第五七話 岐路 弐
台詞に出てくる距離に単位が付いていません。
『メートル』のつもりで書いています。
・適当な用語説明
装甲フリゲート:サヴィッジシールと同規模の艦船の意で用いています
装甲コルベット:サヴィッジシールの半分位の大きさの艦船の意で用いています
傾きかけた日が、青黒い海面に光の帯を浮かべていた。そこだけ真珠を散りばめたかのように輝く水面は、風に遊ばれる波に食いつき食いつかれ、水平線まで達している。その境界より上は透き通るような薄い水色の空に小さな雲が二、三浮かぶのみ。岩礁も無ければ、気を利かして飛ぶ海猫の影すら見えない。
だから、空と海が抱くのは清々しさだけだった。
時刻は十五時二十分。スタンフォークから東南東へ進むこと約二百キロの海上。
クロインとフウスの艦隊は互いにやっと視認できる程の距離を隔て、その艦影を並べた。双方の艦船は、その威を誇示するように黒煙を噴き上げている。それは煙という名の、気焔だったとも言えよう。
ちなみにこれと同時刻、他の三ヶ所で既に戦端が開かれている。一つ目はここより北の水域、つまり先程サヴィッジシール達と行先を異にした六隻の艦船が向かったポイントだ。残りの二ヶ所はスタンフォークから見て南西と南の水域である。
更に付け加える。ライン湾というのは最後に挙げた二つの水域を指している。あとの二ヶ所は言わばおこぼれにあずかったようなものだ。ただその土地が戴いていた名の有無と、そこで起こった戦闘の苛烈さは何ら関わりがない。つまり、ミサス達がこれから身を置こうとしているそのエリアこそが、主戦場だったということだ。
話を戻す。
両艦隊が互いを視認したのと時を同じくして、艦内の各船室にある伝声管が早口に喚き立てていった。ミサス達がいた部屋とて例外でない。
「……艦内哨戒第一配備!
繰り返すっ。
右三十度、距離九千に敵艦隊を確認!
総員、第一種戦闘配備に付けッ!」
もう時刻が時刻であったから、ミサス達の中で取り乱す者はいなかった。むしろ各自は吊り床や椅子に座りながらも、立てた武器を己が身に引き寄せ、十分に気を充実させていた。
声にいち早く反応したケーケとジャン、レックス、アイザーが立ち上がる。
と、その意気をやや挫くかのようにサヴィッジシールは減速をしていった。船内に伝わった鈍い衝撃がケーケ達をよろめかせる。それぞれが窓枠やら壁、椅子等に手を突き体を支える中でケーケが唯一人、元いた吊り床に尻もちを突いた。
ミサスがじっとケーケの左手を見る。その手は吊り床の片端にあるフックを確かに掴んでいた。同じそれに目線を遣りつつ、ケーケが自嘲気味に口角を上げた。逆にミサスは眉をひそめる。その後何となく自然に、互いを見ようとした。
だがそんな彼等の間を、態勢を戻したジャン達が我先にと走り抜けていく。まだ閉まっている扉の向こう、室外の通路を慌ただしく駆けていく大勢の足音が、彼等に『遅れを取るな』と呼び掛けていたのだ。
外から更に聞こえてきた『第四師団の者は前デッキ下階段付近に集合ッ!』との声に、ミサスもケーケも、そして残りの者達も立ち上がり、ジャン達の後に続いた。
二、三分後。ミサス達は再びあの人いきれの中にあった。
四百数十名がデッキへと続く狭い階段を中心に集まってきている。その人数は当然に階段上と通路内に収まり切らず、近くの部屋の扉を開け放し、その室内にまで溢れ出していた。ちなみにそれは、甲板のすぐ下のエリアに止まらず、その下、さらにはもう一つ下のエリアにまで及んでいる。
その一同が戦意をたぎらせ、神経を研ぎ澄まし、自分達の出番を今か今かと待ち構えているのだ。その圧迫感たるや数時間前の比ではなかった。ちなみにミサス達がいるのは甲板から二つ下のエリア、階段から僅かに離れた場所だ。
まあ、甲板上に出るのが許可されない理由もよく分かる。この艦はこれから砲弾の雨をかいくぐり敵の懐へと押し入っていくのだ。今彼等が徒に船外へ出たところで、艦砲の的になるのが関の山だったというわけだ。
そうこうしているうちに、再び声が降ってきた。一同が見上げた先、天井の端にやはり伝声管の口がある。今度はグレスリー中佐の落ち着いた声だった。
「本艦はこれより敵艦隊との交戦に入る。
第四師団の兵員は突撃の命あるまで
デッキ階段下にて待機せよ。
繰り返す。本艦はこれより……。」
中佐の指示の間にも、サヴィッジシールは更に減速していく。おそらく艦砲の飛距離ぎりぎりのところで、砲戦を展開していくものと思われる。幸いにも減速のし方は、先程より大分緩やかだ。艦内に再び生じた慣性力は僅かなものだった。
それにしても、と僕は思う。状況がベインストックでのそれとよく似ているのだ。戦いの火蓋が切って落とされようとしているのに、一ヶ所に固まって待機を強いられ、外の様子も把握できない。おまけに頭上から降ってくる声を待つ辺りまでそっくりである。
ただ、出撃後のミサス達を迎える戦場の有様までもが類似しないことは、その数分後に理解出来た。
ドンッ、という腹の底に響くようなその音は、遠方、船の進行方向に対し十時の方角から突如、聞こえてきた。それからややあって、またドンッドンッドンッと続けざまに数発鳴り響く。
そこから遅れること数秒。今度は船外から付近の海面を強打したような音が跳ね上がり、直後、それはすぐ散っていった。文字にするなら『バシュゥンッ!』とでも表記すべきような、余韻を残さないその短い音は、さらに数回続いた。
しばらくしてそれらに応えるように、今度はミサス達兵卒がいる通路の左壁面越しから、今し方の数発とは比較にならない轟音が断続的に響き渡ってきた。どうやら兵卒達と壁一枚、もしくは二枚か三枚隔てた向こうは砲郭になっているようだ。
砲火を噴いたのは、左舷の艦載砲だ。要するに標的の艦船を左側に捉えているということである。これは、当初の予定通りこのサヴィッジシールが自陣の右翼側に回ろうとしている、もしくは回ったということを意味していた。
そこから先、響いてくる砲撃の音源は九時と七時側に分かれた。ミサスが数時間前にしてくれた説明を踏まえれば、前者が示すのは味方右翼前列に位置する僚艦二隻、並びにその遥か先に対峙する敵艦、後者は自陣の中央二隻と左翼側三隻の僚艦ということになる。
それからしばらくというもの、両軍の砲音は散発的に続いた。時々、近くの海面から着弾音が上がるものの、サヴィッジシールの前に陣取る僚艦二隻のお蔭かこの艦体にまで砲弾は届いてこない。砲戦は互いに様子見しているような、そんな雰囲気の中でゆっくりと始まっていった。
やがてその砲音に所々遮られつつも、甲板に最も近い階段上に待機する兵士が、上から大声で報告してきてくれた。
「敵艦隊、八隻にて単横陣!
うち、装甲フリゲート六、装甲コルベット二!
我が艦は自陣の右翼後列にあって
左舷艦砲で前列の二隻を援護せりっ!
応戦する敵艦はフリゲート三ッ!
距離は……六、いや五千!」
『おぉ』とも『わぁ』ともとれる喚声があちこちから上がる。そうしているうちに、前列の僚艦二隻から聞こえてくる砲撃音が徐々に遠ざかっていった。同時に、この艦内にも増速の慣性力がかかってくる。それに従い敵側から鳴り響いてくる砲音がやや大きくなってきた。砲撃と着弾の間隔も心なしか狭まってゆく。
直後。
左斜め上の天井の、さらに上の方で艦体が裂けたかと思う程の爆音がした。同時に艦内に衝撃が、振動が走っていく。それに前後して、ミサスの体中の筋肉も瞬時に強張る。
彼等のすぐ頭上にある天井は軋み埃がぱらぱらと落ちてきた。真下でそれを吸った兵士が堪らず咽る。ミサスの緊張はやがて解けていったが元の状態にまでは戻り切らなかった。
ともあれ。どうやら前甲板の方に被弾したらしい。勿論その間も砲音は鳴りやまない。増速も続いている。気付けば七時の方角に聞こえていた自陣の砲音からは、かなり遠ざかっていた。
そうしてそれから数分のうちに、敵艦が放つ砲音の位置が九時から十時、さらに十一時へと移っていく。同時にその音も段々と明瞭に、そして大きくなってきた。
再度。
艦内に衝撃と爆発音が伝わってくる。今度のは先程より一層大きかった。揺れを吸収し切れずに周囲で何人かが手を突く。他方、ミサスの体が示した反応は一度目の時より小さかった。
どうやら完全に敵艦の射程内へと侵入したようである。
さっきまで続いていた馴れ合いじみた砲戦は様相を一変させてきている。最早、自陣の中央、左翼にいる筈の僚艦の砲撃音は聞こえぬ程に遠ざかり、一方で進行方向真正面から響いてくるそれは激しさを増していった。応戦するこちらの轟音も主砲を搭載する艦首の方から盛んに聞こえてくる。
それにしても。今さっきの砲弾の着弾点が十数メートルずれていたらと思うとゾッとする。あの衝撃を直接食らえば、恐らく痛みを感じる間もなくその身が四分五裂し後には何も残らないだろう。何の前触れもなく不可避で襲い掛かってくる死を、今はただこの閉塞感に満ちた空間でひたすら待っている。
そこまで理解した僕に、奇妙な苦笑いがこみ上げてきた。知っているつもりでいたところへまた別種の恐怖を教えられたからだろうか。
艦体が二度目の増速に入っていく。それに伴い、ミサスの四肢が再び固くなっていく。勿論、体を支えるためではあったのだろうが、僕にはその余分な力の入れ具合までもが、はっきりと分かった。その緊張は多分、僕が内包する恐怖と同じところからきていたものだと思う。
断っておくが、緊張と恐怖を抱えていたのはミサス一人でない。押し黙った船内は異様な雰囲気に満ちていた。当初ここに集まってきた時に彼等が持っていた戦意や集中力といったものは、どうも変容しつつあったらしい。
逃げ場のない海上にあって、破壊力凄まじき砲弾の雨にさらされ、更にはそれが激しくなる先へと艦船が増速していく、おまけにその状況の欠片も目に入れることが出来ない。兵士達が極限状態を迎えるのはそう遠くない先だと容易に想像出来た。
それでも、サヴィッジシールは轟音の嵐の中へと突き進んでいく。この艦の眼前で繰り広げられている砲煙弾雨ならぬ砲煙砲雨の中、更に増速していく。もう何発の被弾を食ったか分からなくなっていた。
遂には、木片の焼け焦げる臭いが甲板の方から漂い始めた。『消火急げ―ッ!』というセーラー達の悲鳴に似た叫び声が、その状況をより緊迫したものにする。当たり前ながら砲弾の音と衝撃も止まない。
いい加減、ここらが限界であろう。運命のなすがままに死を待ち続けるのは。
グレスリー中佐の引き締まった声が再び降ってきたのは、そんな時だった。艦橋はまだ無事だったらしい。
「デッキ階段下の第四師団諸君へ。
本艦はこれより右五度、距離千二百にいる敵艦中へ
最大戦速にて突入する。
アボルダージュの対象艦は
前甲板右舷側に見える装甲フリゲートと心得よ。
なお、以後の指揮はリゲル少佐に従うこと。
諸君の力戦奮闘を期待するッ。」
中佐の声が途絶えると同時に、あちこちで刀剣を鞘から抜き放つ音が上がる。薄暗い通路内にその光と殺気が、一気に満ちていった。




