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月の刻限  作者: ゆいぐ
第三章
56/76

第五五話 岐路 序

適当な用語解説

・工廠:軍需工場

・1ノット = 時速1.8キロちょっとだそうです。

・70mm砲 = 砲弾の直径です

・30mm口径長:上の70という数字と相俟って2m10cmの筒の長さ

         を意味してます。

錬鉄(れんてつ):鋼の一世代前の素材くらいに思ってください。

    (適当すぎでごめんなさい……)

 翌日、午前七時半。召集の指令を受けたミサス達四人とマアヴェは埠頭に向かうべく、市街北側の大通りを南へ歩いていた。勿論アノはいない。


 昨夜、バニルはケーケとジャンに会えたものの、説き伏せるまでには至らなかったらしい。バニルが連れて帰ってきた二人に、ミサスもそれ以上掛ける言葉が見つからないようだった。今朝も彼等は普段通り会話をしていたものの、肝心の話題だけは誰一人触れようとしなかった。


 ミサス達は二人を置き去りにしてでも、軍を抜けるつもりなのだろうか。

 歩いている彼が視線を向ける左側の煉瓦塀、それを見るともなしに見ながら、僕は懸念を拭い切れずにいた。

 中に見えるのは工廠こうしょうだろうか。ミサスの頭程の高さもある茶色い塀の向こうに、同じ色をした建造物がでんとある。のっぺりと細長いそれは、さっき角を曲がって以降ずっと視界左側に居座り続けていた。黒い煙突も何本か見えるが、煙は出ていない。おそらくもう稼働していないのだろう。

 昨夜もそうだったが、街で見かけるのは軍人がほとんど。民間人はあまりいない。銃剣の類を差し、深緑色の軍服を着た者達だけが、静まり返った街中まちなかを同じ方向へ歩いていく。それは何て言うか、工場の生産ラインみたいな味気なさを思わせた。


 と、その工程に潜んでいた異分子が通りの向こうから呼びかけてきた。『おーい』という屈託のない声に、通りの片側を歩いていたミサス達が一斉に振り向く。石畳の通りを挟んで反対側は、白壁の民家が並んでいる。そのすぐ傍に止められたほろ付きトラックに、少年寄りかかっていた。


「ヨウ!」


 彼等は驚きつつもジャンを先頭に、その真っ黒なぼさぼさ頭へと駆け寄っていく。ミサスも当然後を追う。少し髪が伸びただろうか。ヨウは相変わらずの大きい瞳を前髪の下から覗かせて、話しかけてきた。


「みんなも港へ行く途中?」


 先頭のジャンが答える。


「ああ。

 ……そんなことよりお前、ここまで付いて来ちまってたのかよ。


 ドラフ達は?」


「もう大分前に出ていったよ。


 ドラフの兄貴が言ってたんだ。

 『俺はこの戦いで敵船を落としまくって上へ行ってやる』って」


 ……あの坊主頭にそんな出世欲があったとは知らなかった。


 僕と違うところに反応したバニルがぼそりと突っ込む。


「祭りの射的しゃてきじゃねえっつんだよ」


「呼び止めた僕が言うのもなんだけど、

 ジャンの兄貴達こそ急いだ方が良いんじゃないの?


 ドラフの兄貴達が出てってからもう結構経つと思うけど……」


 バニルが頷く。


「確かに、あんまり道草食ってる時間もねえ。


 ヨウ、また会えるか分からねえが元気でやれよ」


「うん。

 バニルの兄貴達もね」


 にこりと笑うヨウを残し、ケーケとバニルを先頭に彼等は歩き出していく。そうして十メートルも歩いた頃だったろうか。一番後ろでミサスの隣を歩いていたマアヴェが、ばっと振り返った。後方で、まだこちらに手を振っていたヨウに走っていく。そうしてその小さな手を引っ張って連れてきた。

 僕もそれなりに慣れてきたつもりではいる。彼女はいつも突然だった。


「ヨウ。

 これから先は私と一緒にいなさい」


 突然の宣言に戸惑っていたのは、ヨウだけではない。そこにいた四人の男達はみな、声を掛けあぐねていた。

 一番に動いたのはジャンだった。彼は二人をつらそうに見つつも、先に歩き出していった。次いでケーケが、しばらくの間マアヴェをじっと見つめていた後に向き直り、無言でジャンの後に従う。二人にとって、マアヴェの言葉は『予定通り軍を抜けるつもりだ』と聞こえたのだろうか。


 マアヴェとヨウのもとに残ったのは、ミサスとバニルだった。バニルは先へ行ってしまう二人にため息をつく。ややあってマアヴェの方を向き、なだめるように言った。


「一緒に連れてくったって……。


 マアヴェだって病院での勤務があるだろ?


 俺等は当然これから行っちまうし。

 アノのとこに置いとくのだって安全とは言えねえぞ?」


 しかし彼女は『問題ないわ』と返した。


「私が病院に連れてって、傍に置いとく。


 ドラフ達が無事に戻ってきて今迄通り世話してくれるって言うんなら

 その時はまた考えるけど。


 不利な戦いになりそうなんでしょ?

 もしこのスタンフォークにまで敵が来たらって思うと

 このまま放っていけないよ」


 ヨウは最初、事態の成り行きが分かっていないようだった。というか今も分かってはいまい。ただ次第に、その小さな眉間に皴を寄せていき、『マアヴェ姉ちゃん……』とぽつりと言った。

 散々あちこちの逆境を渡り歩いてきた割に、いつもニコニコ顔でどこか掴みどころがないと思っていたヨウ。だがそんな彼もこんな時はやっぱり、そこらにいる子供と何ら変わらなかった。


 また小さなため息をついてバニルがミサスを見る。ミサスも『仕方ない』という顔でバニルを見返して頷いた。


 そもそもドラフ達が無責任過ぎる、と言いたいところではある。だが、ベインストックより前の戦場から、このヨウを拾い上げてきてくれたのが彼等であることも、また事実だった。それにしても、こうなったということは、軍を離れる際にヨウも一緒に連れていくことになるのだろうか。ヨウの身の心配もさることながら、少年の足に合わせた逃避行の危うさも気にかかる。


 やがて三人と一人の少年は、先に行った二人を追うべく、急ぎ足に歩き出した。


 南東の埠頭が近付いてくるにつれ、街の様相は徐々にいかめしさを増していった。ロマウナで見たものに近い、あの寸胴ずんどうの対空施設が次第に目に付き始める。『近い』と言ったのは、その色がグレーではなく、くすんだベージュ色だったからだ。ついでに付け加えるならば、その建物の屋上からは選挙演説者のタスキよろしく、クロインの青く細長い軍旗が垂れ下がっていた。どこかで見たと首をひねった(つもりの)僕は、すぐにブレアールの地下聖堂を思い出した。

 加えて石畳の地面にできた砲弾の跡やら、建物の壁の焦げ目やらがちらほらと見え始めてくる。


 そして同時に、同じ方へと向かう軍服の数も段々と増えていった。


 そうやって二十分程も歩いただろうか。ようやく視界に入ってきた埠頭の右手に、巨大な城塞らしきかくばった建造物が見えてきた。先程見た寸胴ずんどうよりやや白っぽいレンガで組み上げられたそれは、城塞と表現するには少し背が低かったかもしれない。それは埠頭の右斜め前方を塞ぐように、町から海へとはみ出してそびえ立っていた。海上からの攻撃に備えた防衛施設なのだろう。

 この場にそぐわぬ、気の抜けた表現を許してほしい。その城塞は豆腐の上に豆腐を重ねたような、そんなシルエットをしていたのだ。色もそっくりである。勿論食べ物でないことは、その屋上にあって海を睨む幾つもの大砲と、その隣に立つ豆粒程の兵士達の姿から、容易に理解できた。


 更に埠頭へ近付いていったミサス達は、港に停泊している十数隻もの装甲艦と、その足元に溢れ返る兵士達の山に出くわした。情報では八千人弱が集まっているらしい。うち八割程はこれから出港する艦船に乗ろうとする者達だ。残る者達は先程の城塞の守備に就くらしい。

 それらの堂々たる迫力は、まだクロインの軍事力がれていないことを力強く物語っていた。頼もしげな艦船を前にした兵士達自身の話し声にも、どこか熱がこもっており、その士気の高さはまだ十分に感じ取ることができる。


 ミサスの話では、出港を控える艦船の母港はこのスタンフォークにとどまらず、周辺の数都市に及んでいるらしい。要するに、ここ数年で陥落した沿岸都市の戦力が、この近海に結集していたのだ。


 さて、四人が乗り込むことになる装甲艦について説明しておこう。勿論後から聞いた話だ。


 乗員七百名、全長八五メートルの大型艦。船体は黒一色。外板は錬鉄製だ。マスト三本に加え、中央には大きな煙突を擁しており、帆走と汽走の両方が可能になっている。走行速度は最大約二十ノット。キトの帆船に毛が生えた程度のものだ。

 木製のデッキから海面までは三メートル以上あるだろうか。海面下かいめんしたの艦首にはラム――衝角しょうかく――が取り付けられている。これは艦船同士の接近戦において、相手に体当たりする為のものだ。イメージ的には顎、ひどく角ばって突き出た顎、ぐらいに考えておけば然程遠くない、と思う。

 兵装は三十ミリ口径長の七十ミリメートル砲が(へん)舷につき十門、それより小さいタイプのものが数門。彼等は船腹上部の四角い穴から、その筒先を覗かせていた。


 いつしか整然と列をなして兵士達は乗り込んでいく。命を、船へと預けてゆく。同様にまたミサス達も、目的の艦船へと連なっている列の後方に並ぶ。


 ある程度までその列が進んだところで、マアヴェがヨウの手を引っ張って止めた。ミサス、バニル、ケーケ、ジャンが振り返る。どうやら見送りもここまでらしい。突然立ち止まった六人を避けるように、後ろの兵士達が彼等を追い越していった。


 マアヴェに対しジャンがけじめを付けようとするかの如く、今日初めての笑顔を作り敬礼をしてみせた。


「マアヴェに見送ってもらえるなんて戦士冥利に尽きるぜ」


 そんなジャンに、彼女は珍しく恩着せがましく言った。


「そうよ。

 わざわざここまで付き添ってあげたんだから。

 有難いって思うなら生きて戻ってきてよ」


 そうして今度は、ケーケを真っ直ぐに見つめる。


「ケーケ君もね」


 ケーケは無言のまま、ほんの少しだけマアヴェに笑ってみせた。左肩を吊っていた三角巾は、もうしていない。


 二人を励ますその時の彼女の口調は、リーンに少し似ていたかもしれない。

 彼女の方でも、戦場へと向かう二人の心をいたずらに乱すような発言はしたくないみたいだった。もうそれ以上何も言おうとしない。


 そうだ、ともかくこの海戦を乗り越えることが大前提なのだ。全てはそれからだろう。


 ミサス達は船にかけられた斜め梯子ばしごを登ってゆく。


 それからしばらくして、最初の大きな汽笛の音が港全体に響き渡った。それを合図に艦隊の先頭をゆく艦船が出港していく。埠頭に残って船を見上げつつ手を振っているのは、城塞の方へ行く者達ばかりだ。


 やがてミサス達が乗り込んだ軍艦も、番が来たとばかりに高らかに汽笛を鳴らした。中央の煙突から噴き上がる黒い煙が勢いを増し、船尾のスクリュープロペラを目一杯回転させる。それに伴い、大きな船体は『ノ』の字を逆から描くように、城塞をけつつ港から離れていく。大きく波を切り分けて進むその雄姿は、圧巻の二文字に尽きた。


 そんな軍艦が十数隻も集まり隊列を組んで海原へと向かう壮観さに、見送るマアヴェとヨウの不安が少しでも和らげば良い。デッキの上でジャンとケーケを気遣い見るミサスに代わるつもりで、僕は遠ざかる埠頭の二人に思いを馳せていた。


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