第五話 食卓
南町の路地でからまれた翌々日。
すべては、この日の孤児院での夕食における子供達との会話が発端だった。
「ミサ兄、聞いた?」
ハンバーグを口に押し込みながら、右隣のキルが尋ねてきた。
「何?」
「東のブレアールって港町に征西から帰ってきたロア皇子の軍隊が寄り道するらしいんだよ」
「ロア?」
「うん」
何だろう。
また例の形容し難い感情が湧き上がってくる。だけどそれはアノやメイアといった言葉に反応したときのそれより、路地で感じたものに近い。
左前に座っているおばあちゃんが話に加わる。
「ああ、結構な規模の船団が寄港するって話だろ。こっちの港でも、その噂で持ち切りみたいだよ」
「へえー。ロア皇子って、この中央大陸で一番えらい奴だろ?」
身を乗り出したところをおばさんに注意されつつ別の男の子――ジャンだ――がおばあちゃんに聞く。すると代わりに、眼鏡をかけた男の子――この子は確かコルン――がすまして答えた。
「そう考えて、大体間違いないよ」
「恰好良いなあ、皇子かよー」
「何でも戦勝のご報告を町の地下にある聖堂で行うらしいね。まあ、ここら一帯での人気取りもあるんだろうさね」
おばあちゃんも興味を惹かれているようだ。
「すっげえー!」
騒ぎ出すジャン。見かねたリーンが彼の頭を軽くひっぱたく。
「ジャン、食事中に椅子の上で跳ねないのっ」
「あいたっ。もー。リーン姉はここんとこ機嫌わりーんだから」
「そうじゃないわよ。あんたがちっともおばさんの言うこと聞かないからでしょ」
「ちぇっ」
ジャンの指摘もまんざら外れていなかった。あの路地でからまれて帰ってきてからここ数日、機嫌の良し悪しは別としてどこかリーンは気分が沈んでいるように見える。
ジャンは諦め切れないという感じでコルンに話す。
「あーあー、見に行ってみたいなあ。これ逃したらロア皇子なんて二度と会ってもらえねーよ」
「馬鹿だなあ。聖堂まで行っても会ってくれるわけじゃないよ。地下三階のギャラリーから下の階の皇子達を見ることができるってだけさ」
「へえ、よく知ってんな、コルン。じゃあ、お前は見てみたくないのかよ」
「ぼ、僕は、本で見て知ってるからそれ程興味ないよ」
「ウソつけ。ホントはメイアから出て遠くの町へ行くのにびびってんだろ」
「ち、違いますよっ」
おばあちゃんが少し考えるような顔をする。そして軽い感じで提案した。
「ブレアールの地下聖堂にロア皇子ねえ。
……良いじゃないか。リーン、ミサス。ジャンを連れてっておやりよ」
「ホントに!? ばあちゃんっ」
唐突な話の展開に喜ぶジャン。おばさんが慌てて口を挟む。
「え……。ちょっと、おばあちゃん」
「あんたはちょっと黙ってな。どうだね、リーン」
「……私は別に構わないけど。でも……。ブレアールって言ったら南町のシルクスよりずっと遠いでしょ。当然、鉄道なんて通っていないし……」
「ふふ…‥。あんたにしちゃ珍しくはっきりしないね」
「そういうわけじゃ……」
おばあちゃんは煮え切らないリーンを直視して諭すように言った。ただそこにどんな思いがこもっていたのかは……その時の僕には分からなかったけれど。
「いいかい、リーン。見たくないものも、いずれは見なきゃいけない時がくるのさ。目を覆っていようが、いまいがね。遅いか早いか……それだけさね」
「おばあちゃん……」
おばあちゃんはそれから、僕を真っ直ぐに見つめて言う。
「ミサス。リーンと子供達のこと。頼んだよ」
よく分からないままに何となく頷いた僕を見て、おばあちゃんは優しく微笑んだ。
僕とリーン、ジャン、そして一緒に行きたいと言い出したキル。
四人がメイアを出てブレアールに向かったのはその次の日曜日、早朝のことだった。