第七話 邂逅 前編
正午。街で高らかに呼ばわる係の声に誘導され、僕達は人の流れと共に街の中心に聳える教会堂へと辿り着いた。
見上げれば、教会堂はメイア同様どこか垢抜けないこの港町に上手く溶け込んでしまっていた。ひょっとしたら大きさではメイアのそれに劣ってしまっているかもしれない。
「こんな小さい建物でお客全員入るのかなあ」
率直な感想を述べるキルの隣で、行列に入った時から傍を歩いていたおじさんが愉快そうに言った。
「そう思うだろ? 坊や。答えは中に入ってからのお楽しみだ」
「へえ。おじさん、この町の人?」
「ああ。もう三十年以上になるかな、この町に越してきて。当時は、港町というより漁村みたいなもんだったよ」
感慨深げにおじさんは顎鬚を撫でている。
人混みに飲まれないようジャンの手を摑まえつつ、今度はリーンが尋ねた。
「この教会もその頃からあったんですか?」
「ああ。昔から信仰の厚い地域だったからね。教会の外観だけは三十年間ずっとこのまま……。当時は村で一番目立つ建造物だったんだがね。
君達はどこから? 見たところ家族連れってわけでも無さそうだけど……」
「西のメイアから来たんです。私もこの彼も孤児院で働いていて。この子達はそこの子供です」
「ああ。そうだったんだ。それじゃ随分歩いてきただろう」
ジャンがその通りだ、とばかりにふくれてみせる。
「そうなんだよ。どこまで行ってもブドウ畑ばっかりでさ。俺、当分グレープジュースはいいや」
おじさんはちょっと笑った。
「ブドウってやつは環境への適応力が高い作物でね。当時まだこの辺りが今程栄えてなかった頃から盛んに作られてきているんだ」
「へえ。……それで私は赤ワイン好きになったのか……」
「お、イケる口かい、お嬢ちゃん」
「え、ええまあ、人並みには。おほほほ」
ジャンがより正確な事実を提供する。
「よく言うよ。昨日も俺がオシッコに起きたら一人で飲んでたくせに…………いてっ」
「子供には分からない大人の嗜みよ、た、し、な、み」
「何言ってんだい、まだ十九だろ」
「そうよ、ジャン。僅か八歳のお子ちゃまと一緒にしないでくだちゃいね」
二人の言い合いを聞き流している間にも行列は進んでいく。さっきまで教会前で溢れ返っていた筈の人の群れは、僅かな時間の間に、まるで建物の中へ吸い込まれるようにしてその数を減らしていっていた。
その様を見つつリーンが感心する。
「うわあ、ホントにみんな入り切っちゃうみたいね」
「ああ。
さあ、私達も進むとしよう」
薄暗い堂内では心細げな蝋燭の火がちらちらと揺れていた。ワインレッドの絨毯に並ぶ人の列を目で追っていくと装飾入りのブロンズの手摺りが見える。それを回り込んだ先が地下へ続く階段となっているらしかった。
「うひ~。何かドキドキしてきたなあ」
僕の手を握るキルのそれに力がこもる。
ゆっくりゆっくりと、僅かな囁き声と共に人の列は歩を進めていく。
キルとは違う理由で、僕も自分の鼓動が聞こえてくるような気がした。
まだ僕達は教会堂の中心辺りまでしか来ていなかったが――
何だろう。さっきよりも暗くなっただろうか。周りの囁き声も消えていくような……。右手に握ったキルの掌の温もりも感触も、ひどく頼りないものに思えてくる。あたかも自分だけは別の空間を歩み始めてしまったような。
そうしている間にもブロンズの手摺りが近付いてくる。遠目に分からなかったその曲面のレリーフが次第に明らかになってくる。…………あれは何だ。あの丸まった塊のような造形は。視線を外せない。……ひ、と……人か。顔を抱え跪く人。そしてその横で剣
「……サス、………………ミサスってばっ」
?
「ミサス大丈夫? 顔色少し悪くない?」
我に返ると、隣を歩いていたリーンが僕の左肩を軽く叩いていた。いつ手離してしまったんだろう。キルとジャンが心配そうに僕を見上げている。
「あ……ああ。大丈夫」
「本当に?」
「うん」
なおも心配そうに顔をしかめるリーンに僕は頷いてみせ、キルとジャンにも微笑みかけた。ちょっとぎこちなかっただろうか。
「少し人の熱気にあてられたかな」
おじさんの言葉に僕は頷いた。
ブロンズの手摺りを回り込む。
暗く狭い階段は石壁の中へ潜っていくような錯覚を覚えた。
おじさんが控えめな声で説明してくれる。
「この地下聖堂は、二年前に本国主導で増築されたんだよ。当然、この町からも随分と人が駆り出されてね」
下へ下へと続いた階段は、やがて仄暗い小部屋へと辿り着いた。壁面には何か大きな獣をかたどったレリーフが連なっている。
そして正面には、しつこくも再び下へと続く石段がある。
「この階段で最後だよ。吹き抜けの聖堂を見下ろせる回廊に続いているんだ」
「いよいよかー」
はしゃぐジャンとキル。二人をたしなめるリーン。一方で僕は再び息苦しさを感じ始める。
一段。また一段。踏みしめるように石段を降りる。
動悸が少しづつ早くなってくる。あのどす黒い感情が、心の内に浸み渡っていく。握りしめている掌が汗ばんでくる。
降りていく先から光が差し込んいるのが見える。同時に大勢の人の熱気みたいなものも滲み出てきている。
その観衆が見下ろしているであろう、たった一人の男。何か近付いてはならないものに近付いていってるような切迫感が胸を締め付けてくる。
けれどそうしている間にも二の足は容赦なく光へと向かう。
僕は……、僕は確かな邂逅の予感を意識していた。