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13. イケメンは鬼門でしょう

若干グロいです。というより痛い表現があるだけです、少し。




 『もうすぐ死ぬ』。その言葉の意味を理解した。これだけ酷い傷で放置されれば、いくら人外とはいえ生存は難しい。顔の右上の傷は、膿がでていた。恐らく、傷を負ってから暫く経っている。


「こ、これは何ですの!? 気持ちの悪い!」


 顔を青くさせて母が叫ぶ。きんきんとした声が地下牢に響いた。


「まあまあ、トリステン夫人。気持ちの悪い生物ですが、こやつは魔族なのです」


「魔族だって!?」


 父が大声を上げる。母も思わず口を両手で塞いでいた。


 この世界には、魔族と魔物がいる。二つに共通して言えることは、魔法を扱えるという事。その違いは明確で、人間の姿になれるかどうか、という事である。魔物の中にも例外として力の強い個体は人間に変化出来るものもいるのだとか。そして、二つの種族の力関係で言えば、魔族の方が強いというのが定説だ。魔物でさえ手を焼く人間が、魔族に勝ることなど、そうそうない。


 魔族がこんな状態で、人間の屋敷に転がっているなんて、通常ではありえない。


 通常ではない状態。それは、嫌な予感でしかない。


「ええ、ええ。そうなんです。とある魔物商から内密に売ってもらいましてね。いやあ高かった高かった。どうやら、他の魔族に裏切られて売られたんですって。哀れですよねえ」


 にやにやが止まらないロンブス男爵と、驚きから抜け出せない父と母。私はそっと溜息を吐いた。


「しかし、深手を負っているとはいえ、魔族が人間に囚われ続けるものなのでしょうか?」


 私が口を開く。すると、牢の男が私に視線を移した。その瞳に、驚きと疑問、それから歓喜が浮かぶ。そして、器用に目だけで笑ってみせた。どうやら、奴はルーナンで間違いはない。そして、ルーナンもルーナンで、私があの30手前の女だと気付いた様だ。


「それが大丈夫なんですよ。あれが包まれている布には、様々な拘束の魔法陣が描かれています。寧ろ、魔法を使おうとすれば魔法陣に魔力を供給するようなもの。あれは逃げ出せません」


 よくぞ質問してくれました! と言わんばかりに説明を始めた男爵を視界の端に捕えながら、私はじっくりとルーナンを観察した。恐らく何度も抜け出そうとしたのだろう。やる気のない瞳はやれるだけのことはやったということなのか。ルーナンは只管に私を見詰めてくる。


 助けでも、期待しているのだろうか。残念ながら、私は助けない。助けられない。全くもって残念だ。嘘ですさっさと死ねとか思ってしまいました。


「それで、いくらなんだね?」


「ええ。これの値段はこの屋敷の二倍もしましてね。貯蓄を全て使い切って――」


「違う。これをいくらで売るんだと聞いているんだ」


 父がぐひひひひと汚い笑みを浮かべる。男爵は頬の肉が重いのかぽかーんと間抜けに口を開けていた。


「は?」


「私に見せたという事は、買えということだろう。それだけ金に困っているんだな。言い値で買ってやろう。良き友人だからな」


「い、いえ。これは売り物ではなく、私のコレクションでして!」


「馬鹿を言わないで頂きたいわ。あんな申し訳程度の商談で、態々私達が来る筈ないじゃない。これがメインなのでしょう?」


「お、お見せるだけです!」


 ロンブス男爵がだらだらと冷や汗というか脂汗を流し始める。つくづく馬鹿な男だ。強欲な両親がこんなレア度S級な生物、欲しがらない筈がないじゃない。全然両親の事を分かっていない。いや、分かっていても自慢したい程の品だったのか。


 どちらにせよ愚かなことだ。


 売る、売らない論争という低レベルな争いをぼうっと眺めていれば、ずるっずるっという音が聞こえてきた。じゃらじゃらという鎖の音も聞こえてくる。視線を下に向ければ、芋虫状態のルーナンが這い蹲るようにこちらに近寄ろうとしていた。しかし、すぐに鎖の長さの限界で止まってしまう。ぎりぎり格子には届かない。十字の目が私を見詰めていた。


「ほれ! あの魔族だって我々に買われたがっているではないか!」


 どういう主張だ、それ。


「イザベラちゃんは、魔物の飼育が得意ですのよ!」


 おい、また私に押し付ける気かよ。申し訳ないがこの男は勘弁してくれ。しかも男爵曰く魔族だろう。魔物ではない。


「あれは私の所有物ですぞ! 売らないと言ったら売らないのです!」


 小学生の喧嘩の様であった。


 私は群青色のドレスの裾を纏め、しゃがんだ。ルーナンとの距離がより一層近くなる。


 十字の瞳は、私だけを映していた。


 何を思い、私を見詰めるのか。波長が合うという話が関係しているのだろうか。夢の中で会ったルーナンは、生に縋る様なことはしていなかった。寧ろ、死を受け入れているように思える。そんな彼が、助けを請うているのだろうか。


 彼の目から、感情を読む事はできない。


「いい加減にせんか! 売れと私が言っているんだぞ!」


 はい、出ました駄々っ子のおねだり! これが大人の会話です!


 剛田君ですか貴方は。


 どこまでも恥ずかしい親である。


 このようなおねだりでヨナルを買ってきたと思うと、何とも言えない気持ちになる。大人の交渉ではないわな。


「売らないと言ったら売らないのです!」


「イザベラちゃん! 貴女も欲しいわよねえ」


 猫撫で声で母が言ってきた。いよいよ私にまで矛先が向いてきた。味方を増やしたいのだろう。二対一で勝てない時点で三人になろうと変わらないと思うんだけど。しかもお子様の主張なんて意味があるか疑問だ。


 とは言え、私にはここでいらないという選択肢は存在しない。両親が欲しがっているのだ。私も欲しいと言うほかない。


「十字の瞳が綺麗ですわ。眼球だけでもいただけません?」


 一瞬何とも言えない沈黙が降りた。


「ほ、ほれ! イザベラだって欲しがっているだろう!」


「そうですわそうですわ! 侯爵家一同が欲しているのよ。売りなさい!」


 私の意見はほとんどスルーされた。どうやら私の発言はいささか問題だったらしい。うん知ってる。


 男爵が唸りながらもぶるぶると体を震わせている。怒りのためだろうか、顔も赤くなっていた。


「いい加減にしてください! あれは私のものですぞ! 私のコレクションなのです! 売らないと言ったら売らないのです!!」


 ぐわんぐわんと地下空間に男爵の叫び声が響き渡る。五月蠅いったらないが、気持ちは分からなくもない。叫ぶだけ叫んだ男爵は、はあはあと肩で呼吸していた。


「……っなんだその言い方は! お前は男爵だろう! 侯爵家よりも格下の家が、何を偉そうに!」


「そうですわ。何を偉そうに、男爵家如きが。私たちは侯爵家ですのよ。それに、声を荒げるなんて、貴族のする事ではありませんわ。これだから矮小な家は困りますの」


 ここぞとばかりに父と母が攻撃をしかけるも、バーサク状態らしい男爵も負けてはいない。


「なーにが侯爵家ですか! 家柄くらいしか誇れることがないトリステン家など、貴族社会では皆に笑われる対象でしかありませんぞ! パーティーの度にセンスの悪い召し物を新調し、芸術性のかけらもない屋敷! 言動には品性などない! 何か自分にとって都合の悪い事は金で潰し、言う通りにならなければ権力を振りかざす。そんな典型的な悪徳貴族の家柄なぞ、世間では悪の代名詞でしかありません」


 よくぞ言った男爵と言いたくなった。父と母は男爵の言葉にぽかんと口を開けた間抜け面を晒している。気付いていなかったのかと言いたくなるが、気付いていたらこんな状況にはなっていないだろう。


「な、何を。何を言っているんだあ! 私達が笑いものだと? ふざけた事をぬかすな! 私達は貴族の見本だぞ」


「そ、そーですわ! 私達程貴族らしい貴族はおりません!」


 ある意味な。


「ほほう、貴族とは弱い立場の者に何かを強制する事を言うのですか」


「何も奪おうとはしておらん! 売れと言っているんだ。それの何が悪い」


 それが悪い。


 こんな今更どうしろとという状況でよくぞ指摘してくれたとは思うが、男爵も後には引けないのだろう。バーサク状態が解除されれば絶望するに違いない。今まで、あれだけごま擦ってきたのだから。


 口を開こうとした男爵を遮る様に言った。


「男爵、一つ質問があります」


「何ですかな!」


 私にまで怒りを向けるでない。


「これをお買いになったのは何時頃でしょう」


「一か月ほど前になります。それが何か」


 私が口を挟んだ事で少しクールダウンしたらしい男爵は、まだ怒りで真っ赤な顔を私に向ける。ううむと考えているアピールをしつつ、私はどうしたものかと思案した。


 ここで態々話を遮ったのには理由がある。疲れたからだ。若干高いヒールの靴で、足がぶるぶるである。しゃがんではいるが、足が悲鳴を上げている。後ろ暗い商談のところから立ちっぱなしですからね。


 さっさとこの駄々っ子論争を終わらせたいのは山々なのだが、ぶっちゃけどちらに着地していいか分からない。両親のご機嫌とりをするならば、もちろんルーナンを売らせる事が一番だ。でも、ルーナンはいらない。と言うよりも、何だか面倒臭い事になりそうな気がする。ルーナンの立ち位置が分からない。


 夢の中ではかなりの美形だった。それこそ、王太子や異母兄弟に勝るにも劣らない程。そうなると、所謂攻略対象の可能性がある。しかし、私は彼の存在を知らない。そりゃあ、あのゲームの攻略対象は多過ぎて、私には全て覚えきれていないけれど、これだけ特徴的な眼をしていれば、見れば記憶に残る筈。それに、イザベラ周辺の話でもこんな存在は知らない。


 ゲームの世界ではないという確証が未だにない現在、明らかに面倒臭い存在とは関わり合いたくない。イケメンは鬼門だ。第一、メリットがほとんどない。寧ろ、予想出来ないデメリットの方が怖い。


 と、言う事で両親には諦めていただく事にした。


「おとーさま、おかーさま。こんなもの、買ってはいけませんわ。お金の無駄です」


「い、イザベラちゃん!?」


 急に主張を変えた私に、母が叫ぶ。


「見てください、この傷」


 そう言って、ルーナンの顔の右上にある傷を指差す。


「男爵、この傷はここ数日で出来たものですか」


「いや、買い取った時からこの有様です」


「それがどうしたんだ、イザベラ」


「魔族や魔物は総じて自然治癒の力が強いとされています。なので、余程深い怪我でなければ数日経てば治るのだと、本に書いてありました」


 魔物や魔族、名前に魔がつく存在は、総じて魔力を有する。そしてそのほとんどが、人間よりも体の一部として使いこなしているとされている。人間が殴る様に、魔法で火の玉を放つ。それこそ、無詠唱で。魔物や魔族は、行使する魔法が決まっている事が多い。それは、種族によって流れる魔力の種類が決まっており、それを好む精霊が常に共にいるからだとされている。魔物や魔族のほとんどは、魔力を使って傷を治す。自発的に発動する治癒魔法と言ったところか。その治癒能力は人間を圧倒している。


 治癒魔法は、他の魔法の仕組みと若干違う。だから魔法ではないとする研究者もいる。治癒魔法の特徴は、ほとんどの場合が精霊の力を借りないということだ。生物の細胞や機能に魔力で刺激や栄養を与える事により、驚異的なスピードで傷を癒す。病気などでは、体の中にいるウィルスなどといった病原菌を排除することにより、治療する。ある意味体の能力、免疫の強化なのだろう。


 魔族や魔物は、治癒魔法を用いなくてもある程度は治癒魔法と同じ能力を持っている。意識して使う治癒能力には劣るが、人間の自然治癒よりは格段に優れており、人間では死ぬかもしれない傷でもけろっとしていることがあるのだとか。まあ、あくまで「そうとされている」というだけだが。


「しかし、これの傷は一月このままなのですよね。魔物よりも保有魔力が多いとされる魔族は、魔物よりも治癒能力に優れていると聞きます。これの傷が治らないのは、おかしいです」


 じくじくと、瘡蓋にすらならない傷。浮かぶ膿は、その傷が如何に悪化しているかと示している。


「だからなんだと言うんだ!」


 焦れたように父が叫ぶ。これだけ言っても分からないとは。吐きたくなる溜息を堪え、私は困った顔を作った。


「既に治っていてもおかしくない傷が、未だに残っている。それは恐らく、このものに傷を治させない魔法か呪いがかかっているか、自然治癒出来る程の魔力が残っていないためでしょう」


 もしくは毒でも塗られている可能性もある。


「魔力が、残っていない?」


 呆然と男爵が言葉を吐く。


「見る限り、これを包んでいる布には様々な魔法陣が描かれています。生きて行く上で魔力を当たり前の様に使う魔族ならば、触れさせていれば魔法陣に魔力が流れ、その魔法は機能します。その事により、これの抵抗できない程度には魔力を奪っているのでしょう。もしくは、この魔法陣の中に自然治癒を遅らせる、させないものが含まれているのか、魔力を奪う魔法陣そのものがあるのか。生憎、わたくしには分かりかねますが」


「それで、どうして買わない方がいいということになるんですの?」


 母が首を傾げながら聞いてくる。今までの話で察してほしい。


「これほどまでに酷い傷です。自然治癒が使えなければ、暫くすれば死ぬでしょう。魔力の枯渇か、怪我が原因かは分かりませんが。それほど長くはありませんよ。とはいえ、賭けとして拘束している魔法陣を消せばわたくしたちの命の保証はありません。魔法陣を解除することはないでしょう。つまり、彼は助からない」


 多分、これがルーナンの言っていた「もうすぐ死ぬ」と言う事。コレクションだと叫んでいた男爵が殺すとは思えない。殺せると思えない。怪我が治らなければ死ぬ。そう言う事なのだろう。寧ろ、一月も生きていた事に驚きだ。流石魔族。


 やれやれを思いつつ息を吐けば、ロンブス男爵に肩を掴まれ、がくがくと揺さぶられた。


「ど、どうすればいいんですか! わわわ、私のコレクションが!」


 何のコレクションだか知らないけど、肩を掴んで揺さぶるのはやめてほしい。酔うよ、酔うってば。


「だから、あの包んでいる布をとればいいのではなくて。魔法陣が原因ならそれで解決しましょう。まあ、そうすればどうなる事か、貴方なら分かっていらっしゃるでしょうけど」


 彼を拘束する布。それをとれば死なないかもしれないが、彼がこのままコレクションとなっているとは言えない。


「魔族の医者に見せるという手もありますけど、無理でしょうね。それに、原因が魔法陣じゃなければ解決しませんし。魔法陣を消すにも、どれがどの効果があるか分かりません。そんな命を賭けたギャンブル、わたくしは御免ですわ」


「そ、そうなのか! 危うく不良品を買うところだったぞ」


「流石はイザベラちゃんね。賢いわあ。じゃあ、もう用事もなくなった事ですし、帰りましょう」


 ああ帰ろう。すぐさま帰ろう。風呂入って寝るんだ。


「ふふ、ふふっふ、ぐふふふ」


 さあ帰ろうと仲良く親子三人で出口の方へ振り向いた途端、背後から不吉な笑いが聞こえてきた。ルーナンは口が縫い付けられている。笑い声を出すのは一人しかいない。


「ロンブス男爵?」


 父が怪訝そうに後ろを見遣る。私も渋々振り返った。


 ロンブス男爵は笑みを浮かべていた。だが、目は笑っていない、口だけの笑みだ。口端を上げ、焦点の合わぬ目は不審者の顔だ。


「ぐふっふふ。それならば、魔法陣を外せばいいじゃありませんか。大枚をはたいて買ったコレクションが死ぬですって? そんなの、許せる筈ありません。魔法陣を解除すれば助かるんですよね、イザベラ様あ」


 どいつもこいつも人の話を聞きやがらない。


「あくまで可能性の話であり、絶対とは言っておりません。それに原因が魔法陣だとしても、既に手遅れの可能性もあります。第一、あの魔法陣はそれの拘束具なのではありませんか。自殺行為ですよ」


 やめろと暗に言っても、どうやらねじが3本くらいぶっ飛んだらしいロンブスは聞く耳持たず。魔法陣さえなければとぶつぶつ言っている。


「い、イザベラちゃん。大丈夫かしら」


 子供に聞くなよ、子供に。


「大丈夫なわけありません。これが死のうが構いませんが、魔法陣が解除されればこれは解放されましょう。少なくとも、今この場にいる者で魔族に対抗しうる実力者はおりません。今解放されたとして、生き残れるかどうか」


 ロンブス男爵にだって、護衛はいる。でも、このお楽しみコレクションは本当に限られた人物しか知らないのだろう。今この場に護衛はいない。まあ、影としているかもしれないけれど、ロンブス程度の雑魚キャラに雇われる存在だ。時間稼ぎにもならない。


 いよいよ男爵がやろうとしていることが、一般的にどれほど危険なのか気付いたらしい両親は、がくぶると震えながら男爵を説得しようと試みている。


「男爵、ロンブス男爵! そのような事は我々のいないところでやっておくれ!」


「そーですわ! そんな危険な事、私が死んだらどうしてくれますの!」


 それって火に油じゃないのかね。母上。


「ぐふぐふっぐふ。私はこのコレクション第一号から、どんどん力を付けるのです。それが失敗? そんなこと許せません許せません。この屋敷を買った時に決めたのです。私は、この国屈指の名家になると!」


 ロンブス男爵がごそごそと胸元のポケットに手を突っ込む。とはいえ、彼は父に劣らぬ豚具合である。ポケットからものを取り出すのも一苦労の様だ。ぐいぐい引っ張るからポケットが可哀想にぴろぴろに伸びている。


「やめないか! これは侯爵家からの命令である!」


「男爵家如きが我が家を蔑ろにするんですの!」


 やっとのことで取り出したのは、無駄に豪華な鍵であった。言わずもがな、この牢の鍵だろう。男爵はがちゃがちゃと鍵を開けようとしているが、手が震える様でなかなかあかない。男爵の額からたらりと脂汗が流れていた。


「にに、逃げるぞイザベラ!」


 我が父がぐいぐい私の肩をひっぱる。痣になったらどうしてくれると思いつつ、私はルーナンのいる牢から視線を逸らさなかった。


 多分、この男は無暗矢鱈に人殺しはしないであろう。それはほとんど確信だった。


 いくら引っ張っても動かない私に諦めたのか、親不孝とだけ罵りばたばたと地上に出るべく走って行く。その後ろ姿は醜いとしか言えない。


 両親の後を追って帰ってしまいたかった。この男は絶対にキーパーソンだ。あんな、明らかにメルヘンな出会いをしてしまったのである。少なくとも、ゲームのどこかで出ている筈だ。しかし、私の記憶に男はいない。こんなことになるのであれば、隅々まで攻略しておくのだったと後悔した。今更だ。


 何とか鍵を開けた男爵は、引きつった笑みを浮かべて簡易魔法陣を取り出す。恐らく火属性の魔法だろうが、詳しい事は分からない。


 ぶるぶると震える手で、ルーナンを包んでいる袋に魔法陣を置いた。様々な魔法陣が描かれた、あの布の袋である。


「さあ、燃えろ! お前は殺させん! お前は俺のコレクションだ!」


 傍から見れば愛の言葉にも聞こえる台詞を叫ぶ男爵。それと同時に、ぶくぶくの手を火属性の魔法陣に押し付けた。


 魔法陣から、ぱちぱちと小さな音が聞こえてくる。その音はどんどん増えていき、ぼうっと魔法陣を中心に火が現れた。火はどんどん燃え広がっていく。これではルーナンごと燃えるのではないかと思ったが、その通りであった。何かの燃える匂いに紛れて、嗅いだ事のない匂いが鼻を擽る。多分、肉が燃える匂いだろう。あの灰色の肌が人間と同じ成分で出来ているとは思っていないが、少なくとも豚や牛のような匂いはしなかった。


 食欲がそそられるような匂いではない。寧ろ、不快感を抱かせるような、そんな匂いだ。


 片方しかない眉がぎゅっと中心に寄る。一応は布しか燃え広がらないようになっているようだが、肉が全然燃えない訳ではない。徐々に布が燃えていく。その下からは焼け爛れた皮膚が現れた。魔族でも血は赤いらしく、灰色の肌は赤黒くなっている。ルーナンは体が燃えているのを耐えているのか、険しい顔で転がっていた。縫い付けられた口から、微かに呻き声が漏れている。


「こ、これでいいんだろう!? 私のコレクションは死なないんだろう!?」


 ぐひひひと変な笑い声を上げる男爵は、ぼよんぼよんのお腹を震わせてぐるぐる回る。なんなんだろう、その踊りは。


 布の中の体は、元から衣服がなかったのか、あるいは魔法陣のせいで燃えてしまったのか、全裸であった。魔法陣の火が拘束していた布を焼き尽くす頃には、ルーナンの体も半分以上が火傷を負った。


 火が消えても横たわったままのルーナンを観察する。布の中でも腕と足は拘束されていたようだ。腕には金属製の拘束具が付けられており、背中で肘から手首にかけて動かない様拘束されている。足は何やら太い金属棒で踝あたりを貫かれており、それの両端は抜けない様に折り曲げられていた。


 ルーナンを捕まえた人は余程彼の事が憎かったようだ。


 火傷だけではない傷がたくさん、その体には刻まれていたのである。


「な、なんだこれは! こんな、こんなものっ!」


 その有様を見て、男爵が声を上げる。たらこ唇はわなわなと震え、顔は青い。


 拘束されていた布をとって初めて、ルーナンの体の傷を認知したようであった。私からすれば、頭が酷い状態であるのに、体が無傷だとでも思ったのだろうか。こんな傷で一ヶ月も生きていた事に驚きだ。


 布という覆いがなくなったせいか、すえた臭いがより強く嗅覚を責める。


「こんな有様ならば、死んだっておかしくないじゃないか!!」


 がくんと男爵は膝から崩れ落ちた。冷や汗と思わしきものが、ぼたぼたと石畳の床を黒くする。肉厚の手で床をばしばし叩いていた。


 己を拘束する魔法陣がなくなったルーナンは、荒い呼吸を繰り返しながらも起き上がらない。まあ、あんな足では座ることすら難しいだろう。血はあまり出ていないようであるが、火傷もそれ以前の傷も酷い。膿んでいるものもある。虫がたからないのが不思議なくらいだ。あ、この世界に蛆虫とかいないのかな。


 ふむ、と私は顎に手を当てて首を傾げた。


 魔法陣がなくなっても、傷の修復が始まらない。魔族がどの程度の治癒能力を有しているかはしらないけれど、少なくとも治癒魔法程度の治り方はすると思ったのだが。男爵ではないけれど、脂汗を流すルーナンを観察する。やはり、毒か呪いの類だったのだろうか。それとも、治すだけの魔力がないのだろうか。


 男爵は騙されたんだとか、あいつめ許さんとか、恐らく売却相手への恨み辛みを叫んでいる。地下だから、反響して少々五月蠅い。


 ふうっと溜息をついた。これ以上私には無理だ。第一、治癒魔法も魔法陣も呪いも毒も私の担当ではない。何が担当かと聞かれれば、ないとしか答えられないのだが。ここから先は男爵がどうするかである。


 さて私もお暇しようかと、男爵に視線を向けた。


「残念でしたわね。見たところ治癒は始まってはおりません。魔力切れか、他の原因かは知りませんが、これほどの傷ですもの。生きながらえるかは分かりませんわ。わたくしもお暇させていただきたいと……」


 ちらりとルーナンを見た。見てしまった。十字の目が私を射ぬく。そして、喉元を見せるように頭を後ろに倒す。何を言いたいとかと静観していれば、顎をぐいぐい動かしていた。変な動きだ。


 顎の指している方向かと思ったが、そこには何もない。ぶるぶると首を横に振るルーナンに違うのだと言われているようだった。言われているのだが、実際。再び仰け反るように首を後ろに倒し、喉元を晒す。ああそういうことかと、ようやく分かった。


 ルーナンの喉元には、何やら首輪の様な、金属で出来たものが取り付けられていた。恐らく、魔法陣の様なものだろう。何やら精霊文字と思わしきものが刻まれている。


 崩れ落ちたままの男爵を放っておき、ルーナンに近付く。私の動きを一つでも見逃さないと言わんばかりに、ルーナンにがん見されていた。居心地は悪い。


 彼の首輪、恐らく魔法具と呼ばれるものだろう。何を目的にしたものかは分からないけれど、ルーナンはこれを取れと言わんばかりに見せてきた。何かしら効果はある、筈。ぐるっと首輪を見てみるが、簡単に取り外せるようなものではなかった。取り外すためと思わしき金具が溶接されていたからだ。これでは取れない。か弱い貴族令嬢なのでね


 私はさっさと諦めた。解放してやる義理もない。


「男爵、少々よろしいでしょうか」


「私は、私は」


「この首輪、魔法具になっておりますわ。これ、外してみたらいかが?」


 がばりと男爵が上体を起こす。その目はぎらぎらしていた。私は思わず後ずさりそうになるが、堪える。最早目が恐怖だった。どんよりと淀んでいるのだ。『余程魔族を所有する私』というものになりたかったらしい。


 這い蹲る様に近寄る男爵は、荒い鼻息をしながら首輪を観察する。


「すぐに、すぐにこれを切断するものを! おおい誰か、誰かおらぬか!」


 よろけつつ立ち上がった男爵は、よろよろと入口に向かって駈け出した。隠していたのではないかと聞きたくなったが、今はそれどころではないのだろう。


 私は立ち上がり裾を払う。地下牢だからか、ドレスが埃などで汚れていた。


「よかったわね。外してくれるって」


 ルーナンは私から視線を逸らそうとせず、十字は私に向いている。


「悪いけど、私が出来るのはここまでよ。精々、死なない様にご主人様に尽くせばいいわ」


 男爵は死なせないと言っていた。そう簡単にルーナンは死なないだろう。彼自身、外してほしそうだった首輪が外れるのだ。それでいい。


 口を縫い付けられた彼は、何も言わず私を見詰めているだけだった。


「それじゃあ、さようなら」


 私は牢から出ると、ルーナンを見る事なく入口へ向かった。地下の空間から出るまで、強い視線を背中に浴びながら。





 悪趣味な地下牢から脱出した私は、騒々しい屋敷から出るべく足を進める。がっしゃんがっしゃん音がするのは、男爵が暴れているためだろうか。メイドと思わしき女性の悲鳴や泣き声も聞こえる。何がしたいのだろう、あの男爵は。


「まだいたのか、トリステン家の娘」


 そう言いながら登場しなさったのはコナー君でした。どうやら騒ぎに巻き込まれてはいないようだ。私はドレスの裾を摘み、礼をする。


「これはこれはコナー様。お父上が何やら暴れているようですが、止めに行かなくてもよろしいので?」


「あれは時間がたてば収まる。体力はないからな」


 吐き捨てるように言うコナーの表情は、明らかに男爵を見下しているものだった。


「そうですの。それでは、わたくしはこれで失礼致します」


「お前の両親は慌てて帰ったぞ。何をしたんだ。父上が暴れているのも、お前らの仕業だろう」


「まさか。濡れ衣ですわ。お父上に直接聞いてくださいませ」


「……ふん。馬車もないのにどうやって帰る」


 そうだ両親はもう帰ったのだった。足がないぞ足が。仕方ないと懐から魔法陣を取り出す。これは伝書魔法陣と呼ばれる簡易魔法陣で、対になった魔法陣へ手紙を送るというものだ。貴族の間でも使われるものだが、そこそこ高いものだった。


「大丈夫ですわ。屋敷へ連絡いたしますから」


「好きにしろ。俺はお前の無礼な言動は忘れないぞ」


「まあ、あれしきのことで腹を立てるなど、器の小さいお方。お好きにしてください」


 持っていた魔法陣で口元を隠しながら笑ってやれば、腹立たしいと言わんばかりに舌打ちをし、コナーは立ち去って行った。まあ、帰ると家人には伝えたし、もういいだろう。


 小さいメモに帰宅したいが馬車がないので迎えよろしくとだけ書き、魔法陣で送る。相手は爺だ。まだ両親は屋敷に着いていないだろうが、暫く待てば来るだろう。


 初めに案内された応接室に戻った私は、ぱたぱたと急ぐメイドを捕まえてお茶の準備をさせた。客人放置よりはいいだろうという私の心意気だ。嘘だ。メイド達は奴隷なので、貴族に逆らおうともせず、お茶の準備をして再び走っていく。


 お茶を二杯程頂いた頃、メイドが応接室に入ってきた。トリステン家の者が迎えに来たとメッセージを伝えてくれたのである。私は笑顔を浮かべて礼を言い、玄関へと向かう。するとそこには、爺本人がいた。驚きである。


「あら、爺。貴方が来てくれたのね」


「ええ。さあ、馬車がありますので、どうぞ」


 私は爺と共に馬車に乗り込むと、ロンブス男爵の屋敷からやっと脱出出来たのであった。


 トリステン家に帰宅すれば、冷や汗MAXの父と母に迎えられた。馬鹿だの間抜けだの、死ぬつもりかだの親不孝だの、何が言いたいのか分からない文句を聞き流し、私は涙目で訴える。


「こ、怖かったのです。怖くて、怖くて、足が動かなくて」


 全力で踏ん張って拒否していました。


 しっかりと恐怖を抱いていた両親は、まあ仕方ないかところりと態度を変え、無事でよかったと抱きしめてくれた。叱ってごめんなさいとも言われた。私はごめんなさいとだけ言った。どちらも悪くはない。叱り方は悪いけど。


 しかし、私を見捨てて逃げた事は忘れないぞ。


 翌日、朝食(昼食)の場で父が青い顔で新聞を見せてきた。ここで私はこの国にも新聞がある事を知ったのである。父が新聞というものを購読していたことも驚きだ。


 そこには、昨日の深夜にロンブス邸で爆発があり、当主であるロンブス男爵と使用人が数人亡くなったと書かれていた。







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