第七二話 歯車 八
気を取り直した僕らは再び協力するとどうにか天井の非常口を開けた。ただ僕が祈る思いで恐る恐る外に顔を出してみると、後ろから上ってくる青ゴンドラの中で大仰に両手を振るユイグがしっかりと青カードを握っているのが見えたため、この観覧車でのミッションは無事終了となった。
今回のカードの絵柄は炎。メッセージは『ⅩⅡ―ⅩⅢ・劇場・舞台袖』だった。
そんなわけで僕らは中世劇場と呼ばれる建物の中を歩いている。ただ、後ろから付いてくるリーンとユイグはどこか暢気だ。
「俺、あの投石機、操作してみたかったなあ。面白すぎ」
「確かに迫力あったけど、あんな街中でやるのはどうなの。一発目なんて殆ど真上に上がって見物客のすぐ傍に落ちてきてたじゃない」
「いやあれもデモンストレーションのうちだろ? 最後は目標の板塀に命中させてたし」
「あんなの偶然よ、説明してた係のおじさんの方がびっくりしてたもの」
「いやいや、甘いよリーンちゃん。あれこそ場を盛り上げる為の――
「おい、あそこじゃないのか」
立ち止まった僕は石煉瓦の通路の先を顎でしゃくってみせた。両開きの大ドア、ノブには『関係者以外立入禁止』の札が掛かっている。
「位置的にあの先で間違いなさそうね。……にしても舞台袖にカードが落ちてるってこと?」
「つうかそれ以前に僕らが入っていって大丈夫なのか?」
「だって招待されたんだもの」
「いや、ここの劇団の人は事件とは無関係かもしくはそう装うだろ」
僕の心配を尻目にユイグは明るくまとめる。
「まー、多分舞台袖なんてとこは薄暗いから誰も俺達が部外者だとは気付かないだろ。ましてや上演中なんだし。あとは何かあればあった時に考えようや」
「それもそうかもね。時刻の指定も守らないとだし」
ユイグとリーンは先へ行ってしまう。
僕は街で貰ったパンフレットを見た。現在上演中のタイトルは『黒塔の姫』とある。何となくあまり良い予感がしないまま僕も二人に続いた。
ただ中へ入っていくと、雑多な部屋の低い天井に裸電球がぶら下がっており、光に晒された僕らは速攻で劇団員の女性に見つかってしまった。
だがここでもユイグの咄嗟の作り話が炸裂し、『田舎町で劇団を立ち上げようとしている青年達』となった僕らは『後学の為の観劇』という理由で舞台袖に行く許可をどうにか取り付けたのだった。
天井越しに響いてくる役者達の声が大分クリアになってきた所で団員の彼女が振り返る。
「ここから先階段が急で照明も足元だけですから気を付けて下さい。あと大きい音は上に漏れるので会話も小声でお願いします」
勿論上演中だ。しかし今更ながらこんな場所で何をしているのかと思わずにいられない。
すぐ前を上っていく彼女も話してみれば悪い人ではなく、むしろユイグの嘘にもう一つ嘘を重ねた僕はやや後ろめたい。
「そういえばアシュリーさんのどんなところに惹かれたんですか?」
しかしもう後戻りはできない。
「……声、ですかね」
それはパンフの一番上に載っていた役者の名前であり、今日僕達をここへ招待してくれた人、ということになっていた。嘘は嘘で塗り固めてこそ真実味が増すのだ。多分。
無論、『アシュリー』さんが万が一女性であったとしても問題ないような褒め方に留めている。そこはぬかりない。
「声?」
「え、ええ。あの声にうっとりしちゃって。惹き込まれるっていうんですかね」
「声ですか……」
「あ、あと何より完璧なルックスとスタイルもですね。どうやって維持されてるのかお話を伺ってみたいと思ってたんです」
「……ははあ、そうですか」
後ろのリーンがグーで小突いてきた。あまり調子に乗るなとでも言いたいのだろう。僕は後ろ手にしっしっとやっておいた。言ったろう、ぬかりはない、と。
やがて目的の舞台袖――下手だ――に着いた。
もう、すぐそこでライトを浴びた役者達が必死な演技をしているのが見える。客席中に響く声の強弱や台詞に間を置いた時の表情などから彼等の熱が伝わってくるような気がした。
「ああ、アシュリーさんいましたよ。ほら……あそこで船守役やってます」
船守か。なるほど、釣り竿抱えて座り込む……よぼよぼなお爺さんが、見える。
い、いや……さぞストーリー上重要な役目を果たす船守――
「あ、居眠りしちゃってますね」
「え……」
「もう結構なお年だから劇中でも台詞ないとつい寝入ってしまうらしくって」
「……」
後ろのリーン達に助けを求めると二人は爆笑を堪えている。
仕方なく僕はうつらうつらしているアシュリーさんを穴の開く程見つめながら思い付く限りの賛辞を絞り出していった。
「いや、実に渋いです。あの俯きがちに目を細めた横顔……。あの渋いルックスが最高です。あと、それに……そうだ、忘れてた。あのおでこの横皴だ。あの年季の入り方は、なんていうか……その……渋いですよね! それから声も……ああ、いびきでも良いから唸ってくれないかな、ここまで来たんだから一声聞きたいなあ」
「ばか」
気付くとリーンが隣に来ている。
「彼女自分の仕事あるからってもう階段降りてっちゃったわよ」
「……早く言えよ」
「あとは役者や裏方の邪魔にならない範囲でご自由に観ていって下さいってさ」
「……それじゃちゃっちゃと探すか」
「そうね」
そんなわけで僕達は暗がりの中でカード探しを始めた。たまに出入りする役者も裏方も自分の仕事がある。なので彼等は袖幕のヒダだの天井の照明装置等をそれっぽくチェックしている僕らに見向きもしなかった。
途中、間奏か何かよく分からないがオーケストラビットの方が賑やかになり、再び役者の出入りが盛んになり……こっちの計画が狂ってしまったのはその時だった。
「意外と物は置いてないのね、舞台袖って。これで上手も調べないといけないんでしょ」
隣で物色中のリーンが呟く。僕も少しだれてきた声で応じた。そうして小型のクローゼットを開ける時に周りを確認しなかったのがまずかったらしい。
「おいお前、何ゴソゴソやってんだっ」
囁き声にビクッとして振り返ると、舞台から引き揚げてきた男優が僕を見下ろしていた。
「あ……いえ。衣装とかどうなってるのかなって、そっちも勉強したいと思いまして」
リーンとの会話を聞かれたかは分からないがとりあえず押し通すしかない。
「んん? お前ら舞台を見学に来たって言ってた連中か。何か怪しいな。こんな場所で演技見れる機会なんてそう無いんだ。普通小道具なんか漁ってる暇も惜しんで見るもんだろ」
ユイグが異変に気付きこちらへ寄ってくる。そうして僕の肩を引き寄せると細目のまま作り笑いをした。
「ああ、こいつは裏方志望なんですよ。それに俺達はアシュの爺さんに呼ばれて来たんですから怪しいことなんて何も無いですよ。後で確認してみて下さい」
一方的に随分と親しくなったもんだ。
……だが流石のユイグもストーリーの流れまでは追っていなかったらしい。
「あん? 何じゃ、儂を呼んだか?」
舞台から引き揚げてきた役者の中に当のアシュリー爺さんが混じっていたのだった。
ユイグは凄い小声で『どうして今に限って起きてんだよ』とつっ込む。
仕方なく僕は強引に話を運ぼうとした。
「い、いや。今朝、街で……会ったじゃ…ないですか?」
「爺さん、ホントか? こいつらアンタの誘いでここへ劇を見に来たって言ってるが」
「んんん……わしゃ知らんぞ、こんな奴ら」
ダメだった。
「おいおい、どういう事だよ。こいつ等、何者だ……」
袖の裏ではあるが何となく騒ぎになってしまい、他の手透きの者も集まってきてしまう。
誰が命じたわけでもなく団員の二人がユイグの両腕を押さえだした。
「いやいやいや、痛いって。何もしないってのに……」
僕とリーンの傍にも怖い顔の団員達が集まってくる。薄暗いせいで余計に迫力があった。
こうなってはもう強引に脱出するか、それともクリスとキルに危害が及ぶのを覚悟で事情を洗いざらい喋ってしまうか。二つに一つしかなさそうだ。
僕がそんな風に思案している時に……事態は思わぬ方向へ転じた。
先程から何度か耳にしていた拡声器の声。つまり劇のナレーションが入り――
「こうして騎士団は、塔に囚われた姫君を助ける為、盗賊団の殲滅にかかったのです。
道化師は塔の上からこの有様を姫に見せ、一人笑います。血塗られたこの夜に生贄を、と」
それを聞いた劇団員達が何故かざわつき出した。
「おい、生贄ってなんだ」
「台詞違うじゃねーか、何やってんだ」
当然僕らには分かる筈もない。
けれども。異変はそれに止まらなかったのだ。
僕の隣で舞台の方を向いていたリーンが不意に、ぽつりと零した。
「…………クリス」
「え?」
一瞬、何故リーンがあの子の名前を呼んだのかが分からず、ただ僕もつられて舞台を見た。
漆黒の森を背景に斬り合いを演じている最中の役者達のさらに奥、に設置された黒煉瓦の塔の屋上。そこには、信じ難いことに僕らの探し人がいたのである。猿ぐつわを噛まされ後ろ手を縛られたクリスが。メイアの市場近くで見失って以来、僕らが何日も汽車を乗り継ぎここまで捜しにきた、あのクリスが。
ただ、その隣にいるべきキルの姿はなく、代わりに青と碧に身を包んだ道化師が一人立っていた。
リーンは団員が止める間もなく、躊躇なく舞台へ飛び出した。
慌てて後を追おうとした僕を団員達がよってたかって羽交い絞めにする。そうして彼等自身も状況が把握し切れていないらしく、てんでばらばらに小声で喚きだした。
「芝居をぶち壊す気かっ」
「何をやってんだあの女は!」
「あの道化は誰がやってんだよ」
一方、塔の上の道化師は袖から出てきたリーンを一瞥する。そしてどこからともなく禍々しいナイフ二刀を取り出して両腕を広げると、悪魔が笑うように呼ばわった。
「さアッ! 幼き姫を救いにきた愚かな女騎士よッ! お前の赤い心臓を差し出せッ!!」
不気味な笑みを施された白面に凄まれたリーンが思わず足を止める。
その時、僕の横で同じ様に羽交い絞めに遭っているユイグがぼそりと尋ねた。
「これ、どこまでが脚本なの?」
団員の一人が戸惑いがちに答える。
「……ナレーションが少しおかしかったところから色々ずれてる。塔の上の女の子はうちの役者じゃないし……それから多分、メイクしてるあの道化も」
「それだけ?」
その間にも道化は塔の縁に立つ。皮手袋にブーツという出で立ちは怪人と呼ぶ方が相応しかったかもしれない。
「あとは、道化がナイフ持ってるなんて設定は……」
もう、奴は空中へ飛び出していた。
漆黒の闇夜を一時だけ舞った彼は床へと落ちていき、殆ど音も立てずに着地する。
と同時にリーン目掛けて駆け出してきた。斬り合う演者達はストーリーの急な変更に付いていけず、鈍った演技を続けるばかりで止めにも入らない。
リーンに敵が迫ってくる。
僕が大切にしてきた景色が……絶望で塗り潰されてしまう。そう意識した途端、自分の中にあの黒い感情が渦巻き、あっという間に溢れ出し、その意の赴くまま僕は剣の柄に手を伸ばし、後はもう何もかもが分からなくなった……筈だった。
けれど意識を飲まれていたのはほんの一瞬だったらしい。
見れば、奴はリーンの前で立ち止まっていた。その黒く縁取られた眼はリーンでも、ましてや僕でもなく、ユイグただ一人をじっと見つめていたのだ。
そして。何の前触れもなく、ユイグの右肩を掴まえていた筈の団員がゆっくりと崩れ落ちていった。
ユイグはその彼を片手で支えると、呆気にとられユイグから離れたもう片方の団員に預ける。そうしてあの細い目で僕の手元をちらりと見て、軽くため息をついた。
そこで僕は初めて気付いた。既に団員を振りほどいてしまっていた自分が、柄を激しく握り締めたまま、未だその剣を抜けていないことに。
状況に付いていけない団員達を残したまま、ユイグは静かに舞台へ歩み出ていく。そうしてリーンの斜め前に立つと、観客の方を向き芝居がかった声で言った。
「狂気に荒ぶる怪人よ、貴様の邪悪な企みも今宵限りだっ! 己の非道を恥じながら永遠の闇の中に眠るがいい!」
そうして再び道化に向き直ると、剣を抜かぬまま半身になり、身構えた。飾り立てた台詞に反し、彼の後ろ姿は不気味な殺気を帯びていく。
道化は仁王立ちで二の腕をゆっくりとクロスさせると、また青い口を開いた。
「後ろの彼にも少し驚いたが、今は貴方の方が興味深い」
ユイグは、何も答えない。
二人の間の空気が冷えていくような、奇妙で穏やかな対峙。それは周囲の演者達すら場違いに思わせる程の。
そのまま、どこかのタイミングで二人が地を蹴って互いに襲いかかるかと思われたのだが……。
しばしの睨み合いの後、道化は惜しいとばかりに呟いた。
「やはり然るべき舞台で見えるのが相応しいようだ。必ず。必ずお越し下さい。その時は互いに心躍り血肉沸き返る、めくるめく時間を」
言い終えた直後、道化は観客の度肝を抜く跳躍力で後方へ跳んだ。というか飛び上がった。
そのまま演者達の頭上を越えてふわりと塔の上に着地する。
そうして短剣をどこへともなくしまい、クリスを軽々と抱えた彼は指をパチンッと弾いた。
直後、塔の屋上で勢い良く薔薇の花弁が噴き上がり、あっという間に二人を飲み込む。天井一杯に広がった紅い花片とそれに混じった一枚の青いカードが舞台へ舞い降りてくる頃、漆黒の塔の上にはもう誰もいなかった。
ストーリーが書き換わってしまった上に舞台に散った大量の花弁を片付ける為、急きょ楽団の間奏が入り、緞帳が降りる。
その裏で目当てのカードを拾いメッセージを確認していた僕ら三人は手すきの団員達に再び拘束されてしまった。そして後ろ手を荒縄で縛られ楽屋の一室に閉じ込められたのだが……、そこは見張りの団員が少なくなった機に乗じてどうにか脱出することができた。上演中で元々人手薄だったのも良かったのだろう。
……さて。次なる指定エリアは『エクレール・ジョスト会場』だった。
彫像や草布作りの実演をしている石屋、裁縫屋、それに薄っぺらい板金の鎧なんかを飾る鍛冶屋、手造り感溢れる民家などが居並ぶ通りを僕らは早足に歩いていた。
「リーン、少し無茶し過ぎだぞ。さっきの」
「なによ、舞台に飛び出していったこと?
まあ誰かさんみたいに取り押さえられて身動きできなくなるようなノロマじゃないからね、私は」
リーンは見ていなかったのだ。僕が彼等を振りほどいた上で動けずにいたところを。あのまま道化が彼女に向かってナイフを突き出していたら、それこそ取り返しのつかない事態になっていたかもしれないというのに。
僕は堪らずに唇を噛んだ。
「……ね、ねえ。真面目に落ち込まないでよ。調子狂うでしょうが」
「……。
……ああ、全然落ち込んでないよ。つくづく口の減らない女だと思ってイラついてただけだから」
「なんですってェ……!」
……多分これで、いい。……しっかりしないと。
どうしてあの場で剣を抜かないまま我に返ったのか、考えるのは後でいい。今はクリスとキルを助けないと。
「つうか、ごまかしてもダメだぞ。本当に危ないとこだったんだからな。
そもそも一回言わなきゃって思ってたけど、自分の武器を他人に持たせる程度の覚悟の奴が前にに出るといつか絶対大怪我する……んだ、からな。……気を付けろよ」
……何だ? また何か引っかかった……ような……。
「……ちょっと……。
……ちょっと預けたきり忘れてただけよっ」
それきり少しいびつな沈黙が続いた。
やがて、不意に思い出したようなノリでユイグが僕とリーンの肩を『まあまあ』と叩いてくる。劇場を出てから珍しく大人しくしていると思っていたのに。
「要は、リーンちゃんが先に出たのに後からいった俺がアドリブの台詞でオイシイトコ全部持ってっちまったって話だろ? まあ大体何でも無難にこなしちゃうからさ~俺」
「全然違うわよ。
まあでもユイグが割り込んできてくれたお蔭であの道化も何か気が変わったみたいだっただから、助かったのは事実だと思うけど。ありがとね」
「……いやァ、実際向き合ってみてから『ちょっとこれやっちまったか俺』的に後悔してたんだけどね。間近で見たら何か全然やばそうな奴だったし」
ユイグはあくまで猫をかぶるつもりらしい。
あの時リーンの前に立った道化は僕のことなんか見もしていなかったんだ。もしあの場にいたのが僕だけだったらリーンは……。
とにかく、いい加減カジとチタンの二人に合流したかった。何かよく分からないが僕は今日ちょっとおかしい、のかもしれない。
次の会場は今朝ツインスネイクに乗った場所から町をほぼ半周した位置に当たる。二人と落ち合える予感がした僕はリーン達の前に出ると先を急いだ。




