ぐらいじゃ」


「そう……」


「今はどうか分からぬが、儂が閉じ込められた当時、治癒魔法の技術はレインがほとんど独占しておった。故に、儂とて基礎的なことを学ぶのが精いっぱいじゃった」


 レインと言う初めての単語にルーナンへ視線を向ければ、よしきたと言わんばかりに口を開く。


「レインは癒しの国と呼ばれている国だ。治癒魔法を作りだしたと言われていて、今もなお治癒魔法で栄え、治癒魔法の技術をなかなか外に出さない国だな」


「ふん、どれぐらいの年数がたったか知らぬが、そうそう人も国も変わらぬものよ」


 やれやれと肩をすくめるエリオルジオに、そういえばどれぐらい閉じ込められていたのか聞いていないことに気付いた。


「そう言えば、いつ閉じ込められたの?」


「そうじゃの、ルーナンに会うて数ヵ月後というところかの」


 ルーナンが頭の中で計算しているのか、視線を上に向け、そして降ろす。


「ざっと100年は経過しているんじゃないか」


「ひゃくっ!?」


 エリオルジオが失敗したしゃっくりみたいな声を出す。100年とはなかなか長い。この世界の人間がどれほどの寿命か知らないが、流石に100年は長い。


 驚きに目を見開き、わなわなと震えているエリオルジオを放っておき、ミリアーナの方を見る。緊張半分期待半分と言った顔でこちらを見詰めているが、残念ながら治癒魔法はあまり進まなそうだ。爺に毛が生えた程度の知識だと推定される。もしくは、知識が古すぎて意味がない可能性も出てきた。まあ、それは治癒魔法に限った話ではないが。 ルーナンが『面白いもの』といった巾着を作ったくらいだ。ある程度の向上を期待しよう。


 それぞれの得意なものを伸ばすという方針で今までやってきたが、やはり爺一人では全てを網羅するのは無理である。と言っても、専門的な教師をつける伝手も金銭的余裕もない。あれ、私貴族令嬢……という今更な事は置いておき、魔法の専門家を手に入れたのはありがたいことだ。


 取り敢えずは爺に教養と使用人としての技術を引き続き教育してもらい、エリオルジオに魔法関連を、ギルバートに剣術含む体力的な面を鍛えてもらおう。


 問題はディメトリだ。ちらっちらっとそこら辺を見ているディメトリの視線の先には、きっと精霊がいるのだろう。出来ればそちら方面を伸ばしたいのだが、適任者が面倒極まりない。


 私にとっては未だにどういう立ち位置か掴めていないルーナン。主人公登場まであゲームの世界にかっこ仮が付く状態だとはいえ、もしゲームの世界であったらどこかしらに関わっているとしか思えない。私の知らないルートに出ているとすると、今後どういう展開になるか分からない存在だ。出来るだけ関わり合いたくはないのだが。時すでに遅しということは分かっている。


 私に頼られることを喜びとするくせに、私の思い通りにならないという矛盾なような、そうではないような、気持ちの悪い存在。頼れば頼るだけ、私にも分かる破滅というものが近寄ってくるのだろう。


 精霊を辿っているであろうディメトリの視線がルーナンに移る。尊敬と、喜びと、少しの嫉妬が混じった目の色、と言うべきだろうか。大丈夫であろうと思いこむことにした。必要であればディメトリ自身が教えを請うだろう。


「以上、魔法に関する教師の紹介でした。ああ、貴方達も一応自己紹介しておきなさい。はい、ミアから順番に」


「はい、ミリアーナです。よろしくお願いします」


 もじもじとしながらもしっかりと簡素に挨拶したミリアーナに続き、ディメトリがつっかえながらも自己紹介をする。


「ディメ、トリです。料理が、好きです」


「アンドリューです! いっぱい魔法を知りたいです!」


 だんだんと挨拶が崩れているような気がするが、まあいいとしよう。


 エリオルジオとの契約は以下の5点である。


 1、契約の終了は異母兄弟が魔法を一人前に使えるようになる、もしくは異母兄弟が奴隷から解放された時。


 2、衣食住はこちらで用意をする。文句を言わないこと。


 3、授業時間以外は自由に過ごしてよし。ただし、私用の巾着が完成して以降。


 4、私と異母兄弟、私専属の使用人以外には姿を見られない様にする事。


 5、この契約に関する事は、契約完了後も一切口に出すを事を禁ずる。


 これは全て口約束である。破りたければ破ればいい。得意の奴隷契約魔法で縛り付けても良かったのだが、残念ながらそれも安心ではない。エリオルジオぐらいの魔法使いであれば、私に気付かれぬよう契約を破棄する事も可能であろう。ならば、破られるであろうことを分かっていた方がいい。


 一応、エリオルジオが出てきた巾着は人質というか何と言うかということで、私がしっかり預かっている。とはいえ、実力行使されれば私は守りきれないだろう。ルーナンを恐れていると言っていたエリオルジオだが、もし巾着を奪おうとしたとして、ルーナンがそれを防ぐかどうかは分からない。それは彼の判断に委ねているというか、特に指示は出していない。


 出来る限り私はルーナンを頼りたくはない。


 労働には対価が必要だ。奴隷の異母兄弟達には衣食住と教育を提供することが対価であると私は考えている。それを求めているかは別として。サンドリヨンとヨナルにも、餌と住む場所を提供している。サンドリヨンとヨナルは異母兄弟よりも手間がかからないため、比較的に自由にさせているのはそのためだ。まあ、ペットなんてそんなものだろう。異母兄弟達に課している訓練と教育は対価であり、私の使用人として働くためのものだ。今後、公の場に出るであろう私の傍で傅くための。


 一方、ルーナンに払える対価がない。彼曰く、私の傍にいる代わりに私の目や耳となるという話を私は受け入れた。場所を提供する代わりに、彼は私の目と耳になるのだ。それはいい。けれど、それ以上の労働を私は指示しない。勝手にやるのは構わないが、対価のない労働は受ける気にならない。お願いすれば叶うなんて、甘いことを言う幼馴染を見ていたせいか、望めば与えられるだけの関係は何れ歪むを生むと思っている。


 彼は有能だ。その長い人生から多くの知識を蓄え、他の生物には扱えないとされている精霊言語を使い魔法を紡ぐ。賢さも戦闘力も申し分ないだろう。それでも私は彼を頼らない。頼りたくない。


 長々と並べては見たが、所詮は意地なのだ。怪しさ満点の彼を必要としない。その態度を貫き通したい。それだけである。


「精々努力なさい。私が言えるのはそれだけよ」


 こくりと頷く子供達を眺めてから、エリオルジオに視線を移す。わしわしと長い髭を弄っていたエリオルジオは仕方ないと言わんばかりに頷いた。


 さて、彼は如何程可愛い奴隷達の戦力アップに役立つのだろうか。


「ああ、アン。ちょっとこちらにいらっしゃい。試してほしいことがあるのよ」


「試してほしいこと?」


 きょとんと首をかしげる褐色ボーイの掌にぽとりと魔石を落とす。


「これに魔力をこめなさい」


「イザベラ嬢!? それはっ」


 エリオルジオが制止しようと声を上げるが、アンドリューは気にせず、きらきらとした目で頷いた。


 ぎゅっと魔石を握りしめ、目を瞑り、暫くすると、ばたりと仰向けに倒れた。


「あら」


「ア、アンディ!?」


「大、丈夫!?」


 ミリアーナとディメトリが駆け寄る。アンドリューは薄眼をあけつつ、握りしめた魔石を私に手を開いて見せる。淡く輝く魔石に、魔力が満ちたことを感じた。


 隣のエリオルジオは信じられないといわんばかりに口と目を広げている。馬鹿っぽい顔だ。


「大丈夫なのね、アン」


「うん。こんな一気に魔力がなくなったの、初めてだから、びっくりしちゃった」


 アンドリューの言葉に、ちらりとルーナンへ視線を移せば、トカゲもどきに戻ったルーナンがアンドリューの体に触れ、上下に頭を動かす。


「随分と魔力を持っていかれているが、影響はない程度だろう。人間にしては随分と魔力を持っているようだからね」


「イザベラ嬢!」


 アホ面になっていたエリオルジオが叫ぶ。面倒くさそうに顔をそちらに向けてやれば、驚きと怒りでわなわなとふるえているエリオルジオがいた。


「何かしら」


「子供は魔石に触れてはならぬと言われておる。それは何故か分かるか」


「今の様子を見るからに、魔力の操作が下手で、全て魔石に魔力を持っていかれてしまうから、かしら」


「その通りじゃ。魔力が枯渇すれば死ぬこともある。もともと、子供は魔力が少ない上に、操作が下手じゃ。昔は魔石のせいで多くの子供が死んだと言われている。そんなことも知らぬのに、魔石を扱おうとするなど、なんて愚か者なのじゃ!」


 なるほど、と思うと同時に私は溜息を吐きたくなった。だったらもっと早く止めろと思う。爺だって知っているだろう。魔石を買った時点で忠告しておくべきだ。私が利用するにしても一応子供の部類に入るのだから。


 所詮それは責任転嫁である。


 取りあえず私は心にもないことを言っておくことにした。


「この子たちは奴隷なの。私の奴隷。死のうと知ったことじゃないわ」


 はいはい心にもありませんとも。


 エリオルジオの視線が厳しくなるが、私はふんと鼻で笑うだけだ。


「そのための貴方でしょう。自己防衛ができるくらいには魔法の知識を教えてほしいわ。まあ、今の時代魔石なんて過去の遺物を使うことが稀だから知らなかっただけだけれど」


 多分、そんなところだろうと思う。


 倒れたアンドリューに残りの魔石を渡した。


「無理はしなくていいわ。魔力が余っているようであればこれにこめておきなさい。魔力の操作が慣れてからでも構わないから」


 渡した魔石、残り9個を見つめ、アンドリューはにっこり花が開くように笑った。


 本当にいい子だこと。










 ――はあ、はあ、はあ。


 くすんだ赤い絨毯。数々の古い絵画。動き出すのではと不安を煽る鉄の甲冑。微かに漂うかびと埃の匂いに慣れたのは、この屋敷に来て三日程経ってからだった。


 歩く度にぎしぎしと音を立てる廊下の床は、この屋敷を出ていけと言っているかのよう。視界の端に度々過るのは、虫か、小動物か、それとも。


 私にはそれを確かめる勇気なんてありはしなかった。


 何度も、彼には言ったのだ。怖い、と。


 その度に彼は、慰めるような優しげな笑顔を浮かべ、逃がさないと言わんばかり肩を抱き、気のせいだよと、嬉しそうに囁くのであった。


「エリー、エリザベス、私の愛しい仔兎、出ておいで。美味しい美味しいお菓子を用意したよ。今日はいい天気だ。外で食べようね。きっと、温かな日の光の中で輝く、君のブルネットの髪は美しく輝くだろう。ああ、想像するだけで胸がいっぱいになるよ」


 お菓子なんて、嘘ばっかり。その大きな手に握られているのは、美しく輝く短剣。彼が愛おしげに頬ずりしているのを、何度も見た事がある。


 その短剣を初めて見たのは、数か月だった。


 やっと完成したんだ、と言って見せてくれた、美しい短剣。宝剣のように派手な飾りはされていない。それでも、その簡素ながらも手の込んだ短剣は、見る者を惹きつける美しさを持つ。濡れた様に光る短剣の美しさに惚れぼれしつつも、その切れ味の鋭さに恐怖した。そんな私を見て、彼は嬉しそうに微笑んだ。


 短剣を手に入れてから、彼は変わってしまった。いいえ、本当の顔を見せるようになったと言うべきなのかもしれない。


 彼と私は幼馴染であった。幼い頃からの婚約者で、私の人生のほとんどは、彼の妻になるためにあったと言えるだろう。彼も私を愛してくれた。大切にしていてくれた。それでも時折、彼が覗かせる恐怖を煽る笑顔に、私はびくびくと怯え、それを彼は嬉しそうに見ていたのである。


 優しい彼は婚約者として、夫として、申し分のない人物だった。彼の妻となるべく作られた道を歩くしかなかった私が、彼と一緒にならないという選択肢があったのかは分からないけれど、私は時折覗く彼の闇に困惑し怯えつつも、優しい彼を信じて一緒になったのだ。


 その道しかなかったかもしれないとはいえ、彼と一緒になることを選んだのは私。疑問を押し込め、彼の表の顔を信じ、この古い屋敷にきた。幽霊屋敷のようで恐ろしかったこの屋敷も、彼がいれば怖くないと、思い込んだ。それでもやっぱり怖くて、怖くて、夜な夜な涙を流す私を彼は優しく肩を抱き、嬉しそうに笑う。


 そんな生活が暫く続き、一緒になって数ヵ月後。私はだんだん屋敷に慣れてきて、涙を流す夜も減った。彼は安堵したように笑みを浮かべつつも、残念そうに溜息をつく姿を見掛ける度に、私はざわりと胸の奥を羽で撫でられるような不安が襲う。


 その時に逃げていれば、もしかしたら私は。


 激しい雨の夜だった。私が夜に泣く事がほとんどなくなったため、一人短剣を眺めながら酒を嗜む事が多くなった彼が、言ったのだ。


 少し、切らせてくれないか。


 いや、やめて。


 大丈夫、少しだけだから。怖くないよ、怖くない。


 嫌がる私を大きな体で抑え込み、掌にぷつりと美しい短剣の切っ先が刺さる。ぷくりと真っ赤な真っ赤な滴が膨れる。血が垂れる寸前、彼の真っ赤な舌が、べろりと私の掌の血を舐め取った。分厚い舌がぐりっと傷口を抉り、痛みに顔を歪ませれば、彼は嬉しそうに笑うのだった。


 それから彼は、毎夜私に短剣を突き立てるようになった。徐々にその刃は深く刺さり、滴る赤は増えていく。さらに夜だけでなく、私の肩を抱く度に、キスをするように、私の肌に短剣を突き立てる。気付けば、私の体は傷だらけになっていた。いつでもどこからかは血が滲み、彼に会う度、傷が増える。


 私が彼に会わないように気を付けるようになったのは自然なことであった。彼に会えば短剣が突き立てられる。嫌がっても、泣いても、彼は嬉しそうに笑うだけで、取り合ってはくれない。


 もうそこには、信じようとしていた優しい彼はいなかった。


 そして今日。この天気のいい日。私は初めて彼を思いっきり拒絶した。抱きしめてきた彼の胸を押し、頬を強く掌で打つ。私のような非力な手では、それほどの威力はないだろう。それでも彼は信じられないと言わんばかりに目を見開き、ゆっくりと叩かれた頬を抑えた。


 どきどきと心臓が早鐘を打つ。彼に暴力をふるったのは、もちろん初めてだった。だから、この後の展開なんて知らない。分からない。


 怒るだろうか、手を上げられるだろうか。


 私が怯えていると、それを見た彼は、嬉しそうに笑みを浮かべた。


 それは私が恐れる闇を帯びた笑顔。深く深く底なし沼のような、暗い笑顔だった。彼の弧を描いた口がゆっくりと開く。心臓はどきどきではなく、どどどどとこれまでにない程の早さで鼓動を刻む。その口が紡ぐのは、私にとっていいことではないと、いくら世間知らずの私でも知っていた。


 悪い子には、お仕置きだね、僕の愛しのエリー。


 私は身を翻し、彼の目の前から逃げだした。


 助けて、助けてと心の中で叫ぶが、誰を呼べばいいか分からない。いつも助けてくれるのは彼だった。父も母もいない。使用人も、彼の意向により必要最低限で、見掛けることはほとんどない。


 日頃、走る事なんてほとんどない私は、少し走っただけで息が上がる。はあっと吸ったばかりの息を吐き、呼吸するたびに傷む胸を押さえる。


 さあ、エリーはどこにいるのかな。かくれんぼが好きだなんて、まだまだ可愛いお年頃だね。


 彼の声が廊下に響く。


 耳を塞ぎ、身を縮め、がたがたと震えるしかない私は、どこに逃げればいいのだろう。


 外に出たとして、助かるのだろうか。奇跡的に実家に戻れたとして、父と母に再び彼の元へ連れ戻される。私はどこにも行けはしないのだ。助けてくれる存在は、短剣を持って私を追い掛けている。


 ――こんっこんっ。


 こんにちは、愛しい姫。ご機嫌麗しゅう。


 芝居がかった仕草で甲冑を手の甲でノックした彼は、腰を曲げ、蹲る私の耳元で囁いた。


 こんなところに隠れているなんて、見付けてほしかったんだろう。


 隠れていた甲冑の影から、力強い腕で私を抱き上げた彼は、優しげに目尻を下げる。


 こんなに怯えて。なんて可愛らしいのだろう、エリーは。


 彼は短剣にするように、私のブルネットの髪に頬ずりをし、嬉しそうに言った。


 僕の笑顔に皆、嬉しそうにする。君だけだよ、僕に怯えた仕草をするのは。昔からそんな君が愛おしくて、可愛くて。いつか、いつか、君を傷付けてしまうだろうと思っていた。そのためにこの短剣を作らせたんだ。君に似合う、質素ながらも美しいこの短剣を。君を傷付けるためだけに作らせた。君の肌に無駄な傷を作らないように、切れ味は抜群だよ。これが、君への愛だ。


 私を抱える彼が紡ぐ言葉は、愛とはずっとかけ離れているとしか思えないものだった。彼の話はどんな怪談より怖く、私は震えていることしかできない。彼を突き飛ばすには、腕の力が強すぎる。もう二度と離さないと言わんばかりの彼の腕は、私達の寝室へ辿り着くまで、力が緩むことはなかった。


 さあ、僕の姫。僕のエリー。君を愛させてくれ。


 寝台へ寝かせた私に馬乗りになった彼は、うっとりとした表情で、私の頬に短剣を突き立てる。


 いや、いやよ。


 ああ、君は美しいよエリー。怯える君が、涙を流す君が、赤い色を纏う君が、愛おしいよ。


 さくり、と頬に刃が埋まる。鉄の味が口の中に広がった。


 痛い、と言いたかった。でも、口を開けば傷が広がりそうで怖い。だんだんと刃が進み、舌にもぶつりとその切っ先が触れた。途端、彼に寄って短剣が抜かれ、血を舐めつつ頬にキスを落とされる。


 次は右腕、左腕、右足、左足。そして腹部。浅く切りつけられることもあれば、深く刺されることもあった。浅くても深くても痛いものは痛い。私は啜り泣きながら彼の刃に愛撫され続けた。血は止まることなく流れ続け、白かった寝台を赤く赤く染める。その内、意識が朦朧としてきた。頭ががんがんと痛むが、それがどうしてなのか分からない。只、血と共に私の命が流れ出ているのであろうことは想像がついた。


 嬉しそうに微笑みながら傷を刻む彼は、もう半分も意識がない私の耳元で囁く。


 愛している、僕だけのエリー。すぐにそっちに行くからね。


 彼の最後の口付けは、燃えるように熱く感じた。それが、私の唇が冷たいせいなのか、喉に突き立てられた短剣のせいなのか。


 霞む視界。血と共に流れ出る命。その最後の映像は、赤い赤い血飛沫を撒き散らしながら私に覆いかぶさる、彼の姿だった。




 

 ぱちんと、しゃぼん玉が弾けるように目が覚めた。ぱちぱちと瞬きをして、周囲を見渡す。ここは古臭い屋敷ではない。私の悪趣味な部屋だ。ただし、サンドリヨンを孵らせた時に焦がした部分は素晴らしく火事未遂である。何となく壁紙が新調されているので分かり辛いがよく見れば分かってしまう。

 枕元がごそごそと動き、とかげもどきが現れた。

「いい夢は見られたか?」

 にんまりと笑みを浮かべるルーナンに、夢の内容を知られていることを悟った。眉根を寄せて非難を示すが、奴は気にせず笑みを深めるだけだ。

「そうね、死ぬ夢なんて、逆夢ならば夢見がいいと言えるのかしら」

 エリザベスという女性が死ぬ夢。愛する夫に殺される夢。ありきたりで三流小説のような、面白みのない夢。きっと、過去に起きたことであろう夢。あのエリザベスが刺された短剣は、私の枕元に置かれている担保として預かっているものと瓜二つだった。

 呪われた短剣なんてありきたりなものが見せる、ありきたりな夢。ありきたりな設定。

 短剣を手に取り、鞘から抜く。ぬらりと光る刃は多くの女性を殺めてきたのだろう。エリザベスの様に。エリザベスを殺したあの夫とやらの執念でも宿っているからなのだろうか。

「この短剣は確かに呪われているのかもしれないわね」

「君がそれを呪いと呼ぶなら呪いだろうね」

 意味深なルーナンの言葉。首を傾げてみるけれど、ルーナンは枕に潜ってしまった。寝るつもりらしい。つまり、これ以上の答えはない。聞けば答えてくれるかもしれないけれど、聞く程のことではない。

 この短剣で私は死なないのだろう。あくまでも男女間にこの短剣が存在する時に両者を殺めているように思えるのだ。多分。生憎、私にはサディスティックな趣味はないのだ。

 私はルーナンへ苛立ちをぶつけるように、ぼすりと枕に頭を叩きつけるのであった。




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