第六十話 岐路 伍
適当用語解説
・速力通信機:テレグラフと同義。腰位の高さの円柱の上面に目盛りが付いてる。
それでエンジンルームへスクリューの回転数を指示します(多分)
・作中の「微速赤十五」は回転数を微速から15rpm落とす指示です。
伝令の兵士に続いていこうとしたミサスは何かを思い出したらしく、バニルの方へ戻っていった。
こちらに気付いたバニルが先に声を掛けてくる。
「どした?」
「例の……」
バニルにはそれだけで伝わったらしい。
「ああ……。
俺もここでやり合ってる時、気にはしてたんだが。
近くでおかしくなった奴はいなかったみたいだ。
お前の方は?」
「同じだ。特には何も」
「次の戦闘が始まるまでに
あっちの小隊の連中にも話を聞いとくわ」
「すまん。こんな時だってのに悪いな」
「気にすんな」
ミサスはやや俯く。
この夢を見続けている僕にとって、その憂いの色は彼のイメージカラーになりつつある。敵艦を奪い取った上に僚艦が一隻生還したんだからこんな時くらいは喜んだっていいじゃないか、と思わなくもない。
ややあって顔を上げたミサスはバニルに『頼む』と短く言って、そこを後にした。
艦首楼から外へ。正確には中央甲板の前端に出たミサスは右舷のハンドレールへと歩み寄っていく。
付近の海面は、闇雲に突き刺さってくる砲弾に対し盛大な飛沫で応じていた。その弾着が運命のいたずらでいつこちらへ移動してくるかと、僕は気が気でない。
ミサスは怯むことなく身を乗り出し、目の届く限りで現況を把握していく。
アイビスの進行方向、その遥か彼方にはサヴィッジシールの小さな艦影が見えた。その艦体は炎と煙を抱きながらこの戦場を去ろうとしている。一方、それにとどめを刺そうと追撃をかけているのはレイヴンだ。是が非でもこの海域へ彼女を沈めようと、その艦砲を猛射している。
他方、彼女達に続くアイビス自身にも追撃の手が伸び始めていた。レイヴンの艦尾砲と相俟って、先程からこちらの海面を脅かしてきているのはその追手である。艦名はスターリング。ついさっきまで敵陣中央にどっしりと構え、遠方に対峙するクロイン艦と砲戦を続けていた筈の装甲フリゲートだ。
勿論、アイビス側でも両者に対して応戦を始めていた。ただ、右斜め後ろに付き始めたスターリングとの間には少し距離が残っていた為、こちらから放たれる砲弾の多くはレイヴンの艦尾、その砲郭目掛けて放り込まれていったというわけだ。
そこまでの把握でミサスは一応納得したらしい。やがて煩くなってきた味方の砲撃音から逃れるように、両耳を塞ぎつつ前艦橋へと走っていった。フォアマストと煙突の中間に位置している、いわゆる指令室である。
とりあえずの安全地帯だと胸を撫で下ろしかけていた僕は、すぐにそれを止めた。
室内の狭さは仕方がないとして。その、他がひどかった。前面と側面の窓ガラス十数枚は半分以上が割れていたし、その破片が幾らか残っている床板にはモップで拭き取ろうとしたらしき血糊がべっとりと引き伸ばされていた。その鉄臭さといったらない。黒褐色の板材が用いられた床や側壁には弾痕や刀傷も所々にあった。要するに外とあまり変わらなかったということだ。
そのあばら屋に入ったミサスを入口に立つ士官が呼び止めてきた。どうやら部隊生存者の状況把握をしているらしい。
彼に尋ねたところによれば、ミサスの小隊の惨状――十九名のうち五名は死亡、二名が重症を負っていた、はまだましな方だったようだ。特に被害がひどかったのは後ろ甲板から艦尾楼へと向かった部隊である。敵の主力、つまり水兵ではなく陸上部隊の猛反撃に遭ったらしい。生き残った人数はどの隊も半分に届いていなかった。
報告をしたのはミサスが最後であり、それによってこのアイビスに乗艦している総兵力が割り出された。その数、二百。無論、以後戦闘に参加出来ないであろう重傷者は除かれている。つまり元いた人数から半数以下にまで減っていたということだ。もっともアイビスを乗っ取られた挙句、捕虜にされたり海へと投げ捨てられたフウスの兵士とて堪ったものではなかっただろうが。
さて。見た目程に艦橋の機能は低下していないらしい。羅針盤の前に設置された舵輪を握る士官は真っ直ぐ正面を見据えていた。その両脇には双眼鏡を構える士官二人が立つ。彼等の前には一基づつ速力通信機があった。それ以外には艦の左右の舷側を見張る士官が二人。勿論彼等も双眼鏡を使っている。
リゲル少佐は操舵を部下に任せ、部屋の中央で他の小隊長達と顔を寄せ合わせていた。
どうもレイヴンへの追撃方法について意見が対立してしまっているらしい。小隊長達の表情は一様に苛立って見えた。一人がリゲルに詰め寄っている。
「ワイズへリングを待つ必要はありませんっ。
すぐに速力を上げてレイヴンにアボルダージュをかけるべきです。
サヴィッジシールを見殺しにする気ですか!?」
すると反対側から別の者が言い返す。
「半分以下になった我々の戦力で
あのほぼ無傷のフリゲートを落とせるものか。
無謀過ぎる」
「陸上部隊が乗っていないと分かり切っているサヴィッジシールを
艦砲だけで落とそうとしてる奴等だぞ。
そんな連中にこのアイビスを奪取した我々が負けるものか!」
「連中がサヴィッジシールに近接戦闘を挑まないのは
サヴィッジシール自体に最早利用価値がないからだ。
もっと状況を客観的に見ろ」
二つの意見の間でリゲル少佐は決断をし兼ねているようだった。
ちなみに遥か前方に見えるレイヴンの艦影はさっき見た時より小さくなっているようだ。サヴィッジシールはその向こうに豆粒程の大きさでかろうじて確認出来る。クロインの士官達の対立がそのままアイビスの速力に反映されていたということだ。
こんな時こそミサスが何か決定的な判断材料を提供するかと、僕は自画自賛にも似た思いで密かに期待していたのだが。そのミサスは口論に参加することなく、左舷側を見張る士官のところへ歩み寄っていった。そして皆に聞こえぬ程の小声で話しかける。
「ワイズへリングの動きは?」
オーストリッチとの戦いを生き抜いたクロイン側の装甲コルベットのことである。
双眼鏡を当てたまま、その士官が回答する。
「今さっき本艦から、レイヴンの左舷側へ回り込むよう指示を出したのですが。
前進をしつつも大した速力は出してないですね。
何をもたついているんだか……」
「近くの海面に弾着は認められるか?」
「……いえ。
一番近くにいるスターリングの右舷はまだウォールラスとやり合ってるようですし。
主砲もこのアイビスに向いていると
先程、後艦橋から報告が入りました。
コルベットクラスですし、とりあえずは後回しにされてるのでは」
ウォールラスというのは戦闘の初っ端から自陣の中央で砲戦を行っていた装甲フリゲートだ。正式呼称は『グランド』が前に付いている。
ミサスは軽く鼻の下を掻いた。
その後ろではまだ小隊長達の言い争いが続いている。
「南西へ変針しつつ時計回りにレイヴンとの砲戦を続行すべきだ。
ウォールラスだってスターリングの動きに合わせてこちらへ向かっているんだ。
我々が単独で突っ走る必要はないっ」
「単独ではない!
今なら退いていくサヴィッジシールの援護射撃だって望める。
ワイズへリングだって追い付いてくるだろう。
そもそも、戦略的観点からして
この海戦はどうしても負けられないことは分かり切ってるじゃないか。
劣勢を覆す機会はここしかないんだぞ!
慎重に慎重を期して首都まで撤退する気か!」
「何も逃げるとは言ってない。
勝機に合わせて動くべきであって
それまでは退路は常に確保しておくべきだと言ってるんだ。
大体無謀な特攻で大事な兵を失うなど
それこそ負けを自ら選び取るようなものではないか」
「無謀な特攻とは何だ!
そっちこそ自分の身の安全を図りたいだけだろうが!」
少佐は困惑しているようである。二つの考え、というか二名の小隊長の対立は来るところまで来てしまっているようだった。
そんな二人の方へミサスが歩いていく。何か考え付いたのだろうか。
少佐の前でいがみ合う者達に向け、ミサスが口を開きかけた。けれど、その先に続いたのは彼の声ではなかった。
音源は艦の遥か前方。低く短い衝撃音だった。
振り向いたリゲル少佐と小隊長達――無論ミサス自身もだ――は、進行方向に小さく見えるレイヴンを眺めやる。
たった今上がったそれは僕とミサスにも聞き覚えがあった。アイビスがレイヴンを追い始めてから二、三度耳にしていた筈だ。即ち、命中したものの装甲を凹ませるに止まった砲弾の破裂音。またそれか、とミサスの高揚があっさり頂点を過ぎていく。
かと思いきや、今度は爆発と分かる大音が上がった。
再び視線を戻した先では、レイヴンの艦尾左舷部分から太い黒煙が立ち上り始めていた。その火元、つまり砲郭のくり抜き窓と思しき部分は赤白くちかちかと発光している。
テレグラフの前に立つ士官が双眼鏡を見つつ報告する。
「レイヴン艦尾の左舷砲郭に命中っ!
敵の弾薬に誘爆した模様」
小隊長達の間から驚きとも喜びともつかない声が漏れ広がっていった。
少佐が報告をした士官の双眼鏡をひったくるように取って、自身で確認する。
「……よし。
…………よおぉォおし……!」
ちょっと笑いを誘うような、将官らしからぬ軽い感じで彼は唸るのだった。
それから数分後、状況は更に好転した。レイヴンは徐々にその速度を落としていき、ついには停止してしまったのである。機関部の方にも何か影響があったのかもしれない。
こうなってくると、こちらが採るべき戦術に選択の余地はなかった。少佐は操舵を担当する士官に『微速前進赤十五、左三十度回頭』を指示する。それから舵輪を回す士官の横に行って、窓際に伸びてきている伝声管の蓋を取った。口を近付けて号令する。
「右舷砲郭各員へ。
動かぬ的へ存分に砲弾を食わせてやれ!」
レイヴンの艦尾にある砲郭は左右一つづつだ。その左側は既に死んでいる。となればアイビスとしてはなるべくその死角となる位置から、右舷の艦砲を目一杯に使って砲撃をするに限る。
それからしばらくは、砲弾の嵐がレイヴンの艦尾目掛けて吹き荒れることとなった。
アイビスは後方から追ってくるスターリングを敬遠するように南西側へ舵を切りつつ、微速で撃てる限りの砲弾を撃ち尽くしていったのだ。その数が百を越えたかどうかは定かでないが、炎に包まれ傾きだしたレイヴンの艦尾を見る限り、十分な成果を得たことは確かだった。更には、サヴィッジシールもどうにか逃げおおせることが出来た。
これで目の前に立ちはだかる敵は、残すところスターリング一隻となったわけだ。対するクロイン側はアイビス、ワイズへリング、それからこちらへ向かっているウォールラスの三隻。この圧倒的に優勢な状況にひとまず僕は安堵していた。
左翼側の詳細な戦況は不明であったし、ましてや他エリアで戦闘中の味方艦隊の状況も分からなかったが、山場を越えたという確信ぐらい抱いても良かっただろう。
それは艦橋内の士官達とて同じ思いであったに違いない。
そんなところへまた別の一報がもたらされた。
「少佐!」
艦橋の入口からした声に士官達が振り向くと、そこには一人の兵士が顔をのぞかせていた。いかにも、すぐまた持ち場に戻らねばならないという感じである。
「どうした」
「ワイズへリングより連絡が入りました。
了解、とのことです」
おそらく先程ミサスと士官との会話に出てきていたレイヴンの左舷へ回り込むという話だろう。もっともその時までレイヴンが海の上にいるかは疑問だったが。
少佐はその兵士に『ご苦労』と言ってから、アイビスの左側やや後ろに来ているワイズへリングの位置を目視した。そうして舵輪とテレグラフの前に立つ三人の士官達へ新たな指示を出す。
「両舷微速前進赤二十!
左十五度回頭!」
舵輪を担当する士官が復唱したのに続いて、左右の士官がテレグラフのハンドルを時計方向にくるくると回し始めた。
右舷側、やや後方に捉えているレイヴンを苦しめる炎はさらにその勢いを増しつつあるようだった。ここからでははっきりと分からないが、おそらくウォールラスがその前方側から砲撃を追加しているものと思われる。
小隊長達が二戦目の勝利を信じ切り、改めて表情を引き締める中、何を思ったのかミサスは艦橋の外へと出ていった。そうして左側の舷縁へと走っていく。
外では南南西へと舵を切ったアイビスの進路前方へ、西南西に向かうワイズへリングが進入しようとするところだった。もう少し詳細にいうならば、アイビスの進行方向に対し十一時の方角、三、四百メートル前方をワイズへリングが横切り始めようとしていたという感じだ。アイビスがその交差点に到達する前に彼女が通過し切れるかという、ややきわどい感じの状況だった。
ミサスはどうやら今さっき伝令に来た兵士を探していたようだ。その彼を左側の舷縁に見つけ、駆け寄っていく。彼は相方と二人一組となって信号灯を受け持っていた。
「ちょっといいか」
「何でしょうか」
「ワイズへリングとのやり取りは当然四号だよな?」
『四号』の意味するところが暗号書丙四号――クロインの軍中で用いられている乱数表のこと。部隊間で情報伝達をする際にはこの表を元に、伝えたい文字を数字に置き換えてやり取りしていたというわけだ。ちなみにこの時分における艦船同士の間では、その手段に信号灯を用いていた――であると知らなかった僕はこの時のミサスの意図を測り兼ねた。ただ、ミサスが何かを危惧していたのは確かだ。
ミサスに突然尋ねられた兵士は迷うことなく頷いた。当然だ、という風に。ただ彼は付け加えた。
「あの」
「何だ」
「向こうは手旗信号です。
緊急時にやり取りする簡易式の。
最初のアボルダージュで信号灯が破損したらしくて」
それを聞いたミサスが僅かに顔をしかめた。すぐに手摺りから身を乗り出してワイズへリングを見る。
全長がサヴィッジシールやこのアイビスの半分程しかない彼女は、その右舷側を目一杯にこちら――アイビスの艦首左部分、へ向けつつ横断を開始していた。
両艦の接触を避ける為にアイビスは艦速を落とせるところまで落とそうとしていたわけで。それに対して彼女はいち早くその前方を通過していく筈だった。にも拘らず、アイビスに合わせるかのように彼女もまた艦速を落としている。
(え)
硬直した思考から零れ落ちたのはその一文字だけだった。
もう三百メートルを切った辺りまで迫ってきていたその僚艦の横顔――全長四、五十メートルという黒い壁、は一時の疑問や疑惑をぶつけるにはあまりにも大き過ぎた。
彼女の右舷、そこに横一列で並んだ十幾つの艦砲がさも重たそうに首をもたげる。次いで、その砲口をことごとくフラッシュさせた。
数多の砲撃音と飛来音に乗っかってきた全砲弾は、おびただしい数の爆風となってアイビスを襲ったのだった。




