第七十話 歯車 六
適当用語解説
・フリンジ:マフラーとかストールの先にふさふさ付いてる毛糸
・ポーター:鉄道・ホテルなどで客の荷物を運ぶ仕事をする人
・スタンドカラー:折り返しがない襟。立ち襟。
・ストール:細長い肩掛けで、スカートのように腰に巻いたりはしません
僕達三人は約束の時間より少し遅れてきたカジ、チタンと合流した後、トラム広場の北側にある駅から再び汽車に乗った。そうして東へ向かうこと二時間。昼過ぎに到着した次の港町でアノと別れた。
アノを迎えに来ていたのはサルバドルの病院の看護師だ。年配で大柄、人の好さそうなおばさんだった。彼女はアノの正面に立つと包帯を巻いていない方の彼の左眼をじっと見て、これからのことについて言い聞かせていた。それは話の内容をアノに理解させるというよりも互いの距離感を縮める為の一ステップだったのかもしれない。事実、慣れた様子の彼女にアノは穏やかに微笑み返していた。そうしてその僅かな笑みを崩さぬまま、アノは僕達に見送られつつ汽船に乗っていった。
一方で、二人を見送った僕達も長くは留まっていなかった。その駅でまた道化共の情報を仕入れると再び東行きの汽車へ乗り込んだのだ。
ただ、切符を買う際にちょっとしたすったもんだがあって。その原因は僕達と一緒にこの汽車に乗り込んでしまった。
ああ、ちなみに。この汽車は今迄乗ってきたものと若干タイプが異なる。何と寝台式だ。おまけに食堂車両まで付いていて、そこで僕達は今遅めのランチを頂いているというわけだった。
「何でこうなるんだよ。
最初の約束じゃアノに付き添える限りで同行するって話だったろ」
僕は『すったもんだ』の原因であるリーンにぼやいている。
だが向かいに座る彼女は、全く聞こえていないかのようにほうれん草入りキッシュを口へ運ぶだけだ。彼女だけではない。その左横に座るカジも、僕の隣のチタンも自身の皿を囲い込むむように食べ続けている。孤立無援。
それでも僕は言葉を繋ぐ。一度ビシッと言ってやるのだ。
「そもそも広場で何とかイベントのチケットを勝手に受け取ったのだってそうだよ。年が明けるまでにこの事件を解決してやるって意気込みのつもりかもしれないけど、そんなの僕達三人がやることなんだから余計な手出ししないで任せとけば……」
ガチャンッ! とテーブルの上の食器達が一斉に震えた。フォークとナイフを持ったままのリーンの両拳が叩き付けられたのだ。彼女はもぐもぐと口に詰めていたのを喉でゴクリとやってから、僕をじろっと見てきた。
「もう……。
過ぎたことをいつまでもぐちぐち言わないのっ。
男ならどっしり構えていなさいよ!」
「……はい」
ビシッ、とね。ビシッと言ってやるよ、いつかは……。
「……しかし。なんですね」
とチタン。
フォローか。フォローなのか? しかしもう手遅れだ。既に決着は付いている。恨めしそうに睨む僕の視線にチタンはあやふやな笑みを返しつつ。話を逸らした。
「小さな海を一つ跨いだだけでこうも変わっちまうもんですかね。
寝台列車なんて代物、旦那といたグレスターにだって走ってませんでしたよね」
その話題なら、とばかりにカジも加わってくる。
「お、おうよ。
……けどチタン。
お前数年前だかに何かの用事でシオルに行ってきたとかって言ってなかったか?」
突っ込まれてチタンの顔があからさまに歪む。
「え、あれ。そうでしたっけ?
……にしてもいい加減この鬼ごっこにも嫌気が差してきやしたね」
「そうよねえ」
同意するリーンに、僕はこの路線の終着駅を聞いた。
「確か、終点は……」
リーンがちょっと考え込んでから答える。
「カルノーよ。中世テーマパークの町カルノー」
「テーマパークって遊園地か?」
リーンがうん、と頷く。その横でカジが首を捻った。
「遊園地ねえ。そういや道化と無関係な感じがしなくもねえな。
そうだよ。サーカスの一座が犯人でした、なんてな」
「いいねえ、いつだって旦那は単純明快で」
チタンの呆れ顔に僕とリーンも吹き出す。
「お前等なあ、物事は複雑そうに見えて案外単純なものなんだぞ?
いいじゃねえか、人手不足に悩んで子供をさらってくサーカス団ぐらいいたって」
「そんな理由でキルとクリスは付いてかないわよ」
「……むぐ」
「こんな日数かけて誘拐するよか近場で真面目に勧誘してた方がよっぽど手軽に人が集まりますよ」
「……むが」
当たり前過ぎるリーンと僕からの反論に為す術もなくカジが黙り込む。
そんな時だ。
不意に低いくぐもった声がすぐ傍からしたのは。
「あのぉ、ちょっといいでしょうかぁ」
「きゃっ」
リーンが一番に軽い悲鳴を上げた。見れば彼女の左手のすぐ隣、天板の一隅に生首が……もとい首から上と両手だけを覗かせた男の怪しげな笑顔があった。
しかも。何と彼はつい数時間前に僕がトラムズ大聖堂ですれ違った、その本人だったのだ。
すっくと立ち上がった彼の背は僕より少し高かったかもしれない。あの時のマントは付けていない。上着は黒レザーのスタンドカラー、一分袖。あとは両手の甲と手首周りを覆う厚手の黒いアームウォーマー。それからパンツとワークブーツも黒だけど、巻きスカートなんか付けていて、その雨だれ柄――黒地の布に白ペンキのついたはけ、毛先がパツンパツンに乾き切ったやつを一、二回掠らせてできるような柄――は中々良いセンスに思えた。もっともそれはフリンジがあるからストールをただ巻き付けただけの物だったかもしれない。
ああ、もう一つ。そのストールを巻くように斜めに懸かったグレーのベルトも見えていた。
彼は今さっき出した声とは打って変わった調子で、にこやかにリーンに話し掛ける。
「いやね、さっきからお姉さんの後ろの席にいたんだけど。
聞こえてくる話が俺の調べてる事件とどうもかぶってるみたいだから気になっちゃってさ。
それで思い切って声を掛けさせてもらったってわけよ」
さらりと重大なことを口にするものだ。彼と目を合わせているリーンは勿論のこと、僕もカジもチタンもすぐには言葉が出てこなかった。て言うかそれ以前に、この四人の誰にも気付かれずにいつリーンの脇に寄ってきたのだろうか。怪し過ぎる。
だが彼は続ける。
「実際参ってたんだ。管轄の外だってんで警察も本腰入れてくれないし。
依頼主からは前金貰っちゃってるし、こりゃ厄介な話引き受けちゃったなーって……」
ぺらぺらと喋り立てる様はまるでどっかの商人だ。
ややあって、リーンがどうにか応じた。
「……アンタ……誰?」
至極まともな問いにきょとんとする彼。間を置いてその茶色い瞳が僕等四人をぐるっと見回す。そうしてから彼はぽんっと手を合わせ、『あーあー、あー』と明るい感じに独り言ちた。半端な照れ笑いを浮かべながら、再び一同を見回していく。
「あははは、失敬失敬。
アンタ方に会えて嬉しかったもんだからつい舞い上がっちゃって。
俺は南のブライラって村からやってきたユイグっていうんだ。ユイグ――」
ユイグと僕の視線は丁度かち合っていたのだ。
その一瞬。彼の切れ長の細い目の奥に淡く微かな白斑が見えたような、気がしたのだけど。
「……そう呼んでくれよ。はははは」
もう彼の顔は僕ではなくリーンの方を向いている。リーンもやや呆れ気味に『そのまんまじゃないの』と返していた。
何ともまあ軽い感じの男である。
どうせもう説明することもないだろうから、ちょっと彼の外見について加えておこう。
顎は細い。唇も薄い。亜麻色の前髪は両目にかかる程長いけど、横と後ろは短い。耳はくっきり見えているし。それから二の腕は細くはないけど筋肉質って感じにも見えない。今の僕と同じで並ってところだろうか。
ぱっと見分かる範囲でこのぐらいだ。
ちなみに彼は僕より一つ年上の十九だそうだ。当てもなく旅を続けながら様々な仕事に就きつつ日銭を稼いでやり繰りしているらしい。つまり便利屋。彼は自分のことをそう呼んだ。美術館の警備員をする日もあれば土方をやる日もあるし、かと思えば遺跡調査の発掘アルバイトなんてことまでするらしい。そんな風に一所に落ち着けない暮らしであっても、世界各地を巡る旅が楽しくて止められないのだと、苦笑いしていた。
「それで今度は人捜しの仕事を請け負ったってわけ?
ホントに何でもやるのね」
リーンが無遠慮にユイグを見上げる。それを気に掛ける風もなくユイグは頷いた。
「まあ一つ前の仕事でお世話になってた奥さんだったし。
それ以上にちょっと気になることがあったもんでね」
「気になること?」
リーンの問いにユイグは答えず、周囲をちらちらと見回した。それから彼は寝台車両の方に親指を立ててみせ、『ちょっと向こうで話そうや』と誘い掛けてきた。
何やら人目を憚るらしい。食事を殆ど終えていたこともあり、僕等は了承した。
* * *
僕等が利用するのは二等寝台。個室ではない……ではないだけであって、粗末な感じは全く見受けられない。
僕はワインレッドの二人掛けシート、その窓側に腰を下ろしながらぼやいた。
「あのさあ、シオルのホテルでも思ったんだけど。
旅費はなるべく節約した方が良いんじゃないかなあ。
この旅がいつ終わるって保証もないんだしさ」
あるいはその先のことも念頭にあったかもしれない。
「そういうケチケチしたとこは変わってないから、つい昔のまんま相手しちゃうのよね」
すぐ左隣に座るリーンが不思議そうな目で僕を見つめてきた。
「ケチケチってなんだよ。節約だよ節約」
「ああごめん。細かい男に訂正しとくわね」
細かい男……いや大して変わってないだろ。
何か上手いこと言い返してやろうと思って口を開きかけた僕は、通路にまだユイグが突っ立っていることに気付いた。彼は僕等の使うベッドの隣の寝台が空いていることを知ると、ポーターに一言断ってさっさと自分のバックパックを持ってきてしまっていた。そもそもポーターに断って済む話ではないような気がするけど。
じっとこっちを見下ろしているユイグに僕は向かいの座席を示す。
ちなみに通路を挟んで反対側は藍色系でまとめた二段ベッドになっていて、仕切りのカーテンを開けたその下段にカジとチタンがもう座っていた。
「掛けたら?」
「お、おう。
痴話喧嘩の邪魔しちゃまずいかと思ってよ」
「誰が!」
同時に僕とリーンは声を荒らげていた。カジが愉快そうに笑う。
「ハハハ。何か良いだろ、この二人は」
「ああ、ちょっと彼の方が尻に敷かれてる感じだけどなあ。
もっとガツンと当たっていかないと。
ミソス君て言ったっけ」
「ミサスだよっ。ミ・サ・ス。
別に大人しくしようと思ってしてるわけじゃない。
僕は記憶喪失なんだ」
言ってしまってから、ちょっとまずかったかなと思った。いや、秘密にしておく必要はないのだが、初対面の相手にべらべら話すことでもない気がしたのだ。まあ言ってしまったものは仕方ない。僕は頭を打ったとか何とか適当な理由を付け足しておいた。
そうして同情を示す彼に『これでも結構良くなってきたんだ』と首を振りつつ、さっきの話の続きを催促した。
「へえ。タフだな、アンタ。
……そうだ、その話だったな」
ユイグは席に着くとちょっと前屈みになった。僕等四人にも顔を寄せるよう手招く。
声のトーンを落とすと『ここだけの話なんだけどな』と語り始めた。
「この路線の終点のカルノー。
そのテーマパークを経営してるのがカルノーレヴェリーっていうカンパニーなんだが、ここはどうも良くない噂が流れててさ。
表じゃ煌びやかなドリームランドを装っちゃいるが、
その裏じゃ組織立って……法に触れるようなことに手を出してるって
「何なんだ、その法に触れるようなことってのは」
カジが先を急かす。ユイグは一呼吸溜めて僕らを見回してから、再び口を開いた。
「……人身売買」
人身売買?
「しかも、こっから先が肝心なとこなんだが」
彼はまたそこで勿体ぶるように間を置いてから、続けた。
「そのカルノーレヴェリーの筆頭株主ってのが、
何を隠そうこのデスニア国教を司るゼロ教教団なんじゃないかって話なのよ」
デスニア国教、イコール、ゼロ教だ。一般的には『神教』の方がよく通っている。それ位は僕だって……最近教わった。
信用し切れないという面持ちでチタンが首を捻る。
「いや、いくら何でも公の教団が一カンパニーの経営に関わるってことはないんじゃないですかい?」
「勿論、株を持ってるのは全く別の商会さ。
ただその活動実態やら金の動きやらを見ていくと、教団に行き着いちまうんだ」
ちょっとムキになった感じでユイグが付け足した。
話はまだ続く。
「大体、教団のトップたる教皇ゼロ・ド・ネヴィア。
こいつはかなりの悪党だ。
信教一統だとかなんとか唱えて他国侵略の口実を軍に与えてんだから。
当然に自分はその恩恵に預かってな」
信教一統。何だか結構前に聞いた言葉だ。
僕はどうにか話に付いていこうとした。
「……けど、実際に軍を動かしてるのはロアなんだろ?」
「ああ、勿論だ。
あのロアってのはもっとヤバいよ。
奴の代になってからじゃないか、デスニアが西大陸へ兵を送ったりなんかし始めたのは。
このままデスニアが西大陸への影響を強めていけば、
東の諸国だってもう黙っていなくなるだろうし。
下手すりゃ大陸間戦争の再燃だ」
ロア……やっぱり奴は。僕は握り締めた両手を見つめる。
「あるいはロアの魂胆は、西大陸を舞台にして東国の連中と戦うことで、
自国を傷付けることなく、大陸間のパワーバランスを改めようってとこにあるのかもな。
それ位平気でやってのけるよ、あいつはきっと」
一人喋り尽くしていたユイグは、ふっと気が付いたように口を閉じた。気まずそうに顎を軽く掻く。そうして慌てたように台詞を言い足した。
「悪い悪い、すっかり白けさせちまった。目的が何であれ旅の過程は楽しまないとな。
ははは……はは」
取って付けたようなフォローだ。
やがてカジとチタンが自身の過去に照らし合わせてユイグの意見をなぞり始めたのを機に、当のユイグはトイレへ行ってしまった。
ややあって、かく言う僕自身も立ち上がる。
トイレは僕らの寝台車両から三両も向こうにあった。まあ車内にトイレがあるというだけでも大したものだと思う。
通路の先、トイレのドアからユイグが丁度出てくるところだった。狭い道を譲ろうと彼は足を止めて右へ寄る。すれ違った僕がトイレのドアノブに手を伸ばした矢先。
背中から彼の声がした。
「まだ夢の途中か」
「……え」
いや、彼には頭を打って記憶を失くしたと言ったばかりだ。
「なら、これから先も見ていくんだろうな」
「……」
「だがそれだけだ」
「何を……」
僕は振り返ることが出来ずにいる。聞こえてくる声からしてユイグも多分こちらを向いていない。
彼はすらすらと続ける。
「それは『知る』であって、『思い出す』のとは違う」
「……?」
「行き止まり」
何だ、こいつは……。
そう戸惑う僕の心を見透かしているかのように、彼はちょっと声を弾ませた。
「あ。もしかしてもうその段階にいたりして」
堪らず僕は振り返った。なのにユイグはもう通路を歩き出している。
「待ってくれ! 君は一体……」
僕の声に彼が立ち止まる。そのまま彼は振り返らずに言った。
「デスニア・ヴ・ロア」
……ロアの……フルネームなのか?
そこで彼はこちらに横顔を向けた。余裕を含んだ笑みと共に。
「その殺気はしまっとけ。
あのカジとチタンって二人は気付いてたぞ。心配そうな顔してた」
……何だコイツ……。
それきり行ってしまうのかと思いきや、ユイグはまた足を止めた。彼は前を向いたまま、天井をちょっと見上げる。
『そうそう』と呟いてから、こっちへ振り返った。
「『君』じゃなくて『お前』でいいから。仲良くやってこうや」
ニコリと目を細めるユイグ。
全く付いていけてない僕の顔が憤慨と疑問にひしゃげていく。それも満足げに見届けてから、彼は歩き出していった。




