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月の刻限  作者: ゆいぐ
第三章
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第六五話 岐路 十

適当用語解説

・リザーブレーション:携行食。一日分の食料が梱包されている。

 いつまでも悲しみに暮れていられないことはミサス達自身がよく分かっていたのだろう。

 彼等は店の奥で転寝うたたねしていたヨウを起こすと、マアヴェが準備してくれていたバックパック――店内に残っていた商品だ。その中には同様に失敬した何枚かの衣服までもが入っていた。勿論彼女はその代価としての紙幣数枚を目立たない場所へ置き残している――をそれぞれに担ぎ、更にアノとラモンの分も手に抱えてブティックを後にした。


 次はアノが待つ市街外れの民家を目指さねばならない。

 彼等は元来た大通りへと戻り、街灯の薄明かりに照らし出されたその路面を歩き始めた。方角は北。右後ろから響き渡ってくる砲撃音からは遠ざかっていく形になる。

 だが、歩き出したばかりのところでミサス一人が足を止めた。その眉間には彼の迷いを集めた小皴が寄っている。隣を歩いていたバニルの『どうした?』という声に前の四人も振り返った。

 ミサスはしばし押し黙っていたものの、やがて躊躇いがちに提案した。


「宿舎に……寄っていかないか」


 その言葉を耳にしたジャンの顔に陰が差す。

 バニルが困惑顔で返してきた。

 

「ケーケの……荷物か?」


――オルゴールか。

 ミサスが黙って頷く。しかしバニルは頭を抱えつつ渋った。


「気持ちは分かるが……。

 最短ルートで町を出る為にあの店を待ち合わせ場所にしたんじゃねえか。

 アノが待つ民家までだって、まだ結構あるし……」


 バニルの言う通りなのだろう。今何よりも優先すべきはこの五人の身の安全を図ることだ。けれどそう理解している僕さえも、敢えてその寄り道をしてやってくれと思わずにいられない。感情的になっているミサスを否定することが出来なかった。


 ジャンとマアヴェはそれぞれに思いがあってかどちらの意見にも付かずにいる。ヨウ――彼にはケーケの死を伏せてある――は勿論よく分かっていなかっただろう。

 結局のところ。最後に残ったラモンだけが一票を投じた。


「自分からもお願いします。ケーケさんの荷物を取りに行ってあげて下さい」


 言ってみればラモンはミサス達シダク組に巻き込まれてこの逃走劇に加わっているような立場にある。そんな彼の賛同は少なくとも額面通りの票数にとどまらない重みを持っていたと思う。

 ややあってバニルは軽くため息をつき、ラモンに『……すまねえな』と謝った。

 まあ考えてみれば、バニルが『寄り道』に反対したのは、部外者に近いラモンへの遠慮もあったかもしれない。

 次いでミサスとジャンもラモンに礼を言う。一方でマアヴェがヨウの正面にしゃがみ込み、その小さな両肩へ手を置いて問い掛けた。


「ヨウ、さっき教えた距離よりもう一時間位長く歩かなきゃいけなくなったの。

 あなた、ここで休んでる? もしそうなら私も残るけど……」


 五人の中で最年少者たる彼はぼさぼさ頭をぶんぶんと振ってから事も無げに答える。


「全然平気さ。みんなといるの楽しいし。

 子供だからって見くびらないでよ。これでも足は丈夫なんだから。

 それにしてもケーケの兄貴もおっちょこちょいだな、自分の持ち物置いてっちゃうなんて」


 邪気の欠片も見えないあとの台詞に、僅かに俯いたマアヴェが『そうね……』と小さくつぶやいた。だがそれも少しのあいだのこと。彼女はヨウの小さな両肩をぽんぽんっと叩くと、再び顔を上げた。もうその哀しみの上には、笑みが押し広げられている。そして彼女は少し発破をかけた。


「男の子だもんね」


 その言葉に誇らしげにヨウが頷く。それを見届けた彼女はやがて立ち上がり、ミサスとバニルに向き直った。二人を見る両の眼はまだ少し赤い。だがそこには悲壮な決意のようなものが帯び始めていた。


 彼女自身気付いていただろうか。その歩みがいつもミサス達の一歩先へ行っていたことを。


 ともあれ、決まりだった。五人は今いる大通りをそのまま北へ進むことになったのだ。つまり目的の宿舎は市街北端にある。ちなみにアノが待っている民家は市街西の外れだ。大きなロスには違いないが、正しい判断であったと思いたい。


 そしてこの判断の不安要素、彼等の懸念が現実のものとなってその目の前に立ち塞がるという事態はひとまずのところ避けられたようだった。つまり別任務に当たっている味方連中と出くわしたり、はたまたフウスの別働隊に突如として襲われたりという、その種のトラブルには見舞われずに済んだのである。


 大通りを三十分ばかり歩いた彼等は、一つの角を左に曲がっていく。

 その先にはもう街灯の無い狭い路地がただ伸びているだけだった。勿論、両脇にのきを連ねる建物も全て明かりを落としている。

 先頭のミサスがバックパックから懐中電灯を取り出して点けた。そうして再び進んでいく。


 やがて五人は、昨晩ミサスが自転車を止めた安宿の前へと行き着いた。同じ場所に停まったままであるそれの脇を通り、まずミサスが押し戸を開いて中へと入っていく。

 寒々しく鳴ったドアーベルのした、入口に立った彼は室内の闇へ懐中電灯を向けた。暗中に伸びていく細い光のトンネル。都合よくもその先端は上へと続く階段の一部を映し出していた。そこへ向けて歩き出したミサスのすぐ後ろに四人も続く。


 やがて、ミサスが手探りに彷徨わせていた右の指先にざらりとした壁面が触れ、次に階段の照明のスイッチへと行き当たった。だが、ロビーの明かりすら付けなかったミサスはここでもスイッチを入れなかった。どこにいるか知れない敵味方を警戒したと思われる。

 左手に懐中電灯、右手に階段の壁を這わせつつミサスはそこを登っていった。そうして階段を上がった先に伸びている通路を更に直進していく。最後に廊下の一番奥へと突き当たり、右側にあるドアの前に立った。ミサスは五人が付いてきていることを確認する。そうして、そのドアを開けた。


 意外なことに室内はほの暗かった。真っ暗ではなかったのだ。手前の壁に掛かったダーツボード、中央の椅子、テーブル、その上の空き瓶、奥に並ぶ狭苦しい二段ベッド二つ、そして……その脇に置かれた幾つかのバックパックとボクサーバッグ。奥へ行くほどに闇が薄くなっていた。そう、部屋の一番奥にあるガラス戸。そこへ、ささやかであるものの星明かりが差し込んでいたのだ。

 その窓際へと行ったミサス達は、両横にあるベッドの脇からバックパック達を引き寄せた。勿論、ミサス、バニル、ジャンの三名はその中に残っていた自身の下着等を回収していった。

 続いて小さな缶詰を取り出したバニルがそれをしげしげと眺める。


「あるだけ持ってった方が良いよな」


 問い掛けられたミサスはその時、ジャンと共にボクサーバッグの中身を漁っている最中であり……上の空で呟いた。


「そう……だな」


 今度はマアヴェの声が隣でする。


「アノ君の所に少しは持っていってあるんだよね?」


 だが聞こえていないのか、ミサスもジャンも全く反応しない。代わりバニルが答えた。


「ああ、リザーブレーションだけだけど。

 やっぱり持ってくか」


「そうだね……」


「マアヴェとラモンも自分の荷物置きっ放しだよな?」


 バニルとマアヴェの間で話が進んでいく。彼女はかぶりを振った。


「私は荷物を持って病院へ行ったから、ここには何も残ってないよ」


 対してラモンは向かいの宿を指して言った。


「自分は食料の配給が明日だったものですから、その……」


 バニルが苦笑いしつつその後を繋げる。


「全部食べちまったのか」


「はい……。ただ、アイザーとレックスの分が何か残ってるかもしれません」


 彼等もウォールラスに乗り込めなかったのだ。

 バニルが悼むようなくぐもった小声で『そしたらこの後、寄っていこう』と答えた。

 他方、ジャンが持つ懐中電灯が向く先、細長いボクサーバッグの奥へ右手を突っ込んでいたミサスの右手に金属製のスナップボタンが触った。どうやら内ポケットが付いていたらしい。やがて見覚えのある紙箱をミサスが取り出した。ジャンがそれを受け取る。

 しばらくの間、ジャンの両手に包まれたそれを皆が見つめていたのだと思う。誰も口を開こうとしなかった。


 やがてバニルが立ち上がり、その声がミサスの頭上に聞こえた。


「行こう。次は向かいの宿だ」


 応じるラモン、マアヴェの声も。それらにつられるようにミサスもどうにか立ち上がった。

――と、ガラス戸の近くにいたヨウが何を思ったのかそれをカラカラカラと開けていく。地鳴りのように小さく響いてきていた砲撃音のボリュームが僅かに上がり、冷え切った夜風がミサスの首筋へ吹き付けてきた。

 振り向いたミサスの先で、ヨウが何かを見入るようにベランダへ出ていく。続いてマアヴェ、バニル、ラモン、ミサスも。四人の青年と一人の少年はプランターを置くのもやっとというような狭いスペース、しかもその右側面の手摺りへと、ひしめき合うように詰めかけた。


 五人の間に僅かの沈黙が流れる。


 やがてヨウが、両手でしがみつくその格子の間へ大きなため息を吐き出した。


「あーあぁ……」


 彼等が揃って視線を送る方。百メートル程先に二階建ての家屋の屋根、続いて左隣に並ぶもう一軒の屋根がある。そして二つの屋根の向こう側に頭を覗かせる幾つかの建物もある。つまり、それらが繋がり合って完全なる一個のシルエットが出来上がっていたのだ。それ程にそのシルエットは漆黒に満ちていた。互いの明暗の区別が付かなくなるほどに……強い逆光を背負っていた。

 ほぼ水平方向に連なるその白い光――二軒の屋根の上縁じょうえんに沿っていた。上で述べた『幾つかの建物の頭』のせいで所々に途切れてはいる――は、細長いブレードのように輝いていたのだ。そしてその刃先から滲み出た血を思わせる程に、赤い光が夜空の闇を浸食し始めていた。


 僅かに響いてくる砲撃、爆発の轟音、そして方角からして、市街南東の埠頭一帯が炎上しているのだということはすぐ理解出来た。

 そしてその凄絶な光景は、数時間前にウォールラスの甲板で見たそれとあっさり重なった。遠近の違いこそあれ、夜空を焦がしていた炎と煙。多分それは……。


 やりきれない悲しみが僕を覆い尽くしていく。

 ……そうだったんだ。だからあの時、ミサス達は反応が遅れたのだ。ウォールラスの甲板へ出たあの時、彼等は硬直してしまったのだ。


 ミサスはこの光景を前にして何を思っているだろう。変わらずにアノがいる民家を目指すことを考えているだろうか。……何と言うか、前に進もうとする足の裾を引っ張られてしまったような気がする。

 その足元の不安は徐々に膨れ上がり、やがて僕を包み込んでいった。


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