12. 突撃近所の悪役さん屋敷!
新しいキャラクターが増えます。
馬鹿な子。それがリモネに対する私の評価。助けられたら憎しみは薄れる。それを狙ってみたのだが、見事に当たりだった。まだまだリモネは使える。運良くまだ壊されてはいない。運、かどうかは分からないけれど。
「ベラ様!」
自室に戻ろうとした時、背後から声を掛けられた。振り返れば、爺に連れられて歩くヨナルと年少3人組。
「あら、お帰り」
「えへへ、ただいま」
アンドリューがはにかみながら駆け寄ってくる。私はアンドリューの頭を撫でながら、言った。
「特に問題は起こらなかった?」
「ヨナルが、ミリアーナに、襲いかかってた」
ディメトリが恥ずかしそうに告発した。ヨナルにはびりっとさせておく。ぎゃんっと鳴いてびくびくしていた。躾は肝心。
「でもね、でもね、僕がお仕置きしたんだよ!」
「アンドリュー、敬語を忘れてはいけません」
「あ、えっと、僕がお仕置きしました!」
「よく出来ました」
二重の意味で。
「ベラ様、私どうしたら……」
ミリアーナが涙目で見上げてくる。多感なお年頃だものね、大変ね。だが残念ながら私は助けません。少なくとも最低ラインは設けたので。
「嫌なら嫌といいなさい。ヨナルの生態はよく分かっていないの。この発情期が年中か時期的なものかなんて、分からないわ」
年中発情期に一票入れよう。
泣きそうなミリアーナの頭を撫で、ヨナルに視線を戻す。耳と尻尾を垂らし、しくしく鳴いている。それなりに反省はしているらしい。襲いかかる度に反省し、すぐ忘れるのだ。この姿に騙されてはいけない。もう一度びりっとさせておいた。
「いい、ミリアーナ。自分の身は自分で守るのよ。誰かが助けてくれると思っていては駄目。自分が出来る限りの事をしなさい。殴る蹴るぐらいしたら?」
「だって、怪我は痛いから」
「ヨナルは魔物なのよ。それくらいどうってことないわ。尻尾を二本くらい引っこ抜いてやりなさい」
「きゅんきゅん」
「お黙り」
またびりっとさせておく。憐みを誘う姿をすれば、ミリアーナが同情すると知っているのだ。この畜生は。腹立たしい限りである。
「ミリアーナ、私は最低限の貞操は守れるよう、ヨナルと契約してあるわ。でも、それ以上は貴女とヨナルの問題。どうしても嫌なら近づかないようにしなさい。ヨナル、嫌がる事を続ければ嫌われるわよ。嫌われたいの?」
ぶんぶんと首を左右に振るヨナルに、私は深々と溜息をついた。哀れな動物を演じている癖に、こういうところが甘いというか、馬鹿と言うか。
「襲いかかるより好かれる努力をなさい」
「お嬢様、そろそろお支度をしなければ」
「そうね、部屋に戻るわ」
今日はロンブス男爵家へ行く日。あのコナーとかいう悪趣味な男の家に行かなければと思うと憂鬱だ。父親の方も問題ありだが、息子の方も問題ありだなんて。
ミリアーナとメイド部隊によりさくっと磨かれ飾られ粉まみれにされた私は、両親と共に馬車で憂鬱な時間を過ごすのであった。
ちなみに今日の花の髪飾りは真っ赤な椿、ドレスは群青色のすっきりとしたものだ。椿がある時点でこの世界観を察してほしい。
目を開けば、一面灰色の世界だった。
おや、と首を傾げる。私は、両親と共に悪趣味な馬車に乗っていた筈。しかし、目の前にあるのは白っぽい灰色の大地と、鉛色の空。何処までも広がる灰色の世界に終わりは見えない。地面は干からびているのか、ひび割れている。音はしない。風の音も、虫の声も、生き物が動く音がしない。
ここはどこだろうか。
「珍しい事もあるもんだな」
唐突に、声が聞こえた。
ごおっと一陣の風が吹く。
私は思わず目を閉じた。
「俺と波長が合う奴なんて、はじめて見た」
再び、声が聞こえる。私は瞼を開いた。
「貴方、誰?」
自分の声に違和感を抱いた。今までの子供の声ではない。幼さ故の甘さは微塵も含んでおらず、少々低い。けれど聞き覚えのある声だ。そうだ、これは前世の私の声だった。
手足を見てみれば、あきらかに子供のものではない。すらっとはいかない足、体にしては小さめの手。以前は見慣れた部位。この体は、前世の私?
「俺の名前かあ。暫く呼ばれてないな。忘れちまったよ。思い出しておく」
目の前には、男がいた。浅黒い、というよりも肌が濃い灰色。そう、まるでこの世界の曇り空の様な、梅雨の重い雲の様な、そんな色。パーマがかかったような、くるくるした髪は墨のような黒。全体的に、この男は灰色だ。鋭い黒い目は獣の様な光を宿し、瞳孔は十字の形をしている。多分、人間ではない。大きめのTシャツの様な服と、麻で出来ていそうな七分丈のズボンをはいている。男は、片膝を立てて座りこんでいた。
「……ここはどこ?」
「俺の夢と君の夢の中間、というのかな」
「夢?」
「そう、夢だ。ここは俺と君の夢が混ざり合った場所。俺と君の出会いは記憶に残るが、現実として会っている訳ではない」
そう言われて、ぐるりと周囲を見渡す。どこまでも広がる灰色の世界。これが私の夢の世界。男のものと混ざり合っているらしいけれど。
目の前の男は、薄い笑みを浮かべていた。その顔は、造形が整っているせいか酷く人形の様な、無機物を思わせる。
「君からは不思議な香りがするな。不死鳥の煤の匂いと、これは知らない匂いだ。いや待て、昔嗅いだ事がある様な……。ああ、違う大陸から来た奴だったか。随分と特徴的な匂いだ」
男は鼻をひくひくさせながら言う。自分の腕に匂いを嗅いでみるが、特に匂わない。自分の体臭は分からないと言うし、嗅いでも無駄かもしれないけれど。
「そう、ペットにいるからかもしれないわ。フェネクスと他の大陸の魔物よ」
「随分立派な魔物を奴隷にしている様だ」
思わず眉根を寄せてしまう。どうして知っているのか分からないが、自分の情報が相手に筒抜けなのは不快だ。酷く、不快だ。
「あんたに何の関係があるっていうの」
思わず、前世の口調が出てしまう。男は愉快そうにくつくつと笑った。不愉快だ。この男は、酷く不愉快な存在だった。それでも、ここは私と奴の夢の中間。夢とは、頭の中の世界。私の頭の中が、多少漏れていてもおかしくはない。情報が漏れるのは不愉快だが、無力な私にどうこう出来る問題ではないのだ。
だから、こいつの不快感は諦めることにした。こういう、男なのだ。
「いや、ただ匂いがしたもんで。契約の精霊の匂いもしたから、奴隷契約だろうと思ったんだ」
「精霊の、匂い?」
「人間には見えないだろうが、俺には見えるし匂いも感じる。人間は不便だなあ」
「どうやったら目を覚ませる?」
「なんだ、もう帰るのか」
この男に対する不快感に対しては諦めたが、厭な奴と長い時間過ごしたいとは思わない。
「あんたと話す理由がない」
「そう言うなよ」
男が立ち上がり、私に近付いてくる。身長はかなり大きい。前世の身長は、165㎝だったと思う。最後に測った時が少し前だから確証はないけれど、そうそう大人の身長は変わらない。そんな私が、首が痛くなりそうなほど見上げなければならない。恐らく、180㎝は超えている。
「近づかないでくれる?」
「俺は夢渡り出来る力があるから、俺が接続を切らなければ君は起きられない。夢を操れる人間は少ないからな」
「さっさと起こして」
「もう少しいいじゃないか。……俺、もうすぐ死ぬんだ」
自嘲するように男は言う。男が何者で、何をしていて、どういう状況にいるのか。そんなの、私には関係がない。どうして関わってくる。私は今を生きている。どうして、前世の姿で私はここにいるの。
頭が混乱しそうだった。
落ち着かなければ。
「勝手に死ねばいい。どうして私の夢に現れるの」
「うーん、自分の夢を漂っていたら、偶然波長が合う人間がいたんでな。ちょっとお邪魔してみたんだ」
「波長?」
「そう、波長。俺の一族は、それぞれ波長の合う生物がいるとされている。何人もいる奴もいれば、俺の様に全く波長の合う奴と出会わない奴もいる。まあ、俺も波長の合う奴を見付けたんだけど」
男を見上げて疲れた私は、ぐりぐりと首を回す。そんな私の顔をがしっと掴み、ぐいっと顔を上げさせた。だから、疲れたんだって。
「私には関係のないでしょう」
「そう言うなよ。俺にとっては、最初で最後の波長の合う奴なんだから」
「知らない」
「なあ、――?」
ぞわりと全身の肌が粟立つ。男が口にした言葉は、私の何かを揺するものだった。私の前世の名前だった。この世界では聞くはずのない、その言葉。
「何、知らない単語を話しているのよ」
「は? それが君の名前だろう?」
きょとんとした顔で、男が首を傾げる。どうしてその言葉を知っているのか。多分、私がこの姿でここにいることが関係している。全ての情報を知っているわけではなさそうな男に、少し安堵した。
「私の名前は違う」
「いや、でも……」
「違うの」
「あ、そう」
男が目を細め、瞳孔が横線しか見えなくなる。その眼差しは、どうしては愉快そうな光を湛えていた。
「死ぬのならさっさと死んで。私を解放して」
「酷いなあ」
喉の奥で男が笑う。死ぬと言う割には、この男はぴんぴんしていた。現実味がない。それは夢だから、だろうか。私の姿は前世のそれで、今のイザベラの姿ではない。その様に、あの男も現実とは違う姿なのだろうか。
「用事がないのなら消えてくれる?」
「そう言うなよ」
「第一、ずかずか人の夢の中に入ってきて、歓迎されると思っているわけ? 随分お目出度い脳内をしてらっしゃるのね」
「君には分からないだろうね。友も出来ず、恋人も出来ず、今まで一人で生きてきた俺の気持ちなんて」
両手を組み、男はやれやれと首を振る。この男が分からない。何を期待しているのだろうか。
「分かる筈ないでしょう。私に相手の思考や感情を読む力なんてないわ」
「波長の合う相手でないと、友人にも恋人にも出来ないんだ」
「そんなの、甘えだわ。相手と関係を築くのを面倒臭がっているだけじゃない。趣味嗜好が合う人間ばかりと関係を作ろうとするから一人ぼっちになるのよ」
「うーん、新しい解釈だな。俺達の一族は、波長が合う合わないは絶対だと思ってたし」
「貴方の一族だけで仲良くやってればいいでしょう」
「俺の一族は、もう俺しか残ってないんだ」
一瞬、男の顔に哀愁漂う笑みが浮かんだ。それも、瞬きの合間に消える。すぐににやにやとした笑みに戻る。面倒臭い男だ。
「私には関係ないわ」
「絶滅寸前の一族の生き残りだぞ? 珍しいと思わない?」
「死にかけているんでしょう。どうせすぐ絶滅した一族になるじゃない」
「まあそうなんだけど。どうしてそこまで俺を嫌う?」
「気持ちの悪い男だから」
私がきっぱりと言い切ると、男が苦笑する。
「一応、顔の造形には自信があるんだけどなあ」
「いきなり夢に現れて、波長が合いましたなんて言う男に好意を抱く者は少ないでしょう」
「確かに」
くつくつと男が笑う。よく笑う男だ。それと同時に、面倒な男でもある。男の薄い唇は、ずっと弧を描いていた。
「消えなさい」
「これ以上ここにいたら嫌われそうだし、退却するとしようか」
ズボンのポケットに手を突っ込み、男は笑う。最後まで、笑っている。もうすぐ死ぬんだという男。何がしたいのか、全く分からない。意味の分からない男。
「さようなら」
「ああ、そうだ」
男が一瞬視線を宙に彷徨わせた。まるで、何かを探す様なその視線は、暫くすると私に向けられる。
「俺の名前はルーナンだ。覚えておいてくれ」
「……気が向いたらね」
ルーナンと名乗った灰色の男は、嬉しそうに微笑み、霞のように消えていった。ルーナンが消えた途端、空に重く広がっていた雲が消えていく。澄み渡る青空が広がり、足元に水が湧いてきた。ぐるりと一周見渡しても、私以外何もない。地面の水に反射して、足元も頭上も空の青が広がっていた。地面を見下ろせば、水面に映る前世の私。目の下の隈、小さな口の端にはヘルペス。死ぬ直前の私だった。
これはきっと、私の夢の世界。
まだ私は、前世を捨て切れていない。今生きている世界を、現実だと認めていない。
色々異母兄弟に言ってきた。何だかんだ言って、私が一番現実を見ていない。この世界はまだ、私にとって現実味を帯びていないのだ。
「馬っ鹿みたい」
水面に映る、30代の女が吐き捨てた。
意識が浮上する。がたがたと体を揺らす馬車は、まだ止まっていないようだ。目の前では、母がマシンガントークを繰り広げている。眠っていた時間はそれほど長くないのだろう。私は、ずり落ちた体を引き上げ、馬車の椅子に座り直す。
夢ははっきりと覚えていた。ルーナンという灰色の男。どうしてか嫌な予感しかしない。無意味な出会いではない。そう思うのも、あまりにも出来過ぎている出会いだからだ。あんな、あからさまに何かありますと言わんばかりの夢など、嫌な事が起きる前兆だ。
母の言葉を聞き流しながら、私達は静かにロンブス男爵の屋敷に到着した。
「いやはや、ようこそいらっしゃいました! トリステン侯爵」
父に似た体形のロンブスがだゆんだゆんと腹を揺らしながら駆け寄ってくる。さっきうちの屋敷に来ていたとか、そういう話ではないのだろう。しかし、両親もよく男爵家なんて来ると言いだしたものだ。自分達より格下の家など、行く必要なんてないと言っていたのに。
「自慢の一品があるんだろう? 見るしかないじゃないか」
父がぐふふふと笑いながら言う。なんでだろう。なんでこんなに気持ち悪いんだろう。遺伝子的に近しい男に拒否反応が出ているんだろうか。思春期にはちょっと早いと思うけれど。
「早く屋敷に入れてくださらない? 男爵家に訪れているなんて知られたら、笑い物ですわ」
母が眉間に皺をよせながら言う。ロンブスの笑顔が一瞬凍るが、すぐにメイドに言って案内させていた。首筋には、奴隷の証。随分と支配欲が有り余っているようだ。あの子供がいるくらいだからなあ。
応接室に案内された私達は、マナーなど知らないと言わんばかりに椅子に座る。母は、部屋を見回しながら家具のセンスに対して駄目出しをしていた。暇な人である。
「侯爵夫人からすれば、私共の屋敷などまだまだでしょうなあ」
「当り前じゃない。こんなセンスのない屋敷は初めてだわ」
ロンブスの笑顔がまた固まる。母に何を求めていると言うのか。褒められる訳がないだろう。長い付き合いっぽいのに、そういうところが馬鹿である。私個人としては言う程悪くはないと思うのだが。応接室への案内の間、ロンブスが古い貴族の屋敷を買い取ったと言っていた。アンティークの様な家具はなかなかに私好み。母からすれば古臭いだろうけど。
「それで、見せたい物はなんだ?」
「まあまあそんな焦らずに。まずは商談といきませんか? 美味しい酒も用意しますよ」
そう言ってロンブスが指をならせば、死んだような目のメイドさんがぞろぞろと登場した。手にはワインやシャンパン、ウィスキーなどの瓶、何やらつまみらしきものが乗せられた皿など、晩酌セットのようなものがある。よくよく観察してみれば、手首に何やら赤い痣を皆つけている。ロンブスの性癖が窺い知れてしまった。メイド服のセンスは最低で、日本で言うコスプレ風俗的な雰囲気を醸し出していた。短いスカートと、胸がほとんど見えているのではという上半身。うん、18禁な空気が漂うよね!
「ううむ、この酒はうまいな」
「流石お目が高い! 30年物なんです。なかなか市場に出回らないものでして」
しかし、このロンブスと言う男は気に食わない。子供がいるんだからノンアルコールな飲み物を用意しろよ。流石に酒を注がれてはいないけど、私全力で放置されていますから。
さて、と商談を始めようとしていたロンブスの視線が私に映る。一瞬眉根を寄せた彼は、大声で息子の名前を叫んだ。
「コナー!! コナー!! どこにいる! あのノロマめ。すみませんね、出来そこないの息子で」
「貴方の息子だもの、賢い筈がありませんわ」
母が顔を歪ませながら言う。大声で怒鳴って人を呼ぶなど、貴族のする行動ではない。低い身分とはいえ、貴族なんだからちゃんとしようぜ的な事を思っている筈。いや、もちろん口調は違うと思いますけど。
「はい、父上」
たっぷり10拍程置いてコナー君登場です。ぱちぱち。上辺の笑顔を浮かべていて、口端が引きつっている。母が遅いと言わんばかりに睨んだからだ。何やら大変ですね、コナー君。
「これからトリステン夫妻と商談をする。その間、イザベラ様はお暇であろう。屋敷を案内してさしあげなさい」
邪魔なお子様はとっとと出てけという訳ですね。別に両親の悪いお仕事になど興味ないので、私はロンブスの気遣いに口だけ感謝を述べ、立ち上がる。コナーは若干馬鹿にしたような目で私を見下ろした。厄介払いされてやがるぜいい気味だと思っているに違いない。女性が働く事に関して温い議論をした後なのでね。
「それではイザベラ様、どうぞ」
コナーにエスコートされ、私は悪役達の宴から脱出したのであった。
前を歩くコナーを見ながら先程の事を思い出す。リモネが欲しいと言ったこの男、随分と頭が軽い様であるがプライドは高いという面倒臭いというか何と言うか。俺がこう言ったからこうなんだーという餓鬼大将顔負けの理論に、正論など通じない。という訳で、折角ある権力を使わせていただいた。謙虚を美徳とする日本人がベースである私としては、如何なものかと思ってしまうのだが背に腹は代えられない。ああいう馬鹿はさっさと黙らせないとどんどんつけ上がるのだ。仕方あるまい。
第一格下に舐められてもらっては困る。両親に見放されたらどうしてくれるというのだ。折角リモネが使い物になろうとしているというのに。上手い具合に灸は据えられた様だし、万事問題なしという事で。これでファーガスもこれまで以上に励んでくれることだろう。他の子達がどれくらい稼いでくれるか分からないけれど、ファーガスでもあれだけ稼ぐのだ。期待値は高い。
にやにやが止まりませんな。
「イザベラ様、何か面白いものでも見付けましたか」
苛立たしいと言わんばかりの声でそう言われる。視線をコナーに戻せば、鋭い目でこちらを睨んでいた。淑女を盗み見するとはなんたる無礼。なんちゃって。
「いえ、随分と立派な御屋敷だと思いまして。想像以上でしたわ。伝統あるダルニア建築が見事に残されております。これほどの屋敷は貴重でしょうね」
ロンブス男爵家に行くと決まった時、にこやかな爺が手渡してきた建築の歴史書。笑顔で拒否をしたのだが押し付けられてしまった。どうやらロンブス男爵にとって、とっても高い美術品を買った感覚の様で、その良さを少しぐらい勉強しておくべきなのではないか、貴族令嬢としては。という無言の圧力がそこにはあった。えーそんなのー12歳にもならない小娘がー知っておくべきことじゃなくなーい、というギャル顔負けなやる気のなさを発揮してみたのだが、爺には通用しなかった。ギャルを知らないというだけかもしれない。
そんな訳で、短い時間で――両親は予定の発表がいつもぎりぎりである――詰め込んだ知識と照らし合わせて見たわけだ。
「そうですかね。わたくしはまだまだ不勉強なものでして、父上の高尚な趣味は分かりません」
畜生勉強して損したと思った瞬間であった。この出来損ない息子には難しい話だったようだ。ロンブス男爵、自慢の屋敷についての知識を息子に与えないとは如何なものだろう。しかも、コナーという男は恐らく20歳前後の年齢と見える。お客様のおもてなしもするだろう。これでは底が知れるというものだ。
父親から学んだのは低俗な趣味しかないのだろうね。
「あら、これほど美しいものが分からないだなんて、まだまだロンブス男爵に学ぶ事が残っていらっしゃるのね」
「……こんな趣味など、学ぶべきものではありませんよ。きちんと、人の上に立つ者としての技は身につけております」
コナーの視線が鋭くなった。ちょっとちくりと言ってやろうと思ったのだが、相手にとってはぶすりと剣を刺された気分になってしまったようだ。言葉のナイフは扱いが難しくて難しくて。
「まあ。自分が持つ資産の価値を知ることも、次期当主としての務めとわたくしは存じておりますが。コナー様は買い手が提示する価格でお売りしてしまいますのね」
苦虫を噛み締めた様な顔のコナーに、にんまり笑ってやる。
「女性は財産を継ぐ事が出来ませんから。イザベラ様にはそのあたりの事情など分かりますまい」
そう、この国の女性の地位はすこぶる低い。明治の日本並みだ。女性は財産を持つ事を許されない。だから、その家の当主になる事も無理。それをコナー君は態々言ってくれているのであります。
「未来の夫のため、知識を付けておくことも貴族の娘たる義務ですわ。とは言え、わたくしの知識など初歩の初歩、これくらいの事を知らない殿方など、貴族にはいらっしゃらないでしょうけど」
「……それは、私が貴族に相応しくないと言いたいのですか」
「その様な事は申しておりませんわ! わたくしはその様な事を言える立場ではありませんもの。だって、さる男爵家の御子息に随分と失礼な事を言われるくらいの、貴族の娘ですから」
全部ひっくるめてお返ししてやった。コナーはぎりぎりと歯を噛み締めると、小さな声で失礼しました、と言って再び歩き出す。そうそう、黙って案内すればいい。少なくとも、君は父と男爵の商談に混ぜてもらえない程度の力しかないのだから。
お客様である私をおもてなしして頂戴な。
「屋敷の中は自由に歩き回ってくださって構いません。お好きなようにお過ごしください。何かありましたら近くの奴隷を呼んでください。では」
そう言って颯爽と歩き去って行った。
え、放置プレイですか。
呆然とその背中を見送る。数分は立ちつくしていた。
エスコート役として来たんじゃないの? お客さん放置でいいの?
「なんてこと……」
ちょっとかちんと来る事を言われたからって、招いた客を放置だなんて信じられない。どんだけ甘ったれなんだ。
「まあ、いいけど」
態々馬鹿息子の相手をしなくてもいいと考えれば、逆にいいかもしれない。
私は気を取り直し、ぐるりと周囲を見渡す。人気は少ないものの、ないわけではない。そりゃそうか、貴族の屋敷だし。自由に歩き回れと言われたので、遠慮なく歩き回ることにした。
どうやらこの屋敷は二階建て、応接室は一階にあったので一階から回ることにした。とはいえ、部屋を一つ一つ見て回るわけにもいかない。プライバシー云々より、詮索されたら面倒臭い。壁に飾ってある絵や廊下に置かれている花瓶をほうほうと言いながら見る。ええ、良さなど分かりませんから。知っているふりですから。
分からない美術品鑑賞くらいしか暇を潰すものがない。こんな廊下に置き去りにしやがってコナーの奴。せめてお茶が飲めるような部屋に置いて行けばいいのに。
のろのろと歩いていれば、ふと、足元がひやりとした空気に撫でられた。周囲を見渡しても、窓や隙間は見当たらない。いや、微かに壁に隙間があった。軽く隙間に触れてみれば、ひんやりとした空気が流れていた。
なんだろう、このあからさまに『この先秘密の部屋あります』みたいな状態。典型的な開けてはいけませんオーラ漂う仕掛け扉。現実的にみれば開けない方がいい。もちろん。ここで開けるのが物語の定番である。私は開けないけど。
さてと、と私は近くの絵画を観察する。こういうもののスイッチは何かの裏にあるのがセオリーだ。仕掛け扉の近くの絵画に、手垢がついた額縁のものがあった。そっとずらしても、その後ろは規則的なブロックである。と見せかけて、長方形のブロックの中に一つだけ正方形のブロックがあった。
これだろ、絶対。
興味本位で探してしまったが、簡単に見つけてしまった。もう少しどうにかならないのだろうか、この分かりやすい隠しスイッチと扉。
私は一つ溜息を吐くと、そっと絵画を元に戻した。手垢が残っている程掃除は手抜き。うちの使用人と似た様な状況だと判断出来る。変な行動は慎むべき。へそくりをしている奥様は、何度も、確認すると手垢がつくので気をつけましょう。
ここで隠し扉を開けても私に何もメリットはない。開けるのが王道だろうが、私は開けない。ここはゲームの世界ではないのだ。この先にお宝がある確証も、強敵がいない保障もない。命は一つだ。面倒臭いというものもある。
さよなら、隠し扉。必要ならばまた訪れるだろう。
私はさくさくと歩みを進めた。
「あらあらイザベラちゃん! 一人でどうしたの?」
そろそろ足の裏が痛くなってきたと思ってきたころ、ロンブス男爵率いる両親という悪役三人衆に見付かった。いや、別に悪い事をしていた訳ではないのだけれど、気分的にね。
「素敵な美術品を鑑賞していましたの。お仕事のお話は終わりましたか? ロンブス男爵」
「え、ええ。私の倅はどこにいますかね」
「さあ。ご自由に見てくださいと言ったきり、見ておりませんの」
ロンブス男爵が厳しい顔でぎりぎりと歯を噛み締める。きちんと後で怒ってやれよ馬鹿息子を。父と母は何とも思っていないようであるが、私はとてもご立腹であるぞ。
「イザベラ。ロンブス男爵が面白い物を見てくれと言っているんだ。イザベラも来るといい」
「まあ、楽しみですわ」
面倒臭いとか思ってないんだからね!
「しかし、トリステン侯爵。イザベラ様には少々厳しいかもしれませんぞ」
厳しい顔から一転、困った顔になったロンブス男爵は、手を揉みながら父に言う。姿勢は常に低い。
「大丈夫でしょう。イザベラちゃんだもの」
イザベラちゃんだものの根拠について200字以内で説明していただきたい。12歳の女子には厳しい見せたいものって、嫌な予感しかしないんですけど。精神年齢は40歳過ぎているとはいえ。
しかし、母の言葉にロンブス男爵は反論せず、流石はトリステン家のお嬢様と言って歩き出してしまった。止めてくれよ男爵。いやマジで。か弱い小娘に向いていないものなんでしょう。反論しようぜ!
と心の中で叫んでみたが、もちろん願いは叶わず悪役3人衆+1は進むのであった。
そしてやってきました、先程発見してしまった隠し扉の前!
なんてこったい。
こんなにお早い再会は望んでいない。
「ぐふふふ。ここはちょっとした隠し部屋がありましてね。それが気に入ってこの屋敷を買ったのです。いやあ、もちろん歴史的価値も魅力的でしたがねえ。きっと以前は外に出せない人間や表に出ては困る趣味を楽しんでいたのでしょう」
ぐへぐへと気色悪い笑い声を漏らす豚その2に、我が父である豚その1がぐへぐへと共感の意を示した。豚の笑い方ってバリエーションが乏しい。
しかし、目の前にある隠し扉になんとも言えない感情を抱く。間違って一巻飛ばしてシリーズものを読んでしまった時のような、面白そうと思って読んだ本がシリーズの最終巻だった時のような、何とも言えない気持ち悪さ。ああ、偶然ネタバレを見てしまった時、というのも付け加えておこう。
ロンブス男爵が近くの絵画をどかし、その裏にある正方形ブロックのを押し込む。ごごごごっと重い音を立てて、隠し扉は開かれた。スイッチの推測まで当たってしまった。何というど定番。
秘密の部屋って蛇語じゃなくても開くんだね。
遠い目をしそうになった。
男爵が手に持っていたカンテラの様な物に明かりを灯す。恐らく魔法なのだろう。カンテラの中に蝋燭は見えない。足元お気を付けください、と言う男爵に、ううむと頷く父。母はこの薄暗い部屋に入るのが凄く嫌そうである。確かにじめっとしているし、カビと埃の匂いがする。そして微かに、錆びた鉄の様な匂いも感じた。
こりゃあ、ただの秘密の部屋ツアーではないない。
今更ながらの確信であった。
こつこつと石の階段を下りると、少し開けたところにでた。どうやらここは地下らしく、仄かに寒い。ひんやりしているというか、じめっとしているというか。少ない明かりの中で視線を巡らせると、どうやらここは牢になっているようであった。太い鉄格子が両サイドに置かれている。
全く、貴族というものは碌なもんじゃない。
貴族令嬢はそう思いますよ。
「さあ、ご覧ください。ここにはかつてこの屋敷を所有していたものが趣味として、または体裁を守るために多くの人間を閉じ込めてきた地下牢でございます。素晴らしいでしょう?」
「なんて悪趣味なのかしら。こんなところ、不吉ではなくて」
母の意見に今回は全面的に賛成である。
「はっはっはっ。幽霊なぞ、ここに越してから出会っておりません。第一、憎むべきは私らではなく、以前の住人でしょう」
そんな理論が通用する幽霊なんて聞いた事ないけれど。屋敷に執着しているパターンや、人間誰でも憎しみますというパターンしかホラー小説では見た事がない。
「だ、大丈夫かい。イザベラ。怖くはない、かい?」
ぶるぶると肉を震わせながら父が聞いてくる。おい、悪役の癖に幽霊に怖がるんじゃない。まず、幽霊がいたら父は既に呪い殺されているだろう。余裕を持とうよ、余裕を。悪役なんだし。
「まあ、怖くなんてありませんわ。そんなことは過去の話ではありませんか。わたくし、目に見えないものは信じませんの」
嘘です。いないことを証明できないのでどちらでもいいです、はい。私に害がなければの話だけれど。ここはファンタジーなのだ、何があってもおかしくない。
「素晴らしいですな。イザベラ様。さて、今宵皆さまをここにお連れしたのは、何も地下牢をお見せするためではございません」
芝居がかった仕草でロンブス男爵は胸を張る。お腹でひっくり返りそうだが。
「は、早くせんか。こんな寒いところに、イザベラを長く置いておきたくないぞ」
「あら、旦那様。わたくしは?」
にこやかスマイルの母に、父はしどろもどろだった。もう少し考えましょう、父。
「ああ、そうですな。ささ、こちらへ」
そう言ってロンブス男爵は地下牢のその奥へ再び足を進める。牢はいくつかあるようで、なかなか広い空間であった。ぴちょん、とどこかで水滴が落ちた様な音がした。その音にびっくりしていたのは父である。
歩くにつれて、音が増えてきた。ぜいぜいという苦しそうな呼吸音、じゃらりという鎖か何かが擦れる音、微かに身じろぐ布の音、ぴちょんという水滴の音。この奥に、何かがいる。
それも生物だ。
「さあ、これが本日のメインでございます」
男爵が一つの牢の前で足を止めた。牢の暗闇の奥に、生き物の息遣いが聞こえる。これだけ近づけば、嫌でも分かる血と汚物の匂い。
私達が息を呑んで牢の暗闇を見詰めていれば、男爵が機嫌良さそうに喉奥で笑う。そして、牢の壁に設置してあった燭台に火を付けた。
オレンジ色の光がざっと牢の中の暗闇を追い払う。そこに横たわる男は、無残な姿であった。元々は白かったであろう薄茶色のその布は、肩から足先までを包み込んでいる。布、というか袋のようなものであった。服というには自由がなさすぎる。腕も袋の中にあるのか、まるで芋虫のような見た目だった。布には、何やら魔法陣が複数描かれている。私の知らない魔法ばかりだ。
唯一自由な頭は、より悲惨であった。何やら金属の様なもので、鼻から下は覆われており、見た限りではビスの様なもので直接顔に固定されているようだ。口元の格子越しに見える口は、黒い糸の様なもので縫われている。顔の右上は炎によるものか、薬品によるものかは分からないが、焼けただれてじゅるじゅるだ。これは酷いケロイドになるだろう。べた付いているぼさぼさの髪も、右側の前あたりは焼き畑農業のような状態であった。
そして何より、私が驚いた理由は目であった。髪の隙間から見えるその目は、全てを諦めた様な、死んだ様な、輝きをなくしたその目は、瞳孔が十字の形をしていたのである。
ルーナン。
夢の中で聞いた名を、思い出した。
お読みくださりありがとうございました。




