第六八話 歯車 四
適当用語解説
・ドレープカーテン:厚地の織り生地で豊かなひだをとったカーテン
・ベッドライナー:ホテルのベッドの足側に靴の汚れに備えて置かれた細長い布
・ファイアースクリーン:火の粉避けの金網みたいの
・三角破風:切妻造り等の妻側にある三角形の部分で、その鈍角を作ってる上の二辺を指す
(切妻造り:二枚の面と面を合わせただけの屋根を持ったシンプルな家の類型)
(妻側:屋根と屋根で作られた三角形がある面のこと。)
僕はベッドの上で横になりながら、目の前の壁を何の気なしに見ていた。そう、現実へと戻ってきたのだ。ただそこには誰もいなくて……おまけに静かで薄暗かったから起きる気にもなれず、ぼんやりとした意識で浅い喪失感に浸っていたというわけだ。
ある意味、マアヴェやバニルの勢いに引っ張られて夢の中を走り回っていたようなものだ。彼等がいなくなってしまえば当然にその寂しさだけが残る。そして次に夢を見たとしても、ケーケとはもう会うことが……出来ない。夢の中で繰り返してきた虚しさを僕はまたなぞろうとしていた。
むずがゆくなった左頬を掻く。次いで反対側へゴロンと寝返りを打った。途端。
鼻先に何か冷たいものが触れた。反射的にビクッと離れる。高速で後ずさった顔に巻き込まれて左耳が裏返った。枕からは落ちずには済んだらしい。
落ち着いて見れば、すぐ目の前の草原――枕の色だ――に拳大の黒猫がちょこんといた。……なんだ。ペーパーウェイトだ。メモ用紙の上とかに置いておく錘。真っ黒でざらっとした質感のやつだった。陶器だろうか。
続いてそのすぐ向こうで灯るテーブルスタンドが見えた。どうやらこいつが室内の闇を照らしてくれていたらしい。
黒猫をその傘の下、つまりベッド脇にあるチェストの上でメモ用紙の束の隣に戻しつつ、僕は起き上がった。起き上がりながら、僕宛ての書き置きでもあるかとそこらを見回した。
……だが無い。そうすると何だろう。誰かが僕を気遣ってくれたとでもいうのだろうか。目を覚まして誰もいなかったら寂しがるだろう、とか思って……? 残念なことにそんな気遣いが出来る仲間の顔が一人として思い浮かばない。と言うか、こういう類のことをするのはリーンだろう。であればもう単なるイタズラに決まっている。考えてみるだけ時間の無駄ってやつだ。そう結論付けた。
しかしながら、もう一度寝転がってさっきの続きを、という気にもなれなかった。
仕方なくベッドから出る。左右に居並ぶ家具っぽいシルエット、それらに足を取られないよう気を付けながら入口と思しき木製ドアの前まで行く。そうして脇にあるスイッチに手を伸ばした。
カチッ、という音と共に部屋全体がすっかり明るくなった。六灯シャンデリアだ。インテリアは……白の暖色系をベースに、濃い緑、茶色を組み合わせた感じ。
足元の絨毯はダークブラウン。手前から左壁沿いに木製の化粧台、デスクと椅子のセット、二人掛けソファ――これは深緑だ――が並ぶ。突き当たりのコーナーは斜めに面取りされている。そこに白煉瓦の暖炉が設けられているのだ。次いでバルコニーに続くと思われる窓はドレープカーテン――これもダークグリーンだ――で遮られているものの、このカーテン自体赤や青の花柄があしらわれていて閉塞感を和らげてくれている。あとはその右隣にさっきまで僕が見つめていた壁面があり……直角の右コーナーから折り返してきてシングルベッドが二つ続く。蛇足だがこのベッドの色彩が良い。白いベッドカバー、焦げ茶色のヘッドボード、そしてくすんだ若草色の枕とベッドライナー。三色が互いを引き立て合っているのだ。あとはベッドとベッドの間にサイドチェストが置かれていて……というのはもう説明済みか。
とりわけ木製の調度品なんかは適度な光沢を帯びていて上品なアンティーク感を醸し出している。おまけに暖炉まであるところからして、部屋のランクが今まで泊まってきたものより上であることは間違いなかった。
ただ、そのシックな雰囲気以上に空気の冷たさが気になりだした。考えてみればこちらの世界は今十二月末だ。時間帯も夜。寒くない筈がない。
というわけで部屋の隅にある暖炉に火を入れることにした。幸い使い方は知っている。リーンに教わったのだ。リーンといえば、戻ってきてこの部屋が寒かったら不満を垂れるに違いない。大体彼女も少しはマアヴェを見習って、言葉遣いをもっと丁寧に、暴力は控えめにすべきなんだよ、そもそも――
などと愚痴っている間に、僕は暖炉前のフローリング――ここまでは絨毯はきていない。火の粉が飛ぶから当然だ。逆に暖炉際に黒い耐熱タイルが敷かれている――にしゃがみ込み、ファイアースクリーンをどけ、暖炉内部のレバーを操作して煙突の蓋を開けてから、薄く削がれた薪をくべて小さな炎を作り……という感じで火を起こしていった。
やがて炎が十分な大きさになってきたところで暖炉の前にファイアースクリーンを立てる。そうしてその近くへ椅子を引っ張り出してきて、座った。
顔と両手に熱を感じられる。日向にいるような温もりだ。つつましやかに鳴る火の音も悪くない。ただ、それらに眠気を誘われ……なんてことにはならなかった。
気付けばまた考え始めていたのだ。目の前で燃える火をじっと見つめながら。
ただそれは意味のないループとかじゃなくて、これまでの事を整理していたわけで――
アノの症状。ロアとシダクの子供達との関係。空襲の原因。マアヴェの信念。ケーケの思い。戦争。ケーケの死。マアヴェの覚悟。
それから……。
けれどそこまででかなり時間が経っていたらしい。僕のずっと後ろ、つまり部屋の入口の向こうでガヤガヤと人の気配がしたのだ。
そして間もなくドアが開き、カジがお辞儀をするようにして入ってきた。彼はこちらに気付くなり遠慮の欠片もない声と笑顔をぶつけてくる。
「おお、起きたか!」
何てことない、いつもの彼だ。だけどその笑みは以前とどこか違って見えた。
いや。違ったのは彼でなく、僕の方かもしれない。
ともかく、僕を見て満足そうに頷くカジの後ろからリーンとチタンも入ってきた。二人もこちらを見て眉を開く。そして勿論、彼等の最後にアノも入ってきた。相変わらずの穏やかな表情でだ。
どうやら彼等は夕食ついでの情報収集をしてきてくれたらしい。
やがて僕等は暖炉の周りに座った。さっき使っていた椅子には再び僕、左のベッドにカジ、右のベッドにチタン、二人掛けのソファにはアノとリーンが、といった席順だ。
リーンが僕の為に買ってきてくれたハンバーガーとポテトを受け取る。その包み紙を開けつつ、僕はチタンがしてくれる報告に耳を傾けた。
いや、報告といっても大した成果は得られなかったらしい。まあこの町――ああ『この町』というのはシオルで間違いない。この部屋もそのホテルの一室で間違いないとも。ついでにまたしても眠っている僕をカジに担がせてしまったことも間違いない――に着いた時点で既に日は暮れていて聞き込みをする時間は大して取れなかったそうだ。当然にその範囲もごく狭いエリア内に限られる。
そんなわけで、明日は他のエリアも含めて引き続き同じ作業に当たらねばならないという話だった。
続いて、カジ達の視線は自然と僕に集まってきた。
僕の眠りが深い時は例の夢を見ている時だというのをカジとチタンは知っている。そしてその二人からリーンも聞いたのだろう。不安げな表情で自身の手元を見ている。そこにはもうシダクで大喧嘩をした時のような拒絶の意志は感じられなかった。
当たり前といえば当たり前だが、夢の話をしなければいけないらしい。僕は食べ掛けのポテトの包みを膝元に置いた。
視線は絨毯へ。そうして話し始めた。
まずはアノと自転車に乗っているところから。ちなみにアノの症状の原因については触れていない。憶測に過ぎない話でリーンの心を煩わせたくなかったから。
そしてミサス一人がスタンフォークの安宿に戻り、仲間に軍脱走の話を持ち掛けてケーケと喧嘩になり、その後でマアヴェと話をして、翌朝には軍艦に乗って出港してその日のうちに敵艦隊と見え、そこでフウス側の連中の執念を知り、そうして最後には……。
そこまで話がいったところで僕は皆の顔を見回した。
アノはともかくとして、リーンもチタンも真剣な表情でこっちを見ていた。
そしてその二人以上に怖い顔で僕を見つめていたのがカジだ。元々大きい目玉と口に太い眉毛、全体的に彫りの深い顔。それらが暖炉の炎に照らされて陰影を濃くしている。さながら鬼面のような形相になっていた。
それを見た僕の脳裏に、カジがいつかした話が過ぎった。一度堕ちたが最後誰も引き揚げてくれない、というあの話が。
僕は視線を絨毯に戻し、話を続けた。
「そんな感じでどうにかみんな、味方の船に避難することが、出来たんだ。
九死に一生を得たって感じだった。
それからはスタンフォークへ歩いて戻ってアノ達と合流して……。
……結局ケーケとジャンも分かってくれてみんなで夜通し林道を……」
そうしてミサス達が東側ルートを選ぶところで話は終わった。要点をかいつまんでの説明だったけど、その頃には僕の膝元のポテトはすっかり冷め切ってしまっていた。
それを再び口へ運び始めた僕。対して皆は中々反応を示さない。
ややあってからようやくカジが大きなため息を吐いた。
「何だかすげえことになってんな。
……しかしまあ戦争ってのはいつの時も同じだな。
敵も味方も、人が変わっちまう」
「旦那も色々ありましたからね」
チタンが相槌を打った。
次いでリーンがやり切れないといった口振りで感想を述べていく。
ただ、その時にはもう彼女達の会話は僕の耳を素通りしていた。頭の中に溢れていたのは自分の言葉だけだった。
僕は違う。僕は螺旋の外にいる。
ケーケの死に際して抱いた憤りや憎しみだってフウスの連中へは向いていなかった。対象にしていたのは人の愚かしさとか業とか、あるいはそれを利用する側の者達。それを僕自身が意識していたんだから。
ケーケの思いを知って、マアヴェの背中を追い続けて、今現在のここに至っている筈なんだから。憎しみを誰かに抱こうともそれは何らかの大義に基づくものである筈なんだ。
そうだろ? マアヴェ……みんな。
勿論答えは返ってこないけど。
そこまで理解していながらどうして。
どうして僕はケーケの死を隠したんだろう。
そしてこれから先、キルとクリスを助けた後に僕がしようかと迷っていることについて何で言い出せなかったんだろう。
……よく分からない。
けれどもう報告会は終わりだ。
何だか物凄くくたびれた気がする。あるいは夢の疲れが残っていたのかもしれない。
* * *
翌日、やや元気を取り戻した僕はリーンとアノと共に街の大通りを歩いていた。
シオル。幾つもの時代を跨いで歴史と伝統を紡いできた港町らしい。石畳の道沿いに並ぶ石造りの建物達はその建築様式がきっちり統一されていた。
寸分の隙なく連なっている壁の色はその殆どが黒みがかったベージュ色。屋根はもう一段黒が濃くなっている。その取り合わせは貫禄みたいなものを思わせる。高さは三階建てか四階建てのものばかりだ。おまけに各階の高さまで統一されているらしく窓も規則正しく並んでいる。屋根窓や三角破風の装飾はその縁に沿って煉瓦を定間隔で並べたような形状――二本の櫛で山を作ったような形――だった。
とまあ芸術的な面ばかり説明したが各種ショップの方もしっかり充実している。ただやはり、そのディスプレイ用の大窓――注目すべきはその窓枠だ。赤に緑、黄、青、あとは肌色なんてのもあった――は美観的な理由から一階のみに限定されていた。またかえってそれが程良いお洒落にも見えて、この古い街並みの堅苦しさを紛らす結果になっているという具合だった。
さて。大分横道に逸れてしまった。
肝心の聞き込みの成果について触れておこう。これはまあリーンの手柄によるところが大きい。彼女は道行く人全て――地元の人だろうが観光客だろうがお構いなしだ――に声を掛けていったのだ。そのアグレッシブさはカジとタメを張るレベルだったと言っていい。
ともかくそんなわけで、必要なことは割と簡単に分かった。
道化共は東へ向かったらしい。しかも、もう一組。道化と子供のペアが目撃されていたのだ。こちらもほぼ似通った日取りで東行きの汽車に乗ったということだった。どうも組織的なものが関わっているように思える。嫌な感じだった。
ストーリー修正予告
・アノが転院する病院の位置と国。その付近の海岸の形
・市場でミサスを許すリーンの台詞とか思惑




