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月の刻限  作者: ゆいぐ
第三章
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第五四話 夜空 後編


 走ってきたのだろうか。マアヴェは少し息を切らしている。彼女は心配そうに言った。


「今そこで、ケーケ君とジャン君に会ったけど。

 二人とも、何も言わずに行っちゃって……」


 バニルが人差し指を交差させてみせた。


「ちょっとやり合っちまって……な。


 それより今日は遅かったんだな。

 病院の方、大変なのか」


「あ、うん。

 仕事は早く終わったんだけどね。


 あの話を二人にしたの?」


「……ああ、ミサスがな。


 ケーケが意地になっちまってさ。

 ジャンも『ケーケを残してはいけない』って言い捨てて

 出ていっちまった……。


 まあ、ともかく俺がもう一度話してきてみるから。


 マアヴェも俺等のことは良いから部屋戻ってもう休んどけよ」


「そっか……。


 うん、ありがと。

 ちょっと隊長さんの愚痴でも聞いてくわ。

 私、何も出来なかったしね」


 バニルは部屋を出ていった。あの様子では、彼にも事前に話してあったのかもしれない。

 それにしても、ジャンと、特にケーケを説得するのは難しそうだ。出ていったバニルの真意も、説得自体にはなかったようにさえ思える。つまり、自分が行くことでミサスに徒労を重ねさせまいとしたのでは、ということだ。


 ややあって、マアヴェは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、コップの半分程まで注いだ。喉が渇いていたらしい。彼女はそれを一息に飲み干した。一方でミサスはバニルが出ていったきり、ベッドに座ったままずっと口を開かない。前屈みになって組んだ両手を見つめつつ、しきりと内省を繰り返しているようだった。


 僕はといえば、さっきケーケが話したことを思い返していた。

 バニルとジャンも以前触れていたが、どうもミサス達は子供の頃にロアと接点を持ったらしい。もし空襲にロアが関与しているとすれば、僕とロアの繋がりはどうやらそこら辺にありそうだ。

 この夢は過去を教えてくれるものの、あくまで時間の流れに沿っている。だとすると、これに頼っているだけでは僕とロアの繋がりは見えてこないのかもしれない。

 マアヴェ達を探し出せていない現段階では、リーンが口を割ってくれれば一番早いのだが。何の理由があってか、彼女は一向に口を開こうとしない。そういえば、メイアでは何か知っているような素振りも……。


 果てなく思案を続けていたぼく、というよりもミサスの周りが突然真っ暗になった。

 また襲撃なのか、と早とちりするミサスと僕へ入口の方から声が掛かる。


「ちょっと屋上行こ。気分転換」


 いつの間にかマアヴェは入口の方に立っていた。ミサスがちょっとため息をついて立ち上がる。何も言わずに部屋の照明を落としたマアヴェは、怒っている感じには見えないものの、どこか逆らい難い雰囲気を漂わせていた。

 

 屋上にはすぐ着いた。二階までしかない宿だから当たり前だ。幸い思っていたより寒くない。


 どうやらこの建物は市街の北側に位置しているらしかった。というのは、地平線の闇へと真っ直ぐ向かう線路の明かりが見えたからだ。南側は、通りを挟んで並ぶ周囲の建物に遮られ、見晴らしがきかない。確か市街の南東側に埠頭が位置していた筈だ。そこでは真昼の如くライトに照らし出された黒鉄くろがねの艦船が居並んでいることだろう。


 マアヴェは向かいの建物の明かりが眩しいと言いたげに、北側の手摺へと歩いていった。こちらは近くに数軒の民家が建ち並ぶほかは、北へと伸びてゆく線路沿いに点在する光が見えるのみだ。しかも家の者が留守なのか、明かりの灯っている家屋は数えるほどだった。


 屋上を取り囲む手摺、そのペンキの感触がてのひらにぺっとりと吸い付く。ひんやりとして気持ちが良い。

 隣に並んだマアヴェは少し黙っていた後、何故か謝ってきた。

 

「ごめんね。

 嫌な役押し付けちゃったね」


「別に・・・。

 俺が言い出したことだしな。

 それにタイミングだって今晩しかなかった。

 マアヴェは仕事だったんだからどうしようもないさ」


 それきり黙ってしまうかと思いきや、ミサスは続けた。


「それより、アノだけど。


 昨日話した通り、市外の農家へ連れていったから。

 あそこなら多分大丈夫だと思う」


「……ありがとう」


「後方に送る許可が下りないってんなら俺が自分で連れて帰るだけだ」


 ああ、そうか。ミサス達が戦線から離脱するというのは、当然にアノを安全な地域まで連れ出すことも含んでいたのだ。ケーケと口論の際ミサスがそれ程強調しなかったせいで、僕はそのことを離脱の理由に数え忘れていた。もしかしたらそれを前面に出して論を張っていれば……と一瞬考えたが、ケーケのあの暗い表情を思い出してみると……やはり難しかった気がする。

 マアヴェも同じことを考えたらしい。


「そのことはケーケ君達には?」


 ミサスは、マアヴェから目を逸らして答えた。


「……まあ、それなりには」


 マアヴェは押し黙る。


「……」


「いや、話にはちゃんと出したよ。

 ……『これ以上は戦えないだろ』って」


 ミサスは言い訳がましく付け足した後、遠くの線路を照らす光に目をやった。

 しばらくして彼は、いかにも実感がこもった口振りで話し始めた。


「……強過ぎるよ、ケーケは。


 今まで散々な目に遭ってきて

 挙げ句に、この戦いを目前にして左腕をやっちまって。

 なのに、まだ戦場に立つつもりでいる。


 シダクを出た時から、

 あいつは一度だって自分を曲げようとしなかった。


 勿論あいつが進もうとしてるその先に

 正しい答えがあるなんて思ってない。

 でも……それでも、あいつの言葉はしっかりと

 俺自身の弱さを指摘していた。

 

 だからかな。

 ……アノのこと、それ以上引き合いに出すのは

 言い訳になるみたいな気がして」


 ケーケは直接言葉にしなかったけれど、ミサス達は自軍の危機的状況に乗じ、味方を見捨てて逃げ出そうとしているのだ。彼の後ろめたさは、そういうところにも当然由来しているだろう。

 ミサスは前傾姿勢になって手摺に上半身を預けた。組んだ腕の片方、そのてのひらを額に当てる。


「俺やマアヴェ達がこれからやろうとしてることは

 間違ってなんかいない……筈だ。


 そう、なんだ……」


 顔をしかめつつ、彼は明らかに揺れていた。そして彼女とは反対の方へ視線を向ける。それはまるで、自身がいだいている迷いや不安を、一層強く囲い込もうとしている風に見えた。


 ややあって、そんなミサスにマアヴェが掛けたのは、たったの一言だった。

 優しく言い聞かせるように。彼のかたくなな姿勢を解きほぐすように。


「大丈夫だよ」


 声に反応したミサスが振り向きマアヴェを見上げる。そこでその視線は固まった。やがて、彼の表情から憂いの色がすうっと消えていく。額に当てていた右手もまた、いつの間にか手摺へと戻っていた。ミサス自身、それらの変化に気付いていなかったんじゃないだろうか。

 どう見たって彼女の言葉に根拠はない。冗談じゃなかった。その不安を包み込むような柔らかな声と、迷いを断ち切らせる力強い瞳だけで、この理性と知性の堅物を動かしてしまったようだ。

 

 マアヴェはミサスを見ていなかった。それが逆に、彼女の持つ何かを際立たせたのかもしれない。


 最後の瞬間まで、自身の心に灯していなくてはならないもの。


 まず、そんな言葉が脳裏をよぎった。やはりあいだを繋ぐ理論なんてない。彼女のその凛々しい漆黒の瞳は、一瞬にして僕にそう思わせる程のものだったということだ。

 直後、僕はその美しさを心にしまいきれなくなり、不意に泣きたくなった。

 

 そんな風にして圧倒されっ放しだった僕が、一体何を心に灯したのか。それはすぐ後でミサスが言葉にしてくれた。


 ミサスの隣でマアヴェは、線路沿いの明かりが向かう先にある地平線を真っ直ぐに指差した。そしてそこを見つめたまま、毅然と言う。その声は澄み切っていた。


「……私は、信じてる。


 みんなが笑って見ててくれるのは『こっちの道』だって」


 マアヴェは右手を降ろし、視線を動かさずに続ける。


「後ろ指差されたって、

 卑怯と罵られたって、


 いい。


 私が、そう信じてるから。

 それで、いい」


 最後の一言を毛ほどの躊躇いもなく、彼女は言い切った。それを見ていたミサスは、何かを思い出していったようだ。十数秒の沈黙が流れる。

 やがて彼はひどく切なげな目で彼女を見て、ふっと小さく笑ってから言った。


「……その目の光」


「えっ……!?」


 ややびっくりし過ぎている彼女に構わず、ミサスは続ける。


「その目の光を見てると

 もう一度歩き出してみるかって気にさせられる」


 マアヴェはじっとミサスを見た。


「……」


 そのミサスは遠くの明かりに視線を戻す。


「あの頃は、ススが俺を頼りにしてくれるのが誇らしくてさ。

 みんなだって認めてくれてたし。


 まあリーンだけは、

 『このお調子者おちょうしもん!』ってうるさくて

 目の上のたんこぶだったけど」


「……ミサ君」


「何の心配も、不安もなくて。

 このまま何となく、上手く回ってくんだろうなって

 疑いもしなかった。


 けど、そんな自信やプライドなんて、すべて残らず。

 あの夜に、指先に付いた埃みたいに、吹き飛ばされちまってさ。


 ススはもういないんだって、どうにか理解して。

 それから、

 『こうなったら残った俺がやってやる。もう誰一人死なせるものか』って

 心に誓ったんだ。


 兵科学校で一生懸命学んで、

 配属先で上官にしつこく食い下がって。

 ……けれど、やっぱりまた現実が立ちはだかって。


 ベインストックでいくら頑張ったところで

 周りの戦線は後退していくし

 ケーケとジャンは先を急ぐかのように前のめりになってくし。


 結局俺なんかじゃ何の足しにもならない……って

 そう思い始めた頃だったんだ。

 マアヴェに再会したのは」


 ミサスはマアヴェを見ぬまま、続ける。彼女もまたミサスをじっと見続けていた。彼が彼女に対して、ここまで多弁になるのは珍しかったと思う。


「何かその目はさ。

 人を何度でも奮い立たせるんだよな。

 こっちはもう疲れ果てて、勘弁してくれって思ってんのにさ。


 ある意味、軍立の教官より怖いよ」


「褒められてる気がしないんだけど」


 怒ってみせたマアヴェに、ミサスはちょっと笑い、そして言った。


「もう手の届かなくなっちまったものばかりだって思ってた。


 なのに、その……マアヴェを見てたら

 まだ取り戻せるものがある筈だって

 思えるようになったんだ。


 昔の自分。

 アノやマアヴェ達の笑顔。


 その為にはどうしたらいいかって。

 そんなことを最近ずっと考えてた」


「……」


 そこまで言ってから、ようやくミサスはマアヴェの方を見た。


「……カリスマって言うんだよな」


「え?」


「俺なんかよりマアヴェがリーダーやってくれた方が

 よっぽどみんな付いてくよ」


「あはは。

 そうだったりしてね」


 可笑しそうにしていた彼女は、また手摺の方に向き直り、北の夜空を見つつ言った。


「でもさ……。

 確かにスス君達はもう、いなくなっちゃったけど。


 私はあの頃からずーっと、今も変わらずに

 ミサ君のこと頼りにしてるよ。


 まあ、リーンの言う通りお調子者ちょうしもんだなあって思うことも

 何度かありましたけどね。


 ……先生に急に当てられたって

 その場で考えて答えちゃう。

 自信に満ちていたあの頃の君の眼差し。

 

 私にしてみたら、

 教室の窓際の席から見てたあの茶色い瞳の方が

 よっぽど目に焼き付いてるよ」


 そこまで聞いていたミサスも、マアヴェと同じ方角の空を見た。鼓動が聞こえてくる。

 彼女は続けた。


「……それは、ここのみんなだってそうだよ」

 

 ミサスは『みんな』という言葉に、ケーケとジャンのことを思い出したらしい。手摺を鉄棒代わりに、ぶら下がるようにしてしゃがみ込んだ。格子の間から、闇一面に散る星達が見える。地面を這ってゆく線路と同様、あの空もまたシダクへと続いている筈だった。

 ミサスはその姿勢のまま答える。


「マアヴェにそこまで言ってもらえれば

 普段なら舞い上がっちまうんだけどな」


 そして寂しそうに付け加えた。


「……いつの間に、こんなに遠くなってたのかな。

 ずっと一緒にいたつもりだったんだけどな」


 マアヴェも表情を陰らせる。


「……見てたのは、同じ夜空だったのにね」

 

 しゃがんだままのミサスと、その隣に立つマアヴェ。二人は闇夜に瞬く星と星に、自分達とケーケ達の今の関係を重ねていたのかもしれない。




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