第六話 予感
緩やかな傾斜にはブドウ畑が広がり、青空をゆったりと白い雲が流れていく。
メイアの港町を朝六時に出てから一時間程が経っていた。
「あんた達、そろそろへばってきてるんじゃないの? 大丈夫?」
畦道の先を歩くジャンとキルにリーンが声を掛ける。
「まだまだ全然平気さ。なっ、キル」
「平気じゃないかも。もう半分位きた?」
少しだれ気味のキルが振り返る。真っ黒なつんつん頭が心なしか大人しく見える。
「うーん。まだ三分の一ってところかしらね」
リーンが片手に持っていた地図を見つつ答える。
「うへえ。こんなんだったら孤児院に残ってりゃ良かったかも。今頃みんな朝ご飯食べてるくらいかなあ」
「そうねえ。……もう少し行ったら休憩しよっか」
一方でジャンが大口をたたく。
「何だよ、だらしがねーなー。俺なんてあと百キロだって歩けるぜ」
「何でお前そんな元気なんだよ、ジャン。朝だって早かったのにさ。……ふわぁあ……ああ」
「だって、ロア皇子だぜ。この中央大陸の大将。どんな奴なんだろうな。きっと口髭なんかはやしちゃってさ……」
リーンがジャンの想像を打ち消す。
「あら。この大陸のトップって言っても、年は私達とそれ程違わないらしいわよ」
そこにキルがぼそりと感想を述べた。
「何だよ。十分おっさんじゃんか」
「ちょっと……キル。あんたそれどういう意味よ!」
「うわっ…………ウソ、ウソだってばっ。
……ぎゃーっ!」
キルのバックパックを掴もうと迫ったリーンに彼はびっくりして走り出した。彼女もそのまま追いかける。二人はあっという間に先へ行ってしまった。
「あーあー。あれなら、キルもまだ当分大丈夫だな」
頭の後ろで両手を組んだジャンの横で、僕は何だか随分前にも似たようなことがあった気がしていた。
「……ところでミサ兄。ロア皇子について、ちょっと教えてあげようか」
「うん」
「よろしい。へへへ」
実は昨日コルンから聞いたことだと白状して、ジャンは話し始めた。
「ロア皇子ってのはこの中央大陸のほとんどを支配しているデスニアって国の王様なんだ。
俺らが住んでるメイアや、これから行くブレアールの港町はそのロア皇子のおじゃ……おじうえ? おじさんが治めているアスロペンて国の一部なんだってさ」
「そう」
「ロア皇子は、この中央大陸だけじゃなくて西の大陸も支配しようって考え……しんき……しんきょ……神教一統っていうのが前々からあったらしくて。いよいよ実行に移したのが、今回の征西ってやつだったらしいよ」
「そう」
「もっとも戦勝の報告をするからって戦いが終わったってわけじゃないみたい……。
ごめん、コルンの奴、難しい言葉で喋るからさ。この先もなんか色々言ってたんだけど。途中から、わけ分かんなくなっちゃったから。俺、適当に相槌うってたんだ。……へへ」
「そう」
戦争からの帰還ということ。戦争をしてきたのか。戦争……。その言葉には様々な負の感情しか結び付いてこない。
ブレアールへと続いているであろうこの目の前の穏やかな景色からは全く連想し得ない。僕には……自分とは関係がない遠い遠い世界での出来事な気がして……ただ今の今、先へ行っていたリーンとキルがこっちに向かって手を振る姿を見て……そんな自分に安心していた。
隣のジャンも笑顔で力強く手を振り返している。
昼というにはまだだいぶ時間があったと思う。僕達はどうにか目的地であるブレアールの港町に着くことができた。
町はちょっとしたお祭り騒ぎだった。通りには横断幕が掲げられ、屋台も並び、時折空砲が響き渡り、人混みで溢れていた。デスニア軍の寄港を町をあげて歓迎している様子が伝わってくる。
キルが背伸びしつつ辺りを見回した。
「すっげえー! フランクフルトにポップコーン、クレープ、サバサンド……。うっはぁ……」
キルはもとより、ここまで来て流石に疲れを隠せなくなっていたジャンの顔にもみるみる生気が蘇っていく。
「思ってた以上に賑わってるわねえ。あ、でも、あんた達。お弁当持ってきてるんだからね」
残念ながらリーンの声は届いていなかったらしい。いつものテンションが回復してきてフランクフルトの屋台に直進する彼等を、彼女が慌てて追いかけていく。
僕はその様子に微笑みつつも、表情と裏腹に例の黒い感情が徐々に昂ぶってくるのを確かに感じ取っていた。